13 / 26
第一部 旅立ち篇
一三の扉 逆襲への旅立ち
しおりを挟む
国王アルフレッドは上機嫌だった。
すべては自分の思い通り。まんまとうまく行った。すべての責任をラベルナとカーディナル家に押しつけ、ごまかすことが出来た。一度はカーディナル家への信頼を取り戻し、王家を責めていた民衆も、ラベルナが裁判の席で実際に人を操って見せたことを目撃した結果、すべての責任はカーディナル家にあるのだと信じた。
王家も魔女によって操られていた被害者なのだと信じた。
おかげで、あれほど騒がしかった抗議の声も最近はすっかりおとなしくなった。
――これで良い。
アルフレッドはニヤニヤとほくそ笑む。
――民衆どもは騙せた。あの目障りな小娘は追放できる。カーディナル家は取りつぶして財産はすべて没収した。すべてはおれの思い通り。しかし、あの目障りな小娘とカーディナル家にすべての責任を押しつけたのは我ながら名案だったな。
もっとも嬉しかったのはカーディナル家の財産を没収したことかも知れない。もちろん、国内きっての大貴族であるからにはカーディナル家には膨大な財があることはわかっていた。しかし、実際に没収してみるとその財は予想以上だった。
――あれだけの金があればまた当分は博打三昧の生活ができるぞ。
そう思うとなんとも心が沸き立つ。
カーディナル家の資産はそこいらの貴族が抱え込んでいるあぶく銭とはわけがちがう。代々、人々の身命を守ってきた行為に対する代価であり、さらなる研究を行い、人々に尽くすために蓄えてきた浄財である。
しかし、そんなことはこの賭博狂いの国王には関係ない。アルフレッドにとって『財産』とは結局、自分が湯水のように賭け事につぎ込める金のことなのだ。
「ち、父上……」
オドオドとした声がした。
息子であり、王太子であるアルフォンスが父親のご機嫌をうかがうように上目遣いに父王を見つめている。すがるようなその目付きは、まさしく子供そのものだ。
その隣には『クリーム令嬢』こと、現在の婚約者であるティオル公爵令嬢ピルアが寄り添っている。相変わらず愛らしくはあるが、ぽやあっとした締まりのない表情。見ているだけで虫歯が出来そうなほど甘ったるい雰囲気だ。
意志も弱ければ、気も弱すぎる王太子と菓子のことしか頭にない公爵令嬢。
ある意味、国一番のお似合いカップルは、そろって父王の下にやってきていた。
「ち、父上、あの魔女は本当に追放されるのですね? もう二度と、会わずにすむのですね?」
「むろんだ。あの娘は遙か北、カウロン領へと送り込む。かの地は寒風吹きすさぶ極限の大地。人間の住む場所ではない。なにより、かの地には野蛮な一つ目巨人どもが住んでおる。遠からず、食い殺されるわ」
そう。
アルフレッドにはラベルナを生かしておく気など最初からなかった。
処刑ではなく追放刑にしたのは自分の手を汚すことなく始末するため。野蛮で粗野(と、アルフレッドの信じる)一つ目巨人族に食い殺させるためだった。
その残忍な仕打ちをしかし、かつてのラベルナの婚約者である王太子アルフォンスは心からの安堵の表情で聞いていた。
「は、ははは、助かった、助かったぞ、ピルア! これでもう私はあの魔女に操られたりせずにすむ。もう怖れる必要はない」
「アルフォンスさま」
「私はそなたのおかげで、あの魔女の洗脳から解放され、真実の愛を知った! これからはそなたとふたり、幸せに暮らしていこう」
「嬉しゅうございますわ、アルフォンスさま」
場も、国の状況もわきまえないカップルはお互いに見つめ合い、ふたりの世界に没入していた。まわりにミツバチが飛び交うのが見えるほど甘い雰囲気であり、見ているだけで胸焼けを起こしそうだった。
そんなふたりをアルフレッドはしかし、邪悪な笑みを浮かべて眺めていた。
――あの目障りな小娘は片付けた。あとはこいつだ。こいつさえいなければ……。
ラベルナを追放し、民衆を懐柔したいま、アルフレッドにとって自分の地位を脅かす存在と言えばただひとり。王太子の立場にいるこの息子ただひとりだった。
アルフレッドは王位を譲る気などなかった。博打と遊興にうつつを抜かしていられるこの立場を捨てるつもりなどこれっぽっちもなかった。その地位を脅かす存在である王太子は前々から目障りな存在だったのだ。
ラベルナとカーディナル家が後ろ盾として存在していたときには手が出せなかった。しかし、ラベルナは追放され、カーディナル家はお取りつぶし。もはや、アルフォンスの後ろ盾となるものはいない。となれば――。
――玉座はおれのものだ。永遠におれだけのものだ。アルフォンス。きさまには渡さん。
己の守護者を自ら切り捨てた無邪気で愚かな王太子はいま、自分の身に降りかかろうとする運命も知らずに婚約者とふたりきりの幸せな時間に浸っていた。
……まだパン屋でさえ朝の仕事をはじめているかどうかと言う時刻。
ほとんど忘れ去られ、いまでは使われることもなくなった古い港に一隻の軍艦が停まっていた。ラベルナとその弟ユーマとを北の地へと送り届けるための護送船である。
わざわざ出発地点としてこんな寂れた港を選んだのは、立場をわからせてやろうというアルフレッドの嫌がらせだった。とは言え、ラベルナたちにとってもむしろ好都合だった。
なにしろ、怒りに燃える民衆のなかには王家の公表を信じてラベルナとカーディナル家こそがすべての元凶だと思い込むものもいた。へたに人目につく場所から出立することになれば、そんな人間たちが押し寄せてきて襲われる心配もあった。こうして、誰の注目も浴びずに安全に出立出来るのは何よりだった。
その場には十数人の人間たちが集まっていた。
見送りの賑わいはなく、通夜のように沈痛に沈み込んだ表情が広がっている。
カーディナル家の使用人たちである。
すでにカーディナル家はお取りつぶしになっている。である以上、『元使用人』と言うべきなのだろう。しかし、かの人たちの心のなかでは、いまでもカーディナル家の使用人のままである。
侍女メリッサ。
執事グルック。
ハウスキーパー、シュレッサ。
コック、サマンサ。
フットマン、サーブ。
コーチマン、ハザブ。
ガーデナー、カント。
ボーイ、ルークス。
その他、何人かの使用人たち。
その他の使用人たちはカーディナル家がお取りつぶしになった時点で身の危険を感じ、離れていった。カーディナル家の使用人であった過去を隠し、新たな奉公先を見つけようと活動している。
それを責めるわけにはいかないだろう。かの人たちにもかの人たちの生活がある。
メリッサたちもそのことは承知している。責めるつもりなど毛頭ない。
だが、それだけに、この場に残ったものたちは筋金入りだった。最後までカーディナル家の一員であることを貫く。その覚悟を決めた人間たちだった。
「……ラベルナさま」
侍女のメリッサが泣きそうな顔でそれだけを言った。悲しみで胸が潰れ、それ以上の言葉が出てこない。
「あの国王め! よりによってカウロン領などへ送り込むとは!」
若きフットマン、サーブが忌々しさを込めて大地を蹴りながら叫んだ。
コックのサマンサが憤慨した声をあげた。
「まったくだよ。あんな北の果て、どんなに温かい料理を作ったってすぐに冷えちまうじゃないか。おまけに、あそこにゃあ、人を食う一つ目巨人族が住むって言うし……」
「だいじょうぶです。サマンサ」
ラベルナは母親気質のコックを安心させるためにあえて笑って見せた。
「『一つ目巨人』と言うのはあくまで通称。一つ目に見える独特の仮面をかぶっていることから付けられた俗称です。体が大きいのも北の地に住んでいるから。寒さに対抗するため、熱を蓄えやすい大きな体になっただけのこと。決して怪物などではなく同じ人間。言葉もある程度は通じるし、『人を食う』などと言うのも無責任な噂に過ぎません」
ラベルナはそう言ったが、そうとばかりは言えない。
北の巨人族は周期的にフィールナル王国を襲撃し、人を殺し、食糧や資源を奪っていく。である以上、比喩としてならば『人を食う』というのはまちがってはいない。しかし、わざわざこの場でそれを指摘して母親気質のコックを心配させる必要もないことだった。
「……お嬢」
いつもはグルックやシュレッサから窘められるほどに陽気で冗談好きのコーチマン、ハザブがこのときばかりは沈み込んだ表情で言った。
「……すまねえ。お嬢の乗る乗り物を操るのは本来、おれの役目だってのに」
「……わしがいなかったら、誰があんたのために薬草を栽培するんだ」
無口で偏屈なガーデナーのカントも悔しさをにじませながら呟いた。
このふたりとメリッサを含めた三人は、船長に対して強硬に主張したのだ。
「自分もラベルナさまと共に行く!」と。
しかし、船長の『そんな命令は受けていない』という一言によってはね除けられた。いかに、忠誠心に篤いかの人たちとは言え、完全武装の兵士たちから槍を突きつけられたとあっては引き下がらざるを得ない。なにより、兵士たちに逆らって怪我をするなどラベルナが許さない。
「大丈夫です、皆さん」
ニッコリと微笑んでそう言ったのはまだ一二歳のラベルナの弟、ユーマである。
「姉上は私が守ります。安心していてください」
「……ユーマさま」
ボーイのルークスが呟いた。
自分より二つも下の少年がそれだけの覚悟を決めているのを見て恥ずかしくなったのだろう。すぐにうつむいてしまった。
「ラベルナさま」
執事のグルックが一同を代表するように前に立った。
初老とは言え、年齢を感じさせないピシッとした立ち姿はさすが、熟練の執事という貫禄だった。
「残念ながら我々は共に参ることはできません。ですが、心は常に共にありますぞ。我々は永遠にカーディナル家の一員であり、あなたさまのしもべです」
「その通りです」
厳格な女教師という印象のハウスキーパー、シュレッサもメガネの奥の瞳に強靱な意思を込めてうなずいた。
「カーディナル家の誇り、我々は決して忘れません」
「ありがとう、みんな」
胸に迫るものを感じながらラベルナは答えた。
「でも、覚えておいてください。これは追放ではなく旅立ち。カーディナル家は必ずこの地に戻ってきます」
きっぱりと――。
ラベルナはそう言い切った。
「カーディナル家は代々、王家を守護し奉る使命をもった一族。ですが、今回の件でその義理は果たした。わたしはそう考えています。あとは我が一族の名誉を汚したものに対する聖なる復讐だけ。カーディナル家は必ず帰ってきます。北の地で名誉を回復するための力を手に入れて」
「だったら!」
それまで悲しみのあまり、なにも言えずにいた侍女のメリッサがたまらずに叫んだ。大きな目に涙がいっぱいに溜まっている。
「わたしたちはカーディナル家のご帰還を待ちつづけます。例え、何年、何十年、いえ、何百年かかろうと! このフィールナルの地に根を張って生き抜き、お迎えいたします!」
「その通りです」
フットマンのサーブも声を重ねた。
「カーディナル家に受けた恩義。わたしは決して忘れません。何代かかろうとも必ずやお迎えいたします」
「ええ」
ラベルナはうなずいた。
「では、行ってきます。留守を頼みます」
「はい!」
ラベルナのその言葉も、堂々と胸を張ったその姿も、追放されるもののそれではなかった。まさしく、誇りに満ちた旅立ちを迎えたものの姿だった。
ラベルナは船長に言った。いや、命じた。
「さあ、船長。船を出しなさい。カーディナル家の名誉回復の旅のために」
「あ、ああ……」
ラベルナのあまりにも堂々とした態度に船長こそが気圧されていた。
そして、ラベルナとユーマは船に乗り込んだ。
波をかき分けて船がゆっくりと進み出す。
その船をメリッサたちはいつまで見送っていた。
ここにカーディナル家はふたつにわかれた。
遙か北の地へと旅立つものと。
この地に残るもの。
そして、そのことが王国の未来を大きく動かすことになる。
すべては自分の思い通り。まんまとうまく行った。すべての責任をラベルナとカーディナル家に押しつけ、ごまかすことが出来た。一度はカーディナル家への信頼を取り戻し、王家を責めていた民衆も、ラベルナが裁判の席で実際に人を操って見せたことを目撃した結果、すべての責任はカーディナル家にあるのだと信じた。
王家も魔女によって操られていた被害者なのだと信じた。
おかげで、あれほど騒がしかった抗議の声も最近はすっかりおとなしくなった。
――これで良い。
アルフレッドはニヤニヤとほくそ笑む。
――民衆どもは騙せた。あの目障りな小娘は追放できる。カーディナル家は取りつぶして財産はすべて没収した。すべてはおれの思い通り。しかし、あの目障りな小娘とカーディナル家にすべての責任を押しつけたのは我ながら名案だったな。
もっとも嬉しかったのはカーディナル家の財産を没収したことかも知れない。もちろん、国内きっての大貴族であるからにはカーディナル家には膨大な財があることはわかっていた。しかし、実際に没収してみるとその財は予想以上だった。
――あれだけの金があればまた当分は博打三昧の生活ができるぞ。
そう思うとなんとも心が沸き立つ。
カーディナル家の資産はそこいらの貴族が抱え込んでいるあぶく銭とはわけがちがう。代々、人々の身命を守ってきた行為に対する代価であり、さらなる研究を行い、人々に尽くすために蓄えてきた浄財である。
しかし、そんなことはこの賭博狂いの国王には関係ない。アルフレッドにとって『財産』とは結局、自分が湯水のように賭け事につぎ込める金のことなのだ。
「ち、父上……」
オドオドとした声がした。
息子であり、王太子であるアルフォンスが父親のご機嫌をうかがうように上目遣いに父王を見つめている。すがるようなその目付きは、まさしく子供そのものだ。
その隣には『クリーム令嬢』こと、現在の婚約者であるティオル公爵令嬢ピルアが寄り添っている。相変わらず愛らしくはあるが、ぽやあっとした締まりのない表情。見ているだけで虫歯が出来そうなほど甘ったるい雰囲気だ。
意志も弱ければ、気も弱すぎる王太子と菓子のことしか頭にない公爵令嬢。
ある意味、国一番のお似合いカップルは、そろって父王の下にやってきていた。
「ち、父上、あの魔女は本当に追放されるのですね? もう二度と、会わずにすむのですね?」
「むろんだ。あの娘は遙か北、カウロン領へと送り込む。かの地は寒風吹きすさぶ極限の大地。人間の住む場所ではない。なにより、かの地には野蛮な一つ目巨人どもが住んでおる。遠からず、食い殺されるわ」
そう。
アルフレッドにはラベルナを生かしておく気など最初からなかった。
処刑ではなく追放刑にしたのは自分の手を汚すことなく始末するため。野蛮で粗野(と、アルフレッドの信じる)一つ目巨人族に食い殺させるためだった。
その残忍な仕打ちをしかし、かつてのラベルナの婚約者である王太子アルフォンスは心からの安堵の表情で聞いていた。
「は、ははは、助かった、助かったぞ、ピルア! これでもう私はあの魔女に操られたりせずにすむ。もう怖れる必要はない」
「アルフォンスさま」
「私はそなたのおかげで、あの魔女の洗脳から解放され、真実の愛を知った! これからはそなたとふたり、幸せに暮らしていこう」
「嬉しゅうございますわ、アルフォンスさま」
場も、国の状況もわきまえないカップルはお互いに見つめ合い、ふたりの世界に没入していた。まわりにミツバチが飛び交うのが見えるほど甘い雰囲気であり、見ているだけで胸焼けを起こしそうだった。
そんなふたりをアルフレッドはしかし、邪悪な笑みを浮かべて眺めていた。
――あの目障りな小娘は片付けた。あとはこいつだ。こいつさえいなければ……。
ラベルナを追放し、民衆を懐柔したいま、アルフレッドにとって自分の地位を脅かす存在と言えばただひとり。王太子の立場にいるこの息子ただひとりだった。
アルフレッドは王位を譲る気などなかった。博打と遊興にうつつを抜かしていられるこの立場を捨てるつもりなどこれっぽっちもなかった。その地位を脅かす存在である王太子は前々から目障りな存在だったのだ。
ラベルナとカーディナル家が後ろ盾として存在していたときには手が出せなかった。しかし、ラベルナは追放され、カーディナル家はお取りつぶし。もはや、アルフォンスの後ろ盾となるものはいない。となれば――。
――玉座はおれのものだ。永遠におれだけのものだ。アルフォンス。きさまには渡さん。
