38 / 40
第五章 海の泡
38.
しおりを挟む
「リバイアサンが船を大破させたと証言があっても、竜はいない。痕跡もなければ、証拠さえない。大きな竜が入江に紛れることはないと専門家も解説した。
仮にリバイアサンが船を大破させたと判明しても、真夜中に竜の存在を確認するため、僕が海上にいたことは気にかけられない。光を照射した竜と、船を大破させた竜が同一である証拠はつかめない。
アンリの記憶だけを頼りに、僕の罪は問えない。
当時から疑っていた。僕は船に体当たりするリバイアサンを間違いなく見ている。その竜が、前日に確認した竜の可能性を捨てられなかった。結果、ロビンが語るアンリの記憶と僕の記憶が合致した。
やはり僕は間接的に人命を奪っていた。
当時から疑っていた僕は、罪の心痛を和らげるために街へ支援を申し出た。定期船購入の寄付金を贈った。観光としての再起。街の長からの相談を僕は無視できない。
僕は、ことロビンやアンリについては先走り過ぎる。妹の言う通りなんだ……。
ロビンを産んで母は亡くなった。辛いんだ。愛する女性を先んじて亡くすことが……。大事にする、愛するということが、失う恐怖とリンクしすぎる。
そんな僕だから、アンリに選んでもらえなかったのだろうな。
恐れるあまり、盲目となり事故の引き金さえ引いてしまった。君にも、苦しい思いをさせた。アンリにも、彼女の家族にも……、この街の人々にも。
僕がしたことは、罪に問われない。だが、誰も責めなくても、悔恨はじくじくと僕を蝕み続けるんだ」
吐露されるシーザーの弱さに、タイラーはなにも言えなかった。
資産や容姿だけで人は彼を判断するだろう。寄付を贈って感謝されても、彼のもろさに目をかける人はいない。
アンリはそんな彼の内面を理解していたのだろうか。理解して、その手を振り払ったのだろうか。タイラーにはアンリの思考は計り知れない。
「どうしても、ロビンだけは助けたい……」
あたたかいコーヒーを飲みながら、それ以上タイラーとシーザーは黙して語らなかった。
「ふあぁぁぁ」
大きなあくびが、静寂を破る。
「お兄様、タイラー。海の上にはついたのかしら」
シーザーがぱっと顔をあげ、笑む。
「ああ、ついたよ。そろそろ、外に出ようか。アンリも待ちくたびれているかもしれない」
デッキにあがる。外はすっかり暗くなっていた。星は輝き、丸い月も出ている。
「海上で見る星空は格別ね」
「まるでプラネタリウムだな」
ロビンとタイラーは並んで詠嘆する。
「ほら、君たち。リバイアサンがいつ現れるか知れないんだ。空ばかり見てないで海を見ようね」
シーザーがパンパンと手を叩く。
人のあたたかな営みを灯す海辺の街。明滅する光に影として浮かぶ人魚島。島の裏手から民家は見えない。崖がそびえ、洞窟の出入り口がぱっくりとこちら向いている。
室内で休んでばかりいたロビンは両目をキラキラと輝かせる。
波は穏やかだ。規則正しい蕩揺を、波音が追い響く。明度高い青はひそみ、波は黒々とした海底の色を浮き立たせている。波の先端だけ月明かりを透かして光り、すぐさま海の闇へと循環する。
その時、船が大きく揺れた。ロビンがバランスを崩す。タイラーはよろめく彼女を支えた。
「ありがとう」
「海の上です。気をつけて」
波が不自然に高くなる。船が前後に揺れた。そのまま揺れ続けるかと思えば、徐々に波は収まっていく。
沈静化した海が緊張をもたらす。
波を裂く音が立った。三人が同時に音の方へ顔を向ける。竜の背が波間を横切った。距離があっても、その大きさがうかがいしれる。巨体を誇るリバイアサンが海中で躍動し始めたのだ。
「きたな」
シーザーが呟く。
海中は広い。底へと沈めば遊泳する竜の波紋をも吸い込んでしまう。矮小な人間は固唾を呑んで静観する。
遠くで波が渦を巻いた。その渦からリバイアサンが顔を出す。青い姿態を月に向かって突き上げ、半身を海上にさらした。
人間は息をのみ、摩天楼のように見上げるのみ。
青い体躯をくねらせながら、青い両眼が月明かりを反射させきらめく。世界有数の巨体を誇る竜種、リバイアサンがお目見えした。
「これは立派な……」
すぐさまリバイアサンは海中へともどっていった。そこにいた者すべて海中へと誘われた気がした。
「ロビン、海へ入ろう」
二人は着ていた衣類を脱ぎ捨てる。
「シーザー、浮き輪はあるだろ。ロビンに持たせてくれ」
シーザーがロープがついた浮き輪を持ってきた。
「大丈夫よ。アンリが示した計画よ。きっとうまくいくわ」
兄が心配そうに手渡し、妹が慰めながら受け取る。
「私は、どうせ長くないの。生きるためにこのぐらいの冒険をしても後悔はないわ」
まるで今生の別れを言い渡されたといった苦悶の表情をシーザーは浮かべる。
