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第1部3章

04 真紅の彼と聖女様

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(この言葉、確か、殿下との出会いのシーンで言う言葉じゃないの?)


 殿下と距離がグッと縮まる、出会いのシーンでの言葉。だからこそ覚えていたのだが、何故今それを彼女が言ったのか理解できなかった。ヒロイン――イーリスと殿下が顔を合わせたのはもっと前だし、その時にこの言葉を言わなかったってことは物語は始まっていないのかも知れない。いや、でもそれだけと色々と辻褄が合わないわけだし、物語が崩壊してきているのかも知れない。今から修正がかけられるかどうかも怪しくなってきた。
 けれど、これで物語は進むはずなのだ、と私は殿下と向かい合っているイーリスを見つめていた。胸の奥がキュッとなる思いをしながら、私は殿下の言葉を待った。しかし殿下は、真紅の髪をかきむしった後、大きな欠伸をしたのだ。皇族としてあるまじき行為……生理的に出るものだから仕方がないが、聖女の前、どうにかならなかったのだろうか。
 私は彼に呆れつつ、私と同じくポカンとしているイーリスを見たら可哀相になってきた。一応ヒロインなのに、殿下が全く興味を持っていないようなそんな行動を取るから。


「ああ、それで、俺が呪いにかかっているかか。それは質問か?」
「質問……ではなく、そうなんですよね。最近、神殿の方で色々学びまして、神官様から魔力も落ち着いてきたと言われたので、その、人の呪いとか魔力に敏感になったのです。殿下が、いいえ、アインザーム様が酷い呪いにかかっていると感じもしあげさせて貰った次第です」
「だそうだ、公女」
「え!?」


 何故私に投げたのだろうか。イーリスもわけが分からず私の方を見ているでは無いか。マルティンに関しては、何も言えず突っ立っているだけで、殿下がこの場を掻き乱したのはいうまでもない。


「で、殿下何故私に話をふったのですか?」
「何も感じないのか?」
「逆に何を感じろというのですか」
「はあ……これだから公女は」


と、ため息をつかれる始末。私がいたい何をしたというのだろうか。

 殿下はやれやれと首を振ると、イーリスの方をちらりと見た。イーリスのか弱い肩がビクリと上下する。


「俺が呪いにかかっていることは、帝国にいる人間なら誰でも知っているはずだ。いや、敵国にもこの話はうまい話として出回っているぞ? 聖女がそんなこと感じ取らなくても、周知の事実だ。それとも、聖女の保護者は教えてくれなかったのか?」
「……っ、み、ミステル様を馬鹿にすると?」
「いいや、別に馬鹿にしているわけではない。ただ、こんな重要なことを教えない理由がないと思っただけだ。それとな、聖女か何だか知らないが、俺は皇太子だ。それも番のいる……たかが聖女のお前が、アインザームなど、名前を口にするな」


 殿下はそう言うと、ギロりとイーリスを睨んだ。イーリスはハッとした顔つきで殿下を見ると、申し訳ありません、と頭を下げる。
 殿下のいい方もどうかと思うけれど、確かにうかつだった。殿下はどうやら名前を呼ばれるのが嫌いである、と小説には書いてあったからだ。だからこそ、名前を呼ばれて怒っているのだろう。けれど、ヒロインには愛称で呼ばせるまでに最終的にはなるし……
 そんなことを思っていると、殿下がまた私の方を見た。どうなんだ? と試してくるような目に、私は少し思考が停止したが、すぐに高速回転した頭が一つの答えを導き出す。私が答えを出したタイミングで、殿下はフッと笑った。


「本来なら、番である公女が俺の名前を先に呼ぶべきじゃないのか?」
「殿下の名前なので、間違いではないでしょう。それに、呼び捨てにしたわけではありませんし。聖女様なりの距離の縮め方だったんじゃないでしょうか」
「何故、聖女が俺に距離を縮める必要があるんだ」
「それは、皇太子という帝国の太陽に並ぶ、もう一つの太陽が聖女様ですから。ね、イーリス聖女様」


 私が微笑めば、イーリスはおずっとした態度を取りながらも、どうにか自分を奮い立たせて笑った。そう、それでいい、と私は殿下の方を見る。しかし、殿下はふて腐れたような顔で私を見ていた。
 ヒロインと殿下の距離を縮めようとしたのに、逆効果だったのだろうか。それとも、物語にないことをしたのがダメだった? と、私が考えていれば、殿下は「おい」と怒ったような声で私を睨み付けた。


「公女は話を聞いていなかったのか?」
「聞いていましたが。別に、出会った当初から、私は殿下の事を殿下と呼んでいましたし。殿下という呼び方は間違っていないのでは?」
「……」
「殿下も私のことを名前で呼んで下さらないわけですし、おあいこでしょう」


 まだそんなことで怒っているとは全く子供なんだから。
 殿下は眉間に皺を寄せたまま私を睨んでいる。顔にデカデカと不満、と書かれているようだった。小説の中では一切、ロルベーアのことを名前で呼んだことがない殿下だから、今回もそうなのだろうと気にしたことがなかったし、公女、と呼ばれるのになれてしまったから別に気にしていないが、イーリスに名前を呼ばれたことでそんなに怒るとは思っていなかった。まあ、放っておけば、その内機嫌を直すだろうと私は窓の外を見る。空気が悪くなってしまった。全く、殿下が現われるといつもこうだと、ため息が漏れそうになる。
 イーリスは、助けを求める人がおらず、マルティンがフォローを入れるが、彼女の顔が晴れることはなかった。ミステルが何を吹き込んだか知らないけれど、多分彼女に言われたことをそのまま実践しているのだろう。そして、失敗してどうすれば良いか分からないのだろう。大方、殿下の名前を呼んでみてはどうかと言われたのだろう。ミステルは甘いと思う。確かに、私は小説を読んでいたから、殿下が名前を呼ばれることを嫌っていたことを知っていた。けれど、大半の人は、この世界の人はその事について知らないだろう。だって、殿下は殿下だから。


(部屋に戻って本でも読んでようかしら……)


 殿下とイーリスを二人にしたらどうなるか分からないけれど、マルティンに任せるとして、私は一旦頭を整理したいから部屋に戻ろうと思った。
 そんな最悪に冷え切った空気感の中、長い沈黙を破ったのは、殿下だった。


「こう……ロルベーア」
「……っ」


 彼は言い直し、私の名前を呼んだのだ。
 一瞬何が起ったか分からなくて振返れば、耳を赤く染めた殿下が目をそらしながら頭を掻いていた。そのからかって、暴言ばかり出る口からもう一度言葉が紡がれる。


「ロルベーア。俺は呼んだぞ、公女。お前の名前を」


 そういって、殿下は私の方を真っ直ぐと見てきた。


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