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第四話 日出処の女王と日沈処の勇者

二一章 ハリエットと迫りくる軍勢

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 勇者ガヴァンとその一行が鬼界島きかいとうへの遠征を決意した頃。
 ハリエットたちは『新しい国』を作るために、廃墟となった城塞都市を再建するべく奮闘していた。
 廃墟の跡地。
 そう言っていいほどに荒れ果てた町とは言え、もともとが数カ国が国境を接する位置にある交通の要衝。規模も大きいし、作りも堅牢。水道や畑、果樹園なども充実している。
 建物はすべてボロボロだったが、完全な廃墟となった建物を取り壊して建材を運べば他の家を修復することはできた。風雨にさらされ、すっかりもろくなった地上部分ではなく、土のなかの土台部分を掘り起こし、建材を取り出し、荷車に乗せて運び、まだしも痛みの少ない家々に当てはめて修復していく。
 その繰り返し。
 男も、女も、子供もない。
 その場にいる誰もが『自分たちの新しい国』を作ろうとの意欲に燃えて仕事に励んでいる。
 ハリエットもそのひとり。自ら土と汗にまみれ、土台を掘り返し、手をマメだらけにして荷車を運んだ。
 「何も男爵家のご令嬢ともあろうお方がそんなことをなさらなくても……」
 土と汗にまみれるハリエットの姿を見て、人々は口をそろえてそう言った。
 「そうですとも。ハリエットさまはどうか我々を監督してください」
 それらの言葉に対しハリエットは柔和な笑顔を浮かべて、しかし、断固たる拒絶の意思を込めて語った。
 「いいえ。わたしたちの作る『新しい国』に貴族も平民もありません。わたしたちが目指すものは『人知れず地道な働きをする人が報われる世界』を作ること。そのはずでしょう? だから、わたしも皆さんと一緒に汗を流すのです。この汗が報われる国を作るために」
 土で汚れた愛らしい顔に、透明な汗と笑顔を浮かべてそう言われると、周りの人々も何も言えない。それに実際、ハリエットは役に立った。勇者一行の荷物持ちをしていたおかげで体は鍛えられている。反射神経関係なしの単純な力仕事であれば、へたな男よりよっぽど頼りになった。
 土を掘るのも、土台を掘り起こすのも、荷車を運ぶのも、ハリエットはすべてを自ら率先して行った。それこそ、フィオナやスヴェトラーナであれば絶対にやるはずのないことばかりだ。汗水をたらして働くその姿、貴族の令嬢とは思えないその姿に人々は感銘を受け、国作りへの意欲をますます高めるのだった。
 ある日、ハリエットはジェイから町の防衛についての報告と相談を受けていた。
 「この町はもともとが城塞都市。町全体を防壁が囲んでいたわけですが、戦乱と風雨によっていまでは見る影もありません」
 「たしかに。せいぜい、土台が残っている程度ですものね」
 「ええ。さすがにこのまま放置しておくわけには行きません。ここにもいつ鬼部おにべの軍勢がやってくるかわかりませんし……」
 言いにくいことですが、と、そう前置きしてからジェイはつづけた。
 「……人間の軍がやってくる可能性も捨てられませんので」
 ジェイの言葉にハリエットはうなずいた。
 ジェイの懸念はハリエットにはもちろん、よくわかる。もともとが四つの国が国境を接する交通の要衝であった町。
 人類の代表、最強国家レオンハルト。
 南の沿岸国家スミクトル。
 西の遊牧国家ポリエバトル。
 北方の雄国オグル。
 いずれも人類世界を代表する武力をもつ国ばかり。長年にわたってこれらの国々が入り乱れ、支配権を求めてきた地。三〇年以上前の戦乱によって廃墟となってからは各国の緩衝地帯として使われ、無人のままだったとは言え、誰かが勝手に住み着いたとなれば警戒する国もあるだろう。
 『鬼部との戦いに集中している状況では気にしてもいられないはず』
 そう思って、この地を再建することに決めたのだが、これだけの人数が集まって活動しているとなれば目を付けられるかも知れない。
 「ですが、へたに防壁の修復などしては却って警戒感を煽るのでは?」
 ハリエットはそう言った。
 『身を守るため』に防壁を修復したことで『侵略の意図がある』と勘ぐられて攻め込まれる……などという結果を招いたりしては、目も当てられない。
 今度はジェイがうなずく番だった。
 「その心配はたしかにあります。ですが、鬼部の襲来を考えればやはり、防壁の整備は最優先すべきでしょう。私の部下であったエンカウンの警護騎士たちはそのほとんどがついてきてくれているとは言え、正直……」
 ジェイの表情は苦い。
 その気持ちはハリエットにも痛いほどよくわかった。
 ろくな補給も、人員の補充もないままに最前線の防衛を押しつけられてきたエンカウン騎士団。そのほとんどが何らかの負傷をしており、五体満足なものは少ない。いざ、鬼部相手の戦闘となればどれだけ機能することか。
 それを補うために民間人のなかから義勇兵を募ってはいる。騎士たちの指導のもと、自衛力を身につけるべく訓練はしている。
 しかし、なにぶん、装備もなければ時間もない。武器と言えばそこらで拾った木の棒、防具と言えば当たり前の布の服を何枚か重ねて縫い付けただけの代物。訓練自体、まだほんの数日。形ばかりでも戦えるようになるにはまだまだかかる。
 ハリエットも表情を曇らせた。
 しかし、それは戦闘に関する不安からではない。ろくな支援もないままに人類世界のために戦いつづけた英雄たち。その英雄たちに対して何もしてやれない自分自身の無力さがもどかしいのだ。
 「……せめて、意動いどう工肢こうしを調達できれば」
 「意動工肢? 何です、それは?」
 「文字通り、意思の力で動かせる人工の手足です」
 「人工の手足⁉ そんなものがあるのですか⁉」
 「わたしも実物を見たことがあるわけではありません。ですが、ゴーレムの作成技術を応用し、魔力を付与することで意思に反応して動かすことの出来る金属製の手足を作る工房がある。そう聞いたことがあります」
 「どこにあるのです⁉」
 ジェイが食い入るようにして聞いた。
 あまりの勢いにハリエットが思わず後ずさったほどだ。
 『元』とは言え男爵令嬢相手にはあまりにも無礼な態度。不敬呼ばわりされても仕方のないところだろう。
 しかし、ハリエットにはもちろんジェイを責める気などなかった。
 命がけで戦い、傷ついた部下たち。その部下たちにできることなら新しい手足を与えてやりたい。そう思うのは将として当然のこと。その思いに対し、好意と尊敬をもちこそすら、無礼などと思うはずがなかった。しかし――。
 その答えはハリエットにとって心苦しいものだった。
 「それが……北方の雄国オグルのさらに北、限界げんかい雪嶺せつれいにある小国だとか」
 「限界雪嶺……」
 ジェイの表情が呆気にとられたものとなり、やがて、失意と無力感に取って代わった。
 限界雪嶺。
 それは大陸の最北、常に雪に閉ざされた奥深い山脈。世界の果てとも、人外魔境とも呼ばれ、様々な怪奇とおどろおどろしい伝説に彩られた領域。
 そこを訪れた人間はしかし、決して雪に囲まれ、凍死することはない。なぜなら、凍死するより早く無数の怪奇に襲われ、生命を落とす結果になるから。
 そうとまで言われる魔境なのだ。
 そんなところまで赴き、意動工肢の作り手たちを連れてくる。
 そんなことが出来るはずもなかった。
 ジェイの表情を見てハリエットは胸を痛めた。
 「……すみません。ぬか喜びさせるようなことを言ってしまって」
 ジェイはあわてて首を横に振った。
 「とんでもありません! あなたが謝るようなことではありません。それより、防壁の件を……」
 「え、ええ、そうですね……」
 言い合ったふたりの視線がふと、合わさる。
 お互い、そのことに気が付き、あわてて視線をそらせる。おかげでどちらも見ることはなかった。相手の顔に一瞬、朱が差したことを。
 その場に気まずい空気が流れ、ふたり共に言葉を失った。その沈黙を破ったのは若々しい、しかし、緊張感に満ちた叫び声だった。
 「ジェイ団長、大変です!」
 紅顔の美少年。
 そんな表現がぴったりくる、若く、愛らしい副団長が必死の形相で駆けてきた。
 「アステス?」
 「ジェイ団長、緊急のご報告が……」
 「アステス。こちらにはハリエットさまがおられる。まずはハリエットさまにお知らせしろ」
 「あっ……」
 言われて、アステスの愛らしい顔に幾つもの表情が浮かんだ。
 ハリエットの存在に気が付かなかったことへの恥じらい、男爵令嬢を差し置いてしまったことへの戸惑い、しかし、『自分のただひとりの上官』と思うジェイよりも優先しなくてはならないことへの不満。
 それらの感情が次から次へと表れては愛らしい顔をかえていく。
 ハリエットは静かに首を横に振った。
 「いいえ、ジェイさま。わたしはただのハリエットです。特別扱いされるいわれはありません。あなたの部下があなたへご報告するのは当然です」
 言われてジェイはハリエットに向かって敬意を込めて頭をさげた。それから、アステスに向き直った。
 「どうした、アステス。何があった?」
 アステスは一瞬、ホッとしたような様子になったが、すぐにそんな場合ではないと思い直した。緊迫感をもった表情で伝えた。
 「数カ国の軍勢がこちらにやってきます!」
 「なんだと⁉」
 「相手は⁉」
 まさか、レオンハルトの軍勢が⁉
 ハリエットとジェイは同時にそのことを懸念した。
 レオンハルトの軍勢なら、ましてや、熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいだとしたら……襲われでもしたらひとたまりもない!
 「い、いいえ、レオンハルトの軍勢は確認されていません」
 アステスがあわてて言った。
 その言葉にハリエットとジェイは同時に安堵の息をついた。
 「ですが、かなりの規模の軍勢です! すぐに騎士たちを動員し、義勇兵も招集して……」
 「まってください!」
 すでに走り出そうとしているアステスに向かって、ハリエットはあわてて声をかけた。
 「なんです? 私はあなたにかまっている暇などないんですよ」
 アステスは苛立ちのあまり、相手が元男爵令嬢であることを割り引いてもかなり失礼な態度を取ってしまった。もちろん、そんなことで咎めるハリエットではない。とがめようとしたのはジェイである。その前にハリエットが口を開いたのでその機を逸してしまったが。
 「兵をそろえるのはやめてください。全員に武器をもたないよう、伝えてください」
 「なんですって⁉ あなたはせっかく集まった人々に、黙って殺されろと言うんですか⁉」
 「攻めに来たとは限りません。へたに応戦姿勢を見せたりしたら相手を刺激させ、なおさら戦端を開く結果になりかねません。まずは相手を迎えて、それから……」
 「そんなことを言っている間に攻められては遅いんですよ!」
 「いや、アステス」
 激昂する副団長に向かってジェイが冷静に指摘した。
 「今回はハリエットさまの仰るとおりだ。お前がそれほどあわてるところを見ると質量共にそろった軍勢なんだろう。そんな相手といまのおれたちが戦ったとしてだ。勝てると思うか?」
 「いえ……」
 アステスは悔しそうに顔を横に振った。
 万全な状態の警護騎士団であればいざ知らず、鬼部との戦いで消耗しきったいまの警護騎士団には荷の重すぎる相手だ。
 「ならば、刺激などしたら逆効果だ。とにかく、いまは相手のこと確かめよう」
 「……はい」
 アステスは『渋々』という表現の見本のような態度でうなずいた。
 ハリエットの言うことならともかく、『唯一の上官』と認めるジェイにそう言われたのでは従うほかない。
 ともかく、ハリエットとジェイはアステスに案内され、軍勢の見える丘へとやってきた。
 見ると、そこには言われたとおり、きらびやかな甲冑に身を固め、大きな旗をはためかせた何千という軍勢が行進していた。その足取りはまちがいなくハリエットたちのいる城塞都市跡地を目指している。
 「……そんな」
 ハリエットが絶望的な声をあげた。
 「スミクトル、ポリエバトル、オグル……レオンハルトをのぞき、この地に国境を接する国の軍勢すべてがやってくるなんて……」
 「しかも、三国の軍が並んでやって来ているとはどういうことだ? 対鬼部戦役で同盟を組んだとは言え、もともとは戦乱を重ねてきた国々。共同作戦をとるほど親密な関係ではないはずだぞ」
 ジェイの言うとおり、これらの国々が共同戦線を張るなど対鬼部戦でもいままでになかったことだ。
 すべての国が対鬼部戦役に参加してはいる。しかし、それは、あくまで単独での行動、でなければレオンハルトに協力する、という形で行われてきた。それは、レオンハルトの国力が圧倒的であり、同盟とは名ばかりの主従関係が出来上がっていたからだ。ほぼ同等の国力をもつこの三カ国の間には、協力関係など出来上がってはいないはずだった。
 三カ国連合(?)が音高く近づいてきた。
 お互いの顔がはっきりと視認できる距離まで近づき、立ち止まった。軍勢のなかからひとりの重騎士が進み出た。兜をとり、手を振るった。その顔を見てハリエットは叫んだ。
 「モーゼズ将軍!」
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