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第三章 もういちどあなたと

19.

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 翌朝、タイラーは気持ちよく目覚めた。

 坂をのぼり体を動かしていたからだろう。
 お酒により眠りは浅くなるというものの、酒量も少なく体は十分に軽かった。

 着替えて、寝室を出る。
 廊下に出たところで、ソニアと鉢合わせた。

 ぶつかりそうになり、彼女の両肩を支える。
 持っていたおぼんにはコップと水差しがのせてあり、水差しの中で氷がかちあうと、その拍子に跳ねた水がタイラーの頬に飛んだ。

 ソニアの表情がいくばくか固い。慌てている様子が見て取れる。

「おはよう、ソニア。どうした、そんな顔して」

 彼女の肩から手を離し、頬を濡らした一滴を親指でぬぐった。
 指先を擦り合わせて揉めば、水滴はあとかたもなく消えてしまう。

「ごめんなさい、タイラー。朝からロビンの調子が良くないのよ」
「いつもとは違うのかい」
「いえ、いつもの……、よくあることよ。寝ててもらえれば回復するの。人よりおやすみが必要な子であるだけだから……」
「心配なんだね」
「そうね」
「不安?」

 ソニアは目を伏せる。下を向いてしまうと表情が見えない。
 物憂げな顔を見たくて、少し腰をかがめ覗き込む。
 タイラーは彼女の頭に手をのせた。二度、三度と撫でる。ソニアが目を見開いて、上目遣いに見つめ返してきた。

「えらいね」

 ソニアの顔がみるみる赤らいでいく。タイラーは手を引くと彼女の肩をポンと叩き、横をすり抜けた。

「キッチンにいるよ」

 廊下を進んで軽く振り返る。立ちつくすソニアの背があり、片手の指先が頭部に添えられていた。

 食堂へ入る。どこまで勝手にしていいのか迷う。椅子に座って待とうかと思ったが、寝起きで水が飲みたくなる。

 タイラーはシンクに残っていた昨日のクリスタルグラスを洗い、冷蔵庫からきゅうりとレモンを浸した水差しを取り出した。濡れたままのグラスに水を注ぎ入れ、仰ぐ。

 扉が開く音がして、目を向ける。
 ソニアが戻ってきた。

「ごめん。勝手に飲んでた」
「気にしないで、助かるわ」

 ソニアがタイラーのそばに寄り、かけてあるエプロンを身に着ける。

「今日は消化しやすい朝食にして食べやすくしたいのだけど、かまわない」
「俺はなんでもいいよ。好き嫌いもアレルギーもないから、気を使わないでくれてかまわない」
「お客様なのに、ごめんなさいね」

『お客様』と言われると、一線を引かれるようでタイラーは悔しい。もう少しソニアに踏み込みたい。どうしたものかと考える。

「なにか、手伝えることはあるかい」

 するりと口をついてセリフが流れた。

「ソニアが忙しいのに申し訳ないけど。昨日、街を案内してもらったし、今日は少し一人でも出たいんだ。街へ降りるついでにできることがあれば、ね」

『お客様だから』と言われたくない。
 断られても、果物を買ってくる提案なら通るだろう。
 言わないで黙って買ってくるか。昨日の様子にしても、ロビンは果物が好きだ。消費物は新鮮な方が良い。タイラーはソニアの返答を待ちながら、策を巡らす。

「……買い物を頼みたいわ。昨日会った年配の女性覚えている」
「果物を買ったあの店の人かい」
「そう。できたら彼女の店で、おすすめの果物を買ってきてほしいの」
「わかったよ」

 心の中でビンゴと呟き、タイラーは目を伏せる。

「あとね。一緒に人魚島へ行くでしょ」

 突然振られた内容に虚を突かれ、タイラーは視線をあげた。
 急に見られたことにソニアは驚き、体がびくっと跳ねさせる。

 本気だったのかとタイラーは仰天する。
 暗がりのキスもなかったことにされていたので、その約束自体あるのか、ないのか、分からなくなっていた。

「そう、だな……」

 返答も歯切れが悪い。

「彼女の知り合いが人魚島にいるらしいの。詳しく聞いておくと役立つわ。私もいつかと思い、後回しにしていたものだから、聞きそびれてしまっていて。
 今日の夜か、明日には旦那様もこちらに来る予定なの。その前に、準備しておきたいじゃない」

 口元がほころびそうになり、タイラーはおさえる。

「ああ、その件も聞いておくよ」

 朝食を準備し始めるソニア。
 いつもならロビンが居そうなキッチンの立ち位置にタイラーはいる。

「ロビンは大丈夫なの」
「大丈夫よ。休めばよくなるの。ただ、波があるのよね」

 温める鍋をおたまで混ぜながらソニアは答える。

「いつも気だるいのよ。体が重苦しいことが多いみたい。元気なら跳ねまわっていそうな性格だけど、幼少の頃からずっとああなのよ。
 血液検査とか栄養状態とか、色々調べてはいるけど、はっきり原因はわからないらしくて、少しづつ弱っていく経過をみつつ、平行線が続いているのよ。
 とにかく全体的にひどく弱いのよ。そうやって、ゆっくり弱っていく状態が長く続いているの」

 鍋に蓋をしめた。薄いまな板とナイフを取り出す。果物をいくつか用意し、軽く水洗いする。

「彼女のお母さんも弱かったらしいわ。家系的にそういう弱い子が生まれることがあるらしいのよ。どうしてかはわからないと、旦那様も話されていたわ」

 果物の皮をむき、小さく切り分けていく。

「不動産でもあるよ、原因不明の体調不良。
 資産家の家だしな、そういうこともあるのかもしれない、ぐらいは、べつにね。不思議じゃない」
「タイラーがこんな世迷言を信じるとは思わなかったわ」
「信じるというか、実際にあるんだよ。
 部屋や建物によって出入りが激しいものはどうにも定着しない。
 事故物件じゃなくても、呪われている建物や土地はあるんだ。関連する人が事故にあったり、持ち主が死んだりする話もある。体調不良になり調べても分からなくて、物件を手放したら回復する話もあるなあ」

 ソニアが切り分けた果実を一つつまんで口に入れた。

「年配者が自然死して数日以内に見つかれば、事故物件扱いでもたいしたことないさ。往生して死んだんだろ。
 でも、呪われたのは、どうにも持ち主が変わっても、悪いことが続くんだよ」
「そんなにあるの」
「いや、ないよ。普通に生きている人が出会うことはまずない」

 もう一つつまもうとして、ソニアに「ダメよ」と止められる。

「それよりも、家を買って一家離散するとか、物件を買ってうまくいかなくて離婚とか。老後の資産を失うとか。表面利回りを実質利回りと勘違いして破産するとか。そういう方が、現実的だ。一般人は、そっちに気を付けた方が良い」

 ソニアはよく分からないと首を傾ぐ。

「資産があるとまれに何かあってもね、そういうこともあるかなと思うだけだよ。
 座敷牢もあるしな。物件買って、表に出したくない親族を暮らさせてたりする」
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