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陶器の鎧のパラディン
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目前を覆う鬱蒼とした森が、迫り来る不安を駆り立てているように思えた。
陽が昇った後も、霧が十分に晴れることはない。
そこかしこに生まれる陰影が、何か得体の知れない魔物を生み出してしまいそうでならなかった。
「――チッ、つまんねー。
ゴブリンでも現れねぇかなあ」
少し離れた場所から、不謹慎な悪態を吐く声が聞こえてくる。
セシリアはふと視線だけを動かすと、その声がした方向をチラリと窺った。
するとそこには退屈そうに、地面に転がる石を蹴飛ばす若い騎士見習いの姿がある。
彼女はその振る舞いに眉を顰めると、無言で森へと視線を戻した。
今ほどセシリアの視界に入ったのは、今年二〇歳になる騎士見習いである。
名前をラリー・レオフリックといい、上流貴族の出身だった。
ラリーは騎士見習いではあるものの、彼の実家はこの分隊に所属する七人のメンバーの中で、最も高い階級を持っている。
だが、その四男であるラリーは、騎士としての資質を十分に持っているかどうか、怪しい人物であった。
何しろラリーはこうして持ち場に就いていても、悪態ばかり吐いて、真面目に任務を果たそうとしない。
セシリアが初めて顔を合わせた時も、見下した視線で、年長で位も高い彼女に挨拶一つ返そうとしなかった。
「ラリー、セシリア、こちらへ戻って来てくれ。
どうやらヘルマンたちが帰って来たようだ」
後方の離れた場所から声を掛けられて、セシリアは野太い声の持ち主を振り返った。
それはこの分隊のリーダーである、騎士長のグレンという男の声だ。
歳は四〇前後で口髭を生やしており、中流貴族の出身である。
落ち着いた雰囲気はあるものの、上昇志向が強くて、あまり部下の進言には耳を貸さない。
ただ、ラリーはこのグレン付きの騎士見習いで、グレンが強面なこともあってか、ラリーはグレンの言うことだけはそれなりに聞く。
通常身分の低い騎士に、身分の高い騎士見習いが付くことはないが、ラリーの実家が彼の扱いに困って、敢えて中流貴族の下につけた――というのが、もっぱらの噂だ。
「やっと戻ってきたのか!
もう、つまらねー見張りなんか懲り懲りだ!!」
ラリーの吐き捨てた言葉を聞いて、グレンの後方に控えたローブを着た男性が笑みを浮かべた。
彼は治癒術士のハンスといって、この分隊で唯一の魔法使いである。
魔法使いと言っても、騎士団から支給された治癒魔法が付与された触媒を扱う、いわば衛生兵のような役割だ。
短髪で目が細くて、身体は大きいものの、表情からして臆病な性格だと思われた。
そのせいか、普段は作り笑いばかり見せて、殆ど喋ろうとしない。
恐らく歳は三〇歳ぐらいで、見た目だけだと虐められっ子が、そのまま大人になってしまったような風貌に見える。
とはいえ、彼が扱う治癒魔法の触媒は、この分隊の騎士たちにとってはかけがえのないものだった。
何しろ怪我人が出てしまったら、治療魔法の触媒を扱えるのは、彼一人しかいない。
セシリアがラリーと共に、グレンたちのいる方へと向かうと、直後に遠くからガチャガチャと鎧の擦れ合う音が聞こえてきた。
どうやら騎士長のグレンが言った通り、偵察に出ていた三人が戻ってきたようである――。
あの日、カイと別れたセシリアは、遠征軍と共に東方国境へと向かった。
遠征軍は東方国境全域に展開し、そこでいくつもの分隊に分かれて、治安維持活動を行うのである。
具体的には一〇名以下に分けられた分隊が、周辺に蔓延った蛮族や盗賊の掃討を行うのだ。
セシリアが所属する騎士長グレンの分隊も、そうした国境周辺の蛮族を掃討するための部隊の一つだった。
そして、そのグレンたちは、遠征軍の本隊からしばらく離れて、問題を抱える集落の一つへ向かう道の途上である。
彼らは集落へ続く街道の半ばまで来ると、集落には入らずに仮の拠点を作った。
というのも、彼らが向かおうとしている集落周辺で、複数のゴブリンが目撃されたという情報があったからだ。
そこで彼らは三名の騎士を先に偵察に出して、集落周辺の状況を探っていたのである。
セシリアが仮の拠点に戻ってくると、間もなく偵察に出ていた三人の騎士たちが、同じように戻って来た。
集落への道は馬が使えないこともあって、偵察は徒歩で行っている。
