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第3部2章
09 思い出せない
しおりを挟むあれから一か月と数週間が経った。
殿下の記憶は戻る兆しが見えないが、周りの人たちが少しでもと協力して私たちが二人になれる時間を作ってくれたおかげで、距離が縮まった気がする。前よりも殿下の表情がやわらかくなり、そして同時に影で焦っているような不安な顔をすることが多くなった。眉間にしわを寄せて深刻そうにうなだれれ姿を見てしまったときは、あれだけ啖呵を切って何一つ思い出させてあげられないふがいなさに胸が痛んだ。
それでも殿下は私の前では笑顔でいることが多くなって、時々『公女』ではなく、『ロルベーア』と名前で呼ぼうとして、でもやめて、みたいなことを繰り返している。そういえば、殿下に名前を呼べと迫られて名前を呼び始めたのだが、どうやら今回は同じようになってくれないらしい。私がたまに「アイン」と呼ぶと、殿下は不思議そうに私を見るので、殿下呼びのほうがいいのかと治すが、そしたらまた不機嫌になるのでどっちなんだとはっきりしてほしかった。
今日は皇宮のほうにお邪魔して、赤バラが咲き乱れる庭園を歩いていた。もうこれも何度目かになる。それでも、この赤は、彼の真紅の髪を見ているようで胸が温かくなり、彼に囲まれている気分になるから好きだ。情熱的で、でも威厳というかトゲもあって。それも含めて殿下に似ているとおかしくなる。
「何を笑っている?」
「いえ。私はこの庭園が好きだと思って」
「どこも同じだろう。まあ、そこら辺の貴族とは違う腕のいい専属の庭師をつけているからな」
「そうですね……ああ、えっと、でもそうではなくてですね。殿下の髪の色みたいで好きだという話です」
「俺の髪の色?」
と、殿下は不思議そうに私を覗く。
そういえば、自分の髪色は血のようで好きじゃない、と言っていたことを思い出し、また不快な思いにさせたかなと思っていれば絵、彼は口元を覆って「そういう発想もあるのか」と感慨深そうに独り言をつぶやいていた。きっと彼は何気なく褒められるのが慣れていない。見返りを求めた、媚びを売るような誉め言葉はいらないのだろうが、こうやって自然と出た言葉に過剰に反応する。もちろん、いい意味での話だ。
(記憶は戻らないけれど、それでも少しでも彼が安心できて自然体でいられるのなら……)
ヴァイスの捜索は国を挙げて行われているが一向に足取りがつかめない。イーリスも精霊を呼び出して些細な魔力も感知できるようにと範囲を広げているらしいが手がかりがつかめないと。敵国にいたら探せるわけがないと誰かが言っていたが、もしそうだったとしても何かしらの方法でこの状況を楽しんで監視しているに違いないと思った。彼の好奇心を満たすことだから。
「公女は、本当に俺のことが好きなんだな」
「……っ、はい……ええ、もちろん」
そういえば、距離をとって敬語が抜けずにいたが、私が距離をとってどうすると、少しだけ以前の彼と会話するときのように口調をやわらかくして見る。それに気づいたかはわからないが、殿下は「どこが好きなんだ?」と一か月前には考えられなかった質問を投げてきた。
「どこが好きって、そうね……全部っていったら抽象的すぎるし、一日あっても足りないわ」
「そんなに俺にはいいところがあるのか?」
「いっぱいあるわよ。容姿もそうだけど、殿下の……アインのその心に、姿勢に惹かれたのもあるから」
「本当に物好きだな。俺のどこが好きなんだ」
「いくらアインでも、自嘲するのはやめてほしいんだけど。貴方はもっと自信にあふれていて、でも、些細なことが気になって腹が立つ男でしょ?」
「よくわかるな。本当に、この二年俺は公女とずっと一緒にいたんだな」
と、殿下は感心したようにうなずいた。
それでもそれがどこか、過去のこと、というように言われているような気がして、距離を感じる。気のせいだとは思いたいけれど。
「はじめは、まったく好きなんかじゃなかったの。でも、貴方とかかわるうちに目が離せなくなって、強烈なあなたの存在に惹かれていったわ。こうなる運命だって……きっと、アインはそんな言葉嫌いでしょうけど。私も、運命とかじゃなくて、もっと時間をかけてお互いを知っていったからこそ、だとは思ってる」
「そうだな。運命や、真実の愛はそう思いたいやつの都合のいい妄想に過ぎない。それでも、俺は公女を……」
「アイン?」
殿下はすっと手を伸ばし、庭園に咲いていたバラをつぶすようにつかんだ。トゲが、といおうとしたが彼の掴んだそのバラは赤色ではなくて、真っ白だった。
ぞっと、私はその純白を見て体が震える。そこにいるはずのない彼が私たちを監視しているように思えたから。そして、ほくそえんで、私たちの行動を楽しんでいる。
「どうした、公女。顔が真っ青だぞ」
「……嫌なことを思い出したので。殿下も、トゲがあるので気を付けてください」
「そうだな。まあ、こんなものに引っかかれるのも刺されるのも些細なことだろ。もっと激しい痛みを俺は知っている」
「そ、そうですね」
殿下にとって、トゲは些細なケガらしい。つばを付けたら治るくらいの認識なのかもしれないが、私としては彼の体に傷がつくのは見ていられなかった。
殿下は数秒、いや数分かそのバラを見つめ、何か思ったようにおもむろにそれをむしり取ると、ぐしゃりと白バラを握りつぶす。白い花弁がひらひらと舞って地面へ落ちる。
「どうしたんですか、殿下」
「いや、少し……気に食わなかった」
「白いバラが?」
「ああ」
と、殿下は短く返すと、それがなぜかわからないがといったうえで、白薔薇の花弁を踏みつける。
「なぜだろうな、無性に腹が立つんだ。この赤いバラの庭園に白バラが咲くことを……いや、白いものに嫌悪感、殺意すらわいてくる」
「それは……」
彼の顔がゆがんでいる。筋が立つか、たたないかくらいにゆがめて、眉間にしわを寄せ、目をキッと吊り上がらせていた。覚えていなくても、ヴァイスへの恨みは……いや、ヴァイスの容姿についてはキッと教えられているだろうから、それも含めて記憶喪失になる原因を作った彼に思うことがあるのだろう。私だって、白を見ると嫌でも思い出してしまう。
「手は」
「手?」
「けがはないですか。その、トゲが刺さったりとかは?」
「ない……いや」
「あるじゃないですか! もう、ほら、ここ皮膚がめくれている! あれほど注意してといったのに!」
些細なケガだ、とかいろいろ言ったけれど、結局彼はその体に傷をつけた。きっとむしり取ったときだろう。彼の右手の手の甲に引っかかったような傷がピーと伸びていて、あとは皮膚がめくれて少し血がにじんでいた。無茶苦茶だ、と思いながら、私は持っていたハンカチで数ミリほど出た血をふき取った。押し当てた部分に小さな赤いしみができる。
殿下は私の処置を黙って眺めていた。これくらいの傷、と突っぱねるものだと思っていたから意外だ。
「何も言わないんですね」
「そう、だな……別に、嫌だとは思っていない」
「そうですか。自分の体大切にしてくださいね」
「善処する」
「……」
「気を付ける。公女は固いな」
と、厭味ったらしく言って殿下はすっと手をどけた。
気にするに決まっているだろう、と私は殿下のほうを見る。私にとっては大切な人で、記憶をなくしても今の彼も、前の彼もアインザーム・メテオリートであることは変わらないのだから。私の婚約者の、最愛の人。
「それで、少しは思い出しましたか?」
「いや、何も。悪いが思い出せないな」
「そうですか」
「……気を落とすな。仕方ないことだろう。難解な魔法がかかっていると聞いた。落ち込むことはない。公女のせいじゃない」
「そうですね。でも、私は記憶を取り戻して見せるといったので……」
二年前の記憶をなぞるようなことをしてみても、同じような反応が返ってくるわけじゃない。それにむなしさを感じてもあきらめることはしなかった。どこかに思い出すきっかけがあるはずだと、そう思って私はあきらめなかったのだ。
殿下もなんだか申し訳なさそうな顔でこちらを見てきたので、私は顔をそらした。
「公女」
「何ですか殿下」
「……俺は、今の公女のことを、少し気に入っているが。こういう気持ちで、俺は公女を好きになっていったのだろうか」
「え?」
思わぬ言葉に私はに彼を二度見してしまった。
気に入っていると、そうはっきり口に出していったのはこれが初めてだった。何も変わらない、思い出せないと思っていたのだが、新しく芽生えたその気持ちが恋なのかどうか、と殿下は私に聞いてきたのだ。
もしかすると、と私は期待に鼓動が早くなる。
それは、つまり、二度も私に――
「わ、そう、だと、思います。私は、殿下じゃないのでわかりませんけど。殿下がそう思うのなら、それが正解かと」
「答えをくれないんだな。公女は」
「……私だって、貴方に好かれた理由はわかりませんもん。自分が殿下を好きになった理由は知っていても」
惚れた理由をはっきり言ってくれたけれど、過程とか、もっと具体的にとか問い詰めたことはなかったから、確かに好きや愛しているの輪郭がふわりとしている。それは、殿下がそういうものを知らなかったからだと思っていたが、単に恥ずかしくて言わなかったのかもしれない。全部知っていると思っていたのに、まだ知らない面が出てくるなんて思いもしなかった。
殿下は、そうか、とつぶやいて、私を見た。夕焼け色の瞳は空の青を寄せ付けないくらいはっきりと色鮮やかに輝いている。
「公女、俺は――うっ」
「アイン!?」
何を言おうとしたのだろうか。殿下は、うっ、と声を漏らした後、頭を押さえてその場にうずくまってしまった。彼の背中をさすれば尋常ではない汗をかいており、その額にも汗がにじんでいた。彼の顔が青くなっていって、呼吸が荒むごとに、私はどうす場いいのかわからなくなる。
なぜいきなり?
発作など持っていなかった。となると、この原因は――
(魔力、を、感じる。私にでもわかる!)
彼を縛り付けるようにゆっくりと浮かび上がった白い魔法陣のような光の円盤は、殿下の頭の上からすっと彼になじむように消えていってしまった。そして、次の瞬間殿下は意識を失ったように横に倒れてしまう。心臓の音は聞こえていたが、私の声は聞こえていないようだった。誰か、と私はパニックになって叫ぶと、すぐにマルティンがやってきて、医者と騎士をと慌てて人を呼ぶ。
私は下がっているように言われ、しばらくして運ばれていった殿下を見守っていることしかできなかった。
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