30 / 83
§ 目に見えるものがすべて、ではない。
04
しおりを挟む
「ところで、藤本さん」
「はい? 何でしょう?」
「藤本さんは、法人化を考えたことはない?」
「えっ? 法人化……ですか?」
「うん。この間そういう話が出たものだから、機会があったら訊いてみようと思ってたんだ。時々、出るんだよ、この話。藤本さんのところ、法人化したらもっと仕事の幅が広がって成長できるだろうし、ウチとしても今以上に仕事を回しやすくなるから、どうなんだろうねって社長が」
なんだ、仕事の話か、と、少しがっかりした自分がいる。
それにしても法人化とは。確かに今までまったく考えたことがないわけではないし、いずれは考えなければいけないであろうことは理解しているつもりだ。
ただ、私たちはまだ独立して一年足らず。ようやく最近仕事と生活のペースがつかめ、落ち着いてきたところで、先のことを考える余裕はまだあるとは言えない。
法人化ともなれば、それに伴い三人それぞれの立場や責任の範囲をどうするか等々、考えなければならないこと、しなければならないことがたくさんある。
また、今のまま各自のペースで仕事を続けるわけにもいかなくなるだろう。それに、私は別としても所詮、女三人の城だ。弥生さんや晶ちゃんには、それぞれの生活がある。
今後、晶ちゃんにも、結婚、出産等、人生の重要イベントも起こり得るだろう。弥生さんだって同じ。この先、いつまで三人で仕事を続けられるかどうかすらわからない不安定さがあることは否定できない。
しかし、いくら今まで山内さんと社長さんに懇意にしてもらっているとはいえ、一言で言えば先のことはまだどうなるかわかりませんと言っているのと同じこの現状と考えを、そのまま正直に取引先である彼に話すわけにはいかないだろう。ここはやはりお茶を濁すしかない。
「私たちは独立したばかりですし、そこまではまだ……」
「そろそろ一年か……。やっぱりそうだよね。独立前は色々あったし、やっと落ち着いてきたってところだもんねぇ。僕もそうは言ってるんだけど、ウチの社長がねぇ……」
「……はい」
「ああ、ごめん。そんな……難しい顔して考え込まないでよ。別に、今日、この話しするために食事に誘ったわけじゃないんだから」
「あ、はい、いえ……」
「あはは。駄目だね。プライベートのときくらい仕事から離れないと。やっと藤本さんを食事に誘えたっていうのに……」
「あはは。私もそうです。良くないとは思いつつ、常に頭の中仕事でいっぱいで、なんでも仕事に結びつけて考えちゃうし、結局プライベートなんて有って無いような……」
「そうなんだよね。これじゃ駄目だってわかってはいるんだけど、ついね。でも、時々、ものすごく嫌気がさして、叫びたくなるときがあるよ」
「え? 叫ぶんですか?」
「いや、実際には叫ばないよ? そんなことしたらヤバイ人になっちゃうでしょう? だから、そういうときは、突発的に旅に出るわけ。ある種の現実逃避だね」
「あーわかります。現実逃避。私も、旅には出ませんけど、ケーキバイキング行って全種類制覇したり、衝動買いしまくったりしちゃいます」
「あはは。ケーキバイキングに衝動買いか。藤本さんは、やっぱり女の子なんだね」
「こう見えても一応性別は女なんで。あ、でも、お酒もありですよ。もうやってられなくて潰れるまで飲むこともあります」
「それ自棄酒? ごめん……ウチが無理させてるからだよね」
「いいえ、そんな違います! そういうわけじゃなくて……」
「いいよ、大丈夫。ちゃんと自覚してるから。じゃあ、今度はいつも無理させちゃってるお詫びがてら、自棄酒のお相手もさせていただこうかな」
「そんな……」
「冗談。飲みに行こうって誘ってるだけだよ。 藤本さんとはもう長い付き合いだけど、ずっと仕事だけだったからね。機会があればこうやって個人的に……友だちになりたいと思ってたんだけど、駄目かな?」
「…………」
目尻を少し下げて悪戯っぽい顔で笑う彼に、私は返事をするのも忘れ見とれてしまった。
それから私たちは、とりとめのないお喋りをした。尤も、私は専ら聞き役だったが。
山内さんは、去年の夏に行った旅の写真を見せてくれた。山頂に位置するホテルから湖を見下ろす美しい景色。海に広がる幻想的な雲海。青く澄んだ空、ブルーがかった緑。小さな携帯の画面で見るのではなく、本物の自然の中に立ち深呼吸したら、さぞ、気持ち良いだろう。私もいつか行ってみたい。
「はい? 何でしょう?」
「藤本さんは、法人化を考えたことはない?」
「えっ? 法人化……ですか?」
「うん。この間そういう話が出たものだから、機会があったら訊いてみようと思ってたんだ。時々、出るんだよ、この話。藤本さんのところ、法人化したらもっと仕事の幅が広がって成長できるだろうし、ウチとしても今以上に仕事を回しやすくなるから、どうなんだろうねって社長が」
なんだ、仕事の話か、と、少しがっかりした自分がいる。
それにしても法人化とは。確かに今までまったく考えたことがないわけではないし、いずれは考えなければいけないであろうことは理解しているつもりだ。