彼らは拠点に到着すると、深い疲労度を見せるように、一斉にふぅと大きな息を吐き出した。
「ふぅ――隊長、戻りましたぜ」
「ご苦労だったな、ヘルマン」
隊長のグレンに声を掛けられた騎士は、唇の端を曲げてニヤリと笑った。
直後、彼の視線がセシリアの方へ向いたのがわかる。
セシリアはその視線に、如実に表情を堅くした。
このヘルマンという騎士は初対面の時に、ねめつく様な視線を投げ掛けてきた男だ。
せせら笑いが板に付いた三〇歳ぐらいの騎士で、どう見ても好色そうな雰囲気を醸し出している。
隊長のグレンの命令には忠実なように見えるが、色々な意味で注意が必要な相手だった。
「やっぱりゴブリンの巣がありましたよ、隊長。
それも集落からかなり近いので、確実に掃討する必要がありそうです」
少し興奮した様子で、ヘルマンと共に偵察に出ていた騎士見習いが言った。
こちらはクラトスという名前の、ヘルマン付きの腰巾着のような男である。
お調子者で、いつもヘルマンの周りをウロウロと取り巻いて歩いていた。
この男もセシリアの存在が気になるのか、チラチラと彼女を覗き見ていることがある。
「セシリア、こっちに異常はなかったかい?」
「ええ、大丈夫だったわ」
セシリアはそう答えると、最後に質問した騎士に向かって、朗らかな笑みを浮かべた。
彼がここにいることはセシリアにとって、心安まる出来事である。
というのも、分隊最後の七人目の騎士は――彼女が良く知る空色の髪の青年、ヨシュアだったからだ。
騎士長のグレンは全員が集まったのを確認すると、改めて偵察に出ていた三人に尋ねた。
「街道経由でゴブリンの巣を攻略した場合、ヤツらに気づかれる可能性はどれくらいある?」
「気づかれずに近づくのは無理でしょうね」
むしろ気づかれない訳がないとでも言うように、グレンの問いにヘルマンが即答する。
グレンはヘルマンの顔を不快そうに見ると、すぐに別の選択肢を提示した。
「だとすると我々は一度集落に入ってから、巣の退治に向かう必要があるということだ。
早速私が集落の代表に事情を話し、集落経由でゴブリン退治に向かう許可を貰うことにしよう。
では、この拠点を引き払い次第、集落の方へと移動する。
私が集落で交渉している間は、全員集落に入らずに門の外で待機しておくように」
騎士長であるグレンの判断は早く、指示は的確なものに思えた。
だが、そのグレンの振るまいも、いざ戦いになればどうなるだろうか?
危機が迫った状況においても、即座に適切な判断が下せるのだろうか――?
セシリアはカイが語ったルサリアの悲劇を思い返しながら、その疑問を浮かべずにはいられなかった。
セシリアたちは指示通りに仮の拠点を撤収すると、グレンを先頭にして、集落へと向かった。
街道を歩く間は近くに潜むゴブリンを刺激しないよう、声を出さずに息を潜めて進む。
周囲にはカチャカチャという、騎士たちの金属鎧が擦れ合う音だけが、妙に大きく響いていた。
果たして無事に集落へと辿り着くと、そこで騎士たちは一様に、ホッと溜息を吐く。
騎士長のグレンは全員が揃っているのを確認すると、事前の指示通りに、彼一人だけが集落の門を潜って中へと入って行った。
残りセシリアたち六人は、集落の外で待機している。
「――おい、ゴブリンたちが降りて来たぞ」
それはセシリアたちが待機し始めてから、ものの数分が経過したばかりのことだった。
ヘルマンが指さした先には、山手から街道に降りてくるゴブリンたちの姿がある。
その数はかなり多いようで、二〇匹強というところだろうか。
しかも完全に街道にまで降りてきたこともあって、集落前に陣取った騎士たちの姿が丸見えになってしまっている。
「どうします?
このままじゃあ、遅かれ早かれ気づかれて――」
騎士見習いのクラトスが、ゴブリンの様子を見ながら、臆病な声を上げた。
だが彼が言う通り、街道に降りたゴブリンたちは、間もなく騎士の存在に気づいてしまうだろう。
いや、単に気づかれて戦闘になる程度で済めばまだいい。
何しろこの集落の近くには、ゴブリンの巣が存在するのだ。
もし仮に、その巣から大量の仲間を呼ばれでもしたら、騎士たちはもちろん、集落もきっとただでは済まないことだろう。
「ゴブリンはまだ、こちらに気づいていないわ。
今のうちに急いで集落に入るべきよ」
セシリアの主張に対して、即座にヘルマンが反対意見を唱えた。
「我々はグレン隊長から、集落の外で待機するよう命令されているんだぞ。
許可が下りる前に集落に入れば、命令違反として後々問題を生じる」
「でも、それでは気づかれてしまうわ!
