君と暮らす事になる365日

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そしてその日も何事もなく帰宅をし、依里はいまだ帰ってきていない同居人のラインで、なんか今日えらい忙しさで、帰りが遅くなる、という連絡を見た。
あの男がえらい忙しさ、という時は大体、洒落にもならない、笑い事にならない忙しさである。
なら今日は作り置きをいただこう。依里は冷蔵庫を開けた。
そして冷蔵庫の違和感に目を細めた。
晴美と生活するようになって、一番変化したのは冷蔵庫の中の充実具合で、晴美は楽しそうにへたくそかつ音痴な鼻歌を歌い、冷蔵庫の中を、冷却機能がうまく働くぎりぎりまで詰め込むのだ。
そのため、依里が知らない間に、耐熱ガラスの保存容器が増えまくっていて、造り終わったその時の光景は圧巻なのだ。
しかし、今日の冷蔵庫の作り置きはスカスカで、思っていたよりも何もない。
それでも今日の夕飯の分くらいはあるので、不満も文句も言わないが、作る事と食べることに情熱を注ぐあいつらしくない事である。
格安スーパーでの買い出しの予定が変更になったのだろうか。
そんな事を思いつつ、依里は鶏肉に自家製ニラたれがかかっている、ガツンと美味しい物を容器ごと電子レンジに入れて、冷凍庫の方を開ける。
そこには、晴美が野性の勘で作った味噌玉があって、それにお湯をかければ即席みそ汁の出来上がりなのだ。
これが結構重宝する。依里はキッチンでお湯を沸かし始めた。
お湯を沸かす間に部屋着に着替えて、ふうっと息を吐きだす。今日もしっかり働いたので疲れたわけで、今日もゆっくり風呂桶につかりたい。食事の用意ができる前に、さっさと風呂掃除でもしておこう。そんな事を思い付いたので、また椅子から立ち上がって、風呂の方にいき、簡単な掃除を済ませたところで、電子レンジがお時間です、と言いたげにブザー音を鳴らしていた。

出来る限り一緒に食卓につきたい派を自称する幼馴染のいない食卓は、静かな物だ。
幼馴染がいる時は、結構な割合で仕事先の厨房のごたごただの、怒ってフライパンが飛んできただのという、それって大丈夫なのか、と言いたくなる珍事を聞くので、そこら辺のテレビ番組より面白い。
喋る晴美は仕事が楽しい、職場最高、というのがにじみ出ていて、そういう場所が出来たあいつに、依里は微笑ましさを覚えるのだ。
にこにこしながら自分で作った食事を、これまた顎が外れそうな大きな口で平らげていく晴美は、圧巻であり、気分良く見ていられる男だった。
そいつがいない食卓はちょっと物足りない気がして来る。これはだいぶ慣れてしまったな、と依里は食事をしながら苦笑いをしてしまう。
晴美はいつか出て行く男である。たぶん、きっと。行きたい所が見つかればそちらに行くし、寝床を変えたいと思えば、躊躇なく変えてしまう奴だと知っている。
あいつはどこまでだって、自由になれる男で、自由を知っている男なのだ。
きっとここが飽きたら、また違う場所を探すだろう。今は幼馴染という、楽な関係性の自分と暮らす事が気楽だから、そうしているまでだろう。
少しばかりセンチメンタルな気分を覚えたが、その間にも食事は進み、用意したものは綺麗になくなっている。無意識でも食事は進むものである。
食べ終わったら軽く水でながして、そこからしっかり洗剤で洗っていく。まだ晴美はカタログなどで食洗器を吟味しており、購入に至っていない。
水きりかごの中にある一人分の食器は、見慣れた光景のはずなのに、どこか少し足りない気分にさせられてしまった。




「ただいまー! ヨリちゃんご飯食べた?」

帰ってきてすぐにそれか。依里は風呂まで終わり、あとは寝るだけというところまで来ている深夜十一時半、晴美が物音も騒々しく帰ってきた。まあ、廊下などの共有部分では大人しい足音だけだったから、よしとする。
今日は仕事先から何も持ってきていない様子の男に、依里は簡単に答えた。

「食べてる。あのニラのたれのかかった奴、美味しいな」

「わあ、本当? 林君にあとでお礼言っとかなくちゃ」

「時々お前の話に出て来る、林君のレシピなわけ?」

「林君がこう言うのが食べたいって言った時に、思いついたやつなんだよね。林君はあれでご飯を三合食べちゃって、すっからかんになった炊飯器の前で途方に暮れたって言ってた」

