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からくり小屋とあんかけ丼

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「あたぼうよ、ここは修二郎の厨だ。台所じゃなくて何になる」

矢田部の感想を聞きながら、ひょいひょいと鍋狸が包丁を動かす。意外だ、そんな手なのに包丁が握れることがとても意外だ。
鶴は朝はしっかりとその手元を見なかったため、流れるような手さばきを見て感心する。
本当に、うまいのだ。そんな小さな前足なのに、包丁は一切ぶれない。
自分よりよっぽど上手だ。鶴は自分と比較した後、苦笑いする。まあ自分の炊事能力は底辺に近いので、比べても仕方がない。
だが狸はひょこひょこと揺れる尻尾でバランスを取りながら、キャベツをざくざくと二分の一玉も切っていく。
いつの間にかシンクに置かれている、大型のボウルの中に重なっていくキャベツ。
とてもたくさんに見えるのは、鶴の気のせいではないだろう。

「え、ちょっと、そんなに食べられないと思うんだけど」

「大丈夫だっての。今日は客もいるわけだし、キャベツなんて火を通しちまえばあっという間に食べきっちまうもんだ。日持ちもするしな」

「定食の千切りキャベツよりずっと多いように見えるけれど」

鍋狸が鼻を鳴らした。呆れたと言いたげな視線が向けられて、辛らつにも聞こえる言葉が出される。

「定食の千切りキャベツでキャベツ食った気分になってんじゃねえ。あんなの火を入れたらしなっとなって、これっぱかり? って気分になるからな絶対」

「爺様は?」

「そりゃお前、修二郎はキャベツも大好きだったし、一番キャベツで好きなのはくったんくったんにしたベーコンキャベツだった」

ものの想像がつかづ、鶴は眉間にしわが寄る。なんとなく伝わってきそうで来ない料理だ。いったいどんな料理だ。

「知っていそうな知らなさそうな……」

「あ? あー、重ね蒸しだ、重ね蒸し」

鍋狸は言いつつ、今日はその重ね蒸しではないらしい。ざく切りキャベツと洗ってざるで水を切ったもやしと、豚こま肉が用意される。

「……お客さんに出す料理がこれで作れるの?」

「鶴の彼氏なんだろうが。安心しろ、食って死ぬ料理は出さない」

自分の胴体、そこに冷たいまま、油を入れる鍋狸。豚肉キャベツ、そしてもやしの順番に重ね、背中にふたをはめ込み、尻尾で竈のスイッチを押して火をつける。
そこにさも当然とのっかって、にやりと笑う鍋狸は、そこから指示を出してきた。

「鶴、片栗粉と醤油と砂糖と水混ぜろ、そこのビーカーに」

「え、どのくらい!?」

「適当だそんなもん。片栗粉いれるのは最後な」

「あ、ハイ」

言われるがままに適当に入れだした鶴に、ひょいと渡された年代物の小さな匙。

「これは?」

「味見しろ味見。大体味見すれば、世の中よっぽど入れ過ぎない限り何とかなる」

「雑ね」

「ただの野菜炒めにしないだけ、雑じゃねえよ」

なんだかわからない鍋狸だ。材料だって雑な感じがするのに、これをお客様にも出せるものにするという。
これが作ろうとする料理の検討全くつかない、鶴だった。

「……」

本当に恐る恐る、ビーカーに入れた調味料は、まあよく知られた味になる。鶴がもたもたと作業をしている間に、コンロの上の住人は背中の蓋を手元の蓋置に立てかけ、よくのびる前足で木べらを動かす。
そのとたんに、野菜はへにゃりと木べらのままに動き出し、豚肉は過熱済みの色に変わった。よく見ている色だ。
え、あんな雑でもちゃんと火が通ってる……と妙に感心している間に、鶴、とまた呼ばれた。