己の守護者を自ら切り捨てた無邪気で愚かな王太子はいま、自分の身に降りかかろうとする運命も知らずに婚約者とふたりきりの幸せな時間に浸っていた。
……まだパン屋でさえ朝の仕事をはじめているかどうかと言う時刻。
ほとんど忘れ去られ、いまでは使われることもなくなった古い港に一隻の軍艦が停まっていた。ラベルナとその弟ユーマとを北の地へと送り届けるための護送船である。
わざわざ出発地点としてこんな寂れた港を選んだのは、立場をわからせてやろうというアルフレッドの嫌がらせだった。とは言え、ラベルナたちにとってもむしろ好都合だった。
なにしろ、怒りに燃える民衆のなかには王家の公表を信じてラベルナとカーディナル家こそがすべての元凶だと思い込むものもいた。へたに人目につく場所から出立することになれば、そんな人間たちが押し寄せてきて襲われる心配もあった。こうして、誰の注目も浴びずに安全に出立出来るのは何よりだった。
その場には十数人の人間たちが集まっていた。
見送りの賑わいはなく、通夜のように沈痛に沈み込んだ表情が広がっている。
カーディナル家の使用人たちである。
すでにカーディナル家はお取りつぶしになっている。である以上、『元使用人』と言うべきなのだろう。しかし、かの人たちの心のなかでは、いまでもカーディナル家の使用人のままである。
侍女メリッサ。
執事グルック。
ハウスキーパー、シュレッサ。
コック、サマンサ。
フットマン、サーブ。
コーチマン、ハザブ。
ガーデナー、カント。
ボーイ、ルークス。
その他、何人かの使用人たち。
その他の使用人たちはカーディナル家がお取りつぶしになった時点で身の危険を感じ、離れていった。カーディナル家の使用人であった過去を隠し、新たな奉公先を見つけようと活動している。
それを責めるわけにはいかないだろう。かの人たちにもかの人たちの生活がある。
メリッサたちもそのことは承知している。責めるつもりなど毛頭ない。
だが、それだけに、この場に残ったものたちは筋金入りだった。最後までカーディナル家の一員であることを貫く。その覚悟を決めた人間たちだった。
「……ラベルナさま」
侍女のメリッサが泣きそうな顔でそれだけを言った。悲しみで胸が潰れ、それ以上の言葉が出てこない。
「あの国王め! よりによってカウロン領などへ送り込むとは!」
若きフットマン、サーブが忌々しさを込めて大地を蹴りながら叫んだ。
コックのサマンサが憤慨した声をあげた。
「まったくだよ。あんな北の果て、どんなに温かい料理を作ったってすぐに冷えちまうじゃないか。おまけに、あそこにゃあ、人を食う一つ目巨人族が住むって言うし……」
「だいじょうぶです。サマンサ」
ラベルナは母親気質のコックを安心させるためにあえて笑って見せた。
「『一つ目巨人』と言うのはあくまで通称。一つ目に見える独特の仮面をかぶっていることから付けられた俗称です。体が大きいのも北の地に住んでいるから。寒さに対抗するため、熱を蓄えやすい大きな体になっただけのこと。決して怪物などではなく同じ人間。言葉もある程度は通じるし、『人を食う』などと言うのも無責任な噂に過ぎません」
ラベルナはそう言ったが、そうとばかりは言えない。
北の巨人族は周期的にフィールナル王国を襲撃し、人を殺し、食糧や資源を奪っていく。である以上、比喩としてならば『人を食う』というのはまちがってはいない。しかし、わざわざこの場でそれを指摘して母親気質のコックを心配させる必要もないことだった。
「……お嬢」
いつもはグルックやシュレッサから窘められるほどに陽気で冗談好きのコーチマン、ハザブがこのときばかりは沈み込んだ表情で言った。
「……すまねえ。お嬢の乗る乗り物を操るのは本来、おれの役目だってのに」
「……わしがいなかったら、誰があんたのために薬草を栽培するんだ」
無口で偏屈なガーデナーのカントも悔しさをにじませながら呟いた。
このふたりとメリッサを含めた三人は、船長に対して強硬に主張したのだ。
「自分もラベルナさまと共に行く!」と。
