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わたしにはわたしの考えがある。
捌
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百均で仕入れた食器や保存容器は、専務が書斎から探し出してくれたマニュアル片手に食洗機へ。調味料や食材は冷蔵庫やキッチンキャビネットへ収め、すぐに使う予定のない肉や魚は下拵えをし小分けにして冷凍と、ダイニングテーブルいっぱいの戦利品を、サクサクと処理していく。
専務も冷蔵庫に野菜を収めたり、食器棚を片付けたり、猫の手よりは働いてくれたが、まったくなにもないところから一般的なふたり暮らし可能な状態にまでする作業は、並大抵の量ではなく、作業がある程度落ち着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。
「お疲れになったでしょう? コーヒー淹れますね」
なにが気になるのか、冷蔵庫の扉をパタパタ開け閉めしている専務に声をかける。
「いや、俺は大丈夫。相沢こそ疲れたろう? コーヒーはいいよ、俺が入れるから座って休んでて」
そう言いつつもやはり、冷蔵庫の中身が気になるようで、閉めては開けて中を覗き込んでいる。
「そんなに開けたり閉めたりしてたら、冷気が逃げちゃいますよ」
「あ、そうだね。ごめん」
「どうしたんですか? なにか気になるものでもありますか?」
専務の後ろから手を伸ばし、冷蔵庫の扉をパタンと閉めた。
「いや、そうじゃないんだけど。なんかさ、家庭って感じがするなって」
言われてみればそうかも知れない。水とアイスクリームのみだった冷蔵庫には食材が詰められ、コンロの周辺には調味料が並び、カウンタートップには洗いカゴや調理器具が置いてある。
ほんの今朝までほぼ未使用新品同様のキッチンが、生活感たっぷりの空間へと変貌を遂げているのだ。
「申し訳ありません。わたし、勝手なことをしてご迷惑を……」
専務は生活感のない空間での暮らしを愉しんでいたのかも知れない。
そこに思い当たったわたしは、自分のライフスタイルを持ち込むべきではなかったのではないか、と、少しだけ申し訳なく思った。
「いや、違うよ。俺が言いたかったのは、家庭って感じがしていいな、ってこと。俺の育った家——実家だけど、食事は料理人が作るし、身の回りのことは女中がしてくれるわけ。祖父母も両親も忙しいひとだったし、うちの使用人はみんな好い人でよくしてくれたから世話されるのが嫌だったわけじゃなかったけど、お母さんがオムライスにケチャップで名前を書いてくれたとか、お母さんの作るカレーがおいしいとかね、学校で友だちに聞かされるとさ、やっぱり子どもだから憧れるのよ」
「専務……」
「だからさ、相沢が来てくれてよかった。ありがとう」
いつのまにやら抱き寄せられ、専務の腕の中に閉じ込められている。
わたしの唇を啄み額を寄せて微笑む専務の瞳に映る自分の顔をぼーっと眺めながらわたしは、情けなくもぐらぐらと揺れている自分の心に気づいてしまった。
「……コーヒーはあとにして、夕飯、作り出しましょうか?」
「うん。そうだね。手伝うよ」
まずい。完璧に絆されているな、わたし。
専務も冷蔵庫に野菜を収めたり、食器棚を片付けたり、猫の手よりは働いてくれたが、まったくなにもないところから一般的なふたり暮らし可能な状態にまでする作業は、並大抵の量ではなく、作業がある程度落ち着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。
「お疲れになったでしょう? コーヒー淹れますね」
なにが気になるのか、冷蔵庫の扉をパタパタ開け閉めしている専務に声をかける。
「いや、俺は大丈夫。相沢こそ疲れたろう? コーヒーはいいよ、俺が入れるから座って休んでて」
そう言いつつもやはり、冷蔵庫の中身が気になるようで、閉めては開けて中を覗き込んでいる。
「そんなに開けたり閉めたりしてたら、冷気が逃げちゃいますよ」
「あ、そうだね。ごめん」
「どうしたんですか? なにか気になるものでもありますか?」
専務の後ろから手を伸ばし、冷蔵庫の扉をパタンと閉めた。
「いや、そうじゃないんだけど。なんかさ、家庭って感じがするなって」
言われてみればそうかも知れない。水とアイスクリームのみだった冷蔵庫には食材が詰められ、コンロの周辺には調味料が並び、カウンタートップには洗いカゴや調理器具が置いてある。
ほんの今朝までほぼ未使用新品同様のキッチンが、生活感たっぷりの空間へと変貌を遂げているのだ。
「申し訳ありません。わたし、勝手なことをしてご迷惑を……」
専務は生活感のない空間での暮らしを愉しんでいたのかも知れない。
そこに思い当たったわたしは、自分のライフスタイルを持ち込むべきではなかったのではないか、と、少しだけ申し訳なく思った。
「いや、違うよ。俺が言いたかったのは、家庭って感じがしていいな、ってこと。俺の育った家——実家だけど、食事は料理人が作るし、身の回りのことは女中がしてくれるわけ。祖父母も両親も忙しいひとだったし、うちの使用人はみんな好い人でよくしてくれたから世話されるのが嫌だったわけじゃなかったけど、お母さんがオムライスにケチャップで名前を書いてくれたとか、お母さんの作るカレーがおいしいとかね、学校で友だちに聞かされるとさ、やっぱり子どもだから憧れるのよ」
「専務……」
「だからさ、相沢が来てくれてよかった。ありがとう」
いつのまにやら抱き寄せられ、専務の腕の中に閉じ込められている。
わたしの唇を啄み額を寄せて微笑む専務の瞳に映る自分の顔をぼーっと眺めながらわたしは、情けなくもぐらぐらと揺れている自分の心に気づいてしまった。
「……コーヒーはあとにして、夕飯、作り出しましょうか?」
「うん。そうだね。手伝うよ」
まずい。完璧に絆されているな、わたし。
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