「片栗粉混ざったか? よーくかき混ぜておれの中に全部開けろ」

「入れていいの?」

「おいらを信じろ!」

なんだか、妙に信頼できそうないい方だったため、鶴はビーカーの中身を全部入れた。

「で、とにかくかき混ぜろ。火加減はおいらがやる」

言われるがままに、鶴は野菜炒めと合せた調味料を混ぜだす。段々手ごたえが重くなっていき、とろみが出てくるので、どこまでかき混ぜるのかわからなくなった。

「いつまでかき混ぜるの!?」

「ぶくぶく言うまでだ! 片栗粉にちゃんと火が入らないと粉っぽくて修二郎は嫌がった」

ブクブクってどんな感じ、と鶴は本当に大混乱である。
だが実際、混ぜ続けるとぶくっぶくっとあぶくが出始める。
そこで、鶴は隣の沈黙を保つ琺瑯鍋が気になった。

「こっちは?」

「米」

鍋の即答だった。生米じゃなさそうという事は……

「え、炊いたの、鍋で!?」

「おいらは炊飯器の使い方なんか知らない」

驚きまくる彼女に、鍋たる狸はいっそ誇らしげに言い出す。
こんな台所道具の世界で、炊飯器という便利道具の使い方を知らないってどういうことなのだろう。

「どうして?」

「炊飯すんのは修二郎の仕事だったからだ!」

胸を張りそうな勢いの鍋が、大皿三つ、米をすくって背中の中身を上からかけろ、と言い出す。
言われたままに行うとそこには……

「あんかけご飯だ。うずら卵の水煮があればもっと豪勢だけどよ、客人、これ位でかんべんな」

ほこほこと暖かな湯気の立つ、とろっとした琥珀色の野菜のあんがかけられたご飯がそこに出来上がった。

「有り合わせでも、豪華に見せたけりゃあんかけって手段があんだよ」

冷める前に食べろよ、箸と匙は各自!

鍋狸は大胆に笑い、自分も一番大きなお皿に入っているあんかけご飯を食べ始めた。

「一番大きい皿取ったな」

「食べこぼしが多いんだ、おいらの口じゃあな。だからでかい皿で食べた方が卓が汚れない」

笑いかけた矢田部に、真面目に答えたその鍋狸は、やっぱり口からご飯をこぼしていた。

「……ところでお米がこの家にあったの?」

「知り合いに連絡して持ってきてもらった」

「え、ブンブクは他人との交流があったの!?」

この珍妙な相手に、人間とのやり取りがあったのか、と呆気にとられた彼女だが、矢田部は目を細めた。

「お前何にも知らないのに、これを大丈夫だって言ったのか」

「いや、爺様の遺産だし……悪い物じゃないでしょ、そうでしょ?」

「おいらにも、おいらの付き合いがあったんだよ、何年か前まで。その伝手だ。気にすんな」

よく分からない事を言うブンブクであった。
しかしあんかけご飯は本当においしくて、ちょっと塩気の方が目立つ甘じょっぱさの餡と、意外としゃきしゃきの野菜にカチカチになっていない豚肉が絶妙で、それらのうま味がご飯にしみ込んで、どんどん箸が進んでいく。
大半を作ったのはブンブクだが、味を作ったのは鶴である。
自分がやってもこれだけの物に仕上げてしまう、ブンブクは本当にすごい。

「旨いな、これ」

「修二郎の気に入りの一つだよ。あいつは面倒になると丼もの一択になって、本当に米炊いてた」

矢田部の感想に鍋狸は、秘密でも何でもなさそうに言う。
そこで気付いたらしい。

「お客人、あんた今日は泊まるのか」

「駄目か? 家主はいいって言ったぜ」

「布団がねえな。修二郎が使った布団は、始末しちまったからなあ」

「……捨てたの?」

「死んだだろ? 匂いがしみ込んでて寂しくって仕方ねえ。帰ってきたらふかふかにして迎えてやろうと思ってたけどよ。二度と帰ってこないなら処分だ処分」

鍋狸は寂しそうにそう言い、餡の欠片も残っていない皿をシンクに入れる。

「皿洗いはしてくれよ、おいらは自分をあらわにゃならん」

言いつつ柄付きのたわしで背中をごしごし洗い出す狸。とてもとてもシュールで、先ほどの重たさが感じられなかった。
食べ終えた鶴は皿を洗い、本当に矢田部をどこに寝かせようかと考えた。
その前に風呂かもしれない……

「ブンブク、この間取りでお風呂が見つからなかったのは、どうして?」

「風呂が地下だから」

「はあっ!?」

まさかこの家地下室付き? 地下室なんていかにも特別なものがあるとは思えない見た目の癖に……と思った彼女の驚きを放置して、鍋狸はロフトの階段の部分を叩く。

「このあたりにっと」

叩いた箇所から出っ張りが現れ、ブンブクはそれをよいせとドアノブのように回す。
ぎゅるぎゅると言う音とともに、まるで開店扉のような動きで回る階段。
その奥に風呂があるらしいが……何年も放置されたそこは、はたして使えるものなのだろうか?
そんな思いを抱いた鶴は、ブンブクが妙に得意げなので、そこを覗き込んだ。