しかし、船長の『そんな命令は受けていない』という一言によってはね除けられた。いかに、忠誠心に篤いかの人たちとは言え、完全武装の兵士たちから槍を突きつけられたとあっては引き下がらざるを得ない。なにより、兵士たちに逆らって怪我をするなどラベルナが許さない。
「大丈夫です、皆さん」
ニッコリと微笑んでそう言ったのはまだ一二歳のラベルナの弟、ユーマである。
「姉上は私が守ります。安心していてください」
「……ユーマさま」
ボーイのルークスが呟いた。
自分より二つも下の少年がそれだけの覚悟を決めているのを見て恥ずかしくなったのだろう。すぐにうつむいてしまった。
「ラベルナさま」
執事のグルックが一同を代表するように前に立った。
初老とは言え、年齢を感じさせないピシッとした立ち姿はさすが、熟練の執事という貫禄だった。
「残念ながら我々は共に参ることはできません。ですが、心は常に共にありますぞ。我々は永遠にカーディナル家の一員であり、あなたさまのしもべです」
「その通りです」
厳格な女教師という印象のハウスキーパー、シュレッサもメガネの奥の瞳に強靱な意思を込めてうなずいた。
「カーディナル家の誇り、我々は決して忘れません」
「ありがとう、みんな」
胸に迫るものを感じながらラベルナは答えた。
「でも、覚えておいてください。これは追放ではなく旅立ち。カーディナル家は必ずこの地に戻ってきます」
きっぱりと――。
ラベルナはそう言い切った。
「カーディナル家は代々、王家を守護し奉る使命をもった一族。ですが、今回の件でその義理は果たした。わたしはそう考えています。あとは我が一族の名誉を汚したものに対する聖なる復讐だけ。カーディナル家は必ず帰ってきます。北の地で名誉を回復するための力を手に入れて」
「だったら!」
それまで悲しみのあまり、なにも言えずにいた侍女のメリッサがたまらずに叫んだ。大きな目に涙がいっぱいに溜まっている。
「わたしたちはカーディナル家のご帰還を待ちつづけます。例え、何年、何十年、いえ、何百年かかろうと! このフィールナルの地に根を張って生き抜き、お迎えいたします!」
「その通りです」
フットマンのサーブも声を重ねた。
「カーディナル家に受けた恩義。わたしは決して忘れません。何代かかろうとも必ずやお迎えいたします」
「ええ」
ラベルナはうなずいた。
「では、行ってきます。留守を頼みます」
「はい!」
ラベルナのその言葉も、堂々と胸を張ったその姿も、追放されるもののそれではなかった。まさしく、誇りに満ちた旅立ちを迎えたものの姿だった。
ラベルナは船長に言った。いや、命じた。
「さあ、船長。船を出しなさい。カーディナル家の名誉回復の旅のために」
「あ、ああ……」
ラベルナのあまりにも堂々とした態度に船長こそが気圧されていた。
そして、ラベルナとユーマは船に乗り込んだ。
波をかき分けて船がゆっくりと進み出す。
その船をメリッサたちはいつまで見送っていた。
ここにカーディナル家はふたつにわかれた。
遙か北の地へと旅立つものと。
この地に残るもの。
そして、そのことが王国の未来を大きく動かすことになる。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
鬼神の刃──かつて世を震撼させた殺人鬼は、スキルが全ての世界で『無能者』へと転生させられるが、前世の記憶を使ってスキル無しで無双する──
ノリオ
ファンタジー
かつて、刀技だけで世界を破滅寸前まで追い込んだ、史上最悪にして最強の殺人鬼がいた。
魔法も特異体質も数多く存在したその世界で、彼は刀1つで数多の強敵たちと渡り合い、何百何千…………何万何十万と屍の山を築いてきた。
その凶悪で残虐な所業は、正に『鬼』。
その超絶で無双の強さは、正に『神』。
だからこそ、後に人々は彼を『鬼神』と呼び、恐怖に支配されながら生きてきた。
しかし、
そんな彼でも、当時の英雄と呼ばれる人間たちに殺され、この世を去ることになる。
………………コレは、そんな男が、前世の記憶を持ったまま、異世界へと転生した物語。
