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第3部1章
10 虫の知らせ
しおりを挟む「今日こそ、勝たせてもらうぜ!」
「何度やっても、結果は同じだと思いますが……」
「二人とも怪我しないようにね」
少し雲のかかった昼下がり。訓練場には、ゼイとシュタールが手合わせをしており、なん十回目の敗北をゼイが刻むところだった。シュタールは、環境が改善されたことで、元あった筋肉も戻り、体力もつき、公爵家の騎士では誰も勝てないほどの強さになっていた。天性の才能、そして努力。その二つが合わされば、彼に勝てるものなどいなかった。ただ、負けず嫌いなゼイは、勝てないと誰もが諦める中でも、果敢に彼に立ち向かい、そして敗北を刻んでいった。
また、ズザザザと、なんとも痛そうな音を立てて、彼はシュタールに吹き飛ばされる。
「ふふっ」
「ああ! お嬢わらったな! こちとら、真剣なのによぉ!」
「真剣だからこそよ。二人とも、雨が降らないうちに切り上げなさいよ」
「お嬢は、どこに行くんだよ」
「家の中に一足先に帰らせてもらおうかしら」
「今度は勝つのに。なあ、お嬢見てってくれよぉ」
と、ゼイが甘えたな声で言ってくるので、たたんだ日傘を再び開いて、仕方なく私は着席する。
シュタールも、めんどくさそうに息を吐き、剣を構え直す。
ゼイは体力があるからいいけれど、シュタールはすでにつかれているだろう。今日だけで、もう五回以上は剣を交えている。そこをつくとは、なんとも厭らしいのだが、売られた喧嘩は買う主義なのか、シュタールもそこでやめるということはしなかった。
暑苦しい、なんて思いながらも大きな弟が出来たようなそんな気持ちで私は二人を見守っていた。
(殿下、どうしているかしら……)
殿下は、数日前に帝国を出発し、フルーガー王国との和平交渉に臨みに行った。いつも以上に、騎士を引き連れ、マルティンも彼の補佐官としてついていったので、現在皇宮に行く予定はない。交渉が終わり次第、一番に私の所に帰ってくると約束までしてくれた。
相手の居場所がわかる指輪をつけて、高らかに帝国を出ていった彼の後姿は、もう直皇帝になる男の背中だな、と感心すらした。
速くて今日か、明日頃には戻ってくると言っていたが、今日はまだそういった知らせが入っていないため、帰ってくるのは明日になるだろう。帰ってきたら、恥ずかしいけれど、抱きしめて頑張ったわね、なんて言ってあげたら、殿下は喜ぶだろうか。
(ううん、私が会いたいのよ。早く)
たった数日、数週間空いただけでも、こんなに会いたい気持ちが抑えられなくなって膨れ上がる。それほど、私は彼のことが好きだった。いないと不安になるし、一緒にいてほしいと我儘になってしまう。でも、きっと彼も同じ気持ちだから、恥ずかしくはない。同じ気持ちでいることに安ど感すら覚えるほどだ。
「公女様」
「ああ、もう決着がついたの?」
「……見ていなかったんですか」
「え、ああ、ごめんなさい。少し考え事を」
「考え事、とは……皇太子殿下のことですか」
勝敗がつき、こちらに走ってきたのはシュタールで、後ろで伸びているゼイを見ると、今回も駄目だったらしいと、思わず苦笑してしまう。
「ええ、なんでわかったの?」
「いえ……この間、一度皇太子殿下に会ったので」
「アイ……殿下に?」
「はい。その、いきなり喧嘩……ではなかった、吹っ掛けられて」
全く、隠しきれていない言葉は置いておいて、いつシュタールと殿下があったのだろうかと不思議になった。だって、公爵家に訪れれば、私の顔を見に来るだろうし、シュタールが皇宮に呼び出されたとかではないだろうから。
謎は残るが、そこについては話すつもりはないらしく、シュタールは話を続けてもいいかと催促をする。
「殿下が、何かしたの?」
「手合わせのようなものです」
「結果は?」
「……負け…………互角でした」
「隠さなくていいわよ。だって、殿下は帝国一のソードマスターだから」
「……」
「恥ずかしいことじゃないわ。でも、外に視野を向けることも大事よ?」
私がそういえば、シュタールは悔しそうにうなずいた。公爵家の中で強いとはいえ、もっと強い人間はいる。それこそ、殿下なんて、戦争の英雄だし、そんな英雄がパッとでの騎士に負けるようだったら、帝国の未来は暗いだろう。彼が、完全無欠、最強を謳っているからこそ、軍事的にも士気が上がり、彼を支持する声が大きいのだと思う。
シュタールからすれば、初めての敗北なのかもしれないが、それをばねにさらに強くなってくれることを期待している。
「でも、この間のは驚いたわ。本当に試してみるものね」
「……そうですね」
「あら、すねているの?」
「いえ。ただ、俺は、皇太子殿下のことが嫌い……苦手だなと思いまして」
(なんか、さっきから、かなりとげとげしいわね……)
少し調子に乗っているのではないかと、どうにかならないものかと見つめていれば、気が付いたようにハッとシュタールは手を後ろで組んだ。
祖国で虐げられ、そして、貴族に虐げられ、階級の高い権力でねじ伏せてくるような人間のことをシュタールは嫌っているのかもしれない。でも、郷に入っては郷に従えで、公爵家に身を置くのなら、私の婚約者に対して……帝国の星に対してはもう少し態度を改めてほしいものだと思った。
「まあ、殿下はちょっと気性が荒くて、皮肉もいうし、煽ってくるけれど、悪い人じゃないのよ。ちょっと子供なだけで……だから、そんなかみつかないで」
「公女様がいうのなら……でも」
「どうしたの? シュタール」
「……似ているので」
と、明らかに殺意と憎悪をにじませた声でシュタールは震えこぶしを握る。ぎゅっと、音が聞こえるほど、その肉を強く握ったのが分かり、私は眉を顰めるしかなかった。
何があるのかは分からない。でも、シュタールもはぐらかす癖があるからきっと教えてくれない。
彼が、ゲベート聖王国で受けた仕打ちも、貴族に奴隷として飼われていた日のことも……きっと、彼にとっては思い出したくないほどのもので、そして思い出すたびに強く憎しみがこみあげてくるのだろうと。
「わかったわ。でも、殿下の前ではそれは隠すのよ。あの人、何をするか分からないから」
「……婚約者なのではないのですか?」
「婚約者だからってすべてが止められるわけないのよ。そんな、私がストッパーみたいな」
「……でも、皇太子殿下は、公女様のことを考えているとき、顔が緩むので。公女様には、殿下のことを止められるのだと」
「それならいいのだけど。そんな、飼いならすみたいなことはできないわよ」
「……」
「な、何その目」
「いえ。公女様も、だいぶん重症だと思いまして」
シュタールはそういうと、スッと一歩後ろに下がった。どういうことかと問い詰めたかったが、そのころにはゼイが起き上がって、こっちへ向かってくるのが見えた。
「も、もう、大丈夫なの? ゼイ」
「何で、お嬢がてんぱってるのか知らねえけど、なんか、虫の知らせ……」
「む、虫の知らせ?」
「なんか嫌な予感するぞ……」
「ちょっと、不吉なこと言わないでよ」
ゼイの鮮血の瞳が険しく細められる。縦長の動向がキッと何かを察知したように収縮すれば、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
「いやだ、雨……」
「公女様、屋敷の中に入りましょう」
「え、ええ……」
シュタールは、私の背中をおそうとしたが、自分の手が汚れていることに気が付き手を引っ込めた。
雨はすぐに真っ白くなり、あたりを覆いつくす。豪雨が私たちの身体を冷たくしていく。
「――お嬢っ」
ゼイが私を呼んだ次の瞬間、リーリエが傘もささずにこちらに向かって走ってきた。その慌てようと、息が切れている姿を見て、ただ事ではないと、私の胸もぎゅっと何かを感じ取って締め付けられる。この嫌な予感の正体は――
「お嬢様!」
「り、リーリエ。どうしたの?」
「……かが……」
「え、何……?」
「皇太子殿下が何者かの襲撃を受けて、意識不明の重体だと!」
「……っ」
ひゅっと、喉の奥から音が鳴る。心臓を鷲掴みにされたような、頭に石でも落下してきたような勢いで殴りつけられる。ドッドッドと、脈打ちだした心臓は酷く氷のように冷たくなっていた。嫌な汗は湧いて出て、それを雨が流していく。
(嘘、嘘よ……そんな……)
倒れこむように、その場に足をつけば、リーリエやゼイの声が遠くで聞こえてくる。
誰か嘘だと言ってほしかったが、この胸の嫌な感じは、それを嘘だと否定してくれなかった。
「……アイン」
瞼の裏に映ったのは、私に背を向ける、あの真紅の愛しの人の姿だった。
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