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第1部2章 死亡フラグを回避し学園生活に戻りました
10 俺のこと、取り合うな!!
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「寝不足か、ニル」
「あはは……誰のせいだと」
セシルの寝相は、次元を超えていた。もちろん、毎日悪いわけじゃないけど。
あの日、恋心を自覚した災難の日の夜のこと。
セシルはいつも二段ベッドの上を使って寝るのだが、その日はなぜか二段ベッドから落ちた。うとうととしかけていたときに、ゴン! という激しい音を立てて落下してきたので、身体が反応してセシルを抱き留める。そのおかげでセシルは二段ベッドの上から落ちて体を打つ、ということはなかった。まあ、落ちる際にベッドの柵にはぶつかったみたいだが……
だが、寝ている人間をはしごで登らせることもできず、もちろん持ち上げてのせることもできなかったため俺のベッドを使わせようと思った。しかし、セシルをベッドに運ぼうとしたとき、セシルはむくりと体を動かして、俺のベッドに寝転び……かと思ったら、俺を俺のベッドに引っ張ったのだ。
起きているんじゃないかと一瞬思ったが、すやすやと寝息を立てていた。ただたんに、寝相が悪いだけなんだと絶対に納得できない理由で自分を落ち着かせて、俺もそのベッドに横になった……まではよかったが。
セシルは、俺を抱き枕のようにして抱きしめて寝るので、心臓が飛び出しそうだった。俺の足癖が悪い、という話をしてきた張本人が、寝相が悪いなんてどんな皮肉だろうか。
俺は変な気を起こさないようにと素数を数えて寝ようとした。しかし、セシルは寝ながら俺の耳を噛むので、寝付くことはできなかった。気づいたら部屋には朝日が差し込んでいたし……寝ようにも眠れなかったのだ。
最近いろんなことがあって、睡眠不足もあり、それが重なって体に疲労が蓄積されていた。
「まったく記憶にない」
「だろうね。起きてるんじゃないかって疑ったけど、本当に寝てるんだもん。のんきなもんだよ、ほんと」
すまない、とシュンと耳を垂れ下げるように言うので、俺はこれ以上何も言えなかった。授業で居眠りなどしたくないが、今回ばかりは難しそうだとも思う。
あれが本当に無意識……夢遊病だったりしたら、一度診てもらったほうがいいのではないかと思った。まあ、今回が初めてなので何とも言えないが、続くようであれば宮廷医師を呼びつけるかなんなりして、セシルの健康状態を確認しなければならない。
あんなことが続いたら俺の心臓が持たないというのが一番の理由だけど。
ふああ、とあくびをしながら俺はおぼつかない足取りで教室に向かう。何度もセシルに「大丈夫か? 休むか?」と声をかけられてしまう。セシルから見ても寝不足なことが分かるくらい酷いらしい。
だが、寝不足で休むとなると、何で寝不足だったか理由を聞かれるだろう。俺はそれが嫌で、無理に体を動かしてここまで来た。ルームメイトが俺を抱き枕にして、と正直に話したところで、なんだそりゃっていわれるがオチ。
(ヤバい、ふらふらする……ぼやけるし)
カクンと体が前後に大きく動いたかと思うと、糸が切れたように俺は前に倒れる。だが、痛みはやってこず、かわりにたくましい腕に支えられたような、そんな感覚に俺は目を開いた。
「ふらふらじゃねえか。ニル・エヴィヘット」
「ぜ、らふ?」
てっきり俺を支えてくれたのはセシルとばかり思っていたが、どうやら前からやってきたゼラフだった。俺のことを受け止めてくれたらしい。どちらでもよかったが、とりあえず痛い思いをしずにすんだ、とほっと胸をなでおろす。しかし、睡魔が襲ってきて、感謝の言葉一つ述べられそうになかった。
「なんだよ、おい。寝不足か? 優等生の名が泣くなあ……ああ、それとも眠れないほど衝撃的な思いでもしたか?」
「うる、さい……」
からかっている声が上から降ってくるが、それに反応できるほどの体力は残っていない。たった一日、睡眠がとれなかっただけでここまでふらふらになるとは思えなかった。
もしかしたら、ここ立て続けでいろいろあり、完治したと思っていた傷というのも治り切っていないのかもしれない。もちろん、傷はふさがってはいるものの精神的にまだ不安定だったのかもしれないと。いまさらそんな分析をしても遅いが、無理をしていたことには変わりなかった。それは自分でも理解できてしまったからだ。
情けない。そんなことで、皇太子の護衛が務まるのかと。
父が、俺のことを”護衛見習い”と言っていたのを思い出す。その実力は認められ、護衛として帝国騎士団と渡り合えるくらいの実力はあるが、精神と技術が伴っていないといわれた。それは成人になってすぐに身につくことではなく、今になって父の言葉を理解する。俺はまだ、精神的に未発達な子供のままなのではないかと。
堅苦しいことを考えれば考えるほど、また頭が痛くなり、視界がぼやけるのだ。
今日の授業は出れそうにない、そう確信し、どうにか一人で保健室へ向かおうと足を進める――が、ひょいと持ち上げられ、足は地面を踏みしめることなく、その場で浮いていた。
「な、にを」
ゼラフが俺を横抱きにして、歩き出したのだ。
一人で歩ける、なんてとても言い出せるような状態じゃなかった。今の俺がいっても、説得力がない。
「保健室に行くんだろ? あぶねーし、俺が連れてってやるから寝てろ」
「で、でも……ゼラフ、授業は?」
「あ? んなもんよりお前の体調だろ。そんなんで授業出られても気が散るだけだっつーの。サボる理由にもなるだろ?」
と、ゼラフは言う。また顔は見えなかったが、憎たらしい笑みを浮かべて言っているに違いない。
サボる理由に俺を使うなんて、蹴り飛ばしたいところだが脱力した身体は指先にすら力が入らない。それでも、運んでくれるだけましだった。ゼラフは機嫌よさげに鼻歌を歌っていたが、そのゼラフの行く手を阻むものが現れる。
「おい。俺の前で堂々とサボり宣言とはその度胸だけは褒めてやる。だが、ニルは俺のルームメイトだ。俺が連れていく」
「ハッ、あまり寝不足の人間をあっちにこっちに動かしてやんなよ。俺が運んでくから皇太子殿下は授業に出席すればいい。ルームメイトだろうが、俺は知ったこっちゃないし。こういうのは早いもん勝ちだ」
「何が早い者勝ちだ。ニルの寝不足は俺の責任だ。だから、俺が責任もって連れていく」
意味が分からない。
誰も突っ込まないため、それが当たり前のように受け入れられていた。そうじゃない。そういうことじゃない。
セシルには、別に責任などとる必要ないといいたいが、頑固だし、責任だといったら彼はそれをずっと背負い込み続ける。頑固だから聞く耳も持たない。
そして今回、ゼラフの言い分は通るので、セシルも無理やり俺を動かそうとはしないだろう。
そうこうしているうちにも授業開始時間が刻一刻と迫って、これではどちらも遅刻、または欠席扱いになってしまうだろう。さすがに、そこまで二人を巻き込みたくないと思った。ゼラフなら巻き込んでも、こいつが留年しようが俺たちが知ったことじゃないし。むしろ、来年は学年が違ってラッキー程度にも思う。
そんな陰湿な考えが浮かびながら、俺はゼラフの道をふさぐセシルと、無理やり通ろうとせず時間を稼いでいるようなゼラフの攻防戦が続いていた。俺は望めるなら早くふかふかのベッドで休みたい。こんな筋肉質な男たちの肉に挟まれていないで。ふかふかなベッドで。
「ふーん、こいつの寝不足はお前の責任ってか……ふーん寝不足ね、なんで寝不足なんだろうな? ハハッ、なんだ、お前らそういう関係だったのか?」
「なっ!」
「ぜ、らふ、違うから。セシルも真に受けないの……てか、何想像したの、もぅ」
くすくすとゼラフはセシルを煽るように笑う。セシルがそういう関係を、どういう関係としてとらえたかすぐに理解できてしまい、こっちまで顔が熱くなりそうだった。だが、断じてそんな関係ではない。俺たちはまだ清いままである。
しかし、何か言えばゼラフはそれを水を得た魚のように食いついて事態をややこしくするだろう。セシルが黙っていればいい、それだけの問題だが、セシルは違う! と声を荒げる。
「ニルは俺の親友だ。決して、断じて、そういう関係ではない」
「その否定の仕方がなーんか妙なんだよな。そういう関係ですって隠しているようで……まあ、そういう関係じゃないんなら、俺にもまだチャンスはあるってことだよな」
と、するりとゼラフは俺の尻を撫でる。それは本当にスライドさせただけのようで、セシルは俺がセクハラされているなんて思いもよらないだろう。
もういい加減にしてほしい。
てか、親友って……また、その言葉に傷ついている自分がいる。バカみたいだ。
「セシル、ゼラフ……もう、二人ともついてきていいから、というかついてきて。俺を運んで、眠すぎて無理……」
ずる休みまではいかずとも、寝不足で休むことになるのはかなり精神的にきつかった。これまで皆勤だったのにそれも途絶えるわけで。
自分が被害者だとは言わないが、こいつらのせいでもあると俺は二人に気づかれないように睨む。
もちろん、二人は気づく様子もなく、お互いにバチバチと火花を散らせながら俺を保健室に運んだ。ゼラフは途中まで俵担ぎしていたのに、お姫様抱っこに変えたため、それもまたセシルの怒りを買った。いちいち人をからかわないと生きていけない性分らしい。
道中ギャンギャンと喚いていて、まるで犬同士の喧嘩だなと思った。教師たちに見つからなかったのは運がよく、数分もたたないうちに保健室へと連れてきてもらえた。二人は寝不足でまともにしゃべれない俺のかわりに、主にセシルが事情を話し、保健室よりも寮に戻ったほうがいいのではないかと言われ戻ることになった。
そのころにはゼラフの姿はなく、先ほどまで空いていたベッドが一つ使用中になっていたため、そこに彼がいるのだろうとすぐにわかった。もう少しちょっかいを出してくるものだと思っていたので、少し驚いた。
それから、セシルにおんぶしてもらい寮へと戻る。
「そこまで、体調がよくないと気づけなかった。すまない」
セシルのせいじゃないとは、百パーセント言えない。それに、俺が意識してしまっていたからこうなってしまったわけで。どちらにも非があるといえば、ある。
甲斐甲斐しく、そして過保護なセシルを見ていると、少し笑えて来てしまう。でも、その瞳に不安を見たとき、俺の胸はまた締め付けられた。
こんなことで死ぬわけない。けれど、セシルにとってあの日の出来事が何度もフラッシュバックするのだろう。
「いいよ……俺も、自分で自分の体調に気づけてなかったし。だから、セシルが謝る必要ないよ」
「そう……か。だが……そうだな」
「どうしたの? セシル」
また、俺がいなくなるとか思ったのだろうか、倒れて二度と目を覚まさないとか。大丈夫だよと言ってあげたいけれど、言葉は出なくて、彼の頬に手が伸びる。セシルは一瞬驚いたような表情をしたが、俺の手に頬擦りして目を伏せる。珍しく、静かなセシルにこちらも困惑して、対応に困る。
「セシルの甘えん坊……ねえ、一緒にサボる?」
「……っ、お前がそういうなんて珍しいな」
「一人じゃ、寂しいでしょ。お互い」
ずっと一緒だったから、一人で授業を受けるのは初めてなんじゃないだろうか。というか、彼の護衛なのに、こうして倒れている自分が情けなくて仕方がない。一緒にいてあげたいし、一緒にいたいのに。体が動かない。
セシルは、スッとこちらに目を向けて、それから少しそらした。セシルの頬が少しだけ温かくなる。
