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第四話 おれの一番、欲しかったもの
一九章 カフェ談義で盛り上がる(1)
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「これがカフェの青写真だ」
「おお、ついに出来たか!」
森也が広げた図面を前にあきらが歓声をあげる。
茜工務店に『おれたちの国』の主要メンバーが集まっていた。藍条森也、赤岩あきら、茜瀬奈、青木つかさ、緑山菜の花、そして、緑山さくら。
いまのところ、この六人が『おれたちの国』の主要メンバー。そして、森也がこのメンバーを集め、カフェの設計図を披露しているのだ。
「三階建てか。かなりの規模だな」
建築担当の瀬奈が図面を見ながら真剣な面持ちで答える。
『おれたちの国』の建築関係は茜工務店が一手に担っている。その責任の重さを痛感しているのだ。
「やりたいことがいろいろあるんでな。それぐらいは必要になる」
「なるほど。しかし、これ、二階と三階はがらんどうだぞ。どうなってるんだ?」
「おれひとりですべて決めてしまうのは問題だからな。二階、三階は皆の意見を聞いて決めようと思ってな」
「なるほど。いい心構えだ」と、いつでも偉そうなあきらが殿さま気取りで腕を組み、うんうんとうなずいてみせる。
「ならば、カラオケルームを用意しろ! いつでもわたしの美声を披露してやれるようにな」
『ふんぬ!』とばかりに鼻を鳴らし、薄い胸をふんぞり返らせて主張するあきらである。 あきらのカラオケ好きは業界では有名だ。ただし、音痴もいいところなのに声だけは大きい傍迷惑な歌声として。しかも、やっかいなことに今をときめく売れっ子マンガ家とあって、業界ではかなりの力をもっている身。おかげで、そうと指摘したくてもそうはいかずに無理やり聞かされて、その歌声――通称・殺人音波――の被害に遭った編集者や後輩マンガ家は数知れず。真っ向から付き合いを断ることが出来るのは、それこそデビュー以来の付き合いで『同期の桜』として認識されている森也ぐらいのもの。『女ジャイアンなのは性格だけじゃない』と、言われるゆえんである。
「あ、それいい! あたしもカラオケルーム欲しい!」
いまだ『あきらの恐怖』未経験の菜の花が叫んだ。
表情を曇らせたのは瀬奈である。建築屋としての立場もある。しかし、かの人はあきらにカラオケに付き合わされたことが何度もある。『あきらの恐怖』を身をもって知っているのだ。
「……でも、カフェにカラオケルームっておかしくない?」
できることならカラオケルーム設置を阻止して『あきらの恐怖』に出会う被害者の数を減らしたい。もちろん、自分だって、もう被害に遭いたくない!
その切なる願いからの言葉であった。しかし、その願いはいともたやすく破壊された。藍条森也の一言によって。
「おかしくはないさ。カラオケ喫茶なんて普通にある」
――お前は、付き合いを断れるからそう言えるんだ!
との瀬奈の心の叫びは――。
誰の耳にも届くことはなかった。
瀬奈の内心を知ってか知らずか森也はつづけた。
「それに、アイディアの数は多い方がいい。単なるカフェとしてではなく、地域社会の中心、住民たちの交流の場として設計するつもりだからな。そのためには色々な用途があるに越したことはない。要望があったらどんなものでもいいから言ってくれ。遠慮はいらない。採用するかどうか、実現可能かどうか、そんなことは要望が出尽くしたあとで吟味すればいいことだ」
「ハイハイハイ!」
森也の言葉につかさが手を挙げて叫びはじめた。
「だったら、あたしは展示場が欲しい! せっかく、カフェがあるんだもん。各務彫刻をひとりでも多くのお客さんに見て欲しい」
いかにも『モテキャラ』という感じのするかわいらしい容姿のつかさだが、態度と口調もそれっぽい。最初のうちこそ遠慮もあってか敬語を使っていたのだが、もともと人なつこい性格なのだろう。すぐに打ち解けていまではすっかり友だち口調になっている。
