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§ 魯肉飯
紅線の四
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松山空港駅でドアが開いた途端、曉慧を先頭にわたしたちはまた走り出した。エスカレーター待ちの行列に並ぶのももどかしく階段を駆け上がり、人波をかき分け二階の国際線搭乗口へと急ぐ。
「あーもうダメ。無理。疲れた」
搭乗口前に着いたところで、アマンダがヘナヘナとその場へ座り込んだ。
こんなところで座らないでよ、体力ないわね、と、口々に呆れた声を浴びせるが、わたしと曉慧だってすっかり息が上がっている。
荒い呼吸を繰り返しながら顔を見合わせ、どちらともなく苦笑いしてしまった。
周囲を見渡せば、電話中のビジネスマンふう男性や、若いカップル。家族旅行らしき集団のなかには、飛行機の玩具を手にくるくると走り回る男の子。傍らでは女の子が大泣きしている——兄妹かな。
このフロアの見渡せる範囲に、篠塚さんの姿はない。保安検査へ向かう行列のなかにも、彼の姿は見えなかった。
「いないね? もうなかに入っちゃったのかな?」
「十二時過ぎたもんね……」
「どうする?」
「とりあえず、探してみようよ。どこかで休憩しているかも知れないし」
「そうだね、探そう。曉慧はすれ違ったら困るからここにいて。アマンダ、手分けしよう。わたし、階段から下探してくる」
「じゃあ、あたしはこの階、ぐるっと見てからエレベーターで下りるわ」
「右回り」
「了解。あたしは左回りね」
曉慧をその場に残し、篠塚さんを探しつつ階段を駆け下りた。
すれ違う人、チェックインカウンターに並ぶ人。キョロキョロと顔を確認しながら走る。篠塚さんに似たうしろ姿を見かけては追いかけ、近寄って顔を覗き込み、時折すれ違うアマンダとも短く言葉を交わす。
このなかのどこかに篠塚さんがいてくれたら。祈るような気持ちで探し回った。
手に握り締めた携帯電話を確認すれば、時刻はもう十二時半近い。曉慧もひとりで不安だろうから急いで戻ろう、と、これ以上の捜索を断念し、二階への階段を駆け上がった。
階段を上りきったところで、もう一度周囲を見回す。やはり、間に合わなかったか。
気落ちしているであろう曉慧はまた、縁がなかったのだから諦めると言いだすかも知れない。せっかくその気にさせたのに、これで終わりなんて悲しすぎる。彼女を慰め、いかにして背中を押すか。
「難問だな……」
ぼそっと独り言ち、進む先に見つけた姿に思わず目を疑った。
視線の先、五、六メートル向こうにあったのは、願ってもないふたりの姿。
まるで女の子のような——いや、ホンモノの女の子ではあるのだが。あんなにかわいらしい曉慧の笑顔ははじめて見た。
曉慧の腰に軽く腕を回している篠塚さんの目尻を下げた笑顔も。
あんな顔するんだ。
走り回った疲れも忘れ、しばし呆然と、ふたりの様子に見惚れた。
「しゃおりーん! ダメだった、どこにもいないよー」
背後で嘆くその声とともに、両肩がずっしりと重くなった。
電話を掛けてみたけれどやっぱり繋がらないどうしよう、と、荒い息のアマンダが、さらに体重を預けてくる。なんとか踏ん張ってはいるが、ひっくり返りそうだ。
「重いよ」
ギブアップと肩に乗せられている手を叩けば、アマンダは「どうしよう」と、項にグリグリ頭を押しつけてくる。
「ほら、アマンダ。あそこ!」
指差し、顎で示して、やっとアマンダが顔を上げてくれた。
「え? あ? ああっ?」
「しっ! 声が大きい」
「あ、ごめん」
声を落としたアマンダが、わたしの耳元で囁いた。
「なんか、うまくいったっぽい、ね?」
「うん。そうみたい」
ふたりの姿から目が離せない。アマンダが「いいなあ、幸せそうだね」と、笑う。
「ねえ、なにを話してるのかな?」
「さあ?」
曉慧と篠塚さんは、わたしたちの存在に気づきもせず、ふたりの世界に入り込んでいる。
雑踏のなか、この距離では、顔を寄せ合うふたりの会話までは聞こえない。
「いいなぁ。あたしも彼氏ほしー」
「うん」
アマンダとコソコソ話をしながら、幸せそうなふたりを鑑賞しているうち、ふと、違和感を感じる。
なんだろう、と、上から下まで眺め、うっかり「あっ」と、声を上げそうになった。
あれはまさか——紅線?
