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第2部2章
05 海の魔物
しおりを挟む「――と、愛しの番が教えてくれなければ、気づかなかったな」
「……」
「貴様、気配を消すのが上手いな。ただものじゃないと見た……殺す前に、その面だけ拝ませてもらおうかッ!」
キンッ! と、間一髪殿下が、黒いローブの男の攻撃を防ぐ。男は、後ろへ大きく飛び、距離をとるとナイフを構え直した。
(よ、よかった……)
あのまま、あの短刀が殿下の身体に刺さっていたら。考えるだけでも恐ろしく、それこそ失神してしまったかもしれない。
私の前で剣を構えていたマルティンもほっと胸をなでおろしていた。彼からしても、今のはかなりピンチな状況だったらしい。
「あの殿下が、気づかないほど、気配を消せるとは……」
「そういう魔法なんですかね?」
「ここからじゃなんとも。しかし、反応の速度や、相手の急所を狙っていたところから、かなりの手練れだと思われます。他の海賊たちとはまた違う。あの男だけ異質です」
と、マルティンは注意深く観察する。
殿下や、マルティンがそう思うのなら、きっとそうなのだろう。素人の私には何が何だか分からなかったが、ただ、あの男が他とは違う、ということだけは分かった。動きが人間離れしているような、反応速度だけでいえば、本当に――
(大丈夫よね……?)
まさか、そんな手練れがいたとは思わず、少し不安になってきた。だが、私にできることなど何もなく、今のように、必死に彼の周りの状況を念じて伝えることしかできなかった。ここからでは聞き取れなかったが、番の離れていても、互いの感情が伝わってくるという特性が、殿下を守ったのだろう。そう思うと、番契約を切ることは、デメリットばかりではないと思ってしまう。
「それでも、決めたことなのよ……」
「何かおっしゃいましたか? ロルベーア様」
「いいえ、何も。そういえば、なぜ海賊はこの船を狙ってきたの? 殿下は、最近よく海賊が出るともおっしゃっていたけど」
「さあ、詳しいことは。噂ではありますが、人の命を奪うことを目的としているのではなく、通行止めのような形で、自身の船をぶつけ、金品を奪っていくとか……」
「じゃあ、今回は、その通行止め? でも、何のために……」
皇族が乗っている船だから、お金があると思ったのか。けれど、あまりにリスキーすぎる。後続を守るための騎士なんて、そこら辺の貴族の騎士よりもよっぽど強いし、訓練されている。そんな人たちが乗っている船にわざわざ乗り込んでくる理由が分からない。
となると、通行止めの意味か。この先に、海賊たちのアジトがあるから、そこに行かせないためなのか。これも、なんだかしっくりこない。この先と言えば、ゲベート聖王国か、小島くらいしかないし、ゲベート聖王国をアジトにしているとは考えにくい。また、海賊が、ゲベート聖王国出身でないことは、彼らが魔法を使わない時点で一目瞭然だろう。
(じゃあ、何で?)
通行止め? その意味がよくわからなかった。もし、理由が分かれば、交渉して、どうにかこの無意味な争いを止めてもらいたいところなのだけど……
「……っ、そういえば、さっき、黒い影がって話していなかった?」
「していました。ですが、それと何の関係が? ……ロルベーア様?」
「もしかすると、その影と、海賊に何か関係がるのかもしれない」
今はまだか分からないけれど、ただの憶測にすぎないけれど。もし、私の思っていることがそうなら、”通行止め”の意味が変わってくる。
(これを、殿下に知らせたいけれど……)
殿下は先ほどのローブの男と戦っている最中だった。苦戦しているようで、なかなかこちらに戻ってこられそうにない。彼の集中力を欠くのだけは絶対にしたくなかったし、かといって、その間に何か起きてしまったら――
(でも……っ)
この発見は大きかった。もしこれが事実なら、それをいち早く殿下に知らせてあげなければ。
「マルティンさん」
「は、はい。どうしましたか? ロルベーア様」
「殿下に伝えたいことがあるんです」
「そ、その伝えたいことなら、番のあれそれで」
と、マルティンはここから出るのは危険だと必死に訴えかけてきた。確かに、番のテレパシーで出来なくもない。だが、上手く伝えられる保証がなかった。一つの手だとは思う。けれど、それは殿下の集中を欠く要因となる。そのすきをつかれて殿下に何かあったら。
あの男さえ、どうにかできれば、殿下に伝えられるのに……
私は、祈る思いでじっと彼らを見つめ、早く殿下がその男を倒してくれるのを願った。
「――ちょこまかと! 鬱陶しいな。貴様」
「……」
「何か言ったらどうだ? それとも、口なしか?」
「……アンタら、今すぐに引き返した方がいいよ?」
「何?」
殿下の動きがぴたりと止まり、男は短刀を握りしめたまま、こちらに向かって走ってきた。
「な、なに!?」
いきなりのことで、殿下も反応が遅れ、しまったと男の後を追うが、男は騎士や海賊たちの間を潜り抜け私のいる方にまっすぐに走ってきた。マルティンが剣を構えたが、彼と対峙する前、男は高く飛躍し、マルティンを飛び越えると、スタッと私の前に飛び降りた。
「……っ!?」
「ロルベーアッ!」
短刀を持っていない方の手で私の手を掴んだ男は、鮮血の瞳を私に向けると、ニヤリと口角を上げた。
黒いローブの奥から見えたのはその光る鮮血の瞳と、水色の髪の毛だった。
「……な、何……?」
「お嬢さん、アンタいい目、してんな」
ぐっと、力を込められた手の骨が軋む。それと同時に、彼の指の爪が黒く鋭くとがっていることに気が付いた。普通の人間では考えられない、まるでドラゴンの爪のようにとがっていた。
「――え?」
「おい、ロルベーアから離れろ!」
男の後ろから殿下の声が聞こえ、男から視線を逸らすことなく、剣を構えていた。
だが、男はそんな殿下に動じず、ローブを外すと、その黒いフードの中から、少しウェーブのかかった水色の髪が飛び出した。低く結んだその髪は、鮮やかな水色で、一瞬女性とも思えたが、顔つきも骨格も男性そのもので、そして左頬にうろこのようなものが見えた。
「え……?」
「公女、伏せろ!」
殿下は、そういって剣を振りかざす。目では追えない音速の刃が、男の首を狙う。しかし、男は口角を上げ、余裕気に口を開いた。
「――いいのか? そんなことしたら、当たっちまうぜ?」
「……ッ!?」
――シュンと、振りかざされた剣は、私の首元すれすれで止まった。
殿下は、私に剣を向けてしまったことで動揺し、その場で固まると、激しく瞳孔を揺らす。
「ろ、ロルベ……」
「わ、私は大丈夫です。殿下! てか、貴方、離しなさいよ!」
「今離したら、たぶんアンタ転ぶけどいい?」
「は?」
男がそういったかと思うと、船が先ほどよりも大きく揺れ、水しぶきをあげながら、何かが海中から飛び出した。
甲板には海水の雨が降り注ぎ、その間にも船は激しく揺れていた。
「な、何が起こってるの?」
殿下もこの状況に驚いていたが、さらに驚くことが起きてしまった。海に飛び出たものは、私たちの船の前に現れると、その巨体をアピールするように体を広げた。甲板にいた一人の騎士が叫んだ。
「う、海の中から大きない、イカがッ!」
パニックが、甲板に伝染していき、思わぬ未知との遭遇に騎士だけではなく、海賊たちも慌てふためき、あちらこちらで尻もちをついていた。
うねうねと動く体毛はてらてらと輝き、獲物を狙っているようにゆっくりと触手を伸ばす。そんな、大きなイカが私たちの船をその体で包もうとしているようだった。
「ほーら出やがった。阿呆みたいに、あいつのテリトリーに突っ込むからだ」
「あ、貴方!」
「おい、公女を離せ」
「はいはい、もーいいぜ。気づいてくれたのに、手遅れになっちゃったしよお」
と、男はパッと手を離し、殿下に押し付けるようにして私を投げた。
「だ、大丈夫か。ロルベーア」
「え、ええ。大丈夫です。殿下……ですが、あれは」
「……海洋魔物のクラーケンだな。かなり手ごわいぞ。それも、かなりの大きさだ」
殿下は私を胸で受けとめ、サッと抱きしめると、目の前にうごめく大きなイカ――クラーケンを睨みつける。クラーケンは船を包むように触手を這わせており、船もろとも沈めるつもりのようだ。
「殿下ッ!」
「大丈夫だ。ロルベーアは俺が守る」
その大きな口に飲み込まれそうになるが、殿下は私を庇うように抱きしめ、剣を構える。
しかし、私はそのクラーケンよりも、先ほどの男が気になってしまい、隣で、茫然と立ち尽くす水色の髪の男に声をかけた。
「ちょっと、貴方!」
「何? お嬢さん」
「もしかして、貴方、クラーケンが出ることを予見していたの? ここが、そのテリトリーだって……もしかして、私たちをそこに行かせないために?」
「そっ。あ、いっとくけどオレは、海賊じゃねえからな? 長年この海を見てきたが、この大きさになったあいつに飲み込まれた船は、一隻、二隻じゃない。テリトリーにさえ入らなければ無害だが……まーこうなっちゃ、沈没を待つだけだな」
「ち、沈没!?」
私は慌てて周りを見まわす。もう、クラーケンの触手はすぐそこまできており、いよいよ飲み込まれてしまいそうだった。騎士たちや海賊たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、甲板はパニックに陥っていた。
「で、殿下!」
このままではまずい! と、頼みの綱である殿下の方を見れば、諦めたように、クラーケンの方を見つめていた。まさかとは思って、彼の腕にくっつき揺さぶってみる。
「殿下ってば! た、倒せるんですよね。で、殿下はお強いと聞いたので……」
「んーさすがの俺でも無理かもしれないな」
「嘘!?」
(いや、諦めないでよ!? 帝国一のソードマスターなんでしょ!?)
と、声を大にして言いたかった。でも、今の感じだと、諦めているというより、どうでもいいというようなニュアンスにも声色がとれ、心なしか、棒読みだった気がする。
「さすがの俺でも、ここまで大きなクラーケンを一人で倒すのは難しいな。それに、船が沈みかけている以上、時間の問題だろう。足場も悪い」
「待ってください、諦めるんですか!?」
「いや? 適任者がいるから、そいつに任せようと思っているんだ――なあ、竜人族の男」
と、殿下は嘲笑うように、水色の髪の男に視線を移し、どうなんだ? と問いかけた。
水色の髪の男は、ハンッと鼻を鳴らし、舌なめずりをする。
「んじゃ、このクラーケン! オレが倒したら、さっきアンタに剣向けたこと、チャラにしてくれんのか? 皇太子殿下様よぉ!」
「考えておこう。活躍次第でな」
男の質問に、殿下はあいまいに答えると、男は腕を天高く振り上げた。刹那、彼の頭上に暗雲が立ち込め、青い稲妻が彼に落ちる。まばゆい光に目をつむっていれば、次の瞬間には、男の身体は青く分厚いうろこに包まれた大きな竜へと変化していた。
「……ど、ドラゴン?」
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