「そうだな。だが、また一緒にいたら眠れなくなるんじゃないか?」
「そんなことないよ。俺が寝るまで、セシルは寝ないでしょ? きっと。だから……ううん。でも、俺に付き合わせるのはあれだから、いって」
「そう、だな。ゆっくり休んでくれ。心苦しいが、いってくる。昼頃に一度見に来るから、それまでゆっくり寝ていてくれ」
そう言って微笑んだセシルの顔は優しくて、愛おしいものを見るような目だった。俺の手のひらにチュッとキスを落とし、もう一度おやすみ、と言って静かに部屋を出ていった。静寂が戻った部屋は、いつもいる一人がいないためか寂しかった。
俺は、彼にキスされていないほうの腕で目元を隠す。すぐに視界が暗くなったが、眠気が吹き飛んでしまった。
「もう……バカ、最後の何……眠れないじゃん」
なんてことしてくれるんだ。あの人たらし。
俺はゴロンと横になって、忌々しく彼のキスしていった手を見る。それから、その手にぶつかるように自分の唇を押し付けた。間接的なキス。セシルには言わないけど。
「セシルなんて知らない……寝たかったのに、目が覚めたじゃん。もう、寝たいの……に………」
また体温が上がった。もしかしたら熱まであるのかもしれない。
そう口にしながらも、俺は案外すぐに夢の世界へと落ちることができたのだった。
夢の中まで、セシルが出てきて、過保護だなあと思いつつ嬉しかった。ベッドで眠る俺のそばによって、唇に触れる。そして、もう一度俺がキスを返したその手のひらにキスして。その夢の中では他にも、額に、そして頬にキスをされたて。
夢なのにバカみたいにドキドキした。でも、目覚めなければいいってそう思ってしまった。夢の中では、自由で何にも縛られていないから。
俺の願望、それらが見せた所詮は夢。セシルに愛されて、独占されたいっていう、かなわない夢。
「セシル……俺…………」
起きて、俺のベッドに倒れ込むようにして寝ていたセシルを見つけ声にならない悲鳴を上げそうになったのも、また別の話だ。
「あはは……誰のせいだと」
セシルの寝相は、次元を超えていた。もちろん、毎日悪いわけじゃないけど。
あの日、恋心を自覚した災難の日の夜のこと。
セシルはいつも二段ベッドの上を使って寝るのだが、その日はなぜか二段ベッドから落ちた。うとうととしかけていたときに、ゴン! という激しい音を立てて落下してきたので、身体が反応してセシルを抱き留める。そのおかげでセシルは二段ベッドの上から落ちて体を打つ、ということはなかった。まあ、落ちる際にベッドの柵にはぶつかったみたいだが……
だが、寝ている人間をはしごで登らせることもできず、もちろん持ち上げてのせることもできなかったため俺のベッドを使わせようと思った。しかし、セシルをベッドに運ぼうとしたとき、セシルはむくりと体を動かして、俺のベッドに寝転び……かと思ったら、俺を俺のベッドに引っ張ったのだ。
起きているんじゃないかと一瞬思ったが、すやすやと寝息を立てていた。ただたんに、寝相が悪いだけなんだと絶対に納得できない理由で自分を落ち着かせて、俺もそのベッドに横になった……まではよかったが。
セシルは、俺を抱き枕のようにして抱きしめて寝るので、心臓が飛び出しそうだった。俺の足癖が悪い、という話をしてきた張本人が、寝相が悪いなんてどんな皮肉だろうか。
俺は変な気を起こさないようにと素数を数えて寝ようとした。しかし、セシルは寝ながら俺の耳を噛むので、寝付くことはできなかった。気づいたら部屋には朝日が差し込んでいたし……寝ようにも眠れなかったのだ。
最近いろんなことがあって、睡眠不足もあり、それが重なって体に疲労が蓄積されていた。
「まったく記憶にない」
「だろうね。起きてるんじゃないかって疑ったけど、本当に寝てるんだもん。のんきなもんだよ、ほんと」
すまない、とシュンと耳を垂れ下げるように言うので、俺はこれ以上何も言えなかった。授業で居眠りなどしたくないが、今回ばかりは難しそうだとも思う。
あれが本当に無意識……夢遊病だったりしたら、一度診てもらったほうがいいのではないかと思った。まあ、今回が初めてなので何とも言えないが、続くようであれば宮廷医師を呼びつけるかなんなりして、セシルの健康状態を確認しなければならない。
あんなことが続いたら俺の心臓が持たないというのが一番の理由だけど。
ふああ、とあくびをしながら俺はおぼつかない足取りで教室に向かう。何度もセシルに「大丈夫か? 休むか?」と声をかけられてしまう。セシルから見ても寝不足なことが分かるくらい酷いらしい。
だが、寝不足で休むとなると、何で寝不足だったか理由を聞かれるだろう。俺はそれが嫌で、無理に体を動かしてここまで来た。ルームメイトが俺を抱き枕にして、と正直に話したところで、なんだそりゃっていわれるがオチ。
(ヤバい、ふらふらする……ぼやけるし)
カクンと体が前後に大きく動いたかと思うと、糸が切れたように俺は前に倒れる。だが、痛みはやってこず、かわりにたくましい腕に支えられたような、そんな感覚に俺は目を開いた。
「ふらふらじゃねえか。ニル・エヴィヘット」
「ぜ、らふ?」
てっきり俺を支えてくれたのはセシルとばかり思っていたが、どうやら前からやってきたゼラフだった。俺のことを受け止めてくれたらしい。どちらでもよかったが、とりあえず痛い思いをしずにすんだ、とほっと胸をなでおろす。しかし、睡魔が襲ってきて、感謝の言葉一つ述べられそうになかった。
「なんだよ、おい。寝不足か? 優等生の名が泣くなあ……ああ、それとも眠れないほど衝撃的な思いでもしたか?」
「うる、さい……」
からかっている声が上から降ってくるが、それに反応できるほどの体力は残っていない。たった一日、睡眠がとれなかっただけでここまでふらふらになるとは思えなかった。
もしかしたら、ここ立て続けでいろいろあり、完治したと思っていた傷というのも治り切っていないのかもしれない。もちろん、傷はふさがってはいるものの精神的にまだ不安定だったのかもしれないと。いまさらそんな分析をしても遅いが、無理をしていたことには変わりなかった。それは自分でも理解できてしまったからだ。
情けない。そんなことで、皇太子の護衛が務まるのかと。
父が、俺のことを”護衛見習い”と言っていたのを思い出す。その実力は認められ、護衛として帝国騎士団と渡り合えるくらいの実力はあるが、精神と技術が伴っていないといわれた。それは成人になってすぐに身につくことではなく、今になって父の言葉を理解する。俺はまだ、精神的に未発達な子供のままなのではないかと。
堅苦しいことを考えれば考えるほど、また頭が痛くなり、視界がぼやけるのだ。
今日の授業は出れそうにない、そう確信し、どうにか一人で保健室へ向かおうと足を進める――が、ひょいと持ち上げられ、足は地面を踏みしめることなく、その場で浮いていた。
「な、にを」
ゼラフが俺を横抱きにして、歩き出したのだ。
一人で歩ける、なんてとても言い出せるような状態じゃなかった。今の俺がいっても、説得力がない。
「保健室に行くんだろ? あぶねーし、俺が連れてってやるから寝てろ」
「で、でも……ゼラフ、授業は?」
「あ? んなもんよりお前の体調だろ。そんなんで授業出られても気が散るだけだっつーの。サボる理由にもなるだろ?」
と、ゼラフは言う。また顔は見えなかったが、憎たらしい笑みを浮かべて言っているに違いない。
サボる理由に俺を使うなんて、蹴り飛ばしたいところだが脱力した身体は指先にすら力が入らない。それでも、運んでくれるだけましだった。ゼラフは機嫌よさげに鼻歌を歌っていたが、そのゼラフの行く手を阻むものが現れる。
「おい。俺の前で堂々とサボり宣言とはその度胸だけは褒めてやる。だが、ニルは俺のルームメイトだ。俺が連れていく」
「ハッ、あまり寝不足の人間をあっちにこっちに動かしてやんなよ。俺が運んでくから皇太子殿下は授業に出席すればいい。ルームメイトだろうが、俺は知ったこっちゃないし。こういうのは早いもん勝ちだ」
「何が早い者勝ちだ。ニルの寝不足は俺の責任だ。だから、俺が責任もって連れていく」
意味が分からない。
誰も突っ込まないため、それが当たり前のように受け入れられていた。そうじゃない。そういうことじゃない。
セシルには、別に責任などとる必要ないといいたいが、頑固だし、責任だといったら彼はそれをずっと背負い込み続ける。頑固だから聞く耳も持たない。
そして今回、ゼラフの言い分は通るので、セシルも無理やり俺を動かそうとはしないだろう。
そうこうしているうちにも授業開始時間が刻一刻と迫って、これではどちらも遅刻、または欠席扱いになってしまうだろう。さすがに、そこまで二人を巻き込みたくないと思った。ゼラフなら巻き込んでも、こいつが留年しようが俺たちが知ったことじゃないし。むしろ、来年は学年が違ってラッキー程度にも思う。
そんな陰湿な考えが浮かびながら、俺はゼラフの道をふさぐセシルと、無理やり通ろうとせず時間を稼いでいるようなゼラフの攻防戦が続いていた。俺は望めるなら早くふかふかのベッドで休みたい。こんな筋肉質な男たちの肉に挟まれていないで。ふかふかなベッドで。
「ふーん、こいつの寝不足はお前の責任ってか……ふーん寝不足ね、なんで寝不足なんだろうな? ハハッ、なんだ、お前らそういう関係だったのか?」
「なっ!」
「ぜ、らふ、違うから。セシルも真に受けないの……てか、何想像したの、もぅ」
くすくすとゼラフはセシルを煽るように笑う。セシルがそういう関係を、どういう関係としてとらえたかすぐに理解できてしまい、こっちまで顔が熱くなりそうだった。だが、断じてそんな関係ではない。俺たちはまだ清いままである。
しかし、何か言えばゼラフはそれを水を得た魚のように食いついて事態をややこしくするだろう。セシルが黙っていればいい、それだけの問題だが、セシルは違う! と声を荒げる。
「ニルは俺の親友だ。決して、断じて、そういう関係ではない」
「その否定の仕方がなーんか妙なんだよな。そういう関係ですって隠しているようで……まあ、そういう関係じゃないんなら、俺にもまだチャンスはあるってことだよな」
と、するりとゼラフは俺の尻を撫でる。それは本当にスライドさせただけのようで、セシルは俺がセクハラされているなんて思いもよらないだろう。
もういい加減にしてほしい。
てか、親友って……また、その言葉に傷ついている自分がいる。バカみたいだ。
「セシル、ゼラフ……もう、二人ともついてきていいから、というかついてきて。俺を運んで、眠すぎて無理……」
ずる休みまではいかずとも、寝不足で休むことになるのはかなり精神的にきつかった。これまで皆勤だったのにそれも途絶えるわけで。
自分が被害者だとは言わないが、こいつらのせいでもあると俺は二人に気づかれないように睨む。
もちろん、二人は気づく様子もなく、お互いにバチバチと火花を散らせながら俺を保健室に運んだ。ゼラフは途中まで俵担ぎしていたのに、お姫様抱っこに変えたため、それもまたセシルの怒りを買った。いちいち人をからかわないと生きていけない性分らしい。
道中ギャンギャンと喚いていて、まるで犬同士の喧嘩だなと思った。教師たちに見つからなかったのは運がよく、数分もたたないうちに保健室へと連れてきてもらえた。二人は寝不足でまともにしゃべれない俺のかわりに、主にセシルが事情を話し、保健室よりも寮に戻ったほうがいいのではないかと言われ戻ることになった。
そのころにはゼラフの姿はなく、先ほどまで空いていたベッドが一つ使用中になっていたため、そこに彼がいるのだろうとすぐにわかった。もう少しちょっかいを出してくるものだと思っていたので、少し驚いた。
それから、セシルにおんぶしてもらい寮へと戻る。
「そこまで、体調がよくないと気づけなかった。すまない」
セシルのせいじゃないとは、百パーセント言えない。それに、俺が意識してしまっていたからこうなってしまったわけで。どちらにも非があるといえば、ある。
甲斐甲斐しく、そして過保護なセシルを見ていると、少し笑えて来てしまう。でも、その瞳に不安を見たとき、俺の胸はまた締め付けられた。
こんなことで死ぬわけない。けれど、セシルにとってあの日の出来事が何度もフラッシュバックするのだろう。
「いいよ……俺も、自分で自分の体調に気づけてなかったし。だから、セシルが謝る必要ないよ」
「そう……か。だが……そうだな」
「どうしたの? セシル」
また、俺がいなくなるとか思ったのだろうか、倒れて二度と目を覚まさないとか。大丈夫だよと言ってあげたいけれど、言葉は出なくて、彼の頬に手が伸びる。セシルは一瞬驚いたような表情をしたが、俺の手に頬擦りして目を伏せる。珍しく、静かなセシルにこちらも困惑して、対応に困る。
「セシルの甘えん坊……ねえ、一緒にサボる?」
「……っ、お前がそういうなんて珍しいな」
「一人じゃ、寂しいでしょ。お互い」
ずっと一緒だったから、一人で授業を受けるのは初めてなんじゃないだろうか。というか、彼の護衛なのに、こうして倒れている自分が情けなくて仕方がない。一緒にいてあげたいし、一緒にいたいのに。体が動かない。
セシルは、スッとこちらに目を向けて、それから少しそらした。セシルの頬が少しだけ温かくなる。
「そうだな。だが、また一緒にいたら眠れなくなるんじゃないか?」
「そんなことないよ。俺が寝るまで、セシルは寝ないでしょ? きっと。だから……ううん。でも、俺に付き合わせるのはあれだから、いって」
「そう、だな。ゆっくり休んでくれ。心苦しいが、いってくる。昼頃に一度見に来るから、それまでゆっくり寝ていてくれ」
そう言って微笑んだセシルの顔は優しくて、愛おしいものを見るような目だった。俺の手のひらにチュッとキスを落とし、もう一度おやすみ、と言って静かに部屋を出ていった。静寂が戻った部屋は、いつもいる一人がいないためか寂しかった。
俺は、彼にキスされていないほうの腕で目元を隠す。すぐに視界が暗くなったが、眠気が吹き飛んでしまった。
「もう……バカ、最後の何……眠れないじゃん」
なんてことしてくれるんだ。あの人たらし。
俺はゴロンと横になって、忌々しく彼のキスしていった手を見る。それから、その手にぶつかるように自分の唇を押し付けた。間接的なキス。セシルには言わないけど。
「セシルなんて知らない……寝たかったのに、目が覚めたじゃん。もう、寝たいの……に………」
また体温が上がった。もしかしたら熱まであるのかもしれない。
そう口にしながらも、俺は案外すぐに夢の世界へと落ちることができたのだった。
夢の中まで、セシルが出てきて、過保護だなあと思いつつ嬉しかった。ベッドで眠る俺のそばによって、唇に触れる。そして、もう一度俺がキスを返したその手のひらにキスして。その夢の中では他にも、額に、そして頬にキスをされたて。
夢なのにバカみたいにドキドキした。でも、目覚めなければいいってそう思ってしまった。夢の中では、自由で何にも縛られていないから。
俺の願望、それらが見せた所詮は夢。セシルに愛されて、独占されたいっていう、かなわない夢。
「セシル……俺…………」
起きて、俺のベッドに倒れ込むようにして寝ていたセシルを見つけ声にならない悲鳴を上げそうになったのも、また別の話だ。
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