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過去編

あの頃の僕ら 8

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 寮に戻るまで、俺たちに会話らしい会話はなかった。
 部屋の鍵を開けて、中に入ればすっかり夕日が沈んでおり、暗い赤色の部屋が不気味に光って俺たちを出迎える。俺は、すぐに電気をつけて、息を吐き、剣を壁に立てかける。今、これを持っていたらだめな気がしたから。


「――ニル」
「……何、セシル」


 声をかけられ、過剰に反応してしまうのは、さっきのことがあったから。セシルに止められていなかったら、俺はあの先輩を殺していただろう。もしそうなれば、あの場は歓喜ではない悲鳴に包まれパニックになっていただろうし。かといって、誰かが止めにはいれるような空気でもなかった。止められるとすれば、それこそセシルのような力を持ったものだけだろうと思う。
 俺は、平然を装ってセシルのほうを見たが、彼の悲しそうな顔を見て、その顔をしているのがばかばかしくなった。いや、取り繕っていたものが、全部剥がれ落ちたといってもいい。
 セシルは、申し訳なさそうに眉を下げ、そして首を横に振る。セシルは何も悪いことしていないし、とばっちりを受けただけなのに。俺が、あんなふうに飛び出したから。


「怒ってる?」
「いや、怒っていない。ただ、ニルにそんなことをさせたくないと思っただけだ」


 と、セシルは簡潔に言って息を吐く。

 俺は、先ほど魔力が漏れ出ていたみたいで、指先がかすかに冷たい。冷えるので、ズボンのラインに指を這わせ、どうにか温まらないものかと試行錯誤する。そんな俺の手をセシルは取った。


「やめてよ、びっくりする」
「冷たいな。魔法は使っていないはずだが?」
「ちょっと、感情コントロールに失敗して、漏れ出てたみたい。俺の魔法って、氷属性だから、ほら……ね」


 俺がそういうと、セシルは気づいたようにハッと顔を上げて「すまない」と口にする。だから謝る必要は何もない。
 俺はそういう体質だし、それが簡単に治らないものであるとも知っている。これに関しては、どうしようもないのだ。
 そんな、俺の手をセシルが包み込む。彼の剣だこのできた少し硬い手は温かくて、やっぱりセシルの手が好きだなあ、ってあったかい気持ちになる。このあらんだ気持ちもセシルがすべて包み込んでくれるみたいで嬉しかった。
 もとはといえば、俺が悪いけど。


「少しは温かくなったか?」
「うん、だいぶね。ごめん、俺のほうこそ謝らなきゃ、セシル。セシルが止めてくれなかったら俺は、きっとあの先輩を傷つけていたと思う」
「……ニルが怒るのも仕方ない。それに、俺のために怒ってくれたのだから、俺はそのことに関しては嬉しく思う」
「でも」
「いいんだ。お前は何もしていない。あいつが絡んできただけだ。正当防衛だ」


 セシルは、俺に言い聞かせるようそう言って、大丈夫だと、片手で俺の手に触れつつ、頭を撫でた。何だか子供扱いされているような気分にもなったが、やっぱり、これも心地よかった。何でセシルは俺の心をこんなにも優しくするのだろうか。


(ずるい……)


 セシルの顔が大人っぽく見えて、俺だけを見る夜色の瞳も光を帯びて美しい。整った顔に、キレイな声。どこをとっても完璧すぎて、俺は眩しさのあまり目が潰れそうだ。まぶしすぎるその顔に、焼き焦がされてしまいそう。


「どうした? ニル」
「セシルがずるい……セシル、なんか魔法かけた?」
「魔法? かけていないが。どんな魔法だ?」
「発光する魔法。人体発光」


 バカげていると思ったが、そう思わないと、やっていけない。
 ため息すらも飲みこませるほど美しいし、かっこいいし。本当に光っているんじゃないかとすら思った。
 セシルは優しい。俺と違って。
 セシルは、俺がいったことがいまいち理解できていないような顔をしていたが、それが正解だと思う。人体を発光させる魔法なんてあるのだろうか。魔法の失敗とか、魔法植物の光るキノコとか食べたらそうなるのかもしれないが、そんなおかしなこと普通はならない。
 セシルが首をかなり傾げているので、俺は冗談、冗談といって笑い流した。


