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スナゴと苦労人のおばあちゃん

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「リージア」

アシュレイが信じられない、というような声をあげた。知り合いなのは間違いなかった。名前を知っているんだから。
どうなる、誰がよこした、などと村の狗族が視線を巡らせている中、リージアがアシュレイを見て、膝をつき、頭を地面につけるほど落した。
その手は長い事着替えて走り続けてきたらしく、爪は割れて泥がこびりついていた。
年老いて着替えると、爪も割れてしまう事があるのだ。それも走り慣れていなかったら。
しかしその老婆は、ここまで走ってきたのだ。
おそらく、都から懸命に。
老婆は何度か深く呼吸をして、感情を押さえ込むような声で、こう述べた。

「真なる生の巫子長様をお迎えに上がりました。お嫌だろうとは思っておりますが、何とぞこの婆の言葉をお聞きくださいませ。村の皆さまに、アシュレイ坊ちゃまがとても信頼されているのが、この時点で、婆にも伝わってきております」

「……アシュレイ、こんな婆様を冷たい土の上で座らせんじゃないわ。うちの毛皮の上に案内して、話を聞いてあげてちょうだい」

「確か、村の方はサンドラと呼んでいらっしゃいましたね、真っ白な森林狼族の方。サンドラ殿、そのようなお気遣いはいりませぬ」

「気遣いじゃなくて、村の方針なのよ。爺様と婆様を大事にするっていうのはね、いつか来る未来の自分も大事にするって事なのよ」

サンドラが優しい声でいう。爺様や婆様を大事にできなかったら、いつか自分も大事にされないでしまうだろう。
それはよくある話だった。何ら珍しい話ではない。姥捨て山などどこにでも転がる話の一つだ。
それは若い娘を都会に売る話と並んで、よく聞く。
サンドラがお婆さんの脇に座り、微笑んだ。美人の微笑みは、どこまでも優しい色だった。
これで素敵な雄がいちころになってくれればいいのに、歌垣で出会う雄のなかに、優良物件がいないのが残念だ。
微笑むまま、彼女が続ける。

「それに、あなたは私のおばあちゃんが生きていれば同じくらいの年なの。そんなお婆様を、霜柱が立ちそうな土の上に、座らせっぱなしなんてできないわ。アシュレイも同じでしょう。さっきから、どうやって立ち上がらせようか考えて、耳がぴくぴくしているわよ」

くすくすと、そこで村の子供たちが笑ってしまったらしい。子供たちの視点から、きっとアシュレイの耳が揺れているのは、よく見えたのだ。
笑い声も何のその、アシュレイが大真面目に頷いた。

「助かる、サンドラさん。リージアは昔、それはおいたのすぎる子供だった頃から、世話になっていた狗族で」

「匂いからして山や平原の狗族じゃないのはわかるけれど、本物の都の方から来た狗族なのね」

サンドラが言っている脇で、スナゴはこそこそと前に進みでて、お婆さんに手を貸して立ち上がらせた。
さりげなくトリトンが、お婆さんの服の汚れを払っている。
だがねばついた粘土質の泥が、なかなか落ちない。濡れているから余計にだ。

「土が濡れてて汚れたな……」

「この衣類は洗っても色が落ちないように色止めをしているから、そんなおろおろしなくて大丈夫ですよ、大口真神族の坊ちゃん」

その発言に、村の誰もがぎょっとした。一瞬で、トリトンの母が前に出てくるくらいには。
緊張の走る中、トリトンが問いかける。

「……なんでそんな事思うんだ」

「おいやまあ、陛下が、俵のように担いでいたのは坊ちゃん、でしょう。陛下が大口真神族の、最後の血筋を逃がしてしまった、と言っていた事からの推測ですよ。あと坊ちゃんは自分では気づいていないけれども、匂いが森狼よりも雨臭い」

「雨臭い……」

「人によっては赤土臭いともいうでしょうねえ、大口真神族の典型的な特徴ですから」

トリトンは匂いでそんなにも素性が分かってしまう事に、改めて思い至った様子である。

「トリトン先輩そんなしょげないの」

スナゴが慰めると、トリトンが鼻を鳴らした。ぼやくように言う。

「体臭が雨臭いとか、赤土臭いとか、どうやって誤魔化すんだよ……薬草の匂いでもしみ込んでりゃいいのか?」

「……あなたは大口真神族の事を知っているのに、トリトン先輩に失礼なことを言わない珍しい狗族ですね」

スナゴはそこで気が付いた。大口真神族は、都の帝にとって天敵である。大口真神族の事を知っているリージアはしかし、トリトンに友好的だ。
その理由は一体なぜなのだろう。
スナゴの疑問に、トリトンもはっとした様子だ。

「確かに頭から罵倒してこないな」

「それはそうでしょう。あなたはたった今、山の中から、とても仲良く皆で降りてきたでしょう。アシュレイ坊ちゃまが大切に扱っている友人を罵倒するのは、婆様としては失礼千万」

「都の狗族の中でもまっとうな考えの婆さんでよかった。で、何しに来たんだ」

トリトンの言葉に、リージアは言う事を思い出したらしい。

「ああそうだ、言わなくては……」

しかし、その背中を隣にいた村長の娘がさりげなく押して、村長の家まで連れていく。そして視線だけで、スナゴに合図を出した。

「スナゴ、アシュレイ連れて一緒に来て」

「あ、はい。アシュレイ、お話だけ聞いてほしいってさ」

スナゴは素早くアシュレイの手を取って、引っ張った。流れるような連携である。

「リージアが来るなど余程の事だから、聞かないで追い返したくなかったから……皆のことがありがたい」

「誰だって大変な時はあるだろうよ!」

「アシュレイいい所のぼっちゃんだから、何かきっと起きると思ってたしな!」

べしべしと背中を村の若いのに叩かれまくりながら、アシュレイは村長の家に入る。スナゴも彼が逃げ出さないように、一緒に続いた。

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