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第1章 悪役令息と狂犬
05 このクソポメが!
しおりを挟む「このクソポメが! 何回、ポメになるんだよ!」
「……それは、なんだか、すまないと思うな」
「それがすまないって態度か? 俺の腕の中でペションと耳垂れさせてるのが、すまないって態度か!? ああ?」
「主は、本当に口悪いな」
お前にだけは言われたくないな、と思いながら、腕の中から落ちそうだったので、灰色のポメラニアンを抱え直す。
公爵家の庭を歩きながら、俺は何度もポメラニアンになっては癒しが必要なゼロに怒号を浴びせてしまっていた。こんなんでは、ストレスがかかって、よりポメでいる時間が長くなってしまうのに。わかってはいても、呪いをかけて二週間、五回ほどポメラニアンになって癒して、しごいてを繰り返す俺の身にもなってほしかった。
あの後、クライゼル公爵家に仕えている魔導士に呪いのことを詳しく聞くと、鑑定の結果ストレスの種類は一つではなく、感情の起伏によってもポメラニアンになることがあるらしかった。そして、呪いを解く方法は”誰かに愛されること”だと伝えられた。それは、呪いをかけた本人でなくてもいいらしい。だが、ポメラニアンから人間に戻る際の癒しは術者本人でなければならないというのだ。本当に全く面倒な呪いをかけてしまったと反省している。
そんなこんなで、ゼロはここ二週間、五回もポメラニアンになった。本人はストレスの原因を話したがらなかったが、おおよそ俺が原因だろうと予想ができた。
嫌いな俺に癒されなければならないという屈辱、毎回勃起を収めるために俺にしごいてもらわないという屈辱。もとから、粗末に扱われることを嫌っていたゼロが、犬扱いされることにストレスを感じないわけがなかったのだ。だから、何度癒してもその場しのぎであり、ポメラニアンに戻ってしまうと。
癒しが逆にストレスにつながっているんだろうなということは容易に想像できたのだ。
だからといって、ポメラニアンのままでは格好がつかないだろうし、不便なことが多い。そのため、人間に戻る必要があった。
(てか、愛されるって何だよ……誰がゼロを)
ふと浮かんだのは、この世界の、もっといえば小説の主人公の存在だった。だが、その主人公は王太子とくっつく予定だし、まあゼロの境遇を憐れんで同情して彼に手を差し伸べはしたけれど。それが愛であるかはいまいちわからない。くっつかない、Ifストーリーとしてゼロ×主人公っていうのはあるだろうが、きっとこの世界は本編通り進む。
だったら、誰がゼロを愛するというのだろうか。
そもそも、愛って何だと、その定義からあいまいだった。
「おろせ、主。重いだろ?」
「いや別に。さすがに、人間時のお前を抱っこできるほどの筋力はないけど……って、暴れるな! もう!」
もぞもぞと動いて、ゼロは俺の腕の中から脱出した。
本当に人のいうことを聞かない駄犬だな、と俺は短い足ですくっと地面に立っているゼロを見下ろして思った。
こいつを護衛とすると決めたとき、ゼロがこんな性格だなんて想像できただろうか。
(出会ったのはちょうど、一年前……か)
はっきりとではないが、ぼんやりと彼との出会いを覚えている。
それは、俺が悪役令息まっしぐら街道を進んでいるときだった。俺が強い魔物をそばで見たい、なんならその魔物を倒して名声を得たいなんていう私利私欲だらけの危険なわがままを言ったことにより、国境沿いの魔物が出没するエリアにいったときのこと。そこではすでに、雇われの傭兵たちが魔物を退治している最中だった。かなり苦戦を強いられており、撤退するやつもいたが、その中で目立ったのがゼロだった。自身と大差ないほど大きな剣を振り回し、魔物の返り血ももろともせずに剣をふるうその姿に目を奪われた。まるで、ゼロが何か恐ろしい怪物かのように魔物たちはひるみ逃げようとしていた。だが、逃げることもゼロは許さず頭を跳ね飛ばし、羽のある魔物に対しては、羽を素手でもぎ取ってと、本当にそれは恐ろしい光景だった。
けれど、そんなゼロの強さを目の当たりにした俺は、彼が欲しいと思った。俺を守るのにふさわしい、新しいおもちゃを見つけたような感覚だったのだ。あのときは、だ。
そうして、俺は魔物を退治し終えて、生臭いにおいに包まれた汗まみれのゼロに声をかけた。今の依頼人の十倍は弾むから俺の護衛になれと、護衛になる権利をやろうと上から言って、無理やりゼロを連れて帰った。戦闘時は荒々しく怪物のようだったのに、帰りの馬車ではあまりにも静かで驚いたのが印象的だった。多分、俺が提示した額を信じられなかったのだろう。
だが、しっかりと支払い、服も新調すればゼロはようやく信じたかのように俺を「主」と呼ぶようになった。護衛としての仕事は、魔物退治とは違って地味なものだった。それに、俺の護衛だったため、嫌がらせも受けて、それで一年もの間……
(俺の……ラーシェの気まぐれのせいだよな)
付き合わせてしまった彼に負い目を感じている。魔物退治をして生計を立てるほうがよっぽど彼にとっては、幸せだったのではないかと思ってしまうのだ。
思えば、ゼロの過去なんて全く知らない。しろうともしてこなかった。
「散歩したいなら、散歩したいっていえよな」
「誰も、散歩したいとは言っていないだろう。ただ、主が重たいかと思っただけだ。それに、犬扱いされるのが、腹立たしい」
