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第五章 海の泡

37.

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 タイラーは寝室に戻ると、荷物をひっくり返す。片隅にひっそりと忍ばせておいたラッシュガードを引っ張り出した。シーザーが急に海へ行こうと言い出しても対応できるように、念のために準備していたのだ。

「なにが入用になるかわからないもんだ」

 プールで泳ぎ終え乾かしておいた水着と一緒に身につけた。

 チェーンを通し、胸に躍るリングをつまむ。未だ手もとにある奇妙な縁。くるりと回す。明かりに触れるとキラリと光った。ピンクゴールドの色味が、栗色のアンリの髪色を彷彿とさせた。
 彼女の髪色と重なるリングを選んでいた発見にタイラーは目を見張る。

 奇しくもリングが彼女を想っていた証を示し、今もって彼女を求める意志の光に見えた。

 胸元にリングを潜ませた。水着の上に服を着る。人魚島から持ち帰ったカバンの中身を、新たな着替えとタオルに入れ替えた。
 居間に戻ると、横たわっているロビンに声をかけた。

「起きれますか」
「休んだから大丈夫よ」

 あくびをしながら身を起こす。 

「海の中に入ります。水着を着て、服を着てもらえますか。あと、アンリとあなたの着替えも持っていきたい」
「わかりました」

 ロビンと一緒に彼女の自室へ向かう。着替えて、衣類一式持ってきてもらった。持っていたカバンにいれてもらう。アンリの部屋にも立ち入り、彼女の服も詰めた。 
 玄関先に向かうと、シーザーが待っていた。病弱なロビンは海辺の街を歩けない。靴を履いた後で、タイラーは彼女をおぶった。荷物はすべてシーザーが持つ。

「疲れているなら、背中で寝てください。今日の夜は長い」
「ありがとう、お言葉に甘えるわ」

 目を閉じて、タイラーの肩に頬を寄せた。そのまま、すうと眠りにつく。
 その寝入り様にタイラーはびっくりする。

「体力がないのか」
「寝る時間が増えてきているんだ。目に見えて弱ってきている」

 シーザーが心痛な面持ちで答えた。

「行こう。時間が惜しい」

 海辺の街を駆け降りる。気持ちはいており、走りたかった。羽のように軽い少女が振動で起きないよう、慎重に港を目指す。
 
 シーザーにかける言葉が思いつかない。彼が黙する以上、タイラーも態度を同じくする。気まずくても、耐えるしかない。

 三角関係が隠れていたなど知る由もなかった。

 こんな美丈夫がふられるなどタイラーには信じ難い。
 シーザーのあからさまな様子を見ていなければ、ロビンの弁を笑い飛ばしていただろう。

 もし出会った頃、アンリの背後にシーザーという幼馴染の存在を認知していたらどうか。考えるまでもない。身を引いていただろう。彼女には彼がふさわしいと、臆し逃げ出したに違いない。
 臆病なタイラーは間違いなく、アンリから距離をとり、音信不通を決めこんだことだろう。
 アンリが幼馴染の存在を隠し通していた意味も分かる。三年前でさえ、同じ態度を取ったことだろう。

 今だからこそ、シーザーと並んで、アンリを迎えに行けるのだ。

 それでも一つだけ分からない。

(なぜ君は俺を選んだ……)

 タイラーは、なぜと繰り返し問いながら歩む。
 港へ出た。停泊する船のなかに、個人所有のサロンクルーザーがあった。
 本物を実際に見るのは、聞くとはまったく違うものだ。
 クルーザーの存在感にタイラーは気圧される。

 立ち止まっているタイラーにシーザーは声をかける。

「どうした。早く乗ってくれ」
「はい」 

 促され、足早に乗り込む。
 船内にあるソファーに腰掛け、ロビンをゆっくりと下ろした。
 動けば船が揺れるだろう。振動が彼女の負担にならないよう、膝に抱いた。少女は泥のように眠っている。

