9 / 43
第1章
08 一目ぼれ
しおりを挟む「ひとめ、ぼれ……?」
「ああ、恥ずかしくて言えた物じゃないと思っていたが……貴様が、婚約破棄を望むから。俺自身が、婚約破棄をしたくないと、その理由をいったら納得してもらえると思っていたが」
どうだ? と、殿下は私の方をちらりと見た。
そんな理由があったとはつゆ知らず、というか、全く予想もしていなかったことでもあったので、私は思考が追いついていなかった。
あの殿下が、一目ぼれだと言い出したのだから。
(殿下が一目ぼれ? 明日槍でも降るんじゃないの……? じゃなくて、え、一目ぼれ!?)
急にうるさくなりだした心臓と、顔を上げれば殿下がいつも以上に輝いて見えてしまったのもあって、私はすぐにかをそらした。見ていると、顔が熱くなって、心臓もうるさい。
「ひ、一目ぼれですか」
「ああ、一目ぼれだ。何度言わせる」
「で、ですが、私と、弟のベテルは顔が似ています。双子なので……ですから、一目ぼれなんて、その、あり得ないじゃないですか。だったら、ベテルの顔が……」
「もちろん、顔が好きだと言ったのは事実だ。だが、ベテルは男だろ? もう腐るほどいっているが、俺は男が好きなわけじゃない。ベテルの顔がいいのは認める。だが、あいつの精神が、騎士としての在り方が、人間として好きなのだ。けど、貴様は……まだ出会って二回目、のはず……でも、俺は貴様から目が離せなかった。これを一目ぼれと言わずして、何という」
殿下はそう言い切ると、喉が渇いたと紅茶を飲み干し、熱いとやけどしたように舌を出す。
いつもは冷静沈着で、恐ろしいほど殺気立っている殿下が、今は子供ように自分がままならないと、かっこ悪い姿を私に見せている。
ベテルの前では見せなかったその姿に、私は新鮮味を感じ、そして彼という人間の本質に少し触れた気がした。
(一目ぼれ……一目ぼれ、か……)
「それは、その。私の顔が好きなのはわかりましたけど、その……」
言葉がまとまらなかった。
顔が好き、一目ぼれってそこから始まるものだろう。ベテルではなく、私だった理由がもう一つ欲しかった。女しか好きじゃない。だから、ベテルはいいと思っていても男だから、顔の似た私に? ともなってしまって、結局は真相がぼやけてしまう気がしたのだ。第一に、私は女らしくない。可愛い令嬢のようになりたいと思っていても、長年の男装生活で男性という物が染みついてしまっている。だから、自分を可愛いとは思えなかった。
「貴様は、可愛い」
「ひぇっ」
「何を、ぶつぶつと言っているか分からないが、卑下するな。貴様が、社交の場に出ないのは知っている。それは、単に病弱だからなのか? それとも自信がないからなのか? そんなこと俺にはどうでもいい。俺が可愛いと言っているんだ。それを否定するのであれば、貴様は俺の目が狂っていると言っていると同義になるぞ」
「……殿下は、私が可愛いと」
「あ、ああ……」
と、頬をかきながら殿下は視線を逸らす。
本当に初めてのことばかり過ぎて、私は受け止めづらかった。両手に抱えきれないものを一気に手渡されて、ぽろぽろとあふれていくのを必死に防ぐので精いっぱいだ。
(殿下が、殿下が私のこと可愛いって!?)
自身がなかったのは認めよう。卑下してしまったことを、本来の自分――ペチカ・アジェリットを否定してしまいそうになったことを認めよう。そして、そのうえで、それを打ち壊して、殿下はペチカである私を可愛いと言ってくれた。ベテルと比べないで、私を好きと。
ドクン、ドクンと心臓が脈打ち、火照った身体は冷えてはくれなかった。
始めてもらう言葉で、胸がいっぱいになる。それと同時に、本来の目的を忘れそうになる。
(この状態で、婚約破棄をって言えないわ……)
殿下が伴侶を見つけたのち、皇帝になる。私はそれを夢見てきた。
彼が皇太子ではなく、皇帝にたって、この帝国を導いていく姿を。ずっと想像してきた。
だからこそ、第二皇子の派閥の力が強くなる前に、その力を知らしめて、皇位継承争いに勝たなければならないのだ。そのために、必要なのが婚約者であり、妻であると。
「その、もう一回いっていただけますか?」
「何をだ」
「か、可愛いって……」
「そ、そういうところが、可愛いと言っているのだ。やめろ」
「え、今私、何か!?」
本当に、惚れているようで、殿下は、私が見つめただけで、顔を隠す。本当に彼は私の知っている殿下なのだろうか。
(この間、つまらないとか言ってたくせに……あれが全部、照れ隠しだったとでもいうの?)
いや、それにしてはどんな照れ隠しだ。ひとを傷つける照れ隠しなど、照れ隠しなんていう、可愛らしい名前を名乗ってはいけない。私はあの時かなり傷ついたというのに、傷つき損というか。それは、殿下の言葉が悪いのであって。
もしかしたら、それもあって、今回は研究してきたのかもしれない。殿下が、恋愛の研究なんて笑わせるけれど、そういうのがあっても……
「クソ、貴様といい、ベテルといい……本当に俺をどうしたいんだ」
「それはこっちのセリフですが? ですが、やはり少し待っていただけませんか?」
「何だ」
「婚約破棄のことです」
「まだいうか」
殿下の甘い顔が、一気にいつもの険しい表情に戻り、深く椅子に掛け直す。
ガタンと揺れたテーブルに、残っている紅茶に広がる波紋。
殿下の気持ちは分かったが、それでも、私には確認しなければならないことがあった。何よりも、ベテルの昇進が決まっている現時点で、ペチカという足かせが出来てしまうのもと。
これは、私の意志ではなく、お母様の意志であるけれど。
一人二役を演じ続けるのには、さすがに無理がある。どちらかが消えなければならない、きっと、近い未来に。
「はい。待ってほしいのです。殿下が結婚を急ぐ気持ちは分かりますが。よく考えてください。一時の恋心に惑わされて、先の利益と未来を見誤らないでほしいのです」
「俺が、貴様と結婚すると、何か不都合が起きると?」
「……そういうわけではありませんが、第一、病弱な私に子供が産めるというのですか? 必要なのは、そこではないのですか。跡継ぎの問題は、どこも一緒で、肝心です」
「病弱には見えないが?」
殿下の疑わしいなという目が私を撫でるように向けられる。
私が、ベテルとして生きるのか、ペチカとして生きるのか。殿下との婚約は、その分かれ道にもなると思う。
殿下が、私が思っている以上にベテルに信頼を置いているのも一つの原因だ。そして、私に惚れているというのも。だからこそ、事実を伝えることなく、どちらかが消えることで、殿下にとっても裏切られたという気持ちにはならないのではないかと。酷な話ではあると思っている。
だから、今はバレてはいけない、そのことを優先しなければ。
どちらかが消えると決まるその日まで。けれど、タイムリミットがあるのも確かである。
私が、頑固に婚約破棄を口にするので、さすがの殿下も、何かがあると察した様で、俯いたのち、私の方を再度見た。彼が私に惚れている、そんな瞳は健在で、あちらもあきらめてくれそうになかった。
「――婚約破棄をしたい理由はペチカ嬢に好きな人がいるからか?」
「え?」
「ベテル・アジェリットが言っていた。貴様には好きな人がいると。だから手を引けと言っていた。それと、これと関係があるのか? 好きな奴がいるのか?」
と、殿下は私に詰め寄ってくる。
あの時言った嘘が、こんなところで回収されるなんて思ってもいなくて、好きな人がいないのにいるていで話が進められてしまい、私も困った。あの時の発言を撤回したい。けれど、それが今はある意味利用価値があるものに変わっていた。
「そ、そうです。好きな人がいるのです。幼いころから、お、お慕いしている人がいるので」
殿下の顔は見えなかった。けれど、ふっと火が消えたような、そんな焦燥が感じ取られ、少し寒気とともに、罪悪感が押し寄せてきた。
「そうか……」
ただ一言そういうと、殿下は、「初デートを台無しにしたな」と言って食べかけのチョコケーキを残し帰っていってしまった。それがより、私の中の罪悪感を膨らます結果となり、それでも、嘘と本当を混ぜた初恋というのは虚偽ではない。
「……幼いころの殿下が好きでしたよ。私は」
忘れもしない、幼き頃の記憶。
けれど、今の殿下は……
ぐっと握った拳は、剣だこをつぶし、ヒリリとした痛みが手のひらに伝わった。
13
お気に入りに追加
207
あなたにおすすめの小説
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~
如月あこ
恋愛
宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。
ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。
懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。
メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。
騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)
ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。
※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
女性執事は公爵に一夜の思い出を希う
石里 唯
恋愛
ある日の深夜、フォンド公爵家で女性でありながら執事を務めるアマリーは、涙を堪えながら10年以上暮らした屋敷から出ていこうとしていた。
けれども、たどり着いた出口には立ち塞がるように佇む人影があった。
それは、アマリーが逃げ出したかった相手、フォンド公爵リチャードその人だった。
本編4話、結婚式編10話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる