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第3部2章

01 安否

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「はあ……はあ……」


 長く冷たく永遠のように続いている皇宮の廊下を不規則なヒールの音を鳴らしながら走る。自分の息遣いも、心臓の音もやけに鮮明に聞こえ、それすらもすべて警告音に聞こえてしまった。


「アイン……アイン、お願い、無事でいて……っ」


 昨日は、土砂降りで馬車を走らせることが出来なかった。
 殿下が、敵国からの帰り、何者かの襲撃を受け意識不明の重体だと。しかし、身体に目立った外傷はなく、ぶつけたのが頭だったので、意識不明……と。伝達の仕方が悪かったのかもしれないが、頭を打って意識が戻っていないということはとても心配だった。眠れない一日を過ごし、そして、朝一番で馬車を飛ばして皇宮まで来た。このニュースは、知る人ぞ知るといった感じで、まだ周りには漏れていない。ただでさえ、敵国であるフルーガー王国との関係が悪いのに、戦争の英雄とも言われた殿下が重傷を負っているなんて国民に知れ渡れば、すぐにもその恐怖が伝染してしまうだろから。


「はあ……はあ、きゃあっ」


 広い廊下を一人で走るのは辛く、急がなければと思えば思うほど、怖くて足がもつれ、重くなる。そうして、床に顔をぶつける結果となれば、私はその場で痛みを抑えながら立ち上がるしかなかった。


「大丈夫ですか! ロルベーア様!」
「まる、てぃんさん……」


 前から走ってきた、見覚えのある補佐官に、私は涙がこぼれそうになる。それは、マルティンもそれなりにけがを負っていたからでもあり、顔見知りに会ってしまったからかもしれない。もし、今マルティンに殿下の危篤を知らされたら私はもう立ち上がれないだろう。
 マルティンは私に手を差し伸べ、心配そうに顔色をうかがう。
 私は、心配をかけないように取り繕うとしたが、やはり殿下がかかわっていることなので、そう簡単に取り繕うことなどできず、泣きそうな顔を見せてしまう羽目になった。それでも、マルティンは何も言わずに、怪我していませんか? と優しく聞いてくれる。その言葉だけでも、少しだけ救われて、胸が締め付けられる。


「アインは……殿下は……」
「今も主治医が診ています。目立った外傷は……頭を狙われたみたいで」
「……そんな。誰が、誰が!」
「落ち着いてください。ロルベーア様……それは、何もまだ」
「敵国が、殿下を狙ったってことですよね。そうよね……でも、何で。警備は?」

 それが不思議だった。いつも以上に、警備を強め、護衛を何人も引き連れていったのに、彼は狙われた。頭を……そんな殺意のこもった攻撃を防げなかったのだろうか。それとも――


(また、ヴァイスがかかわっているの?)


 殿下が目を覚まさない以上、その詳細については分からない。けれど、殿下を不意打ちで狙えるといったらやはり、ヴァイスくらいしかいないのだ。的確に頭を。貫かれたという話ではなく、ぶつけたと言っているから、殿下も気づきはしたんだろうけれど。
 いくら考えても、私の頭じゃ考えられることなど限られていた。
 マルティンはそんな私を見て、申し訳なさそうに視線を下に落とす。マルティンも、頬や、手を怪我しているのに、私のことを気遣ってくれて……マルティンだって、殿下の隣で戦ってきて、彼を守ると誓っていたのに守れなくて苦しいだろうに。それも、それを目の前で見て。よっぽど私よりも辛いのだろう。守れなかった後悔と、絶望と。
 私だけじゃない、とどうにか奮い立たせ、おちてきそうな涙をぬぐった。


「ごめんなさい。取り乱してしまって」
「いえ。取り乱すのも無理ないです。わたしがついていながらも、殿下は……」
「マルティンさんだけのせいじゃないと思うから。貴方も、そんなに肩を落とさないで……と、言える立場じゃないけれど。ありがとう、アインのことを思ってくれて」
「いえ、いいえ……ロルベーア様」
「何?」
「ロルベーア様も、強くなられたんですね。殿下と同じように」
「え、ええっと、そう見えるかしら」
「はい。おそばにいた期間など少ないですが、ロルベーア様は出会った時よりも美しく、強くなられていると……あっ、あの、殿下には内緒で。目をえぐり取られてしまうかもしれないので」
「え、ええ、そうね。アインは、そういうところあるから」


 殿下のことを理解しているところを見ると、やはりマルティンも殿下のことをしっかりと見てきたんだということが分かる。それと同時に、そんなマルティンがいて殿下は本当によかったと、支えられてきたんだろうなということも分かり、胸が温かくなる。しかし、こんなところでほっとしているわけにもいかず、私は、マルティンに部屋に案内するよう求めた。


「でも、本当にどういうつもりなのかしら……」
「フルーガー王国ですか?」
「ええ……交渉はうまくいったの?」
「はい、問題なく。しかし、殿下は交渉前後、周りを気にしていました。そこにいない誰かの視線を探すように」
「……」
「心当たりありますか?」
「ええ、私をさらった男――ゲベート聖王国の第一王子、ヴァイス・ディオス」
「そうでしたか……殿下が、夜な夜な探していたのはその男だったのですね」
「ゲベート聖王国の資料が皇宮にあるの?」
「はい。といっても、あるのはごくわずかですが。その中から、殿下は探し当てたんでしょうね。その男の正体を」
「そうね……」


 殿下はあの日、私を助けに来てくれた時にはすでにヴァイスの正体に気づいていた。殿下は私の知らないところで、ゲベート聖王国について調べ、またヴァイスに対する対策を練っていたのだろう。しかし、いくら殿下とは言え、不意打ちで魔法を撃たれれば、その剣で粉砕することもできず当たってしまうと……
 つきましたよ、といわれ、私は殿下が寝ているという部屋の前で止まる。深く深呼吸をし、意を決して扉を開く。少し明るい光に目を細めつつ、部屋の中に入れば、薬品の匂いで満たされた部屋に真紅の彼が横になっていた。


「アイン!」


 名前を読んで書けよって見ても、彼は起きる様子がなく、死人のように眠っていた。頭には何重にも包帯が巻かれ、白くやつれているようにも思える。毒でも撃ち込まれたのかと思ったが、そうではないらしく、ただ衰弱しているようだった。それでも、恐ろしいことで、私は傍らにいた彼女の存在に気づくのが遅れてしまった。


「ロルベーア様!」
「い、イーリス? 何でここに?」


 彼女は大きく目を見開き、それから、スッと殿下に視線を戻した。彼女は殿下の手を握っており、そこから神力を流し込んでいるようだった。


「お役に立てればと、治癒魔法を……これも、聖女の役目ですから」
「……ありがとう。イーリス」
「だいぶん具合はよくなったと思いますが、まだ目は覚まされていなくて……ロルベーア様も、握ってください」
「え、私には何も力はないわ」
「愛の力で目が覚めるかもしれません」


と、イーリスは真剣な表情で言ってきた。殿下ほど愛を信じていなった人に、そんなこと……と思ってしまったが、あまりにも真剣に見つめられたので、一縷の望みをかけ、そっと彼の手に触れようとした。すると、ピクリと指の先が動き、んん……とくぐもった声が、横たわっていた殿下の喉から発せられた。

 真紅の髪ははらりと、額に落ち、長い睫毛の瞳はゆっくりと開かれ、その美しい夕焼けの色が天井を映す。


「アイン!」


 もしかして、愛の力が? など、一瞬思ってしまったが、次の瞬間、殿下と目があい、私は思わず胸の前で手を握り、無意識のうちに口が空いてしまった。みっともないと思いながらも、彼が目覚めたことに、感動し、言葉も出なかったのだ。
 しかし、殿下は私の声が不愉快だと言わんばかりに眉を顰め、それから傍らで手を握っていたイーリスの方を向いた。イーリスは戸惑いを隠せないようで、私に助けを求め顔を上げれば、同じタイミングで殿下も私の方を向く。数度瞬きし、怪訝そうに顔をしかめれば殿下は口を開く。
 そうして、次の瞬間放たれた言葉で、私は一気に天国から地獄へと叩き落された。


「――誰だ。お前」

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