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スナゴと数日

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「あなたの弟は大変に田舎者で野蛮ですね」

うわきた……とスナゴは遠い目になってしまった。アシュレイは一晩で起きそのまま出て行こうとしたので、スナゴとトリトンはせめてあの子が回復するまで、と言い聞かせたのだ。
二人がかりの説得は功を奏し、アシュレイは、寝台の上で、細い声で笑う子供の隣に座って絵本を読んでやったりしている。
アシュレイがそうしている間、スナゴ達が何をしているかと言えば……簡単だ。
スナゴは雑用をこなし、トリトンは体がなまると兵士の訓練に割って入っている。
働かないと食べられないと思う二人だが、トリトンは子供だと相手にされなかったのだ。
スナゴはと言えば、こまごまとした物が意外とできたため、重宝されてしまっている。

「ぎゃあああああ!」

「ばけものかよこいつ!」

「何週走ってるんだ!」

「お前ら体力なさ過ぎじゃねえの! スナゴ走ろうぜ!」

兵士たちの訓練で、今は延々走っていたはずなのだが、スナゴの耳に聞こえてくるのは音を上げた兵士たちと、真逆に生き生きとしているトリトンの声である。
トリトンは山におっぱなされたら、延々そこで獲物を追いかける事が当たり前、という大人を見ているため、持久力を鍛えるのは日常なのだ。
急こう配の山で、さらに崖っぷちを飛びわたるという事も子狼たちのやんちゃで慣れっこの彼は、ある意味敵なしである。つよい。

「せんぱーい、わたし今廊下磨いてるんでーす」

「おれもやるか」

「やんちゃした後の顔してますねえ」

訓練所は塀の向こうなのだが、トリトンにそんな物は障害ではない。見事な獣化した姿で軽々とそれを飛び越え、流れるような動きで下履きをはいてスナゴに寄っていく。

「あいつらちびどもより体力ねえんだぜ、競いがいがない」

「わたしだって競えるかわからないんですけど」

「軟弱狗どもよりスナゴの方が絶対走れる。んでもこの広さ一人で磨けってひどくね? アシュレイよく怒らないな」

廊下を見回し、その広さを見てトリトンが言う。事実廊下は一人では一日がかりでも終わらないだろう。スナゴもそれはわかっていた。

「というかわたしたち、アシュレイと離されてますよね」

片手に雑巾を持ち、スナゴは腕を組んで言う。よく考えれば自分たちはアシュレイから遠ざけられている。何故か考えても答えは出ない。
だがトリトンからすれば愚問だったようだ。

「あのちびすけ、俺らが近付くと、アシュレイ連れていかれるって思って泣きわめくからな」

「……」

「ったく、兄弟なんていくらでもいるだろ、あのちっこいの。あいつだけに執着する理由聞いてないか? 兵士たちとかいう集団は、こっちに入れないから知らないんだと」

「女官さんたちから聞いた話なんですけど、やっぱりあの子アシュレイ以外に、遊んでくれる家族いなかったみたいで。年の離れたお兄ちゃんがいきなりいなくなって、二度と会えなくて、気がふさいだと思ったらすぐに病気にかかっちゃったみたいです」

「だったらいなくなると怖いのも当たり前か? まあ、あいつがこれからどうするかは、あいつ次第だけどな。村に帰りたいなら俺らは一緒に帰るまで。やっぱりここに残るなら残すだけ。簡単だろ、んなもん」

