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白い『ミーム』

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俺は逃げていた。

 草木がうっそうと繁る、暗い森の中を必死に駆け抜ける。
 服が枝に引っ掛かり破けるが、そんなことは気にしていられない。
 もし『ミーム』たちにつかまれば、確実に命を落とすだろう。
 藪をかき分け、岩に躓きながら、とにかく生き延びるために心臓が喉から飛び出しそうになっても、それを呑み込んで駆け続けた。
 背後に迫るミーム達の甲高い声を聞き、心底恐怖におびえながら、とにかく前に突き進む。
 不意に目の前が開け、明るくなったと思った瞬間、俺の体は宙を舞っていた。
 崖から落ちたのだと気付き、絶望を感じる間も無く激しく水面に体を打ち付けられ、俺は気を失った。




 俺の村では毎年、年末になると大人になるための儀式が行われる。

 その儀式とは『ミーム狩り』だ。

 翌年、二十歳になる若者達で寄り集まり、村から丸二日かかる『断絶の山』に向かい、そこで『ミーム』を狩らなくてはならない。
 そして『ミーム』の頭を持ちかえり、それを村を守る神聖な巨木『ファームツリー』に捧げることによって儀式は終了となる。
 儀式では毎年何人かは命を落とすのだが、それを終えないとこの村では一人前の大人とは認めてもらえない。
 その儀式のおかげで俺達『ファーム』の種族は生き延びているともいえる。
 持ちかえった『ミーム』の頭を祭壇に捧げるとファームツリーがそれを呑み込み、それを糧に翌年にはまた新しい命がファームツリーから生まれる。
 儀式に失敗した場合、その者達は村を去らなければならず、去った若者がその後どうなったのかは誰もわからない。
 失敗の許されない、過酷な試練でもあるのだ。

 俺たちは自分たちの種族を『ファーム』と呼んでいた。
 天を衝くほどの聖なる巨木ファームツリーから生まれ、その根元に村をつくって住み、ファームツリーの世話をしながら一生をそこで暮らす。
『ファーム』の種族はみな逞しく力仕事が得意で、畑をつくり、狩を行い、全員が家族の様に和気あいあいと暮らしている。
 そして皆、股間に『ファームの証』の肉棒をぶら下げていた。
 それに対し『ミーム』の種族は野蛮で狂暴だ。
 俺はまだ見たことはないが儀式を終えた大人から聞いた話では、奴らは病的に色が白く、甲高い声で鳴き、頭髪が異様に長い。
 姿形は俺たちと似てはいるらしいが、力では到底適わない為、常に群れをつくって行動し、狩りの時には複数で襲ってくるとのことだった。
 体が軽いぶん身のこなしが素早く、油断すると単体でも危険な種族だと聞いている。
 そして奴らには当然『ファームの証』はなく、『ミームの壺』と呼ばれるおぞましく蠢き、悪臭を放つ壺をその体に忍ばせているとのことだった。『ミームの壺』の悪臭に触れると、その匂いは取れず、周りのものを腐らせてしまうという話だ。
 その種族の差異は致命的で、長年互いを忌み嫌い普段いっさいの交流はないのだが、なぜか奴らも俺たちと同様に年末のこの時期になると『断絶の山』へ儀式を行いにくる。
 そしてお互い、命がけの戦いを繰り広げるのだ。



 俺は川のせせらぎの中で意識を取り戻した。
 川の流れの淀んだ浅瀬に寝そべっていたのだが、まだ生きているということは何とか『ミーム』の群れからは逃れられたということだろう。
 野生の狼や熊も徘徊するこの危険な山で、無防備な状態で転がっていたにも関わらず襲われなかったのは本当に運がよかった。
 水に浸かっていたせいで体は冷え切ってはいたが、幸い骨も折れておらず何とか身を起こすことができた。
 奇跡的に剣や盾、野営の為の装備も無くなっておらず、当面の危機は去ったようだが、俺の疲労は激しかった。

 不幸中の幸いにもかかわらず、俺はまた自分の不運を嘆いていた。
『ミーム狩り』の儀式に参加していた俺はひょんなことで仲間達とはぐれてしまい、丸一日『ミーム』の影に怯えながら一人で深い森の中をさんざん彷徨った。
 そして自分が何処にいるのかも分からずうろついているうちに、とうとう仲間ではなく奴らにみつかってしまい、今の状況に陥っている。

 仲間たちは俺を探してくれているだろうか?
 愚かにも一人になってしまったことに焦って、やたらと動き回ったのがいけなかったのだろう。
 なんでこんなことになってしまったのか。
 ひょっとしたら俺の事は死んだとあきらめて、仲間は狩りも終えもう村に戻っているのかもしれない。

『ミーム狩り』の儀式は年明けの7日までに村に戻らなくてはならない。
 村を出立してからすでに5日は過ぎており、もう年明けのお祭りも始まっていることだろう。
 誰か一人でもミームの首を持ち帰れば、『ミーム狩り』は成功とみなされる。
 仲間が成功してくれていればいいが、いずれにしても戻りの日程を考えるとこの山での猶予はあと4日しかない。
 昨年の儀式では年明け2日目に『ミーム狩り』から若者たちがもどり、ミームの首を三つも持ち帰ったこともあって祭りは最高に盛り上がった。
 それを見て「来年は俺が!」と意気込んでいたのだが、現実は生きて戻れる見込みすらままならない悲惨な状況だった。


