人魚の国

ちょこチョコ

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理想の島

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朝、8時に起きて家を出る。灯台の下にある磯部で岩にもたれかかって彼女は寝ている。起こすことはしない。うるさいだけだ
 全くもってなんでこんなとこになってしまったのだろう。自分の好奇心を恨む

「はぁ…起きる前にやっちゃっお」

私は持ってきたスケッチブックを開いて空白のページに筆を入れる。美術の課題だ。風景画を描いてくる。美術は嫌いじゃないから、外に出るついでにやろうと思っていたが、やっぱりこの島は美しい。なんて綺麗なんだろう

「~♪~♪」

鼻歌交じりで筆を走らせていく、我ながらに順調に描けていると思う。空の色と海の色がはっきりと分かるような絵の具があればいいんだけどな…青と白の絵の具、家にあったかな…なかったらヒナにでも借りよう

「なに?その歌?随分と汚いのね。」

いつの間にか起きていた。あーあ、楽しい時間はおわりだ。寝起きの彼女は不機嫌極まりない

「おはようございます、セピアさん」
「あんたに名前呼ばれたくないわ。」
「じゃあ、なんてお呼びしたら…」
「呼ばなくていい。それだけのことでしょ?」

笑顔でこういうことを言ってくるから怖い。ただ、唯一の救いは彼女はお昼頃になると餌を取りに海に潜ってくることだ。彼女曰く、

「いい?私は太陽が最も高い時と茜色に変わる時に海に潜るわ。食事の時間なの。食事は海の中で取るわ。あなた、どうやら海の中は見えないみたいだし」

女性たるもの、食事を他人に見せるのはバッドマナーらしい。

「ところであなたさっきから何をしているの?」
「絵を描いているんです。絵って分かりますか?」
「分からないわ、分かりたくもないけど。目に見えるものをその白いものに表すのね?」

どうやら、紙というものも知らないらしい。なんだか勝った気分だ。

「はい、これは紙と言ってこれは筆です。筆で紙に目に映る景色を描くんです。やってみますか?」

筆をセピアの方に回すが彼女は嫌悪する

「嫌よ、あなたが触ったものなんて汚いでしょ?新しいのを頂戴?」

またこれだ。彼女は人間が(まぁ、私しかいないのだけど)触れた物には絶対に触れない。もし触れるとしても海水やらなんやらで洗い流してから使う。さっき、寝そべっていた磯部も一通り、海水をかけている

「分かりました…では、取ってくるので待っていてください。」
「なんで?あなたはここを見張るのが仕事でしょ?なぜどこかに行こうとするの?」

そろそろ沸点を超えそうだ。なんなんだこの人魚は。理不尽にも程がある

「じゃあ、どうしろっていうんですか?」

若干、言い方が強まってしまった気がするが嫌われたならラッキーだ

「んーそうね、じゃあいいわ。ちょっと間ならここを離れてもいいことにしてあげる。ただ、それはまだね。太陽が最も高い時まで待ってなさい」

ようは、昼食の時になったら急いで取って来いということか。確かにいい案だけど、もちろん私の意見は1つも通らない。そんなこと分かってるから、最早言わないことにしたのだ

「分かりました…」

──────────────────────

昼になり、セピアが海に潜ると同時に私も家に帰った。昼食をとって、筆を持って…何かに包んでいった方がいいか。それと、ついでに絵の具も持っていこう。水色と白は意外とあったから良かった
戻ってきても、セピアはまだ来ていなかった。一安心だ。これで先にいたら…いや、考えるのはやめよう。

「あら、早かったわね。筆とやらを頂戴?」

ハンカチに包んだ筆をセピアに渡す

「気が利くじゃない?珍しく高得点よ」

何目線なのだろう。セピアはその鋭利な爪でどうやって筆を持つのか不安だった。これで持てなくてまた何か言われたらどうすればいいんだ。

「ふん、紙…でしたっけ?それを頂戴」

何か言われたら…何か言われたら…ん?いま、なんて言った?

「ほら、早く頂戴」

私は急いでスケッチブックの紙をちぎって渡す。
 そこで気付いた。受け取った左手は爪がない。なんで?右手にはあんなに鋭い爪があるのに、あのギザギザした鋭利な武器はどこへ消えてまったのだろう

「随分薄いのね。濡れやすいかしら、」

セピアは手を握って、開いて、横に振って、水を飛ばす。水をはじいて筆を動かしている手は爪が整えられ、その見た目は完全に人間の手だった。華奢な指先を器用に使って筆を動かしていく

「あの…」
「なに?」
「なんで、爪がないんですか?」
「…別になんでもいいでしょ」

なにか、悪いことを聞いてしまった。もしかしたら、人魚には人魚の悩みがあるのかもしれない。失礼だったなと反省する。
もしかしたら、私の爪を見て、削らないと筆が使えないからだと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。その反抗的な目がそれを物語っていた

「ほら、出来たわよ」

早くないか。まだ5分ぐらいしか経っていないけど…。
 見ると、言葉を失った。目を疑った。筆での下描きだから色こそついていないがその紙にはほぼ写真を撮ったように私と同じ風景画が描かれていた。これを提出すればまず間違いなく最優秀賞だろう

「え、これ……」
「こっちの手はあまり使わないなら少しズレてしまったけど、まぁ楽しかったわ。「絵」また気が向いたらやらせてちょうだい」

まさかの新事実だ。どうやら利き手じゃないらしい。いや、冷静に考えれば狩りをするのが利き手なのは当たり前か。それにしても、開いた口が塞がらない、とはこのことだろう。人魚の美的センスを目に見えて体験出来た
ともかく、今日は満足してくれたみたいでよかった。後でうるさく言われたら面倒だったからだ。さぁ、私も始めよう。そう思い、自分の風景画に色をつけていった

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