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第3章
04 脅しと忠告
しおりを挟む(――ディレンジ殿下!?)
まずい、ととっさに胸元を隠すが、すでに彼にはバレてしまっているだろうと、とりあえず距離を取り、彼をにらみつける。皇族をにらみつけるなんて、不敬罪に当たるとか言われたら反論しようがないが、今回の場合は仕方ない。後ろ盾という言い方はいやだが、皇太子派閥にいる私を簡単に切ることはできないだろうし、そこはそこまで問題視していない。だが……
「すみません、第二皇子殿下。僕の不注意で……お怪我はありませんか」
「ええ、大丈夫ですよ。ですが、そんな恰好のままどこに行こうとしていたんですか?」
と、舐めるような目で私を見下ろした。
中のさらしが緩いだけで、はだけているわけでもない。ただ、ちょっと近衛騎士団の制服が曲がっている程度で。だが、それは騎士としてどうなんだと言われたらまったくもってその通りだと反論しようがなかった。
すでに私の正体など知っているだろう。
「騎士服を直しに……あの、どいていただけませんか?」
「答えになっていないですよ。ベテル・アジェリット……いや、ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「……っ。私が、ペチカ・アジェリットだったら何ですか。だから、通路をふさぐんですか?」
「ああ、もう隠す気はないんですね。兄さんの部屋から出てきたということは、ばれたということで?」
「違います」
「まだ、兄さんには言っていないと」
楽しそうにクククとのどを鳴らすディレンジ殿下。何を考えているのかさっぱりわからないので怖かった。そして、私をべテルとしてではなく、ペチカとして認識しているところに悪意を感じ、何か企んでいるのではないかと勘繰ってしまう。
「貴方には関係ないことです」
「いいえ。関係ありますよ。兄さんは、裏切られることをひどく嫌います。君が、一人二役を演じていると知ったらどうなるんでしょうね」
「……ゼインは、今のゼインは」
受け入れてくれる、と言えればいいのだが、あの鈍感暴君が、私とべテルを同一視していないため、この事実を受け入れるまでは少しかかる気がした。それに、もしバレるとしても、自分からいわなければならないきがするのだ。それは、けじめという意味でも。
「まあ、兄さんは変わりましたからね。それもあり得るでしょうけど……けれど、君は本当に兄さんに釣り合う人間なんですか?」
「え?」
「男性として生きてきた時間が長い。令嬢としての作法もマナーも立ち振る舞いもとても無様で、そんな君が兄さんを支えられる、皇后になれるとでも思っているんですか?」
「い、や……私は」
「彼の婚約者でい続けるということは、ペチカ・アジェリット公爵令嬢として未来の皇帝の兄の隣に立つということはそういうことですよ。自覚ないんですね」
そういってディレンジ殿下は笑った。
前は自分の婚約者にならないかと揺さぶりをかけ、それが無理だとわかったら私は殿下に釣り合わないというのだ。そして、それは私自身が自覚していることであって、令嬢としてのペチカ・アジェリットをないがしろにしている。皇帝を支える皇后になれるのかという不安、また、それを視野に入れていなかった視野の狭さに嫌気がさす。
皇后として彼を支えるのであれば、もっとそれなりの教育を受けて教養を身につけなければならないだろう。それは、今からだと遅いのではないかと。騎士としては、もう少しで次の段階にいける。だが、令嬢としての未来は何も考えられていなかった。彼に好きだと言われて、妻になってくれと……でも現実はそう簡単じゃない。
「いつまでも中途半端な人間でいるのはやめたらどうですか? 兄さんのためにも、自分自身のためにも」
「貴方に言われなくてもわかっています。それでも私は、ゼインを支えたい……」
騎士として? それとも婚約者……未来の妻として?
選べるのは一つだ。
それはずっと前から分かっていたはずなのに。今になって、その二つの責任がのしかかってくる。目を背け続けていたのではないかとも。一人二役には無理がある。私は完ぺきな人間じゃないし……
「まあ、もう少しゆっくり考えたらどうですか。その間に、僕が皇帝になるかもしれませんけど」
「……っ、ですが、皇帝になるには伴侶が必要なのでは? 伴侶のいない皇帝は今までいなかったですし、即位するには婚約者が必要です」
「それは問題ないよ。それに、君が心配することじゃないです」
と、一瞥され、私はぐっと言葉を飲み込むしかなかった。
彼も彼で、皇帝の座をあきらめていないようだった。それは、殿下に対する煮えたぎる嫉妬や、殺意、憎悪といった感情が動いているからかもしれない。殿下がディレンジ殿下を嫌うように、ディレンジ殿下もまた殿下に劣等感を感じているのだ。恐怖の象徴と言われても、殿下の功績が消えるわけでもなく、ディレンジ殿下は殿下の劣化版とさえ言われたことがあった。それを根に持っているのかもしれない。でも実際、殿下のほうが何でもできて、女性関係除けば完璧なのだ。エスコートだってちゃんとできる、しないだけで……
その代わり、殿下には人を寄せ付けるような会話術がない。ディレンジ殿下はそういった掌握術を会得しており、彼の周りには大勢の人がいる。それもあって、第二皇子を皇帝にという派閥ができたのだ。すぐにできたわけじゃなくて、地道にやっているところが、秀才という感じがして恐ろしい。ただ、皇帝の器かと言われたら、少し人を駒として見すぎている気がするのだ。
この人が皇帝になることを……私は断固として拒否する。
「……第二皇子殿下」
「何? ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「……この間のパーティーで、ゼインに媚薬を盛ったのは貴方ですよね」
「ふふっ、なんでそう思うんですか?」
「それ、は……」
実際に彼の面倒を見たから? そんなこと口が裂けても言えなかった。どうにか、ぼろを出させて彼の悪事を暴こうとしたが、やはり簡単なことではなかった。証拠がないからだ。
「まあ、風のうわさによると、君と兄さんの仲は良好みたいじゃないですか。やっと、兄さんが皇帝になる覚悟を決めたと噂は持ちきりです。しかし、君が失踪したらどうなるんですかね?」
「え?」
くすくすと口元に手を当て笑うディレンジ殿下。また何か仕掛けてくると思い、身構えるがすっと手を放しその濁ったルビーの瞳で私を見つめただけで何もしなかった。だが、その血泥の目を見ていると引きずり込まれそうで、恐ろしくなり私は視線をそらした。何を考えているか、それがわかればいいのだが、私なんかにわかるはずもなかったのだ。
しかし、殿下が皇帝に……という話は初耳で、私との仲が良好だから、というのもある意味アピールできていていいのではないかと思った。ただし、それが弱点にもなりえるということは理解している。
べテルであるときも、それは確かに気を引き締めなければならないと。
「失踪……なんてしません。私は、ゼインのもとから離れるつもりはありません」
「そう」
「……貴方みたいな人が、皇帝になるなんて私は絶対に許しませんから。正々堂々戦ってこそ価値があると思います」
「熱いねえ、それは騎士としてですか?」
「いえ。私としての、私が大切にしている考えです」
引きずり降ろそうとかするのではなく、実力でのし上がること。それが大切だと思うし、そうしてまで手に入れた皇帝の座に意味があり、民が納得するのではないかと思う。
ディレンジ殿下は私の考えを鼻で笑うようにくすりと笑い、手をひらひらとふって背を向けて歩き出した。何がしたかったのか、きっと忠告をしたかったのだろうが、私はそんな忠告も脅しにも屈しない。
「まあせいぜい、ペチカ・アジェリットとしての君を大切にしたらいいさ。どちらかが消える日は近いだろうから」
「……」
遠くなっていく彼の背中を追いながら、私は一つとあることを思い出していた。ぱったりとその姿が見えなくなった後、私は急いでさらしを巻き直しに部屋に駆け込みぎゅっと胸をつぶす。
ディレンジ殿下のような人が皇帝になってはいけない。殿下も……性格には難があるけれど、彼は――
(思い出した。私が、殿下が皇帝になるべきだって、なってほしいっていう理由。彼との出会い……すべての始まりを)
私は騎士服に再度手を通し、鏡の前で敬礼をする。瞼の裏に浮かぶのは、幼き日の思い出だった。
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