気づかれれば結果的に、この集落にゴブリンを引き寄せてしまうことになるのよ。
どう考えても、その方が深刻な事態になる」
すると、セシリアの言葉を聞いていた騎士見習いのラリーが口を差し挟んだ。
「女騎士様はゴブリンが怖いのか?
ゴブリンなんざ、倒しちまえばいいじゃないか」
あからさまな挑発の言葉を聞いて、セシリアはキッとラリーを睨む。
ラリーはむしろその反応を楽しんでいるかのように、ニヤニヤと侮った笑みを浮かべた。
「それこそ、そんな命令は受けていないぞ。
勝手に戦闘を始めるなんて言語道断だ」
ヘルマンがラリーをそうして叱り飛ばすと、ラリーは顔を紅潮させて吐き捨てた。
「何だぁ? 腰抜けの集団かよ!」
「何だと!?
貴様、もう一度言ってみろ!!」
上級貴族出身とはいえ、騎士見習いの聞き捨てならない台詞に、ヘルマンが眉を吊り上げて怒りの表情を浮かべる。
「よせ、声が大きい。
二人ともやめるんだ」
仲間割れの雰囲気を感じたヨシュアが、慌てて二人の間に割って入った。
だが、それでも興奮したラリーの挑発は止まらない。
「何度でも言ってやるさ!
あんたは腰抜けだって言ってるんだよ!
あんたの剣と鎧は飾りか?
ゴブリンごときが怖いなら、そこの女と一緒に尻尾を巻いて逃げればいいんだよ!!」
「貴様っ――!?」
「!?
拙い、気づかれたかもしれない――!!」
ヨシュアの声を聞いて、一旦停戦したヘルマンとラリーは、慌ててゴブリンの方向を振り返った。
高い声の応酬が続いたことで、ゴブリンたちがこちらに視線を向けているのが分かる。
どう見てもそれはゴブリンたちに、自分たちの存在を認知されてしまった状況だった。
「チッ、もう倒すしかないだろッ!!」
そう言い捨てるとラリーは、いち早くゴブリンたちの方向へと駆け出して行く。
そしてゴブリンに向けて雄叫びを上げると、腰に吊した剣をギラリと抜き去った。
「あいつ――!!
クソッ! 仕方ない、全員で掃討するぞ!!」
ヘルマンの挙げた声に、クラトスとヨシュアが相次いで抜剣する。
「セシリアはハンスを守って!」
「わかったわ」
ヨシュアからの指示を聞いたセシリアは、治癒術士のハンスを守りながら、ゴブリンのいる方へと駆け出した。
見れば先行したラリーは、既にゴブリンとの戦闘に入っている。
彼は文字通り剣を無尽に振るって、何匹かのゴブリンを葬り去ったようだ。
そして最後尾のヨシュアがゴブリンの群れに到達する時には、ゴブリンたちの数は半数近くにまで減少している。
「フン、この程度の相手にビビってたのかよ!?」
興奮したラリーが得意気に、ゴブリンを斬り倒しながら叫んだ。
「侮らないで!
侮った時ほど危険があるのよ」
セシリアはハンスに襲い掛かろうとしたゴブリンを、一刀で斬り倒しながら警告を発した。
「ケッ、新人騎士の癖に知ったようなことを言いやがる」
セシリアはその言葉を聞いて、思わずラリーを睨み付けた。
睨む彼女の頭の中には、カイが語った言葉が思い浮かぶ。
――共に戦う騎士たちが、同じ慎重さを持つとは限らない。
確かに、彼の言う通りだと思った。
そしてそれを事前に認識していた筈なのに、無力な自分はその状況に対して、何の対処も出来そうにない――。
「ラリー、ゴブリンを侮らない方がいい。
そこに見えるだけならまだしも、増援が来れば奴らを掃討するのは簡単じゃない」
「――チッ」
珍しくヨシュアが低い声で告げた言葉を聞いて、ラリーは不満そうに舌打ちをした。
ゴブリンの数はもはや残り数匹になっている。
このまま全てのゴブリンを掃討出来れば、危惧すべき状況を何とか脱することが出来るだろう。
騎士たちも小さな擦り傷や引っ掻き傷を負ったものはいるが、重傷を負ったものはいないようだった。
それであればハンスの治癒魔法で、十分に治療することができる。
ただ、ゴブリンの数が多かっただけに、重い鎧を着た騎士たちには、疲労の色が見え始めていた。
変わらず俊敏な動きを見せているのは、ハンスを守っていたセシリアぐらいのものである。
そして、ラリーが不穏な声を上げたのは、何とかこのまま全員無事にゴブリンを倒すことができれば――と、セシリアが密かに安堵した瞬間のことだった。
「――見ろ!