「改めて、ありがとう。セシル。セシルがいてくれて本当によかった」
「礼をいうのはこちらのほうだ。それに、ニルがあんなことを言うなんて思っていなかったからな」
「あんなことって?」
「『俺のセシル』といっただろ。何とも言えない、優越感があってよかったぞ」
「いや、あれは、主君としての主人セシルっていう意味で。あはは、そ、そんな……変な意味はないよ。俺のセシルって、その、ねえ」


 セシルは別に誰のものでもないだろうに。
 俺はそう思いつつセシルを見る。彼は目をぱちくりと動かしたが、少しだけむすっとした顔で、俺の手をぎゅっとつかんだ痛いところに入って顔を歪めれば「そういう意味だったのか」と、真剣に迫るセシルがそこにいる。


「ええ、だって、そりゃ。セシルは俺の主君だし、それは間違ってないでしょ? セシルが傷つけられて嫌なのは、これも本当で」
「その、他にはないのか。親友とか、それ以外とか」
「な、なに、ムキになってんのセシル。他にって、親友以外にな、何?」
「特別だろ」
「いや、特別だけど」


 セシルは特別だけど、何を望んでいるのだろうか。会話の出口が見えなくて、今度は俺が首を傾げる。
 確かにあの時は咄嗟にあんなこと言っちゃったけど、周りから見たら相当恥ずかしいことを言っていただろう。もう二度と口にできないほど、思い出すだけで恥ずかしい。


(『俺のセシル』……なんて。確かに、はずい)


 受け取り手によっては意味が変わってくる言葉ほど恐ろしいものはない。でも、ああいう土壇場で出る言葉こそ、本物みたいで、俺は普段からそういう目でセシルを見ていたのかもしれない。

 『俺のセシル』――と。そうであるなら、俺は『セシルのニル』になるんじゃないかとも思えてきた。互いに必要であるのなら、逆も言えると。


(いやいや、恥ずかしいし、なんだよそれ……)


 理論とか考える以前に、何を考えているんだと俺はいたたまれなくなってうつむく。顔がぽっぽっと熱くなって、顔をセシルに向けられない。それに、自分でも驚くくらい心臓の鼓動が早い。こんなのまるで、恋しているみたいで恥ずかしい。

 セシルは親友だろー! と、俺の中の小さな俺たちが叫ぶ。そりゃそうなんだけど、俺がもしセシルの騎士じゃなかったらきっと惚れていただろうし、アタックしていただろう。でも、俺たちの関係はそうじゃない。俺は首を横に振って、もう一度セシルを見た。ダイヤモンドをちりばめたような銀色の髪も、夜空を閉じ込めた夜色の瞳も相変わらず美しい。どれだけ腕のある画家でもセシルの美しさを十二分に表現することは不可能だろう。セシルは、絵画に収まるようなレベルのイケメンじゃないわけで。


「何一人、百面相しているんだ。ニル」
「えっ、いやあ。セシルはかっこいいと思って」
「……なっ、何を。ニル」
「ええ~本音いっただけだし。それに、さっきもカッコよかったよ。新入生のため、剣士として、騎士として……あの場で、ああやって決闘を申し込めるのはセシルだけだよ。戦っているときも、瞬き忘れるくらいに、見入っていた。本当にセシルはかっこいいよ」
「……っ、ニル」


 口からバカみたいに思っていたことがこぼれたが、止める気はなかった。吐いたほうがすっきりする気がするし、セシルのことを口にするのは気分がいい。彼が穏やかな気持ちにしてくれたから、その分、セシルのいいところを言いたかった。
 だが、セシルは、わなわなと区と動かし、段々とあご先からおでこにかけて真っ赤になっていくので、変なことを言ってしまっただろうかと、俺は一歩前に出た。すると、セシルはバランスを崩しつつも、一歩下がって、視線を俺からそらす。


「セシル?」
「……ニル、それは、その」
「何、顔赤くなってんの? ああ、褒められなれていないから恥ずかしい感じ?」
「そ、それもあるが。お前にそういわれるのが、はず、うれ……しくてだな」
「セシル聞こえない」


 口をもごもごさせられたら聞こえないに決まっている。セシルは、うぅ、と縮こまるように情けない声を出した。でもその手だけは、離さなかった。ちょっと熱くなってきたし、じんわりと汗がにじんでいる気がするんだけど。


「まあ、そのとにかく、ありがとうね。セシル。楽しみにしていたパーティーめちゃくちゃにしてきちゃったけど、俺たち明日から大丈夫かな?」
「さあな。そこまでは考えていなかったが……ニルがいるなら、俺はいい。少しずつ、イメージを回復していけばいいだろう」


 と、ようやく落ち着いたのか、丁寧な口調でセシルはそういい終える。

 先輩にあんな無礼を働いたわけで(いや、ほとんどあっちが悪いのだが、他にも目をつけられていないか心配といのもあり)、明日からの学園生活が怖くて仕方がない。孤立してしまうのではないかという恐怖心はぬぐえないが、孤立といっても一人ではない。セシルは、まだ正統派で、正々堂々と戦ったが、俺のさっきのあれはかなりまずかっただろう。俺は怒らせたら危険な人という認識になっていそうで、それも嫌だった。
 俺は一応淡白だけど、それなりに周りのこと気遣える優等生として売っていきたかったんだけど。
 すでにスタートダッシュでこけてしまって、取り返しのつかないことになっている。重いため息しか出なくなって、肩もガクンと落ちた。だが、そんな俺の肩をセシルが優しくたたく。


「まあ、大丈夫だろう。もしかすると、ニルのファンができるかもしれないしな」
「いや、それを言うならセシルでしょ」


 これまた、冗談のつもりで返せば、セシルはぴたりと止まって、深刻そうに俺を見る。夜色の瞳に焦りが見えて、俺は今度は反対側に首を傾げた。


「……まて、ニルにファンができると俺が困る」
「え、なんて?」


 俺じゃなくて、セシルのほうがファンができそうなんだけど、と再度言おうかと考えたが「ダメだ」とセシルがいうので、なんとなく口を閉じる。


「ニルにファンができたら困る」
「だから、何でさ」
「……俺と一緒にいる時間が減るからだ。それに、ニルの魅力をわかるのは世界で俺ただ一人でいい」
「大袈裟だよ。セシル。それに、今も昔も、その枠はセシルでしょ。俺のこと知ってるのはセシルだけだよ」
「俺も、ニルのことなら……そうか、嬉しいな」


 優しく微笑んだその表情は、年相応。でも、愛おしいものを見るような顔で、幸せそうで。


(……それは初めて知ったかも。セシル、って……そんな顔できるんだ)


 今日初めて見た顔に、感情に、俺の胸は優しく打つ。暫く見惚れて、黙っていれば「早く寝るか」と切り替えたセシルが動き出す。俺は弾かれたように、歩き出したセシルの背中を見た。隣を歩いてきたはずなのに、たくましいその背名。背負っているものも、俺とは違うし、きっとこれからも多くのものが彼にのしかかるだろう。その時俺は、彼の隣で……セシルを支え続けてあげたい。


(……セシル、俺は――)


 胸に抱いたこの優しくて少し激しいこの感情に答えが出るのは、この二年後の話。
 それまでは、大切な親友としてのセシルを支え、その隣を歩いていきたい。そのことで、俺――ニル・エヴィヘットは頭がいっぱいだった。


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