「そりゃあ……」

料理人って大食いが多いのか、と思いたくなる話である。目の前の晴美も相当な大食いであるわけで、……まあ、揚げ物を見て胃もたれを起こす、というタイプではないのだろう。

「仲間とか後輩とおしゃべりすると、美味しいネタがやってくるよね。美味しいネタは皆で共有するべき! いざって時誰かの家に転がり込んで、ご飯会やっちゃうし」

「ご飯会?」

「うん。疲れ果てて自分のご飯を用意できないっていう面子が、その日休みだった人とか、余力があるって人に連絡とって、大丈夫だったら押しかけて、皆でご飯食べて雑魚寝するっていう会」

「……お前のその言い方だと、お前常連だったんだろう」

「まあね! おれは大体、余力があるから材料を買って、ご飯用意できない組の家で三十分以内にできるものをたーくさん作って、食べさせる係が多かったよ! 皆、ご飯作ってあげると、お風呂入っても怒らないし、その辺で寝袋で寝ても、朝ご飯作ればブーイングでないし」

やっぱり食事を用意するっていうのは、めちゃくちゃ強いよね、と笑っている晴美であるが、依里はある可能性に気付いた。

「それ、うちでも開催される事ありそうか」

「開催しちゃだめなの?」

「私、知らない人を家に入れるのに抵抗があるんだけど」

「んじゃあ、それ皆に通達しておく。そろそろ皆、連日の新メニューのレシピ作成とか、自分の担当のあれこれとかで、疲れ果ててきて、ご飯作ってっていう頃だから」

もっとごねるかと思われた晴美は、意外とあっさり引いた。依里は家主で、依里の意向は重んじるのだろう。
晴美はそそくさと手を洗ってうがいをして、どんぶりに炊飯器の中のご飯を全ていれて、冷蔵庫の中にあった作り置きの筑前煮を用意し、依里はその間に、味噌玉をとかした味噌汁を作ってやった。作ってやるという事すらおこがましい手軽さではあるが、依里がそれをした時、晴美は心底うれしそうに笑ったのである。

「ふへへ、ヨリちゃんはわかってる! おれ一日のうちに一度は味噌汁を飲まないと、一日終わらないんだよね!」

「お前の婆ちゃんの自家製味噌じゃないけどな」

「そうだよね、婆ちゃんの味噌、美味しいんだよねぇ。気温の問題とか湿度の問題とかで、自前でやってもあの味にならない。やっぱり手についている細菌とかが違うからかな……」

「そんなの考えて味噌自家製するのかよ」

「するよ! 人間の手のひらにいる、在住菌って言ったっけ? なんか間違ってる気がするけど、そういうのは、個人個人で違うから、色んなものの仕上がりに影響するんだよね」

パンは作った人の手の温度で、発酵の速度すごく変わるし、糠漬けも微妙な差が出るし、発酵系は神秘! と朗らかに言う男だ。
依里はそんなご機嫌な男に、問いかけた。

「なあ、ハル」

「何?」

「実は今日……」

依里は同僚たちから、お弁当を作ってほしいと頼まれた事を話した。晴美はしばしそれを聞いた後、尻ポケットからスマホを取り出して何やら確認した。

「それ、来週からにして。って言っても、今日は金曜日で、明日のお弁当は作らないけど」

「来週何てすぐで大丈夫なのか?」

「あ、アレルギーとか、どうしても食べられない物だけ聞いておいてよ」

「……材料費ってのが一番に出てこない時点で、乗り気だな」

「まあねえ。おれは仕事先で、味の確認とかでお店のもの食べなくちゃいけないから、お弁当なし組だけど、一人分のお弁当作るのって、おれ的には消化不良なんだよね! やっぱりさあ、大量に作るっていうのが、おれ大好き!」

そうだった。この男は学生時代に、自分の分だけではなく、弟たちの分も、頼んできた知人たちの分も弁当を作り、食べ盛りの恐ろしい胃袋は早弁用とお昼用を求め、馬鹿にならない量を何年も、鼻歌とともに作ってきた男なのだった。
一人分は確かに、物足りないと思ってしまっても納得だ。

「作るのは構わないよ。でも安全性ってのは大事だから、作らせるんだったら命に関わる事は聞いておいてね。材料費は……最近卵も値上がりがすごいから、一人当たり一週間で2500円かな? そうすると五百円ランチくらいで済むでしょ。ヨリちゃんの会社の社食の平均の値段とか、ランチのお値段とかは予測できないけど」

「社食は500円を超えるのばっかり」

「学生食堂くらいのお値段なんだね」

それだけ言い、晴美は味噌汁を飲み干してからこう言った。

「ヨリちゃん、明日大事な事があるから」

「お前が大事な事っていうのはよっぽどだな」

そう反応すると、晴美は新しい飛び切りのおもちゃをもらった子供みたいな顔で、こう言ったのである。

「明日新しい冷蔵庫君が来るよ! だからおれ、午後半休! ヨリちゃんの一人暮らし冷蔵庫君も、がんばって仕事してたけど、小さいから詰め込めなくって」

確かに、依里の冷蔵庫は割と小型である。晴美のように自炊して冷凍庫をがっつり使う人間としては、小さいと文句を言いたくなるサイズ感だろう。
依里は自炊をしょっちゅうさぼり、十秒でチャージできちゃうゼリー飲料生活をする事も割とあったため、その冷蔵庫で事足りたが。

「……どんなのを、料理人晴美は選んだんだ?」

「おっきい奴でー、憧れの両開きのドアでしょ、冷凍庫がめっちゃ広くって、自動製氷が付いている奴」

なんだか聞いていて、抜群に大きな冷蔵庫が来そうな気配である。
冷蔵庫に関しては晴美に一任していた依里は、まあ一番使う相手が選びに選んだものならそれでいいか、と思ったのだった。





あくる日。明け方の仕込みから今日は作業する日だと言っていた晴美は、早い時間に家を出て行った。帰ってくるのは正午を回る事、冷蔵庫は午後に搬入される事などを依里に伝えた晴美は、問題は起きないだろうと思っていたらしい。
だが実際にはちょっとばかり問題が発生したのである。
その問題とは何か?
答えは簡単だ。冷蔵庫が大きすぎて、ドアからはいらないかもしれない問題である。
依里も手伝い、搬入する人達が三人も動いてやっと、室内に入れられた冷蔵庫は、大きいと聞かされていたけれども、これが二人暮らしの冷蔵庫だとは思えない、と思うほど大きかった。
これ男ばっかりの大家族の冷蔵庫だろ、と突っ込みたくなる巨大な威容を誇るものだった。
嘘は言われていない物の、これを導入すると事前に聞いていたら、間違いなくストップをかけていただろう……
冬の寒い時期なのに、汗まみれになるほど頑張って、なんとか新冷蔵庫を搬入した人たちは、代わりに依里が今までお世話になっていた、小型の冷蔵庫を引き取って去って行った。

「……」

依里はぱたんと両開きのドアを開けてみた。でかい。すごい。そして真新しい冷蔵庫特有の匂いがする。
電源を入れて、ファンが動けば匂いも薄くなるだろうが。
この賃貸マンションのキッチンが独立型だとは言え、これがでんっとあると、かなり圧迫されるよな、そんなの考えてなかったんだろうが、と依里がなんだかおもしろくなってきて、ぱたんぱたんとドアを開け示していた時である。

「ただいま!! 冷蔵庫君来ちゃったの! はやいね!」

玄関がうるさくなり、晴美がきらっきらの顔でキッチンに飛び込んできたのだった。

「晴美、これ大きすぎないか」

「えー?」

「えー? じゃなくて。このびっくりサイズ使えるの?」

「そりゃあ使うよ? これで迷いながらお買い物しなくてよくなるわけだから!」

冷蔵庫が冷えていく間に、買い出しいかなくちゃね、と言った晴美は、心底そう言う買い物が楽しみだ、という笑顔だった。

「ヨリちゃん」

「ん?」

「アレルギーとかの連絡きた? 今週から作るんだから、返事してもらわなくちゃ困るよ!」

「あー……」

依里はそれを聞いてスマホを取り出した。連絡は来ており、皆アレルギーはなかった。
ただし、鳥の皮が苦手だとか、そういう、どうしても苦手なものは皆ある程度ある様子で、それは十人十色というわけで、そんな物だろうと依里は判断した。
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