 俺は冷え切った体を引きずり、トボトボと川のせせらぎにそって歩き始めた。
 火を起こして体を温めたかったが、こんな所で火を起こせば狼煙をあげて自分の存在をアピールするようなものだ。
 せめて煙を遮るような張り出した岩場でもあればと歩いていると、切り立った岩場にちょうどうってつけの洞穴を見つける。
 中を覗くと先が暗くなっており奥行きもありそうで、火を起こすにはこれ以上の好条件はない洞穴だ。

「不幸中の幸いってのは、まさにこのことだな」

 俺は一人で満足し洞穴の中に足を踏み入れた。
 洞穴の中は暗く、目が慣れるまで暗い中を手探りですすむ。
 ぼんやりとしか見えないが、先にはちょっとした広間のような空間があるようだ。
 まさに露営にうってつけの洞穴だった。
 気分を良くして火を起こすための道具を腰のバックから取り出そうとしている時、何かの気配を感じた。
 俺以外に誰かがいる、かすかな息遣いを聞いた気がしたのだ。

 あわてて火付けの道具である『サンの枝』をとりしだし火をつける。
『サンの枝』は俺の村に自生する便利な植物で、枝の所々にある芽を潰すと発火し火を起こすことができる。
 そのまま枝の部分を燃やせば松明代わりにもなった。
 枝に炎が灯り、一気に洞穴の中が明るくなる。
 その照らし出された光景に俺は驚き、息をのむ。

 洞穴の中には先客の『ミーム』がいたのだ。

 白く長い髪にそれと同じく白い肌、燃えるような紅い目をこちらに向けキッと睨んでいる。
 奴は洞穴の壁を背に足を投げ出し座っていた。
『ファーム』ではありえないほっそりとした手足が茶色の皮の服から伸びており、不意に訪れた眩しさを防ぐように腕を顔の前にあげ、その手には鋭い小刀が握られていた。
 そして透き通るような白い太腿の一方に折れた矢が突き刺さり、流れでた赤い血が血溜まりを作っていた。
 その姿は村で聞いたミームの特徴そのままだった。
 俺は驚き、思わず後ずさる。

「お、おまえ、『ミーム』なのか?」

 間抜けな質問をする。
 目の前のミームは思っていたものと大分イメージが違っていて、村で話を聞いた時に感じた様な嫌悪感は不思議とわかなかった。
 もっと化け物じみた姿を想像していたのだが、目の前にいるミームはまるで美しい野生の女鹿の様に感じられた。
 そいつは俺の問いかけに答えるように声を発する。

「○▼※△☆▲※◎★●!!」

 何を言っているのかわからなかったが、その声は大人から聞いていた蝙蝠のうめき声とは違い、小鳥のさえずりの様に澄んだ声で不快感はまったくなかった。
 だが、俺を威嚇しているらしいことはその声色からわかった。

 想像していたミームと大分違うことを認識し、俺はどうすべきか迷っていた。
 足の矢は俺の仲間にやられたのだろうか?
 奴は怪我をしていて、明らかに弱って動けないでいる。
 いくらミームが危険な種族だといっても、今ならやられる気はしない。
 もし戦いになったとしても、十分ねじ伏せることができるだろう。
 そしてせっかく見つけたこの絶好の場所を去るつもりはなかった。
 これ以上の場所はおそらく見つからないだろう。

 俺を睨む紅い目をみながら考える。

 こいつを殺してこの場所を奪い取るか?
 そうすれば儀式に必要なミームの頭も手に入る。
 村に持ってかえれば英雄扱い間違いなしだ。
 よし、いい考えだ、そうしよう!

 俺はそう決め、奴を殺る為に足を踏み出す。
 が、ふと足をとめる。

 いや、まて。今こいつを殺ると血の匂いに狼どもがよってくるな……。
 そうなるとおちおち眠ることもできない。
 せっかく大逆転のチャンスが目の前にあるのに、寝ている間に狼に食い殺されては悔やんでも悔やみ切れん。

 しばらく逡巡し、殺るのは最後にして、まずは穏便にこの場所を確保して休息することにした。

 そう考えた俺は奴に声をかける。

「おい、そっちは怪我をしている。俺も疲れて休みたいんだ。いったん休戦しないか?」

 俺は敵意なく見えるように、両手を広げて少し歩み寄る。

「★●! …●! 」

 相変わらず何をいっているのかわからない。
 奴はまったく警戒を解かず、俺が前に進み出るとそれに合わせて体を岩壁に貼り付け、顔の前の小刀を構えながらずり下がる。
 引きずる足が痛むのか、時折ひどく顔をしかめていた。
 その足から血がしたたり点々と跡をひく。

 こいつ、狼が来ちまうだろうが!

 俺はイラつきながら、血の匂いが広がるのを警戒した。
 これ以上血を流されてはまずいと思い、奴に近づくと手にもつ小刀を素早く蹴り上げる。
 小刀 があっけなくはじけ飛び、洞穴の壁に跳ね音を立てた。
 唯一の武器を蹴り飛ばされた奴は、恐怖に怯えた目で俺を見上げていた。

「てめえの血の匂いで狼が来ちまうだろうが! おとなしくしてろ!」

 そういうと奴に覆いかぶさり矢の刺さった足を抑えつける。

「※△☆▲! ××△☆!!」

 身の危険を感じたのか、奴が大声で叫ぶ。
 俺は足を貫通している折れた矢を確認すると、矢羽の部分を奇麗に折り取った。
 そのまま矢じりをもつと、矢の刺さった方向に合わせ一気に引き抜く。

「アアアッッッーーーー!!!」

 悲鳴が洞穴内にこだました。
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