 シーザーが操縦席にて、船を動かし始めた。彼の日常を垣間見れば、常人との違いを見せつけられる。
 なにを思ってシーザーより自分を選ぶか、タイラーはアンリの思考が読めない。
 
 シーザーがクルーザーを操舵し沖へと向かう。直進し、人魚島を横切る。しばらく進むとぐるっと旋回し止まった。クルーザーの正面に、洞口の出入り口が見える。

 シーザーは深く息を吐いた。ここまできたという感慨に浸っていたのかもしれない。

「コーヒー飲むか」

 そっけない声でタイラーに声をかける。

「いただきます」

 シーザーは席を外した。
 タイラーはそっとロビンを寝かせる。ゆりかごのように揺られるなら、眠りの妨げにはならないだろうとふんだ。
 横に退き、改めて座りなおす。
 しばらくすると、シーザーが戻ってきた。差し出された熱いコーヒーを受け取る。彼は少し距離をおき座った。

「タイラー。俺たちはすっかり、ロビンとアンリに騙されたな」
「そうですね」
「本当に、困った子だ……」
「俺も、どう言っていいのやら……」

 男二人、深く長く嘆息した。
  
「タイラー。僕は記憶が戻っていないことは気づいていなかったけどね、アンリとソニアが同一人物であることは、確信を持っていたんだよ」

 手にした熱いコーヒーにシーザーが口をつける。

「沈没する船を海上で僕は見た」

 シーザーはまっすぐにタイラーを見つめる。

「リバイアサンがぶつかり定期船が大破した。僕は、その目撃者だ。
 これだけ船が停泊し漁業が盛んな海で誰も助からない。不思議だとは思わないか。小さな漁船が近寄って、溺れる人々を助けない。そんなわけないんだ」

 シーザーが息を詰まらせる。
 タイラーは重く受け止める。

「助けられなかった。そういうことですか」

 シーザーはコーヒーが入ったカップを握りしめる。タイラーは渡されたカップに口をつけ一口含んだ。

「リバイアサンの背と、もたげた頭部と首を見た。船が押し上げられ宙に浮いた。その衝撃で、人が海に投げ出された。花弁のように舞った人間の影が海面に叩きつけらていた。
 おそらくその人影の一人がアンリだ。

 一瞬だった。船底がぱっかりと割れ、海中に沈んだ。青い海に赤い色がにじむ。船から油でも漏れたのかと思ったが、その鮮明さはそんな色じゃない。きっとリバイアサンの鮮血だ。

 もちろん周囲の漁船達も気づいた。漁の途中でも仕事を投げ出し、助けようと船の向きを変えていた。その矢先、多量の泡が吹いた。船がその泡にまみれて沈む。漁船は泡に阻まれ、近づけなかった。

 海上にあらわれた泡はそのまま沖へ押し流される。船が沈んだ海上が静まると、漁船達がそこに寄ってきた。後の祭りだ。そこに人の気配はなかった。一瞬見えたリバイアサンも幻のように消えてしまった。

 結局、定期船に乗っていた人を誰一人助けることができなかった」

 シーザーは淡々と語り続ける。

「沖に流されてきた泡は僕の船のそばまで来た。僕はその泡の中に、人の手を見た。船でおぼれた誰かが、泡に巻き込まれて流れてきたのだと思ったよ。 
 助けなければと、浮き輪を手にして海へ飛び込んだ。すくいあげたのは少女だ」

 シーザーがまっすぐタイラーの目を凝視する。

「アンリと見間違った。
 助けた少女は、髪色は違えど、別れた頃のアンリとそっくりだった」

 タイラーは息をのむ。船一隻沈む。その重大さを今更ながら痛感する。シーザーはさらに続けた。

「前日の夜、強い光を照射し、リバイアサンを混乱させたのは僕だ」

 シーザーはうなだれた。

「これから話す内容は僕の懺悔だ」
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