「展示場か。たしかにそれもいいな」と、森也。
「各務彫刻に限らず、各地の工芸品を集めて展示すれば伝統工芸の紹介場になるしな。となると、二階にカラオケルーム、三回に多目的ホールと展示場という感じになるか」
「多目的ホールも作るのか?」と、瀬奈。
「いま言ったとおり、地域住民の交流の場として育てていくのが目的だからな。様々な要望に対応できるように、何にでも使える場所を確保しておく必要がある」
「なるほどな」
「さて。それでは、改めて一階部分を説明していくか。まず、予想以上に敷地がとれたので半分をカフェとし、もう半分は観光農園とする」
「観光農園?」
「そうだ。果樹を並べ、ちょっとした動物たちも放す。地域の子供たちが一日中でもそこで遊んでいられるようにな」
「ならば、わたしは『世界の名犬大集合!』を要求する!」と、イヌ派のあきらがすかさず主張する。
「あたしはウサちゃん!」とは、つかさの叫びである。
「甘い! 時代はモフモフ! モフモフふわふわのヒツジこそ正義!」という菜の花の叫びは案外、最もいまの時代に合った正当なものだったかも知れない。
「正気なの? 動物なんていたってろくな事ないじゃない」
『おぞましい』と言わんばかりに身を震わせてそう言ったのは、瀬奈である。イノシシには作物を食い荒らされるし、ヒルにはいつの間にか血を吸われているし、ヘビなんていつなんどき草むらから出てくるかわからないし……『自然豊か』な山のなかで育っただけに、逆に動物と身近にふれあいたいという欲求がない瀬奈である。山に生きる人間にとって動物はむしろ敵、少なくても距離を保って付き合うべき存在なのだ。
「そういう具体的な話は今後に回すとしてだ」と、森也。
「いまは観光農園を用意する目的を説明しておく。子連れで入れる店は実はそう多くない。入れたところで子供が暴れやしないかとハラハラするのが普通だ。だから、いくら暴れてもかまわない場所を用意する。もちろん、安全確保は大前提だけどな。そうして,子供を遊ばせておいて親はゆっくりお茶を楽しめる。そんな環境を作る。子供、とくに幼い子供をもつ親にとっては子供から開放される時間はとてつもなく貴重だからな。そんな時間を提供できるとなれば人は集まる。それと、コインランドリーとシャワー室も整備する」
「コインランドリーとシャワー室?」
「そうだ。現代人にとって最も貴重な資源は『時間』だ。他の資源と違い、時間だけは増やすことも貯めておくことも出来ない。そのなかで時間を有効活用する方法はただひとつ。複数の行為を同時に行うことだ。子供を遊ばせることができて、洗濯もできて、帰りにちょっとした買い物もしていける。となれば、毎日、カフェで過ごしても、罪悪感や遠慮を感じずにすむしな」
「なるほど。それでショッピングコーナーもあるのか」
「そういうことだ。それに、シャワー室だが、外を出歩いていればどうしたって汗はかく。特に、最近の夏の暑さは半端ないからな。営業職なんかは汗だくになる。特に女は化粧も崩れやすい。そんなときに汗を流して、身だしなみを整えることのできる場所があれば便利だ。『地域社会の中心』としてはこの機能は欠かせない。シャワー室の他に個別の化粧室も用意する」
「おお、それは確かに便利だな。オレも夏場は化粧が崩れやすくて困るんだ」
瀬奈がそう言うと森也は瀬奈をマジマジと見つめた。
「な、なんだよ、そんな目で見て……」
「お前、化粧なんてしてたのか?」
「失礼なやつだな! オレだって化粧ぐらいする。……そりゃあ、ベースぐらいだけど」
後半が口のなかでモゴモゴという感じになったのは、自分自身、化粧することに照れがあるからだ。何しろ、中学・高校を通じてずっと『男前女子』をやってきたので、いまだにそういう『女らしい行為』に関しては抵抗というか、恥ずかしさというか、そんなものを感じる。
――だからって、わたしだってもう二十歳の成人女性なんだ! いつまでも『男友達』扱いされる謂れはないぞ!