兄の気持ちを打ち払うように、ロビンは晴れやかに笑い返す。
「俺が先に海に入りますね」
船尾横に海へと降りるはしごがある。そこから降りて海に入った。昼間の太陽を受け、熱を帯びていた海水は生暖かかった。残暑が残る時期で良かったとタイラーは心底思う。
息を大きく吸い、タイラーは海水へ潜った。漂うなかで、竜が下方でぐるりと泳いでいる。首をしならせ、胴を左右に振り、無重力さならがに縦横無尽に動く。息が続かず、さばっと海面に顔をだした。額に張り付いてきた前髪を振り上げる。
海面を凝視していたロビンと、タイラーの目があう。
「ロビン、下でリバイアサンが泳いでいた。階段はすべりやすい。ゆっくりおりてこい」
脇に浮き輪を抱えて、ロビンはそろそろとおりてくる。うまくバランスが取れずフラフラしている。
「浮き輪を投げて」
言われるまま、彼女は浮き輪をほおり投げた。手前に落ちた浮き輪まで泳ぎ、タイラーは捕まえる。
「両手ではしごを握ってゆっくり降りておいで」
慎重に降り始めるロビン。足先が海水につく頃にタイラーは叫ぶ。
「飛んで!」
ロビンはその掛け声とともに海へ飛び込んだ。
勢いで彼女は沈む。目をつぶり、両手をあげて、落ちていく。タイラーは潜る。近づき、彼女の脇を抱える。なすがまましがみつくロビンを抱え、ざばっと海上に顔をあげた。
すぐさまロビンに浮き輪を握らせた。
「失礼」
タイラーがロビンを抱き締める。
「よく、あばれなかったですね。えらかった」
「そんな体力もないだけよ」
くすくすとロビンが笑う。
「リバイアサンもちらりと見えたわ。もう、本当に、死んでもいいと思うくらい、感動したわ」
シーザーが聞いたら、泣き出しそうなセリフを楽しげに口にする。
タイラーは浮き輪を握らせて、彼女を海へと漂わせる。
「浮き輪はドーナツの真ん中に入るものだと思ったわ」
ビートバンのように持たされたアンリが不思議そうな顔をする。
「潜る時、抜け出るのが不便だと思ったんです」
二人寄せ合って波に揺られた。
「泡玉を確認したら俺はそちらへ泳ぎます。俺はあなたを助けられない」
「いいのよ。リバイアサンも私の外見は知っているわ。目の前に現れたら、潜ってとアンリにも言われているのよ」
波の揺らぎが大きくなり始めた。
「見ろ」
デッキからシーザーが指をさす。
指し示す方向に、泡がブクブクと盛り上がり始めた。
仮にリバイアサンが船を大破させたと判明しても、真夜中に竜の存在を確認するため、僕が海上にいたことは気にかけられない。光を照射した竜と、船を大破させた竜が同一である証拠はつかめない。
アンリの記憶だけを頼りに、僕の罪は問えない。
当時から疑っていた。僕は船に体当たりするリバイアサンを間違いなく見ている。その竜が、前日に確認した竜の可能性を捨てられなかった。結果、ロビンが語るアンリの記憶と僕の記憶が合致した。
やはり僕は間接的に人命を奪っていた。
当時から疑っていた僕は、罪の心痛を和らげるために街へ支援を申し出た。定期船購入の寄付金を贈った。観光としての再起。街の長からの相談を僕は無視できない。
僕は、ことロビンやアンリについては先走り過ぎる。妹の言う通りなんだ……。
ロビンを産んで母は亡くなった。辛いんだ。愛する女性を先んじて亡くすことが……。大事にする、愛するということが、失う恐怖とリンクしすぎる。
そんな僕だから、アンリに選んでもらえなかったのだろうな。
恐れるあまり、盲目となり事故の引き金さえ引いてしまった。君にも、苦しい思いをさせた。アンリにも、彼女の家族にも……、この街の人々にも。
僕がしたことは、罪に問われない。だが、誰も責めなくても、悔恨はじくじくと僕を蝕み続けるんだ」
吐露されるシーザーの弱さに、タイラーはなにも言えなかった。
資産や容姿だけで人は彼を判断するだろう。寄付を贈って感謝されても、彼のもろさに目をかける人はいない。
アンリはそんな彼の内面を理解していたのだろうか。理解して、その手を振り払ったのだろうか。タイラーにはアンリの思考は計り知れない。
「どうしても、ロビンだけは助けたい……」
あたたかいコーヒーを飲みながら、それ以上タイラーとシーザーは黙して語らなかった。
「ふあぁぁぁ」
大きなあくびが、静寂を破る。
「お兄様、タイラー。海の上にはついたのかしら」
シーザーがぱっと顔をあげ、笑む。
「ああ、ついたよ。そろそろ、外に出ようか。アンリも待ちくたびれているかもしれない」
デッキにあがる。外はすっかり暗くなっていた。星は輝き、丸い月も出ている。
「海上で見る星空は格別ね」
「まるでプラネタリウムだな」
ロビンとタイラーは並んで詠嘆する。
「ほら、君たち。リバイアサンがいつ現れるか知れないんだ。空ばかり見てないで海を見ようね」
シーザーがパンパンと手を叩く。
人のあたたかな営みを灯す海辺の街。明滅する光に影として浮かぶ人魚島。島の裏手から民家は見えない。崖がそびえ、洞窟の出入り口がぱっくりとこちら向いている。
室内で休んでばかりいたロビンは両目をキラキラと輝かせる。
波は穏やかだ。規則正しい蕩揺を、波音が追い響く。明度高い青はひそみ、波は黒々とした海底の色を浮き立たせている。波の先端だけ月明かりを透かして光り、すぐさま海の闇へと循環する。
その時、船が大きく揺れた。ロビンがバランスを崩す。タイラーはよろめく彼女を支えた。
「ありがとう」
「海の上です。気をつけて」
波が不自然に高くなる。船が前後に揺れた。そのまま揺れ続けるかと思えば、徐々に波は収まっていく。
沈静化した海が緊張をもたらす。
波を裂く音が立った。三人が同時に音の方へ顔を向ける。竜の背が波間を横切った。距離があっても、その大きさがうかがいしれる。巨体を誇るリバイアサンが海中で躍動し始めたのだ。
「きたな」
シーザーが呟く。
海中は広い。底へと沈めば遊泳する竜の波紋をも吸い込んでしまう。矮小な人間は固唾を呑んで静観する。
遠くで波が渦を巻いた。その渦からリバイアサンが顔を出す。青い姿態を月に向かって突き上げ、半身を海上にさらした。
人間は息をのみ、摩天楼のように見上げるのみ。
青い体躯をくねらせながら、青い両眼が月明かりを反射させきらめく。世界有数の巨体を誇る竜種、リバイアサンがお目見えした。
「これは立派な……」
すぐさまリバイアサンは海中へともどっていった。そこにいた者すべて海中へと誘われた気がした。
「ロビン、海へ入ろう」
二人は着ていた衣類を脱ぎ捨てる。
「シーザー、浮き輪はあるだろ。ロビンに持たせてくれ」
シーザーがロープがついた浮き輪を持ってきた。
「大丈夫よ。アンリが示した計画よ。きっとうまくいくわ」
兄が心配そうに手渡し、妹が慰めながら受け取る。
「私は、どうせ長くないの。生きるためにこのぐらいの冒険をしても後悔はないわ」
まるで今生の別れを言い渡されたといった苦悶の表情をシーザーは浮かべる。
兄の気持ちを打ち払うように、ロビンは晴れやかに笑い返す。
「俺が先に海に入りますね」
船尾横に海へと降りるはしごがある。そこから降りて海に入った。昼間の太陽を受け、熱を帯びていた海水は生暖かかった。残暑が残る時期で良かったとタイラーは心底思う。
息を大きく吸い、タイラーは海水へ潜った。漂うなかで、竜が下方でぐるりと泳いでいる。首をしならせ、胴を左右に振り、無重力さならがに縦横無尽に動く。息が続かず、さばっと海面に顔をだした。額に張り付いてきた前髪を振り上げる。
海面を凝視していたロビンと、タイラーの目があう。
「ロビン、下でリバイアサンが泳いでいた。階段はすべりやすい。ゆっくりおりてこい」
脇に浮き輪を抱えて、ロビンはそろそろとおりてくる。うまくバランスが取れずフラフラしている。
「浮き輪を投げて」
言われるまま、彼女は浮き輪をほおり投げた。手前に落ちた浮き輪まで泳ぎ、タイラーは捕まえる。
「両手ではしごを握ってゆっくり降りておいで」
慎重に降り始めるロビン。足先が海水につく頃にタイラーは叫ぶ。
「飛んで!」
ロビンはその掛け声とともに海へ飛び込んだ。
勢いで彼女は沈む。目をつぶり、両手をあげて、落ちていく。タイラーは潜る。近づき、彼女の脇を抱える。なすがまましがみつくロビンを抱え、ざばっと海上に顔をあげた。
すぐさまロビンに浮き輪を握らせた。
「失礼」
タイラーがロビンを抱き締める。
「よく、あばれなかったですね。えらかった」
「そんな体力もないだけよ」
くすくすとロビンが笑う。
「リバイアサンもちらりと見えたわ。もう、本当に、死んでもいいと思うくらい、感動したわ」
シーザーが聞いたら、泣き出しそうなセリフを楽しげに口にする。
タイラーは浮き輪を握らせて、彼女を海へと漂わせる。
「浮き輪はドーナツの真ん中に入るものだと思ったわ」
ビートバンのように持たされたアンリが不思議そうな顔をする。
「潜る時、抜け出るのが不便だと思ったんです」
二人寄せ合って波に揺られた。
「泡玉を確認したら俺はそちらへ泳ぎます。俺はあなたを助けられない」
「いいのよ。リバイアサンも私の外見は知っているわ。目の前に現れたら、潜ってとアンリにも言われているのよ」
波の揺らぎが大きくなり始めた。
「見ろ」
デッキからシーザーが指をさす。
指し示す方向に、泡がブクブクと盛り上がり始めた。
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる