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体がきちんと動くまで、ゆっくり休めといわれても、休んだ分支払いが伸びるのだと思うと、彼女は休んでいられなかった。
そのため、心が休まるまで涙を流した彼女は、布団から立ち上がった。
立ち上がった途端に、体がよろめき、自分は思った以上にひどい怪我をして、長い事眠っていたらしい、と気付いたのだ。
「なんてこと……何日も医者にかかって看病されていたら、返せる代金も返せなくなってしまう」
顔から血がひいていくものの、しゃにむに立ち上がろうともう一度足に活を入れて動こうとすると、今度は衝立がかなりの音を立てて倒れた。
「なんだなんだぁ?」
その音はかなりしっかり階下に響いた様子で、階段を登る音とともに赤い格子の入り口が勢い良く開かれ、現れたのは先ほどの男とは違う男だった。
「店主! 娘っ子が無理やり立ち上がろうとしたみたいっすよ!」
ねじり鉢巻きを頭に巻いた若者が、階下の店主……先ほどの男に、廊下から大声を上げた。
彼女には店主の返事が聞こえなかったのだが、ぱたぱたと軽い足音が響いたと思うと、揃いの髪型の子供たちが姿を現した。
「あれあれ、いけないいけない」
「娘っ子さん、まだ寝てなくちゃ」
「働く前から無理をしたらだめ」
「店主は治ったらそれはそれは厳しく働かせる獣だもの」
「しっかり養生しなくっちゃ」
揃いの髪型の子供たちは、わらわらと集まってきて、彼女が止める間もなく、布団を敷き直し、衝立を直し、彼女を布団に入れて、寝かせ、一様ににっこりと笑ってから、ぱたぱたと、来た時と同じ軽い音を立てて去って行った。
まるでつむじ風のようだった。
されるがまま、布団に逆戻りをしてしまった彼女は、ねじり鉢巻きの男がまだいたため、恐る恐る問いかけた。
「……ここは遊郭なの?」
「ここは仕出し料理とかを出す店さ、うまい飯とかで繁盛している店でな、特に店主が食道楽なものだから、珍しいものもたくさん出すって事で、黒真珠でも有名になった大店よ」
彼が自慢げに言う。彼女は自分が身売りをしなくていいらしい、という事が分かったのだが、大店の店主がずた袋に入っていた娘っ子を助けた事に、納得がいかなかった。
「普通、ずた袋に入れられていた女なんて、裏路地の方の寺に投げ込まれるんじゃないの」
「おお、結構本を読んできた娘っ子と見える。そりゃあ、この黒真珠で死んだ女郎はそうなる運命のような物さ、でもうちの店主は息があれば助けるのさ。奇特なお方よ。生きているなら運があるって言って助けるのさ!」
彼は自慢げにそう言い、おおっとと道化のように言った。
「おいらは喜八郎。あんたは?」
「お鷹」
「お鷹ちゃんかい、店主に名前は名乗ったかい」
「まだ……」
「じゃあ次に来た時に名乗っておくといい、店主は雇ったやつの名前と顔は忘れないんだ」
おいらも仕事だ仕事! と叫んだ喜八郎は、来た時と同じくらい忙しなく、階段を降りて行った。
「……助けられたのは私だけじゃないのは、わかったけれど……」
自分の大切な声はなくなってしまった。
綺麗だと褒められた声は、もう喉から出てこない。
顔もすっかり変わってしまった自分の事を、嫁に行った姉さんはわかるだろうか。
働きに出ていた弟は、気付くだろうか。
そう思うと、家族に二度と会えなくなるだろう未来が胸に迫ってきて、それが一層哀しかった。
そのため、心が休まるまで涙を流した彼女は、布団から立ち上がった。
立ち上がった途端に、体がよろめき、自分は思った以上にひどい怪我をして、長い事眠っていたらしい、と気付いたのだ。
「なんてこと……何日も医者にかかって看病されていたら、返せる代金も返せなくなってしまう」
顔から血がひいていくものの、しゃにむに立ち上がろうともう一度足に活を入れて動こうとすると、今度は衝立がかなりの音を立てて倒れた。
「なんだなんだぁ?」
その音はかなりしっかり階下に響いた様子で、階段を登る音とともに赤い格子の入り口が勢い良く開かれ、現れたのは先ほどの男とは違う男だった。
「店主! 娘っ子が無理やり立ち上がろうとしたみたいっすよ!」
ねじり鉢巻きを頭に巻いた若者が、階下の店主……先ほどの男に、廊下から大声を上げた。
彼女には店主の返事が聞こえなかったのだが、ぱたぱたと軽い足音が響いたと思うと、揃いの髪型の子供たちが姿を現した。
「あれあれ、いけないいけない」
「娘っ子さん、まだ寝てなくちゃ」
「働く前から無理をしたらだめ」
「店主は治ったらそれはそれは厳しく働かせる獣だもの」
「しっかり養生しなくっちゃ」
揃いの髪型の子供たちは、わらわらと集まってきて、彼女が止める間もなく、布団を敷き直し、衝立を直し、彼女を布団に入れて、寝かせ、一様ににっこりと笑ってから、ぱたぱたと、来た時と同じ軽い音を立てて去って行った。
まるでつむじ風のようだった。
されるがまま、布団に逆戻りをしてしまった彼女は、ねじり鉢巻きの男がまだいたため、恐る恐る問いかけた。
「……ここは遊郭なの?」
「ここは仕出し料理とかを出す店さ、うまい飯とかで繁盛している店でな、特に店主が食道楽なものだから、珍しいものもたくさん出すって事で、黒真珠でも有名になった大店よ」
彼が自慢げに言う。彼女は自分が身売りをしなくていいらしい、という事が分かったのだが、大店の店主がずた袋に入っていた娘っ子を助けた事に、納得がいかなかった。
「普通、ずた袋に入れられていた女なんて、裏路地の方の寺に投げ込まれるんじゃないの」
「おお、結構本を読んできた娘っ子と見える。そりゃあ、この黒真珠で死んだ女郎はそうなる運命のような物さ、でもうちの店主は息があれば助けるのさ。奇特なお方よ。生きているなら運があるって言って助けるのさ!」
彼は自慢げにそう言い、おおっとと道化のように言った。
「おいらは喜八郎。あんたは?」
「お鷹」
「お鷹ちゃんかい、店主に名前は名乗ったかい」
「まだ……」
「じゃあ次に来た時に名乗っておくといい、店主は雇ったやつの名前と顔は忘れないんだ」
おいらも仕事だ仕事! と叫んだ喜八郎は、来た時と同じくらい忙しなく、階段を降りて行った。
「……助けられたのは私だけじゃないのは、わかったけれど……」
自分の大切な声はなくなってしまった。
綺麗だと褒められた声は、もう喉から出てこない。
顔もすっかり変わってしまった自分の事を、嫁に行った姉さんはわかるだろうか。
働きに出ていた弟は、気付くだろうか。
そう思うと、家族に二度と会えなくなるだろう未来が胸に迫ってきて、それが一層哀しかった。
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