あんなところにまだいやがる!!」
ラリーが街道の外側の茂みに、数匹のゴブリンが隠れているのに気づいたのだ。
「!!
ラリー、ダメだ! そいつは追うな!!」
だが、ラリーはヨシュアの制止を振り切って、見つけた群れに向かって駆け出した。
「ヨシュア、あれは――!!」
「セシリア!
マズいよ、あれは別の群れのゴブリンだ。
あれに手を出したら、恐らく別の群れ全体を引っ張り出すことになってしまう」
その言葉を聞いて、セシリアは思わず絶句した。
疲労が蓄積した騎士たちは、再びゴブリンの群れを丸々掃討することが出来るのだろうか?
身軽な鎧でハンスを守っていた、セシリアはまだいい。
だが、息が上がりつつあるヘルマンやクラトス、そして気負ったラリーはどうなのか。
見れば、ラリーは見つけたゴブリンに追い縋って、斬りかかっている所だった。
彼は一匹、二匹とゴブリンを斬り倒したが、三匹目を取り逃がしてしまう。
直後、逃げ出したゴブリンを守るように、茂みから一〇匹以上のゴブリンがラリーに襲い掛かった。
「ヘルマン! クラトス!!
大変だ、ラリーが――」
ヨシュアに呼ばれたヘルマンは、振り返って、起こっている事態に愕然とした。
「なっ――あの馬鹿!
何てことしやがるんだ!!」
怒りの声を上げながら、残ったゴブリンを叩き斬る。
「ハァハァ――ヘルマン様!
アイツ、ど、どうするんです!?」
クラトスが息切れしながら言った言葉に、ヘルマンが即座に怒りの言葉を返す。
「どうするって、助けるしかないだろッ!!
隊長がいない間に死人なんか出せるか!」
しかし最初の群れのゴブリンも、全てを掃討し終わった訳ではない。
それらも取り逃がしてしまえば、何が引き起こってしまうか判らなくなってしまう。
セシリアは状況を見た上で、冷静な声色でヘルマンに言った。
「わたしがラリーを助ける。
ヘルマンは残りのゴブリンをお願い。クラトスはハンスを守って」
「セシリア、ボクも行くよ」
ヨシュアの申し出に、セシリアが頷いて微笑む。
「判った。セシリア、頼む。
――だが、絶対に無茶はするな」
ヘルマンの端的な言葉に、セシリアは小さく頷いた。
そして即座に身を翻すと、ゴブリンの群れを目標に、一気に駆け出していく。
「――はあ、はあ。
クソッ! 来るなッ!!」
全力で駆け寄ると、ラリーは息を切らせて叫びながら、ゴブリンの群れと渡り合っていた。
だが次々に襲い掛かってくるゴブリンの攻撃は、上手く防ぎきれていない。
金属鎧を着た部分はさすがに無事なようだが、数えるのも難しいぐらいに身体中に傷を負っているようだった。
「ラリー、下がって!」
セシリアが声を上げながら、ゴブリンを一刀で斬り倒す。
直後セシリアは、ゴブリンを二匹、三匹と次々に斬り倒した。
ラリーは相当に疲労しているのか、セシリアの言葉に何も反論せずに下がっていく。
その彼に追い縋るゴブリンを、今度はヨシュアが斬り倒した。
「セシリア、数が増えてる。
これはとてもじゃないけど倒しきれない」
「わかってるわ。
でもこの状態のまま、集落に群れを連れて、逃げ込む訳にはいかないのよ。
わたしがここは支えるから、ヨシュアはラリーと一緒に集落へ!」
「セシリア――無理はしないで」
「フフ、もちろんよ!」
そう言ってセシリアは不敵に笑うと、集落の方へ後退するヨシュアとラリーを見送った。
一匹、二匹、三匹――。
既に数えるのが馬鹿らしい程に、ゴブリンたちはセシリアの周りに輪を作って集まっている。
それぞれは人間の子供ほどの背丈しかなく、決して手強いような相手ではない。
だが、その手には危険な武器を持ち、侮れない力で攻撃を仕掛けてくる。
彼女は騎士になる前にも、ゴブリンや小鬼と交戦した経験があった。
だが、ここまで多くのゴブリンに取り囲まれた経験はない。
一般にゴブリンは単体では弱く、集団になると危険を孕むと言われている。
であれば、これほどの集団との戦いには、どれ程の危険を伴うのか――?
「大丈夫よ、セシリア。
落ち着いて。きっと――やれる」
セシリアは自分に言い聞かせるように、小さく声に出して呟いた。
彼女は左手をギュッと握り締めると、盾を変形させて展開する。
ここから先はゴブリンを倒すよりも、自分の身を守って、無事に後退することを優先すべきだからだ。
そして――次の瞬間。
セシリアは、一陣の風とも言える素早い動きを見せた。
陽が昇った後も、霧が十分に晴れることはない。
そこかしこに生まれる陰影が、何か得体の知れない魔物を生み出してしまいそうでならなかった。
「――チッ、つまんねー。
ゴブリンでも現れねぇかなあ」
少し離れた場所から、不謹慎な悪態を吐く声が聞こえてくる。
セシリアはふと視線だけを動かすと、その声がした方向をチラリと窺った。
するとそこには退屈そうに、地面に転がる石を蹴飛ばす若い騎士見習いの姿がある。
彼女はその振る舞いに眉を顰めると、無言で森へと視線を戻した。
今ほどセシリアの視界に入ったのは、今年二〇歳になる騎士見習いである。
名前をラリー・レオフリックといい、上流貴族の出身だった。
ラリーは騎士見習いではあるものの、彼の実家はこの分隊に所属する七人のメンバーの中で、最も高い階級を持っている。
だが、その四男であるラリーは、騎士としての資質を十分に持っているかどうか、怪しい人物であった。
何しろラリーはこうして持ち場に就いていても、悪態ばかり吐いて、真面目に任務を果たそうとしない。
セシリアが初めて顔を合わせた時も、見下した視線で、年長で位も高い彼女に挨拶一つ返そうとしなかった。
「ラリー、セシリア、こちらへ戻って来てくれ。
どうやらヘルマンたちが帰って来たようだ」
後方の離れた場所から声を掛けられて、セシリアは野太い声の持ち主を振り返った。
それはこの分隊のリーダーである、騎士長のグレンという男の声だ。
歳は四〇前後で口髭を生やしており、中流貴族の出身である。
落ち着いた雰囲気はあるものの、上昇志向が強くて、あまり部下の進言には耳を貸さない。
ただ、ラリーはこのグレン付きの騎士見習いで、グレンが強面なこともあってか、ラリーはグレンの言うことだけはそれなりに聞く。
通常身分の低い騎士に、身分の高い騎士見習いが付くことはないが、ラリーの実家が彼の扱いに困って、敢えて中流貴族の下につけた――というのが、もっぱらの噂だ。
「やっと戻ってきたのか!
もう、つまらねー見張りなんか懲り懲りだ!!」
ラリーの吐き捨てた言葉を聞いて、グレンの後方に控えたローブを着た男性が笑みを浮かべた。
彼は治癒術士のハンスといって、この分隊で唯一の魔法使いである。
魔法使いと言っても、騎士団から支給された治癒魔法が付与された触媒を扱う、いわば衛生兵のような役割だ。
短髪で目が細くて、身体は大きいものの、表情からして臆病な性格だと思われた。
そのせいか、普段は作り笑いばかり見せて、殆ど喋ろうとしない。
恐らく歳は三〇歳ぐらいで、見た目だけだと虐められっ子が、そのまま大人になってしまったような風貌に見える。
とはいえ、彼が扱う治癒魔法の触媒は、この分隊の騎士たちにとってはかけがえのないものだった。
何しろ怪我人が出てしまったら、治療魔法の触媒を扱えるのは、彼一人しかいない。
セシリアがラリーと共に、グレンたちのいる方へと向かうと、直後に遠くからガチャガチャと鎧の擦れ合う音が聞こえてきた。
どうやら騎士長のグレンが言った通り、偵察に出ていた三人が戻ってきたようである――。
あの日、カイと別れたセシリアは、遠征軍と共に東方国境へと向かった。
遠征軍は東方国境全域に展開し、そこでいくつもの分隊に分かれて、治安維持活動を行うのである。
具体的には一〇名以下に分けられた分隊が、周辺に蔓延った蛮族や盗賊の掃討を行うのだ。
セシリアが所属する騎士長グレンの分隊も、そうした国境周辺の蛮族を掃討するための部隊の一つだった。
そして、そのグレンたちは、遠征軍の本隊からしばらく離れて、問題を抱える集落の一つへ向かう道の途上である。
彼らは集落へ続く街道の半ばまで来ると、集落には入らずに仮の拠点を作った。
というのも、彼らが向かおうとしている集落周辺で、複数のゴブリンが目撃されたという情報があったからだ。
そこで彼らは三名の騎士を先に偵察に出して、集落周辺の状況を探っていたのである。
セシリアが仮の拠点に戻ってくると、間もなく偵察に出ていた三人の騎士たちが、同じように戻って来た。
集落への道は馬が使えないこともあって、偵察は徒歩で行っている。
