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十六話

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おかしい事が起きている、と気付いたのは、木の桶一杯に魚を捕まえて、これを塩漬けしたらいい具合になるはず、キュルーケさんの言っている事を信じるならば、魚醤と言われるものが作れて、ご飯がもっと美味しくなる、そんな事を浮かれながら考えつつ、岩場を抜けた時だった。

この島は普段そこまで騒がしいわけではない。獣も鳥も色々いるので、各々の生きている音などはするけれども、それなりの静かさと言っていいだろう。あくまで人間の基準なので、獣からすれば騒々しい島かもしれないけれども。

そんな島の中が、浜辺を歩くだけで伝わってくるほど、妙な騒がしさだった。



「……何? 今度は……?」



牛頭の怪物が、何かしたとは思えない。彼は襲ってくる相手は撃退するけれども、自分からどうこうする事をしないって事は、ここ一か月以上の生活の中で、よく知っていた。

それに相手の方がはるかに格上だとわかっている獣達は、牛頭の怪物と事を構える事など考えない。

さっさと色々諦めて逃げ出すのだ。それか適切な距離を置く。

そう知っているからこそ、この、妙に心が不安にざわつく感覚が、この島にとって異常な事態が起きていると知らせて来る気がする。

……早く家に帰らなくちゃ。キュルーケさんが用意してくれた家だもの、危険から身を守るにはもってこいのはず。

そう判断した私は、出来るだけ急いで、浜辺を走り出した。

走って、そして気が付いた事があった。



「浜辺に靴の跡がある」



浜辺の砂の上に、私よりも重たい人間が歩くのだろう、二足歩行の足跡がいくつも刻まれていたのだ。

先程のうるささは、誰かが来たから海鳥が騒いでいた結果なのだろうか?

その誰かがどうしてここに来ているのか。目的は何なのか。

もしかして私を迎えに来たのだろうか。王様の命を受けた人が、島に引き戻された私を助けようとして?

それも十分にあり得る気がしたけれども、私の第六感と言うべきものは、そうじゃない気がする、と言ってくる。

この島に来てから、自分の第六感というものに関して、結構信頼するようになっていたから、その勘を信じると、私を迎えに来た人とは思い難いのだ。

……それに……その……あんな形で王様は追い払われて、私は引き戻されたという事実を考えてみると、王様が私を連れ戻しに行け、と誰かに言うのはちょっと妙な気がした。

王様は牛頭の怪物を恐れている様子だった。その牛頭の怪物を産み落とすに至った海神の力を恐れ敬っている様子だった。

そんな人が、海神の何かを持っているであろう、牛頭の怪物に連れ戻された私を、こんな早く連れ戻す判断をするだろうか?

怖がっていたりしたら、もっと様子を見たり、神殿にお伺いを立てて、神託を求めたりしないだろうか? 神殿の仕事などはよく分からないけれど、そんな気がしてならない。

嫌な予感ばかりする。私は頭を振って、いっそう足を速めて、家まで進んでいったのだった。





「……なんで?」



私は目の前の物に絶句した。言葉がほとんど出てこない。私と同じものを見たら、誰だって同じような反応をするに違いないだろう。

私が貰った、素敵な家が、轟轟と燃えていた。



「……なんで……?」



思考が止まってまともに働かない。火を消さなくちゃ、と思うには、火の勢いが強すぎる。、水を汲んできても焼け石に水、全焼しか道はないほど、燃え上がっているそこは、明らかに油などをぶちまけられているのだろう。

呆然とそこに立っていた私は、そこで、家の前で構えていた人達に気が付いた。



「ひっ……!」



気が付いて、私は一目散に逃げだそうとした。何の目的かわからないけれど、家をいきなり燃やす相手とまっとうな会話ができるとは思えなかったのだ。

だから私は逃げ出した。手に持っていた魚を入れた桶はどこかで落としてしまったし、釣り竿も落とした。

とにかく逃げなくちゃ、と思って逃げて、逃げて、どこに隠れればいいだろう、と必死に頭を巡らせて、一番に思いついたのは、迷宮アヴィスだった。

でもだめだ、と理性的な部分が否定する。

迷宮アヴィスは牛頭の怪物の家なのだ。そこに逃げて、もしも、そこも焼かれたら、迷宮から出ていく前に、空気がなくなって死んでしまう。

がさがさ、と背後から、追いかけてきている何かの音がする。怖くて涙がにじんできた。

どうして、やっと心が落ち着く生活ができると思ったのに、それも失われなくちゃいけないのか。



「……て、……て!!」



何者かが叫んでいる声がする。何を言っているのかはさっぱりわからない。でも怖い、怖くて逃げるか隠れるかしてやり過ごしたい。

そんな必死な思いで藪をかき分け、森を逃げまどっていた私は、それが唐突に終わる事になった。



どんっ、と後ろから左肩に衝撃を受けて、私は思い切りその場に倒れ込んだのだ。

肩が、痛い。人生で一度も感じた事のない痛みで、悲鳴をあげられず、私は何とか起き上がったものの、うずくまるほかなかった。



「いたか!?」



「ボウガンは当たったはずだ!」



「ちょこまかと逃げ足の速い獣だ」



そんな言葉が聞こえて来る。私は何とか隠れなくちゃ、と必死に動こうとしたけれど、肩の痛みがひどすぎて、熱いくらいで、声を抑えて気配を消そうとする事以外、出来なかった。

がさがさと、獣の物音とは大違いの、明らか人間臭い音を立てて、無数の足音が近づいてくる。

さっき、逃げ足の速い獣という事を言った。つまり私を何らかの獣と勘違いしたというのだろうか。ちゃんと人間の衣類を着ている私を、獣と間違うのはおかしいけれど、そうとしか考え付かなかった。何て言う目の悪さだ。

そんな風に頭の中を散らかさないと、痛みでのたうち回りたくなる。でもだめだ、声をあげちゃだめだ、見つかったら本気で殺されるかもしれない。

そんな風に、必死に、意地と恐怖で声を殺し、うずくまっていた時だ。



「いたぞ!! みのた……うぇ?」



私が隠れていた藪をかき分けた人が、勝ち誇った顔で私を見下ろそうとして……固まった。



「ミノタウロスはいたのか!!」



「当たったって言っていただろう! 動きが止まればただの二足歩行の獣だ! 討ち取れる!」



そんな事を怒鳴りつつ、他にも人が集まってきて、皆して、私を見て、完全に固まった。



「おんなのこ……?」



「何でこんな普通そうな女の子が、この島に……?」



彼等は一様に困惑した様子で、そして、私の肩の方に視線を向けて、真っ青な顔になった。



「おいお前!! この女の子にボウガンを当てたのか!?」



「いや、ちが……」



「血まみれじゃないか!! 大丈夫か、君!! すぐに矢を抜いて手当をしよう、申し訳ない、身間違えてしまって」



彼等はそんな事を言いつつ、私に手を伸ばしてくるけれども、私は恐ろしさが先だって、ひゅ、と変な音が喉から出てきて、そしてずりずりと後ろに下がろうとした。

でも、うまく下がれない。手探りで左肩の後ろを触ると、彼等の言う通りに、細長い物が突き刺さっているのが分かった。



「こ、こ、こないで……!!」



「大丈夫、私達は怪しいものじゃない」



「君の手当をしたいんだ、させてくれ」



「本当に申し訳ない、申し訳ない……」



必死に嫌だ、と言おうとする私に対して、彼等は口々にそう言い、私に近付き、手を伸ばしてくる。

相手の素性も何もかもが分からない状態で、いきなりこんな仕打ちを受けた私が、はいそうですか、と素直に手当てを受けると思っているのだろうか。手当されるかどうかも疑わしい気がする。

そんな事を頭のどこかで考えつつも、目の前には恐怖がいっぱいで、私は痛いのか怖いのかどっちかわからない涙がぼたぼたと目からこぼれていく。



「怖い事をして申し訳ない」



「手当をした後に、私達の話を聞いてほしい、とにかく先に手当を」



「い、いや、いや!!」



怖い、怖い、痛い、相手が不気味に思えて仕方ない。

でも、立って歩ける状態じゃない私は、ずりずりと必死に後ろに下がっていくしか出来ず、ついに彼等の手が届くようになる。



「もしかして、君は最近ここに流されてきたのかい、海神の結界が変わり、こうしてこの呪われた島に入れるようになったんだが……」



彼等の一人が思いついたように言うけれど、そんな事を聞いている余裕はない。

私は伸ばされた手が触れそうになった時に、これから何が起きるのかわからない怖さで、引きつった声で叫んでしまった。



「触らないで!!」



次の瞬間の事だった。不意に空気に何かが混ざったように思えた後、彼等の一人の中でも、私を掴もうとしてきた人が、すごい勢いで吹っ飛ばされたのだ。

吹っ飛ばされて、近くの木の幹にひどい音を立ててぶつかって、頽れる。息はしているみたいだた。

そして、私の前に立ちはだかったのは、こんな時に見るのが、こんなに安心するなんて思いもよらなかった、牛頭の怪物だった。

牛頭の怪物は、彼等の方を見ていて、私の方を一瞥もしない。でも、背中からにじむのは、怒りの感情なのだろう。そんな気がした。



「ひ、人喰いミノタウロス……」



「でかい……」



彼等は牛頭の怪物を見て、引きつった声を出している。想定以上の相手が現れたという反応だった。

確かに牛頭の怪物は、普通の人よりもはるかに大きく、迫力のある体をしていて、この体なら、虎とかそういう猛獣も、あっという間に沈められるだろうと納得できる見た目をしている。

その牛頭の怪物が、ぐっとこぶしを握る。彼等を何を思うのか、殴り殺しかねない、とその状態から読めた私は、叫んだ。



「やめなさい、だめ!!」



彼等の空気も、牛頭の怪物の反応も、そこで止まった。

それから、こいつ何言いだしてんだ、と問いかけてくる顔をして、牛頭の怪物が私の方を見やる。



「あ、あなたが殴ったら、そこの人達、皆、死んじゃう!! 荒っぽいのは仕方がないけれど、人殺しになったらだめ!!」



彼等が怖くてガタガタ震えていたのは事実だ。現にまだ震えは止まらない。

でも、だから彼らが殴り殺されかねないのを、見守る理由にはならなかった。



「あなたは、人殺しじゃ、ないでしょ、ね、うん。それより、これ引き抜いてよ、痛いの」



痛い、と聞いた牛頭の怪物が、私に近付いて、私を見下ろして、本当に雑な手つきで勢いよく、私の肩に突き刺さっていた矢を引き抜いた。それで、ぱっとまた血が飛び散ったけれども、痛みは少しだけましになった気がする。

カラン、と音を立てて落ちた矢は、ボウガンの物にしては細い物で、本当にちゃんとしたボウガンで撃たれていたら、私はただじゃすまなかっただろう。

そして、その音で彼等が我に返る。



「ば、化け物め!!」



怒鳴ったのは理解不能の相手を前にしたからだろう。一人が怒鳴り、剣を引き抜く。そして切りつけてこようとした。でも、牛頭の怪物は、それを一瞥し、こぶしを握ると、剣を殴りつけた。

刃ではない場所を殴った事も大きく、剣は音を立てて折れて宙を舞い、更にその勢いで剣を抜いた人は、別の岩に叩きつけられて、ずるずると頽れる。

そして彼等のなかで意識があるのは一人になり、彼はまだ頭がまともに働く様子だった。



「ま、待ってくれ、頼む、待ってくれ、お願いだ……殺さないでくれ……」



そんな事を言うなら、はじめから何もして来るな、と言いたそうな牛頭の怪物が、ひょいひょいと、意識のない人達を小脇に抱える。

そして鼻を鳴らし、私の方を示す。



「……彼女の手当をすれば、許してくれると?」



沈黙が答えだったらしい。その人が近付き、がばっと私に頭を下げて、言う。



「お願いします、手当をさせてください!!」



「……はい」



彼がそう言い、背中を向けて来る。



「あの?」



「ここに手当の道具がないんです、船の方に一式そろっていて」



「そこに行くと……?」



「はい」



……どうやら手当をしてくれると先ほどから言っていた事は、本当に真実だったらしい。

それに、牛頭の怪物に対する恐怖もあるから、変な事はしないだろう、と思って、私は素直にその背中に乗った。

その人が先導し、森を抜けるとすぐに船着き場のある岩場で、そこには複数の人がいたけれど、私を背負っている人が手をあげると、頷いてくれたから、何か合図があったんだろう。



「質問は後で彼女の手当が先だ」



その人がそう言い、船の上に私を降ろすと、手当の道具を一式使って、私の治療を始める。主に止血と痛み止めと縫合になるのだろう。

それらの作業が進んでいる中、牛頭の怪物は、べしょっと乱暴に、小脇に抱えていた人達を船に放り捨てる。

そして、治療の邪魔にならないように、距離を置き、周囲を見回した時だ。



「今だ!!」



私は油断しきっていたし、牛頭の怪物は、そういう事を考えてもいなかったんだろう。

治療をしている人の声で、船着き場で待っていた人達が一斉に剣を抜き、牛頭の怪物に切りかかって、そして、変な事はしないと想定していたのだろう牛頭の怪物から、ぱっと赤い色が飛び散る。

一度赤色が飛び散ると、剣を使っている人達は残酷な程、牛頭の怪物をめった刺しにする。

私はそれを止めさせようと立ち上がろうとしたけれど、治療をしている人が傷のある肩に爪を立てて傷をえぐるようにして、痛みで動けなくなった私に、優しげな声で言う。



「洗脳も、術者が消えれば解除されるはずです、あなたを誰も咎めませんよ」



「ちが、ねえ、やめて、それ以上は、よして!!」



最後大剣を持っている人が、牛頭の怪物の首に剣を振り下ろす。でも、首を切り落とす事は出来なかったらしい。ぐちゃり、という嫌な音がして、刃は途中で停止した。



「これだけやれば、さすがに死ぬだろう」



一人がそう言い、牛頭の怪物の頭に生えている、角を切り落として小袋に入れる。



「行きましょう、隊長の作戦通りでしたね」



「ああ。早くこの呪われた場所から出て行こう」



「まって、私を降ろして! 恩人なの、お願い!!」



私は私なりに必死に抵抗して、船から下りようとした物の、押さえ込まれてそれもかなわなかった。

こうして私は、島から出ていく事になったわけだった。
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