「いや、犬だし。抱っこしてたら、癒されるかなあって思ったけど、まあ、犬だから散歩のほうが楽しいよな」
と、俺はゼロを見た。
口ではそういっていたが、実際散歩という単語に尻尾を振っていたのだ。人間的な扱いを受けたいといいつつも、身体は正直なもので、犬として順応している。
俺も、心を入れ替えるといったのにもかかわらず、皮肉たっぷりな言葉ばかりを吐いてしまうから同じなのかもしれない。変わりたいと思うが、染みついてきた長年の上から目線はそう簡単に変えられないようだった。
「ふーん、俺のこと気にしてくれたわけだ。優しいじゃん、ゼロ」
「気にしていない。俺がストレスに感じただけだ」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ。んで、お散歩楽しいか?」
「楽しくはない。散歩などしない」
「犬だし楽しいはずなんだけどな……いや、人間だけどな? 中身は」
相変わらず、可愛げのないやつだ。
ただ、よくしゃべるようになったのは、変わった点というのだろうか。無口だと思っていたが、加害者である俺が下手に出れば、想像以上にコロッと本性を見せた。自分は被害者であると、そう俺に罪の意識を感じさせるように。
とてとてとてと、ゼロは短い足で、尻を振りながら石畳の庭園を歩く。それに俺は、ちょこちょこと後をついて行く。リードはつないでいないが、やはり実質散歩といえるのではないだろうか。ゼロも楽しそうだし、このまま歩かせていれば癒されて人間の姿に戻れるのではないだろうかと思った。
(まあ、今ここで戻って、外で射精させろなんて言われたら困るけどさ……)
魔導士に頼んで、人間の姿に戻ったとき裸にならない首輪を作ってもらった。だが、首輪だったためか、ゼロは二、三度嫌がって拒否した。しかし、やはり人間に戻ったとき裸では格好がつかないだろうとしぶしぶ首輪をつけてくれた。ゼロと同じターコイズブルーの首輪にしてもらったのは正解だろう。
銀色のフワフワとした毛並みは、日の光を浴びて煌めいていた。
ゼロの犬姿は、本当に可愛い。かっこいいとか、強いという印象はポメラニアンという犬種なので受けないが、中身がゼロだと思っていても可愛いのだ。
「――主」
と、ふとゼロが振り返った。
そして、俺に向かって手を差し出す。その小さな前足を。
「ん? え、何、お手?」
「いや……何でもない」
「いや、お前俺のこと呼んだじゃん! てか、今のお手だろ!」
完全にお手という芸だった気がする。だが、頑なにゼロはそれを認めようとせず、ガルガルとうなって威嚇するのだ。もうこうなったら、突っ込まないほうがいいと俺は降参というように手を上げる。そうしたら、ゼロはフンと鼻を鳴らすように俺に背を向けてまた歩き出すのだ。小さな背中を見て、俺はゼロのこと何も知らないなとやはり思ってしまうのだ。
俺の態度や行動が、ゼロとの距離を作ってしまったのは事実であるが、それ以前に、ゼロは深くかかわろうとしてこなかったし、初めから壁を作っているようにも思えた。パーソナルスペースが広くて、寄せ付けない。一匹狼のようで。
知っている情報といえば、隣国の私生児であり、家族にとって望まれない存在であったこと、ぞんざいな扱いを受けてきたことくらいだった。その家庭での話とかも何も知らない。
俺が、足を止めればゼロはピクリと耳を動かしてこちらに戻ってきた。まるで、俺の心配をするかのようにくーんと鳴いたのは、きっとゼロの意思ではなく、犬として飼い主を気遣う本能的なものなのだろう。
「……俺さ、ゼロのこと何も知らない」
「ああ、知ろうともしてこなかったからな。それが、いまさらなんだ?」
「知りたいって思ったというか、知ったらもっとお前が犬にならなくて済むのかな、とか思った。ほんと、ごめん」
「謝るくらいなら、あのとき呪いをかけなければよかっただろ。俺はずっと気になっていた。アンタが、なんであの後改心したかとか、心を入れ替えたのかとか。これまでの仕打ちを、まるでなかったように、他人がしてきたような口ぶりで。第三者みたいに。でも、どうでもいい、こうなっていまったものをすでにどうにかできないのなら、これまで通りでいいだろう」
そういって、ゼロはまた俺に背を向ける。そして、タンタンッ、とはねるようにして庭園の奥のほうに行ってしまった。彼よりも大きな植木がそびえたって、薔薇の迷路はきっとゼロを隠して迷子にさせるだろう。
追いかけてあげなければならない気がしたのに、俺は動くことができなかった。
「ゼロのいう通りだな……」
これまで酷いことをしてきたくせに、いまさら改心なんて、された側にとっては都合の良すぎる言葉を吐いているだけ、救われたいだけ、許されたいだけと思うかもしれない。それは、本当にそうで、俺が改心しようとた理由は自分のバッドエンドを回避するためだった。それを、見透かされているのかもしれない。
俺は、彼のターコイズブルーの瞳に睨まれているような気がして、腕をさすった。
このままじゃいけないのに、どうやって歩み寄ればいいかわからない。きっと、この呪いを解くというのは簡単じゃないんだろうなと、俺は改めて思い知らされた気がしたのだ。
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