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第1部 第2章 雑用係とハチャメチャラビット

07 嫌われ者の居場所

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「すげえ、緊張……うっ、てか、馬車苦手かも」
「吐かれたら困る。ほら、掌に兎のマークを描いて飲んだら緊張ほぐれるぞ」
「どっちかっていったら、馬車酔い……」
「馬車の中でギャンギャン喚くな。ただでさえ、気がめいってるっつうのに……」


 襟元が少し苦しい。慣れない新品の靴は出る前にかかとを踏んでしまった。どれだけ直しても、頭の上のほうの両側にはねた寝癖は直らなかった。
 馬車に揺られながら皇宮へ向かう途中、緊張と馬車酔いで気分は最悪だった。
 隣に座るアウラが、兎のマークを俺の手のひらに描いて無理やり飲ませようとしてきたため、首を横に振って拒否した。だが、怪力ラビットに勝てるわけもなく、俺は無理やりその文字を飲まされる。全然緊張もほぐれないし、さらに体調が悪化したような気がした。
 そんな俺たちを、足を何度も組み替えながらそれはもう退屈そうに殿下が眺めている。
 殿下はいつもとは違い、純白の服に身を包み、赤いネクタイには黄金のタイピンをしている。純白の服には金の装飾が所々についており、一見シンプルだが、見る人が見ればその価値は一目瞭然だ。殿下の美貌も相まって、そこにはおごそかな雰囲気があり、さらにその価値を上げる。髪も念入りに編み込んだハーフアップにし、いつもより気合が入った装いだ。前日から、髪を洗って乾かしてと、いつもはしないことをしたかいもあって、いっそ殿下の持っている美しさが際立っていた。


「おい、フェイ。この服は動きづらいぞ」
「頼んだもののとおりですけど……さすがに、しないと思いますけど第一ボタンあけないでくださいね。一応パーティーなんですから」
「チッ……」


 殿下の手が襟のところに伸びていたため、まさかと思っていたが本当にボタンを外す気だったらしい。この人は皇族だが、まったく服に無頓着で、しわになっていようが、だらしなかろうが着れればいい精神で生きている。誰かに見られるでもないから、と言い訳をしていたが、しっかりしてほしいものだ。
 機嫌の悪そうな舌打ちを鳴らし、殿下はまたつまらなそうに外の景色を見ていた。よっぽど行くのがいやらしく、皇宮に近づくにつれてその舌打ちの回数は増えていった。俺の横でそれをかっこいいというようにデロデロになった顔で見ている兎はおいて置いて、俺も緊張が増していく。
 そうこうしているうちに、馬車がロータリーに止まり、順に降りていく。目の前にはそれはもう豪華でお金のかかっていそうな金ぴかの扉があり、続々と着飾った人たちが通っていく。全く身に覚えもない、顔も知らない貴族たちだったが、さすが第二皇子のパーティー、みなそれ相応の格好をしてきているようだった。


「おい、フェイ。背筋が曲がってる。胸張れ」
「さっきまで、嫌そうにしてたくせに……」


 さっきまでとは別人のように、殿下はそれはもう皇族悠然とした態度で俺に声をかける。まっすぐと前を向いて。先ほどぐずって機嫌が悪かった人とは似ても似つかない態度だった。
 扉の前では、二人の警備隊らしき人が、来場者のチェックをしていた。殿下が声をかけると、過剰なまでに肩を揺らして顔を上げる。その顔が一気に青くなったのを見逃さなかった。


「第二皇子の誕生日を祝いに来た。入れろ」


(いや、言い方……どうして、そんな言い方しかできないんだよ、アンタ……)


 さすがに、容姿だけで彼が誰かは分かったらしい。そうでなければ、先ほどのような反応はしないだろう。
 警備の人たちは顔を見合わせ、一応危険物を持ち込んでいないかとチェックをする。もちろん、俺とアウラもチェックをされ、中に通される。


「おい、あれって……」
「ああ、第三皇子だな。よくこれるよな……第二皇子殿下の誕生日に」
「今度は第二皇子殿下に何かするつもりなんじゃないか? ほら、皇太子殿下の時みたいに」


 と、俺たちが入ったのと同時に、こちらを振り返って陰口を言い始めた。アウラはそれを聞いてとびかかろうとしたが、殿下に止められシュンと耳を下げた。ただ歯をギチギチと鳴らしており、いつ暴走してもおかしくない状態だった。
 まだ殿下が近くにいるというのに、肝が据わっている……そう感じながら俺は殿下の後をついていく。


「放っておけ。いつものことだ」
「いつものって……殿下、あれってないですよ。殿下はよくても……いや、よくないです。俺も言われた気持ちになるんで」
「あいつらは、陰でああやっていうことしかできねえ。俺が通ったときの怯えよう見ただろ? 傑作だ」


 なんて、殿下は笑って肩をすくめた。
 慣れている、放っておけと殿下は言うが、その後も殿下が横を通るだけで、それはもう化け物を見るような目で見つめられ、そしてひっと時々悲鳴まで聞こえる。そして先ほどの警備の人と同じように陰口を言うのだ。なんでここにいるのかとか、目を合わせたら殺されるとか。
 アウラは最初こそうなっていたが、彼自身もすでに慣れたことだと突っかからなかった。これが、第三皇子の現状だと伝えるように。


(思ったより深刻っていうか……みんな、殿下を見て怖がって)