「……スーパー銭湯の脱衣所みたいだな、風呂自体は見当たらないぞ」

同じように背後から覗いていた矢田部が言う。狸はひょいと歩き出す。

「まあまあ。修二郎の思いきり趣味の場所だ、一般的感性の世界じゃない。ついて来な」

鶴は矢田部と顔を見合せ、風呂について行く事にした。
階段を少し降りた脱衣所は、棚と奥に続く扉しかない。どこに続く扉だろうと思った時、矢田部がぼそりと言った。

「……ここ相当術式が完成度高いぞ。こんな完成度の高い術式操るって何者が作ったんだ」

「おいらの身内さ。さて見て見ろ、すごいと思うぞ」

狸が奥の扉を開ける。
そこを見て鶴は、この家で何度目かわからないツッコミを入れた。

「待って! じい様待って! こんな風呂作るか普通!」

「確かにここは、地下じゃないと作れないな……」

扉の向こうは、謎の発光物が灯り代わりになっていた。窓はない。天井に換気の穴は開いている。だがそこから星空が見える。
そして床に開いた穴にはこんこんとお湯が沸いている。……つまり温泉だ。

「どんな道楽なの! 家の中に温泉とか作っちゃうなんて!!」

爺さん金持ちだからな……と思うが、金持ちの道楽を飛び越えている気がするのは彼女の認識の差だろうか。
あまりにも風呂がびっくり案件であるため、矢田部も笑えないでいるらしい。

「鶴の爺さん、はちゃめちゃなんだな……」

しかしブンブクは自慢げだ。飛び切りのいい場所を見せているつもりらしい。

「いいだろう。友達呼んで月見酒もできるし、おいらもおつまみもって入れるし、楽しい事ばっかりだ」

「どうやっておつまみを持って来るんだ?」

「ここにおいら専用の昇降機械があるんだぜ。台所のはしにある」

実際に端っこにある銀色のお盆の上に、鍋狸が座ると、見えないように工夫された鎖がぶらぶら揺れた。
本当に昇降機械があるらしい……。

「明日も早いだろ、二人とも風呂入って寝ろよ」

色々な衝撃を二人に与えながらも、ブンブクは実にまっとうそうな事を言いだす。鶴は頭が痛くなりながら、この家の資産価値ってどうなってんだろう、自分は固定資産税とか払えるかな……と現実的な事を思った。

「お客人、ちょいと長風呂してくれよ、その間に知り合いに連絡して布団用意する」

「鍋に布団が用意できるのかよ……」

「おいらはただの鍋に甘んじねえからな」




実際に、先に風呂に入った鶴が台所のダイニングテーブルでお茶を飲んでいる時、玄関の方から声がした。

「ごめんください」

「はい?」

なんだなんだと思って扉を開ければ、なんだか鍋狸とよく似たフォルムの生き物が数匹立っている。違うのは胴体が鍋じゃない所だ。

「ブンブクから連絡がありましたので、お布団を持ってきました」

右前足を額に当てたその生き物が、背後にいた四つ足の騎獣に運ばせていた物を見せる。
鶴はツッコミを放棄した。そこにあったのはどう見たって布団だった。
一般的布団だろう、たぶん。

「家主様用のお布団は、ただいま製作中ですのでご了承ください。ブンブクは新たな家主に張り切っておられますので」

騎獣から荷物をおろし、引きずる事なく家の床に置いた獣たちは、現れた時と同じだけ速やかに去って行った。

「む、無茶苦茶だ」

鶴はかろうじてそれだけ言い、ロフトに布団を運ばないとな、と持ち上げた。

「おう鶴、布団来ただろ。知り合いの布団作ってるやつらの所に連絡したんだ。あそこは貸し布団もやってるからな」

玄関から台所に戻ると、狸は何かやりながら、鶴を見る。

「そんな一度に持って上がろうとするんじゃない。修二郎みたいな無精するなア」

彼女が布団を全部一度に持ち上げようとしているからか、苦笑いをした狸は、左前脚を動かした。
たったそれだけで、布団一式が彼女の手から離れ、ロフトに上がって行った。

「……」

あれか、ブンブクは鍋や包丁と同じように、布団だって持ち上げられたのか。
一日の間にいろいろ起こり過ぎた彼女は、精神的にぐったりと疲れ、言った。

「矢田部に先寝てるって言っておいて……」

「おう。おやすみ、おいらの家主サマ」

使い慣れた寝袋だけが、癒してくれるような気がした鶴だった。
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