当初は『無能者』として不遇な毎日を送るも、死に間際に前世の記憶を思い出した男が、神と世界に向けて、革命と戦乱を巻き起こす復讐譚────。
いずれ男が『魔王』として魔物たちの王に君臨する────『人類殲滅記』である。
お持ち帰り召喚士磯貝〜なんでも持ち運び出来る【転移】スキルで異世界つまみ食い生活〜
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
ひょんなことから男子高校生、磯貝章(いそがいあきら)は授業中、クラス毎異世界クラセリアへと飛ばされた。
勇者としての役割、与えられた力。
クラスメイトに協力的なお姫様。
しかし能力を開示する魔道具が発動しなかったことを皮切りに、お姫様も想像だにしない出来事が起こった。
突如鳴り出すメール音。SNSのメロディ。
そして学校前を包囲する警察官からの呼びかけにクラスが騒然とする。
なんと、いつの間にか元の世界に帰ってきてしまっていたのだ!
──王城ごと。
王様達は警察官に武力行為を示すべく魔法の詠唱を行うが、それらが発動することはなく、現行犯逮捕された!
そのあとクラスメイトも事情聴取を受け、翌日から普通の学校生活が再開する。
何故元の世界に帰ってきてしまったのか?
そして何故か使えない魔法。
どうも日本では魔法そのものが扱えない様で、異世界の貴族達は魔法を取り上げられた平民として最低限の暮らしを強いられた。
それを他所に内心あわてている生徒が一人。
それこそが磯貝章だった。
「やっべー、もしかしてこれ、俺のせい?」
目の前に浮かび上がったステータスボードには異世界の場所と、再転移するまでのクールタイムが浮かび上がっていた。
幸い、章はクラスの中ではあまり目立たない男子生徒という立ち位置。
もしあのまま帰って来なかったらどうなっていただろうというクラスメイトの話題には参加させず、この能力をどうするべきか悩んでいた。
そして一部のクラスメイトの独断によって明かされたスキル達。
当然章の能力も開示され、家族ごとマスコミからバッシングを受けていた。
日々注目されることに辟易した章は、能力を使う内にこう思う様になった。
「もしかして、この能力を金に変えて食っていけるかも?」
──これは転移を手に入れてしまった少年と、それに巻き込まれる現地住民の異世界ドタバタコメディである。
序章まで一挙公開。
翌日から7:00、12:00、17:00、22:00更新。
序章 異世界転移【9/2〜】
一章 異世界クラセリア【9/3〜】
二章 ダンジョンアタック!【9/5〜】
三章 発足! 異世界旅行業【9/8〜】
四章 新生活は異世界で【9/10〜】
五章 巻き込まれて異世界【9/12〜】
六章 体験! エルフの暮らし【9/17〜】
七章 探索! 並行世界【9/19〜】
95部で第一部完とさせて貰ってます。
※9/24日まで毎日投稿されます。
※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。
おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。
勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。
ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。
RISE!~男装少女の異世界成り上がり譚~
た~にゃん
ファンタジー
「俺にしろよ。俺ならアンタに……特大の幸せと金持ちの老後をやるからよ…!」
私――いや俺は、こうして辺境のド田舎貧乏代官の息子サイラスになった。
性別を偽り、代官の息子となった少女。『魔の森』の秘密を胸に周囲の目を欺き、王国の搾取、戦争、さまざまな危機を知恵と機転で乗り越えながら、辺境のウィリス村を一国へとのしあげてゆくが……え?ここはゲームの世界で自分はラスボス?突然降りかかる破滅フラグ。運命にも逆境にもめげず、ペンが剣より強い国をつくることはできるのか?!
武闘派ヒーロー、巨乳ライバル令嬢、愉快なキノコ、スペック高すぎる村人他、ぶっ飛びヒロイン(※悪役)やお馬鹿な王子様など定番キャラも登場!
◇毎日一話ずつ更新します!
◇ヒーロー登場は、第27話(少年期編)からです。
◇登場する詩篇は、すべて作者の翻訳・解釈によるものです。
転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活
あーあーあー
ファンタジー
名家の生まれなうえに将来を有望視され、若くして領主となったカイエン・ガリエンド。彼は飢饉の際に王侯貴族よりも民衆を優先したために田舎の開拓村へ左遷されてしまう。
妻は彼の元を去り、一族からは勘当も同然の扱いを受け、王からは見捨てられ、生きる希望を失ったカイエンはある日、浅黒い肌の赤ん坊を拾った。
貴族の彼は赤子など育てた事などなく、しかも左遷された彼に乳母を雇う余裕もない。
しかし、心優しい村人たちの協力で何とか子育てと領主仕事をこなす事にカイエンは成功し、おまけにカイエンは開拓村にて子育てを手伝ってくれた村娘のリーリルと結婚までしてしまう。
小さな開拓村で幸せな生活を手に入れたカイエンであるが、この幸せはカイエンに迫る困難と成り上がりの始まりに過ぎなかった。
異世界転移は分解で作成チート
キセル
ファンタジー
黒金 陽太は高校の帰り道の途中で通り魔に刺され死んでしまう。だが、神様に手違いで死んだことを伝えられ、元の世界に帰れない代わりに異世界に転生することになった。
そこで、スキルを使って分解して作成(創造?)チートになってなんやかんやする物語。
※処女作です。作者は初心者です。ガラスよりも、豆腐よりも、濡れたティッシュよりも、凄い弱いメンタルです。下手でも微笑ましく見ていてください。あと、いいねとかコメントとかください(′・ω・`)。
1~2週間に2~3回くらいの投稿ペースで上げていますが、一応、不定期更新としておきます。
よろしければお気に入り登録お願いします。
あ、小説用のTwitter垢作りました。
@W_Cherry_RAITOというやつです。よろしければフォローお願いします。
………それと、表紙を書いてくれる人を募集しています。
ノベルバ、小説家になろうに続き、こちらにも投稿し始めました!
『絶対に許さないわ』 嵌められた公爵令嬢は自らの力を使って陰湿に復讐を遂げる
黒木 鳴
ファンタジー
タイトルそのまんまです。殿下の婚約者だった公爵令嬢がありがち展開で冤罪での断罪を受けたところからお話しスタート。将来王族の一員となる者として清く正しく生きてきたのに悪役令嬢呼ばわりされ、復讐を決意して行動した結果悲劇の令嬢扱いされるお話し。
底辺動画主、配信を切り忘れてスライムを育成していたらバズった
椎名 富比路
ファンタジー
ダンジョンが世界じゅうに存在する世界。ダンジョン配信業が世間でさかんに行われている。
底辺冒険者であり配信者のツヨシは、あるとき弱っていたスライムを持ち帰る。
ワラビと名付けられたスライムは、元気に成長した。
だがツヨシは、うっかり配信を切り忘れて眠りについてしまう。
翌朝目覚めると、めっちゃバズっていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる