上 下
38 / 51

第三十八話 甘いものと苦いもの

しおりを挟む
本当に先ほどまでは大きすぎる狸だったのに、今は鍋狸の姿になってしまっている。
確かに台所道具をこれでもか、と詰め込んだ台所で動くのに、あのお腹の丸い、ふわふわした大きな狸の姿はさぞ不便であろう。
鍋狸は冷蔵庫をごそごそと漁っている。何かあったかな、という言葉の通り、あんまり材料はそろっていないはずだ。
お使いだって頼まれていないのだから……と鶴が階段を降りて行くと、朝ごはんの方向性が決まったらしい。

「つるや、つる。そこにあるバターケーキを焼いてくれないか」

「え……、と?」

鶴はそこにある、と言われて示された紙袋のロゴが、自分が昨日買えなかった、行列のできるバターケーキの店のものだとすぐに気付いた。
狸印はそれだけインパクトがあるのだ。

「やくって……」

ケーキって焼き直すものなの? 鶴は突っ込みたかったが、ブンブクは片手鍋に何かを投入している。

「一分とかそれ位でいいんだ。温め直す感じだな。バターケーキは温め直すと、バターのいい匂いが復活して、ふわふわでしっとりして、うまいんだ」

そうなんだ。知らなかった。というか、こう言った焼き菓子を温め直す、という感覚を持っていなかった鶴にしてみれば、そんな事は衝撃だった。

「米も炊かなきゃないし、パンもないし、お粥もそんな気分じゃねえし。だったらそこにある甘くてうまいもの食べたって、罰は当たらねえだろ」

ブンブクは銅製の片手鍋に、全神経を集中させているらしい。
何をしているのだか、と思いながらも、鶴はバターケーキを紙袋から取り出した。

「分厚い」

「ああ、あいつらおいらには一番うまいのを出すんだ」

バターケーキは切り売りだった。だが一人でこんなに分厚く買う人は早々いないだろう。
驚くほど分厚くきられている。
縦と横がほとんど同じと言っていいほどだ。

「それ、そのままだと小型天火に入らねえだろ、だから横に切るんだ」

横に切る、と言われた鶴は、取りあえず食器棚からそう言った小刀を取り出した。前にブンブクがそれを使って、クイックブレッドを切り分けたのだ。
切れないわけがないだろう、という予想通りに、バターケーキはすんなりと切り分けられた。
それを小型天火の中に入れて、カリカリという音とともに一分半ほど、タイマーをセットする。
彼女がそうしている間に、辺りには香辛料のにおいが立ち込めている。

「換気扇点けた?」

「おっと忘れてたぜ」

ブンブクの手が離せない様子なので、鶴は代わりに、換気扇の紐を引っ張った。ぐるぐると羽が回って、空気が換気されていく。
鶴はそこまで、ブンブクが集中している鍋の中身を覗き込んだ。
なんか黒い粒や葉っぱの切れ端や、木の欠片にしか見えないものが入っている。
それと明らかに茶葉まで入っている。それらが弱火でぐつぐつと煮られているのだ。

「これは何?」

「目が覚める茶だな。香辛料の匂いで、目が覚めやすくなる。寝ぼけた時にはてきめんに効くな」

言っている間に、程よい抽出になったのだろう。ブンブクはそこに牛乳を、計りもしないでどぼどぼと入れていく。豪快だ。

「大丈夫なの?」

「沸かし過ぎなきゃ問題ねえ」

事実、狸の微調整の結果、鍋の中身は吹きこぼれそうで吹きこぼれていなかった。


温め直したバターケーキと、香辛料のたっぷり入った牛乳入りのお茶。朝ごはんというよりもおやつ感覚のそれだが、鶴は文句を言う理由がなかった。
作ってもらって文句を言うなんて何様だ。よほど苦手な食べ物が入っていない限り、出されたものを美味しく食べるのが礼儀である。
鶴は両手を合わせてから、バターケーキを口に入れた。
もう、確実に上等のものを使った味がする。嫌な香りなどはなくて、とにかく、バターの濃厚な風味が感じられる。温めたからだろうか、ぼそぼそとした食感とは大違いの、しっとりと滑らかな舌触りである。
甘さはかなりの物で、バターと砂糖を相当に使った、ハイカロリーな味である。
だがそれがいい。ものすごい贅沢な味だ。
これは滅多に食べちゃいけないものだ、と鶴は内心で思った。
だって美味しすぎる。普通の生クリームなどを使った洋菓子よりも、がつんと美味しくて素朴だ。
ただ、毎日食べるものとは違う味でもあった。

「これ、並んで買ったの?」

「店に顔出したら、待ってましたって言われて渡されたんだ。ちゃんと金払ってるぞ」

「へえ……」

口に含んだ香辛料入りのお茶は、確かに色々な香りが複雑に相まって、しかし個性を程よくまとめた香りである。
口に入れた時に感じる香りと、喉の奥で感じる香りは全く違う。香辛料をいくつも使っているからだろう。
だがそれが重苦しくないのは、配分がよいからだろう。
砂糖を入れなかったからか、甘い甘いケーキと苦めのお茶は、実に相性が良かった。

「本場の配分だと、砂糖もたっぷり入れるんだけどな、バターケーキうまいから、砂糖入れねえんだ」

「それは正解だと思う」

「だろう? 修二郎もそう言った」

あっという間にそれらを食べ終えた鶴は、身支度を済ませた。ブンブクは風呂場に行ったと思ったら、十五分ほどで戻ってきた。
それも色男に化けた状態でだ。昨日とは違う着流しは、やっぱりどこかから持ってきたのだろう。

「さて、銭湯開けにゃならねえな」

時計の針は、十二時の手前であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

元悪役令嬢はオンボロ修道院で余生を過ごす

こうじ
ファンタジー
両親から妹に婚約者を譲れと言われたレスナー・ティアント。彼女は勝手な両親や裏切った婚約者、寝取った妹に嫌気がさし自ら修道院に入る事にした。研修期間を経て彼女は修道院に入る事になったのだが彼女が送られたのは廃墟寸前の修道院でしかも修道女はレスナー一人のみ。しかし、彼女にとっては好都合だった。『誰にも邪魔されずに好きな事が出来る!これって恵まれているんじゃ?』公爵令嬢から修道女になったレスナーののんびり修道院ライフが始まる!

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

婚約破棄は誰が為の

瀬織董李
ファンタジー
学園の卒業パーティーで起こった婚約破棄。 宣言した王太子は気付いていなかった。 この婚約破棄を誰よりも望んでいたのが、目の前の令嬢であることを…… 10話程度の予定。1話約千文字です 10/9日HOTランキング5位 10/10HOTランキング1位になりました! ありがとうございます!!

処理中です...