と言う思いもあるのだが――。
『!』マークを連発する時点でもう『おとなの女性』とは言いがたいだろう。
そんな瀬奈の内心を知ってか知らずか、森也はあっさり謝罪した。
「そうか。それは失礼したな。やはり、お前も女なんだな」
「な、なんだよ、いきなり……!」
瀬奈の頬にさっと赤みが差した。
森也はかまわずカフェの話に戻した。瀬奈は思わずつまらなそうな、忌々しそうな表情になる。
「もちろん、メインとなるのはカフェとブックコーナー。このふたつは極力、面積をとって広々とした空間を用意する。いまの時代、感染症対策は欠かせないし、何より、おれ自身、ぎっしり席を詰め込んだ効率最優先の店は大嫌いだからな。充分な余裕をもった店内にしてゆったり過ごせるようにする」
「おお、それはいいな。ならばわたしは店のど真ん中に椅子を置いてそこでのんびり過ごしたい」
「いくら何でもそこまで空間とれるか。採算を得られるだけの密度は必要だ」
あきらの殿さま発言に対して正論で答えておいて、森也はつづけた。
「ともかく、感染症対策のためにも、客に気分良く過ごしてもらうためにも充分な空間は必要だし、換気効率も重要だ。その点も加味して設計する必要がある」
その言葉に――。
瀬奈は表情を曇らせた。
「それはわかるが……そこまで色々やるとなると費用も半端なものじゃすまなくなるぞ? それは大丈夫なのか?」
その問いに自信満々で答えたのは森也ではなく、あきらであった。
「任せろ! この赤岩あきらさまがいる! 資金は無尽蔵! 思う存分やりたいことをやるがよい!」
「さすが、売れっ子! 太っ腹!」
「さすがです、あきらさん!」
「あたしのアシスタント料あげて!」
「わっはっはっ! そうだろう、そうだろう、もっと言え!」
瀬奈が感心し、あきらファンのつかさが叫ぶ。ついでとばかりに菜の花がどさくさ紛れに叫んでいる。そして、あきらはすっかり良い気分になって殿さま然として団扇など取り出して扇ぎながら笑いあげる。
みんなが盛りあがるなかただひとり、さくらだけが黙って座り込んでいた。
この場にいるなかでただひとり、かの人だけが何も提供できるものがなかったからだ。さくらは自分ひとり蚊帳の外にいるさびしさを感じていた。
そのことに気が付くものは――。
この場にいただろうか。
「おお、ついに出来たか!」
森也が広げた図面を前にあきらが歓声をあげる。
茜工務店に『おれたちの国』の主要メンバーが集まっていた。藍条森也、赤岩あきら、茜瀬奈、青木つかさ、緑山菜の花、そして、緑山さくら。
いまのところ、この六人が『おれたちの国』の主要メンバー。そして、森也がこのメンバーを集め、カフェの設計図を披露しているのだ。
「三階建てか。かなりの規模だな」
建築担当の瀬奈が図面を見ながら真剣な面持ちで答える。
『おれたちの国』の建築関係は茜工務店が一手に担っている。その責任の重さを痛感しているのだ。
「やりたいことがいろいろあるんでな。それぐらいは必要になる」
「なるほど。しかし、これ、二階と三階はがらんどうだぞ。どうなってるんだ?」
「おれひとりですべて決めてしまうのは問題だからな。二階、三階は皆の意見を聞いて決めようと思ってな」
「なるほど。いい心構えだ」と、いつでも偉そうなあきらが殿さま気取りで腕を組み、うんうんとうなずいてみせる。
「ならば、カラオケルームを用意しろ! いつでもわたしの美声を披露してやれるようにな」
『ふんぬ!』とばかりに鼻を鳴らし、薄い胸をふんぞり返らせて主張するあきらである。 あきらのカラオケ好きは業界では有名だ。ただし、音痴もいいところなのに声だけは大きい傍迷惑な歌声として。しかも、やっかいなことに今をときめく売れっ子マンガ家とあって、業界ではかなりの力をもっている身。おかげで、そうと指摘したくてもそうはいかずに無理やり聞かされて、その歌声――通称・殺人音波――の被害に遭った編集者や後輩マンガ家は数知れず。真っ向から付き合いを断ることが出来るのは、それこそデビュー以来の付き合いで『同期の桜』として認識されている森也ぐらいのもの。『女ジャイアンなのは性格だけじゃない』と、言われるゆえんである。
「あ、それいい! あたしもカラオケルーム欲しい!」
いまだ『あきらの恐怖』未経験の菜の花が叫んだ。
表情を曇らせたのは瀬奈である。建築屋としての立場もある。しかし、かの人はあきらにカラオケに付き合わされたことが何度もある。『あきらの恐怖』を身をもって知っているのだ。
「……でも、カフェにカラオケルームっておかしくない?」
できることならカラオケルーム設置を阻止して『あきらの恐怖』に出会う被害者の数を減らしたい。もちろん、自分だって、もう被害に遭いたくない!
その切なる願いからの言葉であった。しかし、その願いはいともたやすく破壊された。藍条森也の一言によって。
「おかしくはないさ。カラオケ喫茶なんて普通にある」
――お前は、付き合いを断れるからそう言えるんだ!
