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四十三話 悪も善も君次第

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川っぺりを延々と走っていると、だんだん息が切れて来る。鶴は走る速度を緩めて、それから徐々に早歩きになり、そして最後は立ち止まった。
城島をぐるりと囲む湖へ続く川は、鶴の葛藤など何も関係がないと言いたげに、心地よい音を立てて流れていく。
少しばかりの魚臭さはご愛敬とも言えた。川なんて何かしらの匂いがするものなのだ。魚臭いだけまだましである。汚泥の匂いは遠慮したい。
鶴は大きく息を吐きだしてから、唐突にしゃがみこんだ。

「あー……」

なんとなく声が出てきたわけだが、彼女は自分の考えの足りなさに、ツッコミを入れたかった。
そりゃあ、ちょっとばかりは変だな、変わっているな、不思議だな、と思っていたのだ。
いったい全体、どれくらいの通力を持っている狸ならば、南のもっとも多い悪獣である、狸の、親分が出来るのだろう……つまり親分と言われて、慕われていればいるだけ、ブンブクの通力の限界が見えなくなっていく。
でも、でもだ。

「ブンブクは人殺しとかそういう悪さは、してない……」

そこなのだ。悪獣はいるだけで、人間の理性がいう事を聞かなくなる何か、通称を獣気を吐き出しているという。
事実城島の結界がなければ、このあたり一帯も、獣気に飲み込まれて、人間が集団では生活できないのだ。
しかしブンブクとその子分は間違いなく結界の中に入り込んできていて、人間の中に紛れ込んで暮らしている。
そして、紛れ込んでいる間に、人間が獣気でおかしくなったという報告は、城島には上がってきていない。
鶴はそう言った情報がすぐに分かる所に勤めているのに、話ですら聞かないのだ。
それはつまり、狸たちが、獣気を制御しているのか何なのか、人間に悪影響が出ない程度に抑えているという事でもあった。
【人間が平和に暮らしていると、うまい物がいっぱい食べられるから、悪さしないように通達した。】
それに近い事をブンブクは言っていたし、その事を子分の狸たちは親分の英断だと考えている。
事実、それに反旗を翻している子分はいないのだろう。
ブンブクがいくら温厚な親分だったとしても、そう言った事をする子分には、きついお仕置きをするはずだからだ。

「七十年……近く、ブンブクとその子分たちは、人殺しとかそういう事はしてない」

鶴が知っている悪獣の悪さは、第一位が、道に迷った人間のお弁当やお菓子を盗むというものだ。
しかしこれはその対価のように、迷った人間を、人がいる場所や、捜索活動をしている人間の傍に置いた後にわかる事だった。
お弁当もお菓子も、救助された人が鞄の中を開けて初めて、なくなっているとわかるもので、これを盗難したとはとても、言いにくい被害である。
お弁当と命だったら、命の方が誰だって大事だろう。
人間の手の届かない山に入る時は、必ず美味しい弁当を鞄の中に入れておく事。
もしくは美味しいお菓子を非常食として入れておく事。
それが出来ていれば、まず、南の地域で、遭難して死なない、と言われているくらい、最近では当たり前の考え方なのだ。

「きっとブンブクの子分たちは……」

鶴は、図書室で出会った少年が、おせんべいをとられた代わりに、救助隊の荷車に乗せられていた、と言っていた事を思い出す。
ブンブクの子分たちは、お弁当とか、食べ物と引き換えに命を助ける事は、悪い事ではないと思っているに違いないし、自分が見ても、悪事というには軽すぎるものがあった。
それで救助隊の所まで連れて行ってもらうのだから。
それに、そう言った場所には獣気が満ちているのに、それらをろ過するマスクを奪ったりはしないあたりに、ブンブクの子分たちの優しさが、現れている気がする。
矢田部なんかは、マスクをしている時間の方が、ずっと長い生活なのだ。
だが一度として、マスクを奪われたという話は聞かない。
ほかの結界課の人たちも、笑い話のように、お弁当をとられた、という事はあっても、生命線であるマスクを奪われたとは言わない。
ブンブクたちは、人間の生死にかかわる事は、ちゃんとわかっているのだ……
そう思うと、ブンブクが、許可書に乗るほどの大悪獣、四大悪獣の一角、鍛冶鉄鎚の大狸だという事に、納得ができるようなできないような。
つまり何が言いたいのかというと、ブンブクは鶴に優しくて、美味しいご飯を作ってくれて、両親も祖父母もいない鶴を、一番に心配して、幸せを願ってくれているから、どうしても四大悪獣だと思えない、と言いたいわけだ。

「ブンブク……」

鶴が川辺でぼんやりと、その名前を呼んだ時だ。

「呼んだか?」

「うひゃああああああ!?」

当たり前のように返事が返ってきたため、鶴の声はひっくり返った。間違いなくひっくり返った。近くに民家があったけれども、そこの人がなんだなんだ、と出てこないだけありがたいくらいの声が出た。

「何か知らねえけど、ここは親分がお迎えに行く場面ですって、子分たちが言うもんだからよ。夕飯食ったんだし戻って来るだろうって思ってたんだけどよ、迎えに来たぞ」

ブンブクは、あの美しい青年の姿で、見事な着流しの服装で、鶴をいつもの、優しい表情で見ている。

「鶴、ずいぶん走ったなぁ。おかげで揚げ菓子が、皆食われちまう気がしてしょうがない」

「揚げ菓子……?」

何でそんなものの話題になるのだ、と鶴が怪訝な顔になると、ブンブクは、笑うだけで光が差し込めるのではないか、と言いたくなる笑顔でこう言ったのだ。

「鶴が戻ってきたら食うだろうと思って、甘い揚げ菓子をいっぱい揚げたんだぞ。鶴が返ってくるまで、食っちゃだめだって子分たちに言ったら、親分迎えに行ってあげてくださいって言われちまってよ」

あいつら絶対につまみ食いする気だぜ、あれは。
鶴はそう言って、からからと笑うブンブクをじっと見た。
やっぱり、この狸が、最悪の悪獣の一匹だなんて信じられない。
そんな“悪”とか、禍とかだとは思えないのだ。
鶴は少しためらってから、それを素直に言う事にした。
きっとブンブクはすごい年上だから、彼女の悩みなんて見抜いてしまう……そんな気がしたからでもある。

「ええと、ブンブク」

「ん?」

小首をかしげて、なんだ? と言いたそうなその振る舞いは、やっぱりどこをどう見ても、鶴に一番優しくて、鶴を思っている狸の動きだ。
悪い物には思えない。

「……ブンブクって、悪い狸なの?」

声が思ったよりも小さな音ででてきた。それは彼女の恐れの結果かもしれないし、出来れば言いたくないと思う、気持ちのせいかもしれなかった。
しかし、その言葉は狸に、ちゃんと届いてしまったのだ。
鍛冶鉄鎚の大狸は、しばし目を瞬かせてから、口を開いた。

「そうだなあ……」

ちょっと間を置き、鶴が理解できる言葉を選ぶように、ブンブクはこう言った。

「その時代によって、善悪は変わっちまうだろ」

「え……?」

「そりゃあおいらもその子分たちも、この七十年か百年か、それ位は、人間を殺す真似はしてねえし。させてねえ。おいらたち狸は、もともと、人間を食うのは好みじゃねえんだ」

「うん……?」

人間を殺さない事と、善悪が時代によって変わるのはどう関係するのだろう……
鶴が戸惑っていると、ブンブクは更にこう言った。

「でも、おいらたち、人間化かして驚かせて、お宝集めるのをものすごく面白がってた時期もあるし、戦争に巻き込まれたから、それに加わった事もあるし……ま、要は、鶴が“悪”だと思ったら、おいらは悪になるわけだ」

鶴が決めろ、とブンブクはおしまいに言った。鶴が決めろ。鶴が選べ。おいらが善かそれとも悪か。
真面目な顔なのに声は笑っていて、鶴が一つしか答えを知らないのを、見透かしているようだった。
彼女は大きく息を吸い込み、そして一つ一つ、言っていく。

「ブンブクは、爺様の親友で相棒で、爺様のために美味しい物を作ってくれていて……」

それからまだある。

「私の事を心配してくれて、美味しいご飯を作ってくれて、子分たちに悪さをしないように言ってくれて」

これらを拾い上げて行くと、どうしても。

「ブンブクって、悪じゃ、ないと思うの……」

「だったらそれが、鶴にとっての正解になるわけだ。さて、答えが出たんだからとっとと帰ろうぜ、揚げ菓子は粗熱が取れた頃がうまいんだ」

当たり前の口調で言った大狸は、にかっと日向の笑顔を向けて来て、鶴に手を差し出した。
鶴が握ったその手は、いつか爺様の手を握った時と同じくらいに、泣きたくなるほどやさしい手だった。
そして、家に帰ると待っていたのは、すっからかんのバットと、こぼれるお菓子の屑だった。
それから、神妙な顔をしている、子分たちである。
ブンブクは、結構な大きさのバットを見つめて、おいおい、といった。

「おいおいお前ら……鶴に食わそうと思ってあげた揚げ菓子、皆食っちまったのか! 四十個は上げたんだぞ。あんなにあったのに一つもありゃしねえのかい」

「すみません親分、親分の彼女さん……」

「一つだけ、一つだけって思っていたのに……」

「気付いたら一個もなかったんです……」

「……いいよ、気にしないから」

いかにも、申し訳ない、反省している、と態度に現れている子分狸たちである。
鶴は前に、ブンブクが天ぷらを揚げた時、皆食べちゃったという話になった事を思い出していた。
つまり狸にとって揚げ物は、止まらなくなる魅惑の味なのだ……

「お前ら、せめてこれからは最後の一個くらい、残すようにしろ……」

ブンブクも自分が自分だから、きつく叱れないらしい。苦笑いで言っているため、子分たちはこくこくと頷いた。
そして思い出したようにこう言った。

「あ、狐の姐さんは客間に既に案内しました」

「南に来るだけで結構お疲れの様子でしたよ、あれだけ骨と皮だったんですから、相当力を使ったんじゃないかと」

「狐の姐さんのふあんの若い雌が、飛び切りおもてなしするんだって、張り切ってお布団用意してました」

「お玉は揚げ菓子食ったのか?」

「ええ、四つくらい食べましたよ、これ美味しいわねって」

「お玉まで……しょうがねえなあ!」

もう笑うしかない。鶴はなんだか楽しくなって笑い出した。
鶴が笑っているから、ブンブクは子分たちを叱らないで、帰す事にしたらしい。
子分たちも挨拶をして、速やかに帰って行った。
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