ただ、私たちはまだ独立して一年足らず。ようやく最近仕事と生活のペースがつかめ、落ち着いてきたところで、先のことを考える余裕はまだあるとは言えない。
法人化ともなれば、それに伴い三人それぞれの立場や責任の範囲をどうするか等々、考えなければならないこと、しなければならないことがたくさんある。
また、今のまま各自のペースで仕事を続けるわけにもいかなくなるだろう。それに、私は別としても所詮、女三人の城だ。弥生さんや晶ちゃんには、それぞれの生活がある。
今後、晶ちゃんにも、結婚、出産等、人生の重要イベントも起こり得るだろう。弥生さんだって同じ。この先、いつまで三人で仕事を続けられるかどうかすらわからない不安定さがあることは否定できない。
しかし、いくら今まで山内さんと社長さんに懇意にしてもらっているとはいえ、一言で言えば先のことはまだどうなるかわかりませんと言っているのと同じこの現状と考えを、そのまま正直に取引先である彼に話すわけにはいかないだろう。ここはやはりお茶を濁すしかない。
「私たちは独立したばかりですし、そこまではまだ……」
「そろそろ一年か……。やっぱりそうだよね。独立前は色々あったし、やっと落ち着いてきたってところだもんねぇ。僕もそうは言ってるんだけど、ウチの社長がねぇ……」
「……はい」
「ああ、ごめん。そんな……難しい顔して考え込まないでよ。別に、今日、この話しするために食事に誘ったわけじゃないんだから」
「あ、はい、いえ……」
「あはは。駄目だね。プライベートのときくらい仕事から離れないと。やっと藤本さんを食事に誘えたっていうのに……」
「あはは。私もそうです。良くないとは思いつつ、常に頭の中仕事でいっぱいで、なんでも仕事に結びつけて考えちゃうし、結局プライベートなんて有って無いような……」
「そうなんだよね。これじゃ駄目だってわかってはいるんだけど、ついね。でも、時々、ものすごく嫌気がさして、叫びたくなるときがあるよ」
「え? 叫ぶんですか?」
「いや、実際には叫ばないよ? そんなことしたらヤバイ人になっちゃうでしょう? だから、そういうときは、突発的に旅に出るわけ。ある種の現実逃避だね」
「あーわかります。現実逃避。私も、旅には出ませんけど、ケーキバイキング行って全種類制覇したり、衝動買いしまくったりしちゃいます」
「あはは。ケーキバイキングに衝動買いか。藤本さんは、やっぱり女の子なんだね」
「こう見えても一応性別は女なんで。あ、でも、お酒もありですよ。もうやってられなくて潰れるまで飲むこともあります」
「それ自棄酒? ごめん……ウチが無理させてるからだよね」
「いいえ、そんな違います! そういうわけじゃなくて……」
「いいよ、大丈夫。ちゃんと自覚してるから。じゃあ、今度はいつも無理させちゃってるお詫びがてら、自棄酒のお相手もさせていただこうかな」
「そんな……」
「冗談。飲みに行こうって誘ってるだけだよ。 藤本さんとはもう長い付き合いだけど、ずっと仕事だけだったからね。機会があればこうやって個人的に……友だちになりたいと思ってたんだけど、駄目かな?」
「…………」
目尻を少し下げて悪戯っぽい顔で笑う彼に、私は返事をするのも忘れ見とれてしまった。
それから私たちは、とりとめのないお喋りをした。尤も、私は専ら聞き役だったが。
山内さんは、去年の夏に行った旅の写真を見せてくれた。山頂に位置するホテルから湖を見下ろす美しい景色。海に広がる幻想的な雲海。青く澄んだ空、ブルーがかった緑。小さな携帯の画面で見るのではなく、本物の自然の中に立ち深呼吸したら、さぞ、気持ち良いだろう。私もいつか行ってみたい。
0
お気に入りに追加
381
あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
アンコール マリアージュ
葉月 まい
恋愛
理想の恋って、ありますか?
ファーストキスは、どんな場所で?
プロポーズのシチュエーションは?
ウェディングドレスはどんなものを?
誰よりも理想を思い描き、
いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、
ある日いきなり全てを奪われてしまい…
そこから始まる恋の行方とは?
そして本当の恋とはいったい?
古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。
━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━
恋に恋する純情な真菜は、
会ったばかりの見ず知らずの相手と
結婚式を挙げるはめに…
夢に描いていたファーストキス
人生でたった一度の結婚式
憧れていたウェディングドレス
全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に
果たして本当の恋はやってくるのか?


腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司

シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる