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八話
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なんで船着き場がここにあるのだろう、この前島を一周した時には全くなかった。
私は慌てて周囲を見回した。……案の定というべきなのか、もうちょっと私が考えればよかったのか、牛頭の怪物が私を連れてこなかった、岩場であろう場所がここだった。
それでもおかしいと私の経験が言い出す。というのも、私は牛頭の怪物が連れて来てくれなかったから、ここに何か秘密でもあるんじゃないかと思って、数回岩場に近付いていたのだ。
そしてそのたびに、岩場の周囲はあまりにも濃すぎる霧に覆われてしまって、こんなに霧の深い場所では到底、船なんて言う物は近付けないと判断して、詳しく調べなかったのだ。
調べる努力が不足していると言われるかもしれないが、毎度毎度、何でこんなに? と思うほど濃い霧に包まれてしまったら、とてもじゃないが、調べたりする勇気は持てないだろう。
もしも足場が悪くて、どこかに挟まってしまって動けなくなったら?
もしも見えない場所にとんでもない獣が潜んでいて、気付いた時には逃げ出せないほどの位置にいて、頭から丸かじりされてしまったら?
もしもそこに、私の想像のつかないような危険が潜んでいたりしたら?
それらを考えていくと、積極的に調べ回る事の危険性というものに気付いてしまうわけだ。
そしてこの島には私しか人間がいない訳で、助けてくれそうな牛頭の怪物がもしも、私が岩場を探っている事を不愉快に思って、助けてくれなくなったら、私はまさに絶体絶命になってしまうし、もう死亡待ったなしなのだ。
そう言った事をいくつも計算したという理由もあった。
「霧が晴れているの、はじめてみた……」
周囲を見回して、見覚えのある岩場の形を確認して、私はこのあたりが、この島に来て初めて、驚くほど霧が晴れている現実に、そう呟いてしまった。
誰しもそれ位驚くだろう。この一か月近い間に、一度も晴れた事のない霧が晴れて、綺麗な海の色を見せていて、凪の海面という物を見せられれば、信じられないものを見たという思いをして当たり前だろう。
「……あれ?」
私はあたりを見回した後に立ち上がり、そして船着き場により近づいた。船着き場はかなりしっかりと作られている物で、百年くらいは当たり前に存在していそうな雰囲気を放っている。
とてもこの小さな島にある船着き場とは思えないほど立派な物で、そびえたつ柱などは見事な彫刻が施されているアラベスク、あまりにも豪華だった。
豪華な柱のそびえたつ異常な場所……という雰囲気が満載の船着き場で、私は船着き場のさらに先の海から、一つの船が近付いてくるのを、呆気にとられて見守るほか出来なかった。
船はなかなか立派なものだったけれども、形式的な物なのか、造りは古代の物を模したような物で、私が今まで見た事のある船とはずいぶんと、違っている。古めかしい造り、と言えるに違いない。
そんな物が近付いてきて、私はそこに、十人ほどの少年少女が乗せられていて、彼ら彼女らが皆沈鬱な顔をして、足元を見ている事に気が付いた。
ここにどうして来ているんだろう、何かの宗教的な修行を、強制的に行わされているのだろうか。
それとも、罰なのだろうか。でもあんなに何人も、罰を受けなくちゃいけない事をするだろうか?
集団でやらかしたのだろうか……と思いながら見守っていると、船をこいでいた人は私の視線の先で、船着き場に船を止めて、そして、こっちを振り返り、ぎょっとした顔をして、たたらを踏み、そのまま海に転がり落ちた。
ばしゃあん、という盛大な水音を立てて落ちた人を、少年少女たちは仰天した顔で見て、それからその人が見ていた方向にいる何か、つまり私を見て、口を一斉にあんぐりと開けた。
居ちゃいけない人がいるような態度だったのだ。
私は急いで走って近付いた。少年少女たちは、儀礼的な古代の衣装を身にまとっていて、そして全員、びっくりするくらい整った見た目をしている子達だった。
まるで生贄、という変な想像をしてしまった私だったけれども、彼女たちの衝撃は私以上だったみたいである。
「どうして結界の魔女が直々に迎えに来るのです!? 結界の魔女は白髪のご婦人だったはず!!」
彼ら彼女らの中で、一番衣装が立派で、金の飾りに銀の髪飾りをつけた、大変な美少女が引きつった声で叫ぶ。
結界の魔女ってなんだろうそれは。そう思いながら、私は彼女達に軽く頭を下げて挨拶をして、こう言った。
「初めまして、皆さん。私の名前はシャトレーヌと言います。一か月ほど前に、嵐の海に落ちて、この島に流されて以来、この島で暮らしている身の上です。あなたたちは一体どうして、ここに? 見ると皆さん、相当の名家の子息令嬢であるご様子ですが」
私がこう言ったのは理由がある。彼ら彼女らは、手にあかぎれがあったり、痣があったりする事もない綺麗な体をしていて、髪の毛なども、手入れがきちんとされている事が明らかな艶をしていて、どこをどう見ても、いい育ちをした人生の子息令嬢にしか見えなかったためだ。
私はどぶさらいさえ、お金のために行って来た残念貴族令嬢だったので、そういう事をしなくていい人の手足の具合や、肌の艶などはすぐに分かったのだ。
「初めまして、シャトレーヌ様」
そして、丁寧な物腰で話しかけてきた私に、一番の美少女がはっと我に返った様子で、これまた上級貴族の身ごなしの一礼をして、船を降りて話しかけてきた。
ちなみに船を降りる際に、少年達が我先に彼女を手助けしたので、やっぱり彼女の出自は相当なものに違いない。
ただの美少女に、この状況でそう言った事はしないだろう。
しとやかな仕草で船を降りて船着き場に立った少女は、他の子息令嬢達が船着き場に立ち、こわごわと私を見ているのを気にしつつ、口を開く。
「このような状況でのご挨拶失礼いたします。先ほどの動揺を許してください、シャトレーヌ様。私はアリアドーレ。そしてここは生ける呪い、怪物人喰いミノタウロスの迷宮がある島なのです」
「怪物人喰いミノタウロス……?」
初めて聞いた単語である。美少女は頷き、こう言った。
「そうです。この島にはそれはそれは恐ろしい人喰いの怪物を、結界の魔女が封印している迷宮が存在しているのです。そして私達はその怪物への生贄なのです。先ほど海に落ちた者は、私達が間違いなく迷宮に入り、出られなくなる事まで確認する見張りの兵士にして神官。さらに……」
アリアドーレ嬢は周囲を見回して、それからやっぱり信じられないという視線を私に向けて、続ける。
「この島は、海神の大いなる祝福と呪いに満ちた島であり、満月が登る日でなければ、誰も立ち入れない特別な島。そのような場所に、何も関係のない、何も知らない方がいるというのは衝撃としか言いようがないのです」
「……えーっと、すみません、アリアドーレ嬢のお話を要約すると……ここは満月の日にしか出入りできない特殊な島で、さらに人食いの怪物が封印されている迷宮がある島で……一か月に一度生贄が連れて来られる土地という事であっていますか?」
「はい、その通りです」
そして、と彼女は続ける。
「この島には、封印の魔女が一人暮らし、人喰いミノタウロスが迷宮の結界から出て来る事がないように見張っている島でもあります」
……何だか混乱してきそうだった。しかしアリアドーレ嬢は真面目な顔をしているし、少年少女達はこれからどうなるのだろうと不安げだし、どうすればいいのかなんて私が知りたかった。
「あの怪物以上の怪物っているのかな……?」
私はついぼそりとそう口にした。怪物と聞いてアリアドーレ嬢が怪訝な顔をする。
「怪物を見たのでしょうか?」
「あー、はい。ついでにたまにご飯を分け合ってます」
「ご飯を分け合う……?」
理解が出来ないという調子の彼女に、私は正直に言う事にした。
「この島で一番強いらしい、牛の頭をした怪物です。彼、肉も魚も好きじゃないんですよね。だから根菜がゆとか大好物になったみたいです。だから食い殺される心配だけはしてないんですけど」
ここで私は、今までの事を軽く彼女に話した。海に落ちた事、誰もいないあばら家しかない事、人を探したが一人も見ていない事、その他いろいろな事を。
「牛頭の怪物……なのに人食いではない?」
最後まで聞いたアリアドーレ嬢が、真顔で問いかけて来るので、私は素直に頷いた。
「はい。お肉を焼いてみたり、お魚を焼いてみたりして、分け合おうとした事があるんですけど、嫌そうな顔をして鼻を鳴らして遠ざけるので、多分相当嫌いです。卵がぎりぎり食べられるって感じでしたあれは」
「……本当ですか? あの、申し訳ないのですが、あなたが騙そうとしているとかそういう事でもなく?」
「いやー、やっと出会えた、人としてしゃべれる相手を騙そうという気分には、なれませんね……?」
私がこれまた心で思った事を言うと、彼女はしばし沈黙した。色々考えている様子だったけれども、私は彼女の頭の中がまとまるまで待つ事にした。
「……私達が聞いている話とずいぶん違います……」
黙って黙ってやっと言った言葉がそれだった。何を聞いていたんだろうと思って、問いを投げようとした時、彼女が先回りして教えてくれた。
「牛頭の怪物なんです、人喰いミノタウロスは」
「……あんな力加減が雑だけど、痛いっていうと、手加減しようと努力してくる、まっとうな好奇心持ってるのが、人食いの怪物? 何かの間違いじゃありませんか? 人どころか鶏肉さえ食べられないのに」
「私のあなたのお話が真実だとすれば、他に当てはまる怪物はいないので、そのはずだとしか言いようがないのですが」
「……うーん」
人食いと言われていたあの牛頭の怪物、でも実際には人食いでも何でもないわけで、腕を組んで考えこもうとした時だった。一人の少年が口を開いたのは。
「姫様、ならば生贄として迷宮アヴィスに入る事はないではありませんか!! 帰りましょう!! 王も人喰いの怪物の実態が、草食の化物という事なら、きっと姫様がお帰りになっても喜ぶ以外ありませんよ!! あんなに涙を流して悲しんでおられたではありませんか!!」
そうだ、人喰いミノタウロスが人喰いじゃないなら、ここに長居する理由なんてない!! と少年少女達が言い出す。彼等の勢いは相当で、そりゃ皆生贄にならなくていいなら、帰りたいであろう。
そうですね、帰っていいのでは? と私も賛成しようとした時である。
船から落ちた兵士であり神官だという人が、船着き場に這い上がってきて、咳き込みながら言ったのだ。
「しかしながら!! 結界の魔女がいないこの時に、人喰いミノタウロスを見張るものが一人もいなくてどうするのですか!! 私は出来ませんよ!! あなた方が帰る際に、私でなければ船は国に戻れないのですからね!?」
「あ、じゃあ私が見張ってるんで一か月後にお迎えに来てください。ついでにその、必要な人材だという結界の魔女を連れて来ていただけると幸いです」
私があっさり手をあげて言うと、兵士であり神官である人は目を見開いた後に、大真面目にこう言った。
「あなたはそれでいいのですか? 姫君の話を聞いた以上、一刻も早くこの怪物がいる島から逃げたいと思うのでは?」
「今のところ極めつけの不便には陥っていないので、あと一か月くらいだったらやっていけます。それに、彼への人喰いだという誤解も解いてほしいですし」
私がそう言い切ると、兵士であり神官である人は、入念に念押しをし、ミノタウロスが島から出ていこうとしないようにするように、と強く言って、彼等はこの日のうちに、島を去っていったのだった。
その船を見送り、私は霧が深くなり始めてきたので、急いで岩場から出ていった。
出て行って、岩場と浜辺の境目まで来た時だ。
あの牛頭の怪物が、じっと岩場の方を見つめて立ち続けていたから、大きく手を振った。
そうした時だ。牛頭の怪物が走って近付いてきて、相当な勢いで私を引っ張り寄せて、腕の中にぎゅうぎゅうに閉じ込めてきたのである。
想定していない事だったので、ぶつかった時に思いきり咳き込んだけど、髪の毛に鼻面を突っ込んだ牛頭の怪物が、なんだか泣いている気がして、私は明るく聞こえるようにこう言った。
「船、定員超えちゃうから乗れなかった。あと一か月はここで暮らすよ、次の満月の日までは、ここにいるから」
意味が伝わっているかわからなかったけど、それを聞いた牛頭の怪物が、腕をちょっとだけ緩めて、私の顔に自分の顔をごしごしとこすりつけてきたから、私はくすぐったくて笑ってしまった。
思えば島で、笑ったのはその日が初めての事だった。
私は慌てて周囲を見回した。……案の定というべきなのか、もうちょっと私が考えればよかったのか、牛頭の怪物が私を連れてこなかった、岩場であろう場所がここだった。
それでもおかしいと私の経験が言い出す。というのも、私は牛頭の怪物が連れて来てくれなかったから、ここに何か秘密でもあるんじゃないかと思って、数回岩場に近付いていたのだ。
そしてそのたびに、岩場の周囲はあまりにも濃すぎる霧に覆われてしまって、こんなに霧の深い場所では到底、船なんて言う物は近付けないと判断して、詳しく調べなかったのだ。
調べる努力が不足していると言われるかもしれないが、毎度毎度、何でこんなに? と思うほど濃い霧に包まれてしまったら、とてもじゃないが、調べたりする勇気は持てないだろう。
もしも足場が悪くて、どこかに挟まってしまって動けなくなったら?
もしも見えない場所にとんでもない獣が潜んでいて、気付いた時には逃げ出せないほどの位置にいて、頭から丸かじりされてしまったら?
もしもそこに、私の想像のつかないような危険が潜んでいたりしたら?
それらを考えていくと、積極的に調べ回る事の危険性というものに気付いてしまうわけだ。
そしてこの島には私しか人間がいない訳で、助けてくれそうな牛頭の怪物がもしも、私が岩場を探っている事を不愉快に思って、助けてくれなくなったら、私はまさに絶体絶命になってしまうし、もう死亡待ったなしなのだ。
そう言った事をいくつも計算したという理由もあった。
「霧が晴れているの、はじめてみた……」
周囲を見回して、見覚えのある岩場の形を確認して、私はこのあたりが、この島に来て初めて、驚くほど霧が晴れている現実に、そう呟いてしまった。
誰しもそれ位驚くだろう。この一か月近い間に、一度も晴れた事のない霧が晴れて、綺麗な海の色を見せていて、凪の海面という物を見せられれば、信じられないものを見たという思いをして当たり前だろう。
「……あれ?」
私はあたりを見回した後に立ち上がり、そして船着き場により近づいた。船着き場はかなりしっかりと作られている物で、百年くらいは当たり前に存在していそうな雰囲気を放っている。
とてもこの小さな島にある船着き場とは思えないほど立派な物で、そびえたつ柱などは見事な彫刻が施されているアラベスク、あまりにも豪華だった。
豪華な柱のそびえたつ異常な場所……という雰囲気が満載の船着き場で、私は船着き場のさらに先の海から、一つの船が近付いてくるのを、呆気にとられて見守るほか出来なかった。
船はなかなか立派なものだったけれども、形式的な物なのか、造りは古代の物を模したような物で、私が今まで見た事のある船とはずいぶんと、違っている。古めかしい造り、と言えるに違いない。
そんな物が近付いてきて、私はそこに、十人ほどの少年少女が乗せられていて、彼ら彼女らが皆沈鬱な顔をして、足元を見ている事に気が付いた。
ここにどうして来ているんだろう、何かの宗教的な修行を、強制的に行わされているのだろうか。
それとも、罰なのだろうか。でもあんなに何人も、罰を受けなくちゃいけない事をするだろうか?
集団でやらかしたのだろうか……と思いながら見守っていると、船をこいでいた人は私の視線の先で、船着き場に船を止めて、そして、こっちを振り返り、ぎょっとした顔をして、たたらを踏み、そのまま海に転がり落ちた。
ばしゃあん、という盛大な水音を立てて落ちた人を、少年少女たちは仰天した顔で見て、それからその人が見ていた方向にいる何か、つまり私を見て、口を一斉にあんぐりと開けた。
居ちゃいけない人がいるような態度だったのだ。
私は急いで走って近付いた。少年少女たちは、儀礼的な古代の衣装を身にまとっていて、そして全員、びっくりするくらい整った見た目をしている子達だった。
まるで生贄、という変な想像をしてしまった私だったけれども、彼女たちの衝撃は私以上だったみたいである。
「どうして結界の魔女が直々に迎えに来るのです!? 結界の魔女は白髪のご婦人だったはず!!」
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結界の魔女ってなんだろうそれは。そう思いながら、私は彼女達に軽く頭を下げて挨拶をして、こう言った。
「初めまして、皆さん。私の名前はシャトレーヌと言います。一か月ほど前に、嵐の海に落ちて、この島に流されて以来、この島で暮らしている身の上です。あなたたちは一体どうして、ここに? 見ると皆さん、相当の名家の子息令嬢であるご様子ですが」
私がこう言ったのは理由がある。彼ら彼女らは、手にあかぎれがあったり、痣があったりする事もない綺麗な体をしていて、髪の毛なども、手入れがきちんとされている事が明らかな艶をしていて、どこをどう見ても、いい育ちをした人生の子息令嬢にしか見えなかったためだ。
私はどぶさらいさえ、お金のために行って来た残念貴族令嬢だったので、そういう事をしなくていい人の手足の具合や、肌の艶などはすぐに分かったのだ。
「初めまして、シャトレーヌ様」
そして、丁寧な物腰で話しかけてきた私に、一番の美少女がはっと我に返った様子で、これまた上級貴族の身ごなしの一礼をして、船を降りて話しかけてきた。
ちなみに船を降りる際に、少年達が我先に彼女を手助けしたので、やっぱり彼女の出自は相当なものに違いない。
ただの美少女に、この状況でそう言った事はしないだろう。
しとやかな仕草で船を降りて船着き場に立った少女は、他の子息令嬢達が船着き場に立ち、こわごわと私を見ているのを気にしつつ、口を開く。
「このような状況でのご挨拶失礼いたします。先ほどの動揺を許してください、シャトレーヌ様。私はアリアドーレ。そしてここは生ける呪い、怪物人喰いミノタウロスの迷宮がある島なのです」
「怪物人喰いミノタウロス……?」
初めて聞いた単語である。美少女は頷き、こう言った。
「そうです。この島にはそれはそれは恐ろしい人喰いの怪物を、結界の魔女が封印している迷宮が存在しているのです。そして私達はその怪物への生贄なのです。先ほど海に落ちた者は、私達が間違いなく迷宮に入り、出られなくなる事まで確認する見張りの兵士にして神官。さらに……」
アリアドーレ嬢は周囲を見回して、それからやっぱり信じられないという視線を私に向けて、続ける。
「この島は、海神の大いなる祝福と呪いに満ちた島であり、満月が登る日でなければ、誰も立ち入れない特別な島。そのような場所に、何も関係のない、何も知らない方がいるというのは衝撃としか言いようがないのです」
「……えーっと、すみません、アリアドーレ嬢のお話を要約すると……ここは満月の日にしか出入りできない特殊な島で、さらに人食いの怪物が封印されている迷宮がある島で……一か月に一度生贄が連れて来られる土地という事であっていますか?」
「はい、その通りです」
そして、と彼女は続ける。
「この島には、封印の魔女が一人暮らし、人喰いミノタウロスが迷宮の結界から出て来る事がないように見張っている島でもあります」
……何だか混乱してきそうだった。しかしアリアドーレ嬢は真面目な顔をしているし、少年少女達はこれからどうなるのだろうと不安げだし、どうすればいいのかなんて私が知りたかった。
「あの怪物以上の怪物っているのかな……?」
私はついぼそりとそう口にした。怪物と聞いてアリアドーレ嬢が怪訝な顔をする。
「怪物を見たのでしょうか?」
「あー、はい。ついでにたまにご飯を分け合ってます」
「ご飯を分け合う……?」
理解が出来ないという調子の彼女に、私は正直に言う事にした。
「この島で一番強いらしい、牛の頭をした怪物です。彼、肉も魚も好きじゃないんですよね。だから根菜がゆとか大好物になったみたいです。だから食い殺される心配だけはしてないんですけど」
ここで私は、今までの事を軽く彼女に話した。海に落ちた事、誰もいないあばら家しかない事、人を探したが一人も見ていない事、その他いろいろな事を。
「牛頭の怪物……なのに人食いではない?」
最後まで聞いたアリアドーレ嬢が、真顔で問いかけて来るので、私は素直に頷いた。
「はい。お肉を焼いてみたり、お魚を焼いてみたりして、分け合おうとした事があるんですけど、嫌そうな顔をして鼻を鳴らして遠ざけるので、多分相当嫌いです。卵がぎりぎり食べられるって感じでしたあれは」
「……本当ですか? あの、申し訳ないのですが、あなたが騙そうとしているとかそういう事でもなく?」
「いやー、やっと出会えた、人としてしゃべれる相手を騙そうという気分には、なれませんね……?」
私がこれまた心で思った事を言うと、彼女はしばし沈黙した。色々考えている様子だったけれども、私は彼女の頭の中がまとまるまで待つ事にした。
「……私達が聞いている話とずいぶん違います……」
黙って黙ってやっと言った言葉がそれだった。何を聞いていたんだろうと思って、問いを投げようとした時、彼女が先回りして教えてくれた。
「牛頭の怪物なんです、人喰いミノタウロスは」
「……あんな力加減が雑だけど、痛いっていうと、手加減しようと努力してくる、まっとうな好奇心持ってるのが、人食いの怪物? 何かの間違いじゃありませんか? 人どころか鶏肉さえ食べられないのに」
「私のあなたのお話が真実だとすれば、他に当てはまる怪物はいないので、そのはずだとしか言いようがないのですが」
「……うーん」
人食いと言われていたあの牛頭の怪物、でも実際には人食いでも何でもないわけで、腕を組んで考えこもうとした時だった。一人の少年が口を開いたのは。
「姫様、ならば生贄として迷宮アヴィスに入る事はないではありませんか!! 帰りましょう!! 王も人喰いの怪物の実態が、草食の化物という事なら、きっと姫様がお帰りになっても喜ぶ以外ありませんよ!! あんなに涙を流して悲しんでおられたではありませんか!!」
そうだ、人喰いミノタウロスが人喰いじゃないなら、ここに長居する理由なんてない!! と少年少女達が言い出す。彼等の勢いは相当で、そりゃ皆生贄にならなくていいなら、帰りたいであろう。
そうですね、帰っていいのでは? と私も賛成しようとした時である。
船から落ちた兵士であり神官だという人が、船着き場に這い上がってきて、咳き込みながら言ったのだ。
「しかしながら!! 結界の魔女がいないこの時に、人喰いミノタウロスを見張るものが一人もいなくてどうするのですか!! 私は出来ませんよ!! あなた方が帰る際に、私でなければ船は国に戻れないのですからね!?」
「あ、じゃあ私が見張ってるんで一か月後にお迎えに来てください。ついでにその、必要な人材だという結界の魔女を連れて来ていただけると幸いです」
私があっさり手をあげて言うと、兵士であり神官である人は目を見開いた後に、大真面目にこう言った。
「あなたはそれでいいのですか? 姫君の話を聞いた以上、一刻も早くこの怪物がいる島から逃げたいと思うのでは?」
「今のところ極めつけの不便には陥っていないので、あと一か月くらいだったらやっていけます。それに、彼への人喰いだという誤解も解いてほしいですし」
私がそう言い切ると、兵士であり神官である人は、入念に念押しをし、ミノタウロスが島から出ていこうとしないようにするように、と強く言って、彼等はこの日のうちに、島を去っていったのだった。
その船を見送り、私は霧が深くなり始めてきたので、急いで岩場から出ていった。
出て行って、岩場と浜辺の境目まで来た時だ。
あの牛頭の怪物が、じっと岩場の方を見つめて立ち続けていたから、大きく手を振った。
そうした時だ。牛頭の怪物が走って近付いてきて、相当な勢いで私を引っ張り寄せて、腕の中にぎゅうぎゅうに閉じ込めてきたのである。
想定していない事だったので、ぶつかった時に思いきり咳き込んだけど、髪の毛に鼻面を突っ込んだ牛頭の怪物が、なんだか泣いている気がして、私は明るく聞こえるようにこう言った。
「船、定員超えちゃうから乗れなかった。あと一か月はここで暮らすよ、次の満月の日までは、ここにいるから」
意味が伝わっているかわからなかったけど、それを聞いた牛頭の怪物が、腕をちょっとだけ緩めて、私の顔に自分の顔をごしごしとこすりつけてきたから、私はくすぐったくて笑ってしまった。
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