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十四話 最初のきっかけ

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「うわあ……この名刺伝説で聞いた事があったけど実在したんだな……」

週明け、朝一番に上司に聞かれたのは、あの水馬の持ち主の事である。
目撃者が実に多かったため、上司にも素早く報告が上がったらしい。しかし休日を挟んだため、その日のうちに鶴の所まで連絡が回らなかったのだ。
なぜそんなに大騒ぎになったのか。答えは簡単だ。
単独で手綱もつけずに、騎獣が城島を歩いていたというのが問題なのである。管理問題の一つだ。
普通騎獣は暴れたら大体事件になるため、持ち主は厳しく自治組織に把握されているものなのだ。
抜けがある事はまずなく、なのに加藤鶴という一般公務員がそれを所持しているかもしれないとなったら、それこそ総務課の大問題になってしまう。
申請もれと庇うわけにもいかないため、上司も問いかけてきたのだろう。
鶴もそれは予想していたし、聞かれるともわかっていた。
そのため、それに対する答えはとっくにできていて、鶴はあの名刺を見せた。

「この名刺の人が持ち主で、偶然共通の知り合いがいたんです。その知り合いが、雨が降っているのに傘を持っていない私を気遣ったんです」

事実である、だが事実はオブラートに包まれている。
その知り合いが鍋で狸という奇怪な生き物だとは、言えないわけである。
言った所で、どうなるものでもない。珍品としか言えない、鍋狸を見せてほしいといわれてしまっても、なんとなく、嫌だな、と思ってしまう鶴だった。
名刺を見た上司は沈黙した。その名刺を矯めつ眇めつ眺めながら、本物かどうか確認するように手触りを確認し、ついには手持ちの虫眼鏡まで使って調べ始めた。

「何なんですか、なんかとんでもない物扱いで。ただの名刺ですよね」

名刺の持ち主は相当なの知れた大金持ちであるのは間違いない。
水渡運搬は、南から北まで長く広がる、獣気にまみれた土地を渡る技術で、長距離運送を可能にしている、かなり腕の知られた運送会社なのだから。
そこの設立者の名前となったら、その名刺は計り知れない価値を持っているが……その名刺が本物か疑われるとは思わなかった。

「いや、それはわかった、でも名刺自体が恐ろしいものだぞこれは。ずいぶん年代物の手漉きの紙を使っているけれども。こういった紙の名刺なんて現代じゃお目にかかれないぞ。手漉きの紙で名刺を作っていたのは、六十年は昔の話だ」

紙質さえ、珍しいのだろう。上司はその紙の縁をつつきながら言う。

「知り合いも古い箱から引っ張り出してきてました」

「それをぽいっと渡してきてしまうのか? 大事な名刺じゃないのか」

「あ、あとで返せって言われました。ただ、それを見せれば私が変に疑われる事はないだろうから、仕事場で困ったら出しなさいと」

「この名刺の人が水馬の持ち主だっていうなら、それは嘘じゃないだろうな……なんせこの名刺の持ち主は天才的に騎獣の扱いに長けていて、信じられないほど色々な上級騎獣を使って運送をしていたと聞くから」

過去形の言い方の上司だ。確かにブンブクも、その当人は引退した人と言っていた気がする。
過去の伝説のような事になってしまっていても、変ではないだろう。

「水馬自身が、現役じゃないとは聞きました。なんでも、水馬も暇だから喜んでお使いしてくれたって」

「……でもやっぱり単独で水馬ほどの気位の高い、珍しい騎獣をお使いに出してしまったのは問題だから、後でこの人に、厳重注意文章を送らなければならないな」

そう言ってもう一度名刺を睨んだ上司は、名刺を鶴に渡し、資料作成のための資料を指示した。

「こっち頼むな、お前の能力高いから、すぐ終わるはずだ」

鶴はずしりと重い資料などを抱えて、仕事机に戻った。脇を誰かが投げた資料が飛んでいく。
今日も城島の総務課は、通常通りの仕事の光景だ。
鶴が得意とするもの、それは大体経理関係の仕事であり、そろばんなどを動かす方面である。
鶴はいつものごとく、仕事机にそれらの資料を乗せて、今週分の領収書の計算に入った。



総務課でも各々得意分野があり、鶴の得意分野は経理関連である。数字の不正を許さず、提出期限を過ぎた領収書は受け取らない。
そのかたくなさこそ、貴重なものである。
情にほだされていつまでも受け取ってしまったら、月末に数字が合わず、他の部署の予算などに大きく狂いが生じるのだ。
それをわかっていたため、鶴はおかしな領収書を出してきた人間には、しっかりと理由を聞き、経費として落ちるか落ちないか判断する。
落ちない事も多いため、他の部署の人間に睨まれる事もあるが、誰からも慕われる人間などいないので、それでいいのだ。
大体、部署ごとの年間予算は決まっているのだ。それをきちんと管理するのは経理課かもしれないが、その下の領収書などの支出を計算するのは、総務課なのである。
総務課の経理に関する人間は、とかく四角四面なくらい厳しい方が予算を管理できる側面はあった。

「もしもし、安全課ですか、―――さんを出してもらえませんか? 提出された領収書の中に疑問点がありまして……」

「もしもし、結界課ですか? 結界課の領収書に不備があります。訂正をお願いします」

一度目は雷話で連絡し、反応が悪かった場合他の部署に向って、納得がいく答えが返ってくるまで粘るのが鶴の仕事でもある。
あの人苦手、といわれる事も多いが、たいてい大目に見てほしいと思って出される領収書であるため、ある程度話せば、経理課に許可してもらえるかもらえないかはわかる。
たとえ総務課で許可が出ても、経理課が不審な数字だととらえれば、総務課が提出し直し、という事もままあるのだ。
そうなると、総務課が他の課に回って数字の確認をしに行くため、大変な作業になったりもするわけだった。
そんな仕事を今日も片付け終わったと思った鶴だったが、上司が終業五分前に声をかけてきた。

「加藤、お前がらくただらけのぼろ屋相続しただろう」

「個人情報の管理はどこに!?」

「お前なあ、引っ越し届出したんだから、仕事先にはわかるに決まっているじゃないか。馬鹿か。それでな、お前に頼みがあるんだ」

「頼み……?」

「そう。近いうちに、このあたりの市民ホールを貸し切って、出張鑑定イベントが行われるんだ」

「それってすごい人気のイベントじゃないですか」

「そう。行く先々で色々な騒ぎが起きて、捧腹絶倒のあれだ」

出張鑑定イベントとは、各地を回る鑑定集団が、依頼主の持ち込んだものを鑑定するというイベントである。
これは非常に人気が高く、鑑定集団があちこちのホールを借りて行うため、観客が絶えた事のないイベントだ。
そのイベントにかこつけて、露店の出店許可をもらおうとする人々も非常に多く、役所は仕事が多くなるのだが、それとどう自分のあばら家が関わるのだろう。

「鑑定するものが少ないと、にぎやかしにもならないだろ、お前の引っ越したぼろ屋に、変な物有りそうだろう。いくつか鑑定イベントに出してくれよ」

「はあ」

確かにあの家には、価値の分からなさそうながらくたがいっぱいある。
ブンブクにも聞いて、それを出そう。鶴は深く考えずに、了承した。

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