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第2部1章

08 鳥籠の公女

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(やっぱり、初めから狙いは殿下だったのね――)


 うすうす気づいてはいた。彼女の瞳の奥にいるのは、彼女のにじみ出る殺意の矛先にいるのは殿下だということを。でも、私は話せばわかると、自分の主張をしたいがために、ここにきてしまった。いわば、ここは彼女のテリトリーであり、私が助けを呼んだところで、誰も来やしない。わかっていたのなら、手紙を書く必要も、こうしてここに来る必要もなかったのだろう。
 でも、私は、殿下のことを悪く言われて、引き下がることが出来なかった。また、妹を失い悲しみにくれている彼女に忘れられていないということを伝えたかった。けれど、私の言葉では彼女を悲しみの底から救い出すことはできなかった。
 当然だ――だって、私は悪女だったのだから。私の言葉なんて誰も信じない。それに、婚約者が、番がいて、幸せになった私を、幸せになれなかった妹を持つ彼女が受け入れてくれるはずない。
 わかっていたのに、私の傲慢な精神が、また、殿下を危険にさらしたのではないかと。


(あのときだって、私が、殿下の番だったから……)


 狩猟大会の時もそうだった。強姦されかけたところに、殿下が助けに来てくれて、事なきを得たが、そうじゃなかったら……番である故の弊害。狙われ続ける人生。
 番でなくとも――皇太子の婚約者である限り、私は彼の唯一の弱点となり続ける。番である以上は、番であるがゆえに、私が死ねば、二度と殿下は他の女性と結ばれなくなり、子供を残すこともできなくなる。その血は潰えるのだ。
 けれど、ここに来たことを後悔してばかりではいられない。


「狙いは、殿下? でも、殿下に何をするの? 今更復讐?」
「貴方には分からないでしょうね。妹を失った悲しみは――あの男さえいなければ、今頃妹は、好きな人と結婚できたはずなのよ。幸せになっていたはずなのよ! 全部あの男が!」
「……だったら、貴方が無理にでも皇太子のもとに番にいけばよかったんじゃない」
「それは、お父様が!」
「人のせいにするなんてかわいそうな人。そんなに、妹を思っていたのなら、貴方が代わりになればよかっただけよ。貴方だって、分かっていたんでしょ? 一人目の番が殺され、殿下の悪い噂を知っていたから……殺されるのが怖かった。だから、父親の命だからと、妹を番として送り出した。違う?」
「うるさい、うるさい、うるさい――! 貴方に何が分かるのよ!」


 ぶわりと広がった、殺意は、彼女の背後を飛び回っていた蝶に伝達されたように、その場で羽をばたつかせると、ものすごい勢いで私に向かって飛んでくる。
 蝶は、彼女の憎悪を原動力に飛んでいるのか、どこからともなく生え、増えていった。その光景はおぞましく、逃げようにも逃げれない私の足元にも飛んできたため、私は思わず転倒してしまう。シュッ、と蝶の鋭利な羽が足や、ドレスを切り裂く。弔いの意味も込めてきて来た、深い緑のドレスは八つ裂きにされ、あっというまにボロボロになってしまった。
 必死に立ち上がって逃げようとするも、シュニーは笑ってみているだけで、手を出すそぶりすら見せてこない。
 足に引っかかったのかスカートの部分は太ももほどまで短くなり、スリットが際どい部分まで深く入ってしまう。殿下に見せたいものではないな……と思いながら私はその場を駆け出した。しかし、ヒールでは上手く走れず、こけてしまいそうになると目の前に蝶たちが飛んできたためか滑り倒れてしまう。
 違う、身体から力が抜けて――痺れたように動けなかったのだ。


「うっ……」
「ああ、痺れるでしょ? この蝶は魔物の血を取り入れた人工的な魔法生物なのよ」
「魔法、生物……?」
「ええ。少し前に、私たちの家を訪ねてきた貴族に教えてもらったの。魔法を増幅させる方法を。魔法ってね、感情の高ぶりによって真価を発揮するらしいわ。私の、煮えたぎる皇太子への殺意や憎悪……それに反応して、私の魔力は増幅され、私の魔力によってつくられたこの蝶たちはさらに凶暴に、強くなった――」


 フフフフフ、と不敵に笑いながら、シュニーは自身の指先に蝶を止まらせると、くるくると指の上で回し遊びながら続ける。


「ほら、みてごらんなさい」


 パチン、と彼女が指を鳴らせば蝶は飛び上がり私の頭上で渦を巻きはじめた。その異様な光景に私は思わず息を呑む。
 ひらひらと舞い落ちてくる鱗粉を吸い込み、私は喉が焼けるような熱さに、顔を歪めた。


「あ……っ、う……」
「ふふ、あははは! 馬鹿ねえ。鱗粉を吸い込む阿呆がどこにいるんですか。ここにいましたねえ。ああ、聞いてなかったんですか? 貴方が動けなくなったのは、その鱗粉を吸ってなんですから。ふふ、別に、死に至るまでのものではありませんわ。でも、皇太子が来てから、じっくりと苦しみを味わわせて殺してあげるわ。そうしたら、私の気持ちも、皇太子に伝わるでしょうね。愛しいものを殺される悲しみが!」


 シュニーはけらけらと笑うと、私を見下ろし、さらに言葉を続けた。


「あら? まだ逃げるつもりかしら? でもどこに? もうじき、貴方の愛しーい、皇太子が助けに来てくれるでしょう? そんなに動いて、力尽きられたら……ああ、でも貴方の命なんてあってもなくても大して変わらないわね。運良く助かっただけの女じゃない。貴方は」
「……っな……」
「妹も、貴方のことを嫌ってましたのよ。挨拶をしても無視されたって。随分ご立派な耳ですよね。階級が下の者の挨拶など聞くに堪えないなんて!」


(この性悪女……)


 ギリッと奥歯を噛みしめれば彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
 本当に、ロルベーアのやったことが、今自分に降りかかっているこの現状が腹立たしくて仕方がない。ロルベーア・メルクールとして生きていくと決めたけれど、それでも身に覚えのないものを、背負って生きていくことが、これほどまでに辛いことなんて、私は考えてもいなかった。浅はかすぎた。私の周りにいた人が、優しかっただけ……ただ、それだけだった。


(この、女の魔法がどれほどのものか、予想つかない……まだ、手札を隠し持ってる、と思う。だから、こんなところに殿下が来たら……)


 狙いは分かっている。だからこそ、来てほしくない。私だけ、苦しめば済む話なら、殿下はここに来てほしくない。
 殿下のため――私がいるから、殿下が危険にさらされる。


(私が危険にさらされるのはいいのよ……でも、それに巻き添えを食らう、殿下が……アインが、私は――)


「……殿下が来なかったら?」
「……何?」
「殿下が、助けに来なかったら、どうするのよ。ただでさえ、公爵令嬢に手を出したのよ。ただで済むわけがないわ。貴方は、目先のことにとらわれて、家のことを考えていない。貴方のしていることは、自己満足の復讐よ。妹がそれで喜ぶとでも?」
「……だから、貴方には関係じゃない。分かるわけもないじゃない。ええ、そうね……皇太子が来なかったら? 貴方は、それほど愛されていなかったっていう証明になるかしら。やっぱり、皇太子に愛なんていう感情は理解できないのよ。あの、血に濡れた化け物には――!」
「……だから、アインのことを悪くいうのは……っ!」


 体が痺れて動かない。言葉を発するたびに、喉が焼けちぎれそうになる。それでも、目の前で、高みの見物とばかりに見下ろす、この汚い女の口から、殿下のことが出るのが許せなかった。その口を縫い付けて、火であぶってしまいたいくらいに。


(何も知らないのは、アンタのほうよ! この、馬鹿女!)


 怒りに染まった私は、痺れる身体になんとか力を入れて、這いつくばるようにどうにか、足をたて、膝に手を当て立ち上がった。動かない方がいいと忠告されたばかりなのに、この行動――私の行動に驚いたのか彼女「は……?」と言葉を漏らした。


「……っ」


 指先は痺れたままだったが、私の周りに飛んでいた、鬱陶しい蛾のような蝶をそのまま蝶を手でつかむ。鱗粉が手に張り付くが、それでも構わず私はその蝶を握りつぶした。


「アンタは、何もわかっていない。アンタに愛も何も語る資格はない! アンタの妹が、本当に殿下を愛していたなら、変わっていたかもしれない未来じゃない。殿下は……アインは私を選んだ。そして、私もアインを選んだ。そこに愛があったから、今私はこうして生きているのよ」
「……だから、だから何よ! アンタだって、皇太子妃の座が欲しくて番契約に応じたって言っていたじゃない!」
「過去は過去よ……そんなのどうだっていい、恋の始まりとか、愛の芽生えとか……努力しても、手に入らないこともあるけど、でも、私は――」


 ふらりと、足が崩れそうになる。けれど、ここで倒れてはみっともないと、どうにか踏ん張りを利かせ、折れそうなヒールで、一歩近づく。すると――バンッ! と温室の扉がけ破られるような勢いで開いた音が響いた。


「――ロルベーア!」
「……あ、いん?」


 振り返れば、あの真紅の彼がいる。来てほしくなかった、彼が。それでも、心のどこかで、彼が来てくれることを願っていた。
 ヒロインのピンチに駆けつける、ヒーローそのもの。そんな、ヒーローを心のどこかで待っていたのだ。


(ダメじゃない……結局、私、巻き込んでしまってる……)


 番だから、きっとわかったのだろう。ここにいることも、私がピンチなことも。だから、彼は、こんなにも急いで、息が切れるほど走ってここに来た。
 彼が来るとわかっていた、来てくれると信じていた。ダメだ、彼なしじゃもう、生きていける気がしない――


「……ふ、フフフ、よかったわね。ロルベーア嬢。愛しの王子様が迎えに来てくれて。でも、ここが、貴方の……お前の墓場になるのよ。アインザーム・メテオリートッ!」
「……!」


 先ほどよりも強い殺気が、温室に広がり、殿下がけ破った扉は、風によってかばたんと閉められた。殿下は、腰に下げていた剣を鞘から引き抜くと、それを構え、彼女の後ろでうごめく蝶に視線を向けた。


「動植物を操る魔法か……面白い。公女、これが片付いたら『接触禁止令』を解いてくれるな?」
「……へ?」


 にやりと笑った、真紅の彼は、この期に及んでも余裕そうで、まだあの日のことを根に持っているようだった。

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