よくわからねえ、と顔に現れた状態でトリトンが断言する。いつもながら男前な潔さだ。

「うちの子って言ったのに」

「うちの子でもあいつは大人の雄だ。あいつの考えが優先される。さみしくってもな」

ぽすぽすとスナゴの頭を叩きつつ、トリトンはひどく大人びた声で告げた。
そして背後を見て言う。

「だから安心しな、勝手に連れて帰っちまうなんてことしねえよ、ちっこいの」

「……おまえもちいさい」

「見た目の割におおきいぜ、おれは」

背後に立っていたのは、物陰に隠れようとしていたシャヌークだった。ちっこいのと言われて不服そうだ。トリトンはにやりと余裕の顔でうそぶき、続ける。

「アシュレイが残るならそれだけだ。俺らは寂しいけどな、そんだけだ」

「どうしてそこまで言えるの」

「大人だからなあ」

「……大人? 大人ってナリエみたいな我儘しないの」

「ナリエ知らねえもん」

トリトンはからりらり、と言いたそうな音で言い切る。シャヌークは目を丸くしたまま、言う。

「ナリエの我儘知らない狗族なんているんだ」

「田舎じゃ知らねえなぁ」

「トリトン先輩顔、顔。ちっさい子に見せる顔してない」

牙を軽く見せた笑い方は、ちびっ子が怒られるって泣く顔なので、取りあえずスナゴは止めておいた。せめてもの優しさである。

「……ちびすけ、アシュレイが探してるぞ、あいつは結構優しい奴だ、勝手に寝床から出て、ふらふらして心配させたらかわいそうに思わないか?」

耳を軽く揺らし、トリトンが廊下の別の方向を見て言いだす。スナゴには物音が聞こえてこないが、狗族ならわかるもの音だったらしい。
シャヌークは目を大きくし、慌てて彼らの前から姿を消した。

「餓鬼ってのは大変だ、大事な物を横取りされたくないのは、まあ気持ちが分かるけどよ。でも大事な相手に心配かけたらよくないぜ」

鼻を鳴らして大真面目に言った彼は、ちょうどいいと言い出した。

「このままアシュレイに、これからどうするか聞きに行くか?」

「私たち、シャヌーク君が回復したらにしようって言ったよね?」

「あれだけ走れりゃ回復してんだろ。村だったら看病終わってるぜ」

「た、たしかに……」

トリトンが埃と砂でうっすら汚れたまま、廊下をぽてぽてと歩き出す。
スナゴもその後に続き、シャヌークの部屋の前まで到着した。

「入るぞ、アシュレイいるか?「何故貴様がおめおめとここに戻ってきているの! お前のような役立たずの能無しが!」

トリトンが扉を開けた瞬間に響き渡った罵声に、スナゴは耳をふさいだ。扉に両手をかけていた先輩が、うえっといった表情を取る。さすがにうるさかったらしい。
さらには、病人の部屋で怒鳴る内容でもない。
常識ないな、誰だろうと思って扉の向こうを見ると、そこにはきらびやかな装束をまとった、雌の狗族がいた。彼女は取り巻きらしき狗族を引き連れ、険しい顔でアシュレイを睨んでいる。
シャヌークがおびえた顔で、アシュレイの大きな体の後ろに隠れた。
それ位怖い顔の相手と向き合いながら、アシュレイは平然とした調子を崩さない。

「シャヌークの病気を治すためだ。お前が天術を使わなかったからだろう、ナリエ」

「お前は天術を禁止された身の上のはずよ! それにお前程度の力で、癒せるはずがないわ! 混血のお前で!」

「うるさい雌だな」

トリトンが何とも言えない声で言う。顔もそんな顔をしているし、ナリエと言う狗族の怒鳴り声で、誰も二人に気付かない。
そろっと室内に入っている間にも、ナリエの暴言は続く。

「お前のような、誰も救えないもどきが!」

「おい、その発言撤回しな、小娘」

言い過ぎだと思ったスナゴ同様、トリトンも同じ事を思ったらしい。
あ、と彼女が止める間もなく、トリトンは低い声で言いながら、ナリエの前に立った。
彼の視線は揺るがず、相手が戦くような鋭さだ。

「お前が助けなかったくせに、助けたアシュレイを誰も救えないだとか、もどきだとか罵ってんじゃねえよ、お前の方が役立たずだ」

がんっ! と音がし、トリトンはナリエの取り巻きに殴られた。……ように見えたが、実際は瞬間的に彼が持った椅子に、取り巻きの拳が激突した音だった。

「っうううううう!!」

防がれるとは考えもしなかった様子だ。そんな取り巻きが悶絶するのを見て、冷めた顔をしてトリトンが告げる。

「事実言われてぶちぎれるとか、小物中の小物だな」

「トリトン先輩、言葉がひどすぎるからやめてくれないか……そう言う言い方を、聞きたくない」

「アシュレイは人が良すぎるぜ」

いや、言われた事で怒って前に出て庇うあなたも、十分優しいよ、とスナゴは内心で思っていた。
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