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第1章

09 嫉妬なんかじゃない

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「殿下、何をしておられるのですか」
「ああ、スティーリアか。なにをって、メイベと話していただけじゃないか」
「……」


 私が近づけば、殿下はこちらを振向き、怪訝そうな顔で私を見た。邪魔しやがって、みたいなオーラが滲み出ていて嫌になる。誰が、婚約者だからバカな真似はしないように、って言ったのよ。と言いたくなったが、グッと言葉を飲み込む。同じ次元に落ちたら、それこそ終わりだと思うから。
 殿下は私ではなく、メイベの方によって、スッと肩を抱いた。それを見るだけで癇癪を起こしそうになったがそれも耐える。もう私の胃はキリキリと信じられない音を鳴らし始めた。我慢よ、我慢よと強いてきたせいか、胃がすぼむような痛みも感じる。
 かくいう、ヒロインであり、男爵令嬢のメイベは状況を理解できていないようで小首を傾げいている。さすがヒロインといった感じの愛らしさ。守ってあげたくなるような小動物感。こんな少女が、ストーリーが進んでいくごとにヤンデレ化していく攻略キャラたちに蹂躙されていたと思うとゾッとする。本当によく耐えたよ、なんて誰目線でものを言っているんだと思う感情さえ湧いて出てくる。けれど、実際彼女を目の前にして、私は一種の恐怖を抱いた。


(彼女が、ヒロイン……メイベ・エングー…………)


 彼女の登場によって私の人生がぐちゃぐちゃになるんじゃないかと思うと、今のうちに息の根を止めたいとさえ考えてしまう。なんて野蛮で恐ろしい考えだ、とスティーリアの記憶と、前世の記憶の間で私は感情がぐちゃぐちゃになっていく。でも、そんなことしたら即牢獄送りだろうし、婚約は勿論、破棄されるだろう。そんなことはしない。仲良くするって決めた。


(というか、何よ。聖女か、男爵令嬢のとか言いなさいよ。馴れ馴れしいのよ、メイベって言って!)


 殿下は、聞いてもいないし、私が知りもしないのに、さも知っている前提でメイベのことを話し始めた。本当に、殿下の方がどうかしていると思う。婚約者を前に、他の女性の肩を抱いたりして。


「あの、レグラス殿下。彼女は?」
「ああ、彼女は――」
「お初にお目にかかります。聖女、メイベ・エングー様。私は、殿下の婚約者であり、レーツェル公爵家……スティーリア・レーツェルといいます」


 私は、殿下の言葉を遮ってメイベに挨拶をする。メイベは、まだこういうのになれていないのか目を輝かせて「格好いいです」なんて言葉を漏らす。こんなのが格好いいと思っていたら、今後どれだけの人にその感情を抱かなければならないんだと、私は彼女の社交界の不慣れさに、心の中でため息を漏らす。
 まあ、仕方がない。まだ貴族となって日が浅いんだから、これくらいはスルーしなければ。それに、今のうちに彼女の点数を稼ぐのも悪くないと思ってしまった。


「メイベ嬢とお呼びしても?」
「え、ええっと、スティーリア様。わ、私の方がその下? なので、メイベでいいですって」
「そうですか。では、メイベとお呼びしますね」


 私がにこりと微笑めば、メイベは「はいぃ」なんて感嘆の声を零す。殿下は、横で「別に好きに呼んでくれればいいじゃないか」とぶつくさ言っていたがが無視だ。そもそも私は殿下の許可など得ていないし、何となく雰囲気がそれっぽかったから言っただけなのだから、そんな不満そうな態度をとられても困る。それに、私がメイベと呼ぶのに意味も価値もないんだから黙っててくれやしないだろうか。


「それより、スティーリア。君は何しにここに来たんだ」
「何をしに、とは。婚約者の側にいるのは普通ではないでしょうか」
「今は、メイベと話しているんだ。聖女の、彼女の社交界デビューの日なんだ。右も左も分からない彼女に色々と教えてあげるのは、誰の許可もいらないだろう」
「ですが、殿下……」
「それとも、嫉妬しているのか?」
「は?」


 殿下が、いきなり意味の分からないことを言い出すので、思わず素が出てしまった。メイベも、何やら雲行きが怪しくなってきたと感じたのか、殿下の顔を見ている。それに構わず、殿下は、これだから……と言わんばかりに肩をすくめる。


「メイベが美しいのはお告げの聖女だからだろ。代々、聖女というのはその名にふさわしい容姿をしているんだ。君が美しいのは認めるが、メイベとはまた違うだろう。それに、嫉妬しても仕方がないことだ」
「別に、嫉妬なんて……」


 言い訳をしようと思ったが、殿下の隣から視線を感じたのでそちらに視線を移すと、メイベが悲しそうな顔をしてこちらを見ている。そんなかおをされたら、こっちが悪い見たいになってしまうじゃないか。何で私は責められているんだと、奥歯を噛み締める。怒っても仕方がない。もう、既に殿下はメイベの虜になってしまったのだろう。別に、今のところ、メイベが悪いことをしているわけじゃないし、勝手に殿下が彼女に興味を持っただけの話。これから、皇太子妃候補が増えてどうなるかはまた後日話が回ってくるだろう。
 殿下は、今すぐ何処かに行けと言わんばかりに私を睨み付けている。本当に邪魔らしい。