 噂に尾ひれがついて、恐怖の象徴、危険人物と化した殿下。その噂をうのみにして、恐れおののく人々。この場所に殿下の居場所はないのだと痛感する。


「俺は挨拶をすませる。適当にやってろ」
「ちょっと、殿下、一人で……!」
「アーベント様の指示聞いてたか。貴様。いい、アーベント様は一人で大丈夫だ」
「護衛のアンタがそれいっていいのかよ……」


 パーティー会場に入れば、ワッと空気が変わる。大きなシャンデリアに、煌びやかな装飾、テーブルにはおいしそうな料理の数々。さらにキラキラした服装の人だらけで目が回る。
 殿下は、挨拶をすませるといって人ごみをかき分けていってしまった。追いかけようとしたが、アウラに止められる。アウラは護衛なのについていかなくていいのかと思ったが、アウラは殿下の指示をよく理解していたようだった。


「挨拶終わったら帰ってくる。アーベント様はいつもそうだからな」
「後方彼氏面みたいな……てことは、挨拶回ったらもう帰るってこと?」
「そうなる。アーベント様は、こういう場所が嫌いだ。それに、第二皇子の……」
「てか、何食べてんの?」
「ニンジンスティック」


 真剣な面持ちで言っているのに、オレンジ色の細長い物体が気になって仕方がなかった。アウラは、ニンジンだ、と答えてそれをポリポリと食べている。
 確かに、人酔いしそうなこの空間にあの殿下が長居したいとは思わないだろう。アウラのいう通り、黙って待っているのが正解か……
 そう思って周りを見てみると、ひそひそとこちらを見て、何か話している人が目に入った。それは、俺とアウラを見てのことだ。


「……なんか、視線感じね?」
「アーベント様のおつきだから仕方ないだろ。慣れろ」
「……」


 アウラはニンジンに夢中なのか気にも留めていなかったが、小声であっても聞きたくなくても耳が拾ってしまうので微妙に疲れる。明らかに侮蔑されているようで不快だった。別に気にする必要はないのだろうが、俺たちが殿下と一緒にいたところを目撃しているためか、そのことに関して何か言っているようだった。はっきりとは聞き取れないが。


(まあ、嫌われるのとか、軽蔑とか、侮蔑とか……どーでもいいけど。殿下がここまで言われるのはなんかもやっとするな)


 何も知らないくせに、知ったように言う。それが耐えられなかった。
 今殿下は一人で、それに耐えているのかもしれない。そう思うと、途端に胸の奥にもやっとした雲ができる。
 俺たちは、そこまで言われていないが、殿下はどうだろうか。殿下が一人であいさつに行くといったのは、俺たちにこういう話を聞かせたくないためではないか。何も考えていないように見えて、配慮していないように見えて、俺たちをかばっているのではないかと思った。あの人がそういう人だと知っていたから。


(自分のほうに目を集めさせる。嫌われているのに離れてるからって……? 殿下のそういうところが――)


「やっぱり、俺、殿下のところ行ってくる。アウラ、くれぐれも他の人と騒ぎ起こすなよ」
「おい、貴様、話を聞いていたのか!」


 アウラの声がだんだんと小さくなっていく。俺は、人ごみをかき分け殿下を探した。皇族特有の目立つ頭をしているからよくわかるだろうと思っていたが、こうも色とりどりの服の中にいると探しにくかった。目がちかちかとして眩しい。
 だが、想像よりも早く、その黄金を見つけることができた。


「――殿下!」
「フェイ……? なんでここにいんだよ」


 タッと走って近寄れば、その鮮血の瞳が見開かれる。なぜここにいるかって、一緒に来たからじゃないか、と言いたかったが、殿下が一緒にいたもう一人の黄金を見て、俺は無意識に背筋が伸びた。否、睨まれたように体が硬直したのだ。


「さすがは、素行の悪い弟の従者だ。礼儀がなっていない」


 凍てつくような声に喉が渇く。
 殿下と同じ鮮血の瞳で、金獅子のように威厳ある黄金の髪……なのにどうしてか、まったく血のつながらないあかの他人のように感じるのはなぜだろうか。


「挨拶もできないのか」
「……っ、お、俺、わたくしは、第三皇子殿下の従者の……」


 だめだ、声が出ない。
 人に対して恐怖を抱いたことなんてなかった。多少怖いと思っても、自分を奮い立たせるほどには自分には恐怖心というものがないと思っていた。だが、今ここでそんなものなかったと思い知らされる。
 唇が張り付いて言葉が出ない。挨拶をしなければ無礼だとわかっていても、指の先まで震えていた。
 それほどまでに、目の前の存在が絶対的で、恐ろしい存在だと本能的に悟ってしまったのだ。


「――フェイだ。雇ったばかりだ。それに、お前が怖くて言葉が出ねえみたいだ。少しくらい、優しくできねえのかよ。愚兄」
「……っ」


 俺の名前を言ったのは他でもない殿下だった。


「そっくりそのまま言葉を返そうか、愚弟。従者は全員解雇したと聞いたが?」
「おかげさまで、解雇せざるを得ない状況になったんだよ。誰のせいだと思ってる。お前に殺されたやつの名前でも言ってやろうか」


 バチっと俺を挟んで火花を散らす。だが、スッと殿下に肩を引かれ俺は抱き寄せられる。その瞬間、温度すら忘れていた身体に温もりが戻る。


(この人が、第二皇子……殿下をはめた男、レーゲン・ヴォルガ第二皇子殿下)


 同じ髪と、瞳を持ちつつも、その凍てつくようなオーラは殿下とは全く違う存在がそこに立っていたのだ。


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