錯覚ではない。ふたりの足首に巻きつき繋がる、一本の紅い糸がはっきりと見える。
「……月老」
「え? 月老?」
口を突いて出た呟きに、美形好きアマンダがすかさず反応した。
「え? ああ、月老にお参りしたかいがあったなぁって」
このごまかしは、アマンダにでも十分通用するだろう。
「うん。あんなに何度もお願いしといてホントに諦めちゃったらそれこそ罰が当たるわ」
「あはは。そうだよね」
アマンダは、正しい。顔を見合わせ、笑った。
ふたりのこれからは、まだまだ平坦とは言えないのだろう。しかし、辛いことばかりではない。ふたりで乗り越えるからこそ得られる幸せも、きっとたくさんある。
彼らは、もう大丈夫だ。
「あーもうダメ。無理。疲れた」
搭乗口前に着いたところで、アマンダがヘナヘナとその場へ座り込んだ。
こんなところで座らないでよ、体力ないわね、と、口々に呆れた声を浴びせるが、わたしと曉慧だってすっかり息が上がっている。
荒い呼吸を繰り返しながら顔を見合わせ、どちらともなく苦笑いしてしまった。
周囲を見渡せば、電話中のビジネスマンふう男性や、若いカップル。家族旅行らしき集団のなかには、飛行機の玩具を手にくるくると走り回る男の子。傍らでは女の子が大泣きしている——兄妹かな。
このフロアの見渡せる範囲に、篠塚さんの姿はない。保安検査へ向かう行列のなかにも、彼の姿は見えなかった。
「いないね? もうなかに入っちゃったのかな?」
「十二時過ぎたもんね……」
「どうする?」
「とりあえず、探してみようよ。どこかで休憩しているかも知れないし」
「そうだね、探そう。曉慧はすれ違ったら困るからここにいて。アマンダ、手分けしよう。わたし、階段から下探してくる」
「じゃあ、あたしはこの階、ぐるっと見てからエレベーターで下りるわ」
「右回り」
「了解。あたしは左回りね」
曉慧をその場に残し、篠塚さんを探しつつ階段を駆け下りた。
すれ違う人、チェックインカウンターに並ぶ人。キョロキョロと顔を確認しながら走る。篠塚さんに似たうしろ姿を見かけては追いかけ、近寄って顔を覗き込み、時折すれ違うアマンダとも短く言葉を交わす。
このなかのどこかに篠塚さんがいてくれたら。祈るような気持ちで探し回った。
手に握り締めた携帯電話を確認すれば、時刻はもう十二時半近い。曉慧もひとりで不安だろうから急いで戻ろう、と、これ以上の捜索を断念し、二階への階段を駆け上がった。
階段を上りきったところで、もう一度周囲を見回す。やはり、間に合わなかったか。
気落ちしているであろう曉慧はまた、縁がなかったのだから諦めると言いだすかも知れない。せっかくその気にさせたのに、これで終わりなんて悲しすぎる。彼女を慰め、いかにして背中を押すか。
「難問だな……」
ぼそっと独り言ち、進む先に見つけた姿に思わず目を疑った。
視線の先、五、六メートル向こうにあったのは、願ってもないふたりの姿。
まるで女の子のような——いや、ホンモノの女の子ではあるのだが。あんなにかわいらしい曉慧の笑顔ははじめて見た。
曉慧の腰に軽く腕を回している篠塚さんの目尻を下げた笑顔も。
あんな顔するんだ。
走り回った疲れも忘れ、しばし呆然と、ふたりの様子に見惚れた。
「しゃおりーん! ダメだった、どこにもいないよー」
背後で嘆くその声とともに、両肩がずっしりと重くなった。
電話を掛けてみたけれどやっぱり繋がらないどうしよう、と、荒い息のアマンダが、さらに体重を預けてくる。なんとか踏ん張ってはいるが、ひっくり返りそうだ。
「重いよ」
ギブアップと肩に乗せられている手を叩けば、アマンダは「どうしよう」と、項にグリグリ頭を押しつけてくる。
「ほら、アマンダ。あそこ!」
指差し、顎で示して、やっとアマンダが顔を上げてくれた。
「え? あ? ああっ?」
「しっ! 声が大きい」
「あ、ごめん」
声を落としたアマンダが、わたしの耳元で囁いた。
「なんか、うまくいったっぽい、ね?」
「うん。そうみたい」
ふたりの姿から目が離せない。アマンダが「いいなあ、幸せそうだね」と、笑う。
「ねえ、なにを話してるのかな?」
「さあ?」
曉慧と篠塚さんは、わたしたちの存在に気づきもせず、ふたりの世界に入り込んでいる。
雑踏のなか、この距離では、顔を寄せ合うふたりの会話までは聞こえない。
「いいなぁ。あたしも彼氏ほしー」
「うん」
アマンダとコソコソ話をしながら、幸せそうなふたりを鑑賞しているうち、ふと、違和感を感じる。
なんだろう、と、上から下まで眺め、うっかり「あっ」と、声を上げそうになった。
あれはまさか——紅線?
錯覚ではない。ふたりの足首に巻きつき繋がる、一本の紅い糸がはっきりと見える。
「……月老」
「え? 月老?」
口を突いて出た呟きに、美形好きアマンダがすかさず反応した。
「え? ああ、月老にお参りしたかいがあったなぁって」
このごまかしは、アマンダにでも十分通用するだろう。
「うん。あんなに何度もお願いしといてホントに諦めちゃったらそれこそ罰が当たるわ」
「あはは。そうだよね」
アマンダは、正しい。顔を見合わせ、笑った。
ふたりのこれからは、まだまだ平坦とは言えないのだろう。しかし、辛いことばかりではない。ふたりで乗り越えるからこそ得られる幸せも、きっとたくさんある。
彼らは、もう大丈夫だ。
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