彼らは拠点に到着すると、深い疲労度を見せるように、一斉にふぅと大きな息を吐き出した。
「ふぅ――隊長、戻りましたぜ」
「ご苦労だったな、ヘルマン」
隊長のグレンに声を掛けられた騎士は、唇の端を曲げてニヤリと笑った。
直後、彼の視線がセシリアの方へ向いたのがわかる。
セシリアはその視線に、如実に表情を堅くした。
このヘルマンという騎士は初対面の時に、ねめつく様な視線を投げ掛けてきた男だ。
せせら笑いが板に付いた三〇歳ぐらいの騎士で、どう見ても好色そうな雰囲気を醸し出している。
隊長のグレンの命令には忠実なように見えるが、色々な意味で注意が必要な相手だった。
「やっぱりゴブリンの巣がありましたよ、隊長。
それも集落からかなり近いので、確実に掃討する必要がありそうです」
少し興奮した様子で、ヘルマンと共に偵察に出ていた騎士見習いが言った。
こちらはクラトスという名前の、ヘルマン付きの腰巾着のような男である。
お調子者で、いつもヘルマンの周りをウロウロと取り巻いて歩いていた。
この男もセシリアの存在が気になるのか、チラチラと彼女を覗き見ていることがある。
「セシリア、こっちに異常はなかったかい?」
「ええ、大丈夫だったわ」
セシリアはそう答えると、最後に質問した騎士に向かって、朗らかな笑みを浮かべた。
彼がここにいることはセシリアにとって、心安まる出来事である。
というのも、分隊最後の七人目の騎士は――彼女が良く知る空色の髪の青年、ヨシュアだったからだ。
騎士長のグレンは全員が集まったのを確認すると、改めて偵察に出ていた三人に尋ねた。
「街道経由でゴブリンの巣を攻略した場合、ヤツらに気づかれる可能性はどれくらいある?」
「気づかれずに近づくのは無理でしょうね」
むしろ気づかれない訳がないとでも言うように、グレンの問いにヘルマンが即答する。
グレンはヘルマンの顔を不快そうに見ると、すぐに別の選択肢を提示した。
「だとすると我々は一度集落に入ってから、巣の退治に向かう必要があるということだ。
早速私が集落の代表に事情を話し、集落経由でゴブリン退治に向かう許可を貰うことにしよう。
では、この拠点を引き払い次第、集落の方へと移動する。
私が集落で交渉している間は、全員集落に入らずに門の外で待機しておくように」
騎士長であるグレンの判断は早く、指示は的確なものに思えた。
だが、そのグレンの振るまいも、いざ戦いになればどうなるだろうか?
危機が迫った状況においても、即座に適切な判断が下せるのだろうか――?
セシリアはカイが語ったルサリアの悲劇を思い返しながら、その疑問を浮かべずにはいられなかった。
セシリアたちは指示通りに仮の拠点を撤収すると、グレンを先頭にして、集落へと向かった。
街道を歩く間は近くに潜むゴブリンを刺激しないよう、声を出さずに息を潜めて進む。
周囲にはカチャカチャという、騎士たちの金属鎧が擦れ合う音だけが、妙に大きく響いていた。
果たして無事に集落へと辿り着くと、そこで騎士たちは一様に、ホッと溜息を吐く。
騎士長のグレンは全員が揃っているのを確認すると、事前の指示通りに、彼一人だけが集落の門を潜って中へと入って行った。
残りセシリアたち六人は、集落の外で待機している。
「――おい、ゴブリンたちが降りて来たぞ」
それはセシリアたちが待機し始めてから、ものの数分が経過したばかりのことだった。
ヘルマンが指さした先には、山手から街道に降りてくるゴブリンたちの姿がある。
その数はかなり多いようで、二〇匹強というところだろうか。
しかも完全に街道にまで降りてきたこともあって、集落前に陣取った騎士たちの姿が丸見えになってしまっている。
「どうします?
このままじゃあ、遅かれ早かれ気づかれて――」
騎士見習いのクラトスが、ゴブリンの様子を見ながら、臆病な声を上げた。
だが彼が言う通り、街道に降りたゴブリンたちは、間もなく騎士の存在に気づいてしまうだろう。
いや、単に気づかれて戦闘になる程度で済めばまだいい。
何しろこの集落の近くには、ゴブリンの巣が存在するのだ。
もし仮に、その巣から大量の仲間を呼ばれでもしたら、騎士たちはもちろん、集落もきっとただでは済まないことだろう。
「ゴブリンはまだ、こちらに気づいていないわ。
今のうちに急いで集落に入るべきよ」
セシリアの主張に対して、即座にヘルマンが反対意見を唱えた。
「我々はグレン隊長から、集落の外で待機するよう命令されているんだぞ。
許可が下りる前に集落に入れば、命令違反として後々問題を生じる」
「でも、それでは気づかれてしまうわ!