「あの、レグラス殿下……私は大丈夫なので、スティーリア様と」
「いえ、メイベ。気を遣って貰わなくて結構よ。邪魔してすみませんでした。殿下。では」


 引き止めることもしない、興味なんて微塵もないようで、殿下は私を追いかけてくれなかった。婚約者が傷ついても……いや、傷付けたのはあっちなので、全部比はあっちにある。私は何も悪くない。
 仲良くしようと思ったが、殿下がメイベに対して過保護なせいか、近寄らせてもくれない。私はメイベにとって害悪な存在だと思っているのだろう。
 そんな風に彼らの元を去ろうとすれば、メイベが走ってきて、私を呼び止めた。


「あの、スティーリア様」
「何? レグラス殿下が待っているんじゃない? 私に構うと、殿下が気を悪くするわ」
「す、スティーリア様は優しいんですね。でも、私は、殿下の婚約者でも何でもないですし」


 そうね、本当にそうね。

 黒い感情が出そうになって、何とか心の中に縫い止める。彼女に当たるなんて馬鹿馬鹿しい。八つ当たりなんて恥ずかしすぎるから。
 本当に、メイベは申し訳なさそうに私を見るから、その瞳を見て許してしまいそうになる。さすがはヒロイン、優し過ぎる。その優しさで少し救われたような気になって、私は、彼女に微笑みかけた。メイベはポッと顔を赤くして、手に持っていたグラスを私に差し出した。


「これは?」
「殿下が私にと取ってきてくれたものなんですけど、本当なら、これはスティーリア様に渡されるものだと思って。その、無礼かも知れませんけれど、受け取って下さい」
「そ、そう……」


 社交界慣れしていないのが分かる。人から貰ったものを、自分が貰うべきじゃないと他の人にあげるなんて何処から発想が湧いてくるんだろうか。けれど、貰わないわけにもいかず、私は、メイベからそれを受け取る。グラスの中には、白いスパークリングワインが入っている。香りもよく、私はそれに口をつける。


「ん、美味しいわ。ありがとう。メイベ」
「はい」


 私は、メイベにそう言って会場の外へ向かって歩いて行く。少しだけ、気分が晴れやかになった気がする。さっきまでのささくれた気持ちが嘘のように消えていく。どうせ、会場にいても私は邪魔者だし、顔も出したところだから帰ってしまおうと思ったのだ。
 廊下に出れば、誰もいなくてしんと寂しげに静まり返っている。ヒールの音がこつりこつりと響き、それが私の心境を表現しているようだった。 
 私は、帰りの馬車が止っている場所を目指して歩いていく。外はもう暗いから、辺りはシーンと静まり返って真っ暗だ。何にも躓くこともなく歩いていると、ぐらりと視界が横に傾く。


「え……何これ」


 壁にもたれかかり立ち上がろうとするが、足に力が入らない。それどころか、身体が火照って、心臓がキュッとするような気さえする。いや、違う、身体が……


「スティーリア様ッ」
「ふぁ、る?」


 どうにか、ここから出ないと、と一人戦っていると後ろからファルクスの声が聞えた。視界に入らないよう、先ほどは気を利かせて遠くから見守ってくれていたらしい。だからか、少し反応が送れたみたいで、私の元に駆けつけるのが遅くなったようだ。


「お、そい……じゃない」
「すみません、スティーリア様。その、どうして……こんな」
「いいから、馬車まで運んで」
「何か、飲まされたんですか」
「いいから、馬車まで運んで。聞え、なかったの……?」


 息が途切れる。熱を帯び始めた身体は、言うことを聞いてくれなかった。私に触れようとするファルクスの手を思わず払いのけてしまう。今触られたらまずいと思ったから。
 ファルクスは叩かれたことにショックを受けたような顔をしたが、何かを決意したように、きていた騎士団服を脱ぎ、私に覆い被せた。そして、「すみません」と一言断りを入れてから、私の身体を持ち上げる。


「な、にを?」
「運んでといったのは貴方です。それに、こんな姿見られたくないでしょう」
「……ん」


 別に、今は人がいないんだからいいじゃないか……なんて思ったが、口に出しても多分聞き入れてくれないだろうし、どうにもならないので私は素直に頷く。確かに、運べと命令はしたのだが……
 そんな私の心中など察してくれるわけがなく、ファルクスは私を横抱きにして歩き出す。彼が珍しく焦っているような気がして、そんなにヤバいのかと、自分の身体を心配する。冷たくて大きいファルクスの手が擦れるたび、変な感覚が走る。


(あの、飲み物……メイベが渡したけど、元は殿下が……メイベ、に?)


 足らない思考が、先ほどの状況を整理しようとし始め、私は小さく丸まって目を閉じた。何も考えたくない、考えられない。上がっていく熱は、私の思考をぐちゃぐちゃに掻き乱した。


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