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あなたは誰、と彼女は問いかけようとしたのだが、その前にその男が一つも足音を立てずに、彼女の脇まで近寄ってきた。
そしてかまどの前に座り込んでいた彼女の手元や、彼女が何度も力いっぱい火花を飛ばそうとした結果、寒さとそのほかの事で真っ赤になっている手のひらや指先を見る。
「ここに火打石と火打ち金は置いていない」
彼はそれだけを言った後、彼女を見る。
「火を熾したいのか」
「あなたにお伺いを立てなければいけなかった事でしょうか、でもわたくしも、ここに住んでいる方を探して、ずいぶんと歩き回ったのですが、見つからなかったのです」
「そうやすやすと見つかるようなところに寝床は置かないものだ。それに、別に火を熾すのにおれに伺わなければならない物はない。お前は見るところ死ぬほど凍えているのだろう」
彼女は素直に頷いた。
この男が何者なのか、信用できる相手なのか、といった疑問は幾つもあったが、それのどれもが、ささやかであるような気がしたのだ。
この男か、この男の関係者は、毛皮を敷いた場所に自分を運び込み、寝かせ、上からさらに毛皮をかけてくれたのだ。
その優しさで生きている自分が、今ここで、信用がどうの、と考えるのはあまりにも失礼だとも思ったのだ。
「どうして毛皮を置いていたところに寝ていなかったのか、と聞いても意味がないのだろう。お前はここの住人を探し回ろうと思ったのだから。……だが、どうして被せておいた毛皮も体に巻きつけないで、こんな冷えた城をいつまでも歩いていた。理解できない」
毛皮に包まって歩けば、寒さも少しましだったのでは、とその男は言いたげだった。
しかし、その選択肢は、彼女にとってあり得ない物だったのだ。
考えもしなかった事でもある。
「わたくしの物ではないものを、いくら、寝ている時に貸していただいていたとはいえ、我がもののような顔をして持ち歩いたり、出来ませんわ」
彼はその、赤々と燃え盛るようでいて、ほの暗く揺れるような暗さもまとう、様々な色味の緋の瞳を開閉させた。
「そうか、損な性格だな」
男はそこまで言った後に、彼女が身震いするのを見た。
すると彼は、彼女の脇にしゃがみ込み、羽織っていたどこかの軍の外套らしき装飾の上着の、ポケットをあさった。
そこから、手のひらの中に納まるような小箱が現れる。
小箱は長方形の形をしていて、側面の色が箱の上部とは大きく違う。その部分に別の紙か何かを張っている様子だ。
彼はその小さな箱の尻を押す。そうすると、中箱と思われるものが押し出される。
どうやらその箱は、箱を別の、頭と尻のない箱でくるんだ物だったらしい。
そしてその箱の中には、大きさをそろえて削り出したらしき、小枝が何本も入っていた。
「この小枝の頭の着色は、何なのでしょう」
「お前は燐寸も知らないのか」
彼はそう呟きながら、小枝の一つをつまむと、小枝の頭の着色された部分を、箱の色の違う側面に素早く擦り合わせた。
ぼうっと、一瞬で火がともる。
「まあ……」
彼はその火のついた小枝を、彼女が作った燃えさし用の細かな物に放り込み、手際よい薪をくみ上げてしまった。
「まっち、というのは、聞いた事がありますのよ。数百年前までとても流行っていた魔王の国の特産品で、魔王の国との交流がなくなった今、人間の暮らす地域ではとても高級な品だとも」
「実物を見た事はないのか」
「私の身分で、それを持ち歩く事も、買い求める事もありませんもの。支配者に近い権力者くらいしか、今では買い求めませんし……それに、買ってもそう言った階級の人間が、使用する事は生涯ない事から、宝の持ち腐れ、とも言われる品ですのよ」
「……おれの知り合いたちは、普通に使うが」
「お金持ちなんですねえ……」
火がともり、指先に徐々に熱が戻って来る。火の温かさが泣けてくるほど身に染みて、彼女は浮かんだ涙をそっとぬぐった。冷え切った体に、この炎は心底温かかった。
指と手のひらをまんべんなくこすり合わせて、彼女は大きく息を吐きだした。
彼はその、彼女とはまるで違う肌色の肌に、白い包帯を巻いた姿を隠す事なく、同じように炎を見つめる。
「……おれは周りからはイオ、と呼ばれている。あんたは何と呼ばれている」
彼、イオは彼女の方を見る事無く言う。ここにいるのは二人だけであるため、彼女に問いかけているのは明らかだ。
「わたくしですか、わたくしは……」
女王の妹は、自分が国では妹姫様とばかり呼ばれていて、名前で呼ばれた事が数回しかない事に苦笑いをした。
そして、婚約者と暮らしたあの町で呼ばれていた名前が、一番呼ばれた名前かもしれない、とも思った。
呼ばれて思い出すのは、優しく温かかった、戻りたくとも戻れない日々の事だ。
彼女はそれを教えて、自分が苦しまない自信がなかった。
「……色々ありまして、あなたにきちんと呼ばれていいような物はないのです」
「じゃあ呼ばれたい名前を言え」
「え……」
「呼びかけるのに、あんたとばかり呼ぶのは礼儀に反するだろう」
彼の口ぶりから、彼がそれを当然として育ってきた事がうかがえた。
彼女は、呼ばれたい名前と言う物を考え、答えた。
「パルミラ、ではいけませんか」
「お前がそう呼ばれたいのなら」
彼女、パルミラの言葉に、その男は可もなく不可もなく、それを受け入れてくれた。
あなたは誰、と彼女は問いかけようとしたのだが、その前にその男が一つも足音を立てずに、彼女の脇まで近寄ってきた。
そしてかまどの前に座り込んでいた彼女の手元や、彼女が何度も力いっぱい火花を飛ばそうとした結果、寒さとそのほかの事で真っ赤になっている手のひらや指先を見る。
「ここに火打石と火打ち金は置いていない」
彼はそれだけを言った後、彼女を見る。
「火を熾したいのか」
「あなたにお伺いを立てなければいけなかった事でしょうか、でもわたくしも、ここに住んでいる方を探して、ずいぶんと歩き回ったのですが、見つからなかったのです」
「そうやすやすと見つかるようなところに寝床は置かないものだ。それに、別に火を熾すのにおれに伺わなければならない物はない。お前は見るところ死ぬほど凍えているのだろう」
彼女は素直に頷いた。
この男が何者なのか、信用できる相手なのか、といった疑問は幾つもあったが、それのどれもが、ささやかであるような気がしたのだ。
この男か、この男の関係者は、毛皮を敷いた場所に自分を運び込み、寝かせ、上からさらに毛皮をかけてくれたのだ。
その優しさで生きている自分が、今ここで、信用がどうの、と考えるのはあまりにも失礼だとも思ったのだ。
「どうして毛皮を置いていたところに寝ていなかったのか、と聞いても意味がないのだろう。お前はここの住人を探し回ろうと思ったのだから。……だが、どうして被せておいた毛皮も体に巻きつけないで、こんな冷えた城をいつまでも歩いていた。理解できない」
毛皮に包まって歩けば、寒さも少しましだったのでは、とその男は言いたげだった。
しかし、その選択肢は、彼女にとってあり得ない物だったのだ。
考えもしなかった事でもある。
「わたくしの物ではないものを、いくら、寝ている時に貸していただいていたとはいえ、我がもののような顔をして持ち歩いたり、出来ませんわ」
彼はその、赤々と燃え盛るようでいて、ほの暗く揺れるような暗さもまとう、様々な色味の緋の瞳を開閉させた。
「そうか、損な性格だな」
男はそこまで言った後に、彼女が身震いするのを見た。
すると彼は、彼女の脇にしゃがみ込み、羽織っていたどこかの軍の外套らしき装飾の上着の、ポケットをあさった。
そこから、手のひらの中に納まるような小箱が現れる。
小箱は長方形の形をしていて、側面の色が箱の上部とは大きく違う。その部分に別の紙か何かを張っている様子だ。
彼はその小さな箱の尻を押す。そうすると、中箱と思われるものが押し出される。
どうやらその箱は、箱を別の、頭と尻のない箱でくるんだ物だったらしい。
そしてその箱の中には、大きさをそろえて削り出したらしき、小枝が何本も入っていた。
「この小枝の頭の着色は、何なのでしょう」
「お前は燐寸も知らないのか」
彼はそう呟きながら、小枝の一つをつまむと、小枝の頭の着色された部分を、箱の色の違う側面に素早く擦り合わせた。
ぼうっと、一瞬で火がともる。
「まあ……」
彼はその火のついた小枝を、彼女が作った燃えさし用の細かな物に放り込み、手際よい薪をくみ上げてしまった。
「まっち、というのは、聞いた事がありますのよ。数百年前までとても流行っていた魔王の国の特産品で、魔王の国との交流がなくなった今、人間の暮らす地域ではとても高級な品だとも」
「実物を見た事はないのか」
「私の身分で、それを持ち歩く事も、買い求める事もありませんもの。支配者に近い権力者くらいしか、今では買い求めませんし……それに、買ってもそう言った階級の人間が、使用する事は生涯ない事から、宝の持ち腐れ、とも言われる品ですのよ」
「……おれの知り合いたちは、普通に使うが」
「お金持ちなんですねえ……」
火がともり、指先に徐々に熱が戻って来る。火の温かさが泣けてくるほど身に染みて、彼女は浮かんだ涙をそっとぬぐった。冷え切った体に、この炎は心底温かかった。
指と手のひらをまんべんなくこすり合わせて、彼女は大きく息を吐きだした。
彼はその、彼女とはまるで違う肌色の肌に、白い包帯を巻いた姿を隠す事なく、同じように炎を見つめる。
「……おれは周りからはイオ、と呼ばれている。あんたは何と呼ばれている」
彼、イオは彼女の方を見る事無く言う。ここにいるのは二人だけであるため、彼女に問いかけているのは明らかだ。
「わたくしですか、わたくしは……」
女王の妹は、自分が国では妹姫様とばかり呼ばれていて、名前で呼ばれた事が数回しかない事に苦笑いをした。
そして、婚約者と暮らしたあの町で呼ばれていた名前が、一番呼ばれた名前かもしれない、とも思った。
呼ばれて思い出すのは、優しく温かかった、戻りたくとも戻れない日々の事だ。
彼女はそれを教えて、自分が苦しまない自信がなかった。
「……色々ありまして、あなたにきちんと呼ばれていいような物はないのです」
「じゃあ呼ばれたい名前を言え」
「え……」
「呼びかけるのに、あんたとばかり呼ぶのは礼儀に反するだろう」
彼の口ぶりから、彼がそれを当然として育ってきた事がうかがえた。
彼女は、呼ばれたい名前と言う物を考え、答えた。
「パルミラ、ではいけませんか」
「お前がそう呼ばれたいのなら」
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