気づかれれば結果的に、この集落にゴブリンを引き寄せてしまうことになるのよ。
どう考えても、その方が深刻な事態になる」
すると、セシリアの言葉を聞いていた騎士見習いのラリーが口を差し挟んだ。
「女騎士様はゴブリンが怖いのか?
ゴブリンなんざ、倒しちまえばいいじゃないか」
あからさまな挑発の言葉を聞いて、セシリアはキッとラリーを睨む。
ラリーはむしろその反応を楽しんでいるかのように、ニヤニヤと侮った笑みを浮かべた。
「それこそ、そんな命令は受けていないぞ。
勝手に戦闘を始めるなんて言語道断だ」
ヘルマンがラリーをそうして叱り飛ばすと、ラリーは顔を紅潮させて吐き捨てた。
「何だぁ? 腰抜けの集団かよ!」
「何だと!?
貴様、もう一度言ってみろ!!」
上級貴族出身とはいえ、騎士見習いの聞き捨てならない台詞に、ヘルマンが眉を吊り上げて怒りの表情を浮かべる。
「よせ、声が大きい。
二人ともやめるんだ」
仲間割れの雰囲気を感じたヨシュアが、慌てて二人の間に割って入った。
だが、それでも興奮したラリーの挑発は止まらない。
「何度でも言ってやるさ!
あんたは腰抜けだって言ってるんだよ!
あんたの剣と鎧は飾りか?
ゴブリンごときが怖いなら、そこの女と一緒に尻尾を巻いて逃げればいいんだよ!!」
「貴様っ――!?」
「!?
拙い、気づかれたかもしれない――!!」
ヨシュアの声を聞いて、一旦停戦したヘルマンとラリーは、慌ててゴブリンの方向を振り返った。
高い声の応酬が続いたことで、ゴブリンたちがこちらに視線を向けているのが分かる。
どう見てもそれはゴブリンたちに、自分たちの存在を認知されてしまった状況だった。
「チッ、もう倒すしかないだろッ!!」
そう言い捨てるとラリーは、いち早くゴブリンたちの方向へと駆け出して行く。
そしてゴブリンに向けて雄叫びを上げると、腰に吊した剣をギラリと抜き去った。
「あいつ――!!
クソッ! 仕方ない、全員で掃討するぞ!!」
ヘルマンの挙げた声に、クラトスとヨシュアが相次いで抜剣する。
「セシリアはハンスを守って!」
「わかったわ」
ヨシュアからの指示を聞いたセシリアは、治癒術士のハンスを守りながら、ゴブリンのいる方へと駆け出した。
見れば先行したラリーは、既にゴブリンとの戦闘に入っている。
彼は文字通り剣を無尽に振るって、何匹かのゴブリンを葬り去ったようだ。
そして最後尾のヨシュアがゴブリンの群れに到達する時には、ゴブリンたちの数は半数近くにまで減少している。
「フン、この程度の相手にビビってたのかよ!?」
興奮したラリーが得意気に、ゴブリンを斬り倒しながら叫んだ。
「侮らないで!
侮った時ほど危険があるのよ」
セシリアはハンスに襲い掛かろうとしたゴブリンを、一刀で斬り倒しながら警告を発した。
「ケッ、新人騎士の癖に知ったようなことを言いやがる」
セシリアはその言葉を聞いて、思わずラリーを睨み付けた。
睨む彼女の頭の中には、カイが語った言葉が思い浮かぶ。
――共に戦う騎士たちが、同じ慎重さを持つとは限らない。
確かに、彼の言う通りだと思った。
そしてそれを事前に認識していた筈なのに、無力な自分はその状況に対して、何の対処も出来そうにない――。
「ラリー、ゴブリンを侮らない方がいい。
そこに見えるだけならまだしも、増援が来れば奴らを掃討するのは簡単じゃない」
「――チッ」
珍しくヨシュアが低い声で告げた言葉を聞いて、ラリーは不満そうに舌打ちをした。
ゴブリンの数はもはや残り数匹になっている。
このまま全てのゴブリンを掃討出来れば、危惧すべき状況を何とか脱することが出来るだろう。
騎士たちも小さな擦り傷や引っ掻き傷を負ったものはいるが、重傷を負ったものはいないようだった。
それであればハンスの治癒魔法で、十分に治療することができる。
ただ、ゴブリンの数が多かっただけに、重い鎧を着た騎士たちには、疲労の色が見え始めていた。
変わらず俊敏な動きを見せているのは、ハンスを守っていたセシリアぐらいのものである。
そして、ラリーが不穏な声を上げたのは、何とかこのまま全員無事にゴブリンを倒すことができれば――と、セシリアが密かに安堵した瞬間のことだった。
「――見ろ!
あんなところにまだいやがる!!」
ラリーが街道の外側の茂みに、数匹のゴブリンが隠れているのに気づいたのだ。
「!!
ラリー、ダメだ! そいつは追うな!!」
だが、ラリーはヨシュアの制止を振り切って、見つけた群れに向かって駆け出した。
「ヨシュア、あれは――!!」
「セシリア!
マズいよ、あれは別の群れのゴブリンだ。
あれに手を出したら、恐らく別の群れ全体を引っ張り出すことになってしまう」
その言葉を聞いて、セシリアは思わず絶句した。
疲労が蓄積した騎士たちは、再びゴブリンの群れを丸々掃討することが出来るのだろうか?
身軽な鎧でハンスを守っていた、セシリアはまだいい。
だが、息が上がりつつあるヘルマンやクラトス、そして気負ったラリーはどうなのか。
見れば、ラリーは見つけたゴブリンに追い縋って、斬りかかっている所だった。
彼は一匹、二匹とゴブリンを斬り倒したが、三匹目を取り逃がしてしまう。
直後、逃げ出したゴブリンを守るように、茂みから一〇匹以上のゴブリンがラリーに襲い掛かった。
「ヘルマン! クラトス!!
大変だ、ラリーが――」
ヨシュアに呼ばれたヘルマンは、振り返って、起こっている事態に愕然とした。
「なっ――あの馬鹿!
何てことしやがるんだ!!」
怒りの声を上げながら、残ったゴブリンを叩き斬る。
「ハァハァ――ヘルマン様!
アイツ、ど、どうするんです!?」
クラトスが息切れしながら言った言葉に、ヘルマンが即座に怒りの言葉を返す。
「どうするって、助けるしかないだろッ!!
隊長がいない間に死人なんか出せるか!」
しかし最初の群れのゴブリンも、全てを掃討し終わった訳ではない。
それらも取り逃がしてしまえば、何が引き起こってしまうか判らなくなってしまう。
セシリアは状況を見た上で、冷静な声色でヘルマンに言った。
「わたしがラリーを助ける。
ヘルマンは残りのゴブリンをお願い。クラトスはハンスを守って」
「セシリア、ボクも行くよ」
ヨシュアの申し出に、セシリアが頷いて微笑む。
「判った。セシリア、頼む。
――だが、絶対に無茶はするな」
ヘルマンの端的な言葉に、セシリアは小さく頷いた。
そして即座に身を翻すと、ゴブリンの群れを目標に、一気に駆け出していく。
「――はあ、はあ。
クソッ! 来るなッ!!」
全力で駆け寄ると、ラリーは息を切らせて叫びながら、ゴブリンの群れと渡り合っていた。
だが次々に襲い掛かってくるゴブリンの攻撃は、上手く防ぎきれていない。
金属鎧を着た部分はさすがに無事なようだが、数えるのも難しいぐらいに身体中に傷を負っているようだった。
「ラリー、下がって!」
セシリアが声を上げながら、ゴブリンを一刀で斬り倒す。
直後セシリアは、ゴブリンを二匹、三匹と次々に斬り倒した。
ラリーは相当に疲労しているのか、セシリアの言葉に何も反論せずに下がっていく。
その彼に追い縋るゴブリンを、今度はヨシュアが斬り倒した。
「セシリア、数が増えてる。
これはとてもじゃないけど倒しきれない」
「わかってるわ。
でもこの状態のまま、集落に群れを連れて、逃げ込む訳にはいかないのよ。
わたしがここは支えるから、ヨシュアはラリーと一緒に集落へ!」
「セシリア――無理はしないで」
「フフ、もちろんよ!」
そう言ってセシリアは不敵に笑うと、集落の方へ後退するヨシュアとラリーを見送った。
一匹、二匹、三匹――。
既に数えるのが馬鹿らしい程に、ゴブリンたちはセシリアの周りに輪を作って集まっている。
それぞれは人間の子供ほどの背丈しかなく、決して手強いような相手ではない。
だが、その手には危険な武器を持ち、侮れない力で攻撃を仕掛けてくる。
彼女は騎士になる前にも、ゴブリンや小鬼と交戦した経験があった。
だが、ここまで多くのゴブリンに取り囲まれた経験はない。
一般にゴブリンは単体では弱く、集団になると危険を孕むと言われている。
であれば、これほどの集団との戦いには、どれ程の危険を伴うのか――?
「大丈夫よ、セシリア。
落ち着いて。きっと――やれる」
セシリアは自分に言い聞かせるように、小さく声に出して呟いた。
彼女は左手をギュッと握り締めると、盾を変形させて展開する。
ここから先はゴブリンを倒すよりも、自分の身を守って、無事に後退することを優先すべきだからだ。
そして――次の瞬間。
セシリアは、一陣の風とも言える素早い動きを見せた。
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