との瀬奈の心の叫びは――。
誰の耳にも届くことはなかった。
瀬奈の内心を知ってか知らずか森也はつづけた。
「それに、アイディアの数は多い方がいい。単なるカフェとしてではなく、地域社会の中心、住民たちの交流の場として設計するつもりだからな。そのためには色々な用途があるに越したことはない。要望があったらどんなものでもいいから言ってくれ。遠慮はいらない。採用するかどうか、実現可能かどうか、そんなことは要望が出尽くしたあとで吟味すればいいことだ」
「ハイハイハイ!」
森也の言葉につかさが手を挙げて叫びはじめた。
「だったら、あたしは展示場が欲しい! せっかく、カフェがあるんだもん。各務彫刻をひとりでも多くのお客さんに見て欲しい」
いかにも『モテキャラ』という感じのするかわいらしい容姿のつかさだが、態度と口調もそれっぽい。最初のうちこそ遠慮もあってか敬語を使っていたのだが、もともと人なつこい性格なのだろう。すぐに打ち解けていまではすっかり友だち口調になっている。
「展示場か。たしかにそれもいいな」と、森也。
「各務彫刻に限らず、各地の工芸品を集めて展示すれば伝統工芸の紹介場になるしな。となると、二階にカラオケルーム、三回に多目的ホールと展示場という感じになるか」
「多目的ホールも作るのか?」と、瀬奈。
「いま言ったとおり、地域住民の交流の場として育てていくのが目的だからな。様々な要望に対応できるように、何にでも使える場所を確保しておく必要がある」
「なるほどな」
「さて。それでは、改めて一階部分を説明していくか。まず、予想以上に敷地がとれたので半分をカフェとし、もう半分は観光農園とする」
「観光農園?」
「そうだ。果樹を並べ、ちょっとした動物たちも放す。地域の子供たちが一日中でもそこで遊んでいられるようにな」
「ならば、わたしは『世界の名犬大集合!』を要求する!」と、イヌ派のあきらがすかさず主張する。
「あたしはウサちゃん!」とは、つかさの叫びである。
「甘い! 時代はモフモフ! モフモフふわふわのヒツジこそ正義!」という菜の花の叫びは案外、最もいまの時代に合った正当なものだったかも知れない。
「正気なの? 動物なんていたってろくな事ないじゃない」
『おぞましい』と言わんばかりに身を震わせてそう言ったのは、瀬奈である。イノシシには作物を食い荒らされるし、ヒルにはいつの間にか血を吸われているし、ヘビなんていつなんどき草むらから出てくるかわからないし……『自然豊か』な山のなかで育っただけに、逆に動物と身近にふれあいたいという欲求がない瀬奈である。山に生きる人間にとって動物はむしろ敵、少なくても距離を保って付き合うべき存在なのだ。
「そういう具体的な話は今後に回すとしてだ」と、森也。
「いまは観光農園を用意する目的を説明しておく。子連れで入れる店は実はそう多くない。入れたところで子供が暴れやしないかとハラハラするのが普通だ。だから、いくら暴れてもかまわない場所を用意する。もちろん、安全確保は大前提だけどな。そうして,子供を遊ばせておいて親はゆっくりお茶を楽しめる。そんな環境を作る。子供、とくに幼い子供をもつ親にとっては子供から開放される時間はとてつもなく貴重だからな。そんな時間を提供できるとなれば人は集まる。それと、コインランドリーとシャワー室も整備する」
「コインランドリーとシャワー室?」
「そうだ。現代人にとって最も貴重な資源は『時間』だ。他の資源と違い、時間だけは増やすことも貯めておくことも出来ない。そのなかで時間を有効活用する方法はただひとつ。複数の行為を同時に行うことだ。子供を遊ばせることができて、洗濯もできて、帰りにちょっとした買い物もしていける。となれば、毎日、カフェで過ごしても、罪悪感や遠慮を感じずにすむしな」
「なるほど。それでショッピングコーナーもあるのか」
「そういうことだ。それに、シャワー室だが、外を出歩いていればどうしたって汗はかく。特に、最近の夏の暑さは半端ないからな。営業職なんかは汗だくになる。特に女は化粧も崩れやすい。そんなときに汗を流して、身だしなみを整えることのできる場所があれば便利だ。『地域社会の中心』としてはこの機能は欠かせない。シャワー室の他に個別の化粧室も用意する」
「おお、それは確かに便利だな。オレも夏場は化粧が崩れやすくて困るんだ」
瀬奈がそう言うと森也は瀬奈をマジマジと見つめた。
「な、なんだよ、そんな目で見て……」
「お前、化粧なんてしてたのか?」
「失礼なやつだな! オレだって化粧ぐらいする。……そりゃあ、ベースぐらいだけど」
後半が口のなかでモゴモゴという感じになったのは、自分自身、化粧することに照れがあるからだ。何しろ、中学・高校を通じてずっと『男前女子』をやってきたので、いまだにそういう『女らしい行為』に関しては抵抗というか、恥ずかしさというか、そんなものを感じる。
――だからって、わたしだってもう二十歳の成人女性なんだ! いつまでも『男友達』扱いされる謂れはないぞ!
と言う思いもあるのだが――。
『!』マークを連発する時点でもう『おとなの女性』とは言いがたいだろう。
そんな瀬奈の内心を知ってか知らずか、森也はあっさり謝罪した。
「そうか。それは失礼したな。やはり、お前も女なんだな」
「な、なんだよ、いきなり……!」
瀬奈の頬にさっと赤みが差した。
森也はかまわずカフェの話に戻した。瀬奈は思わずつまらなそうな、忌々しそうな表情になる。
「もちろん、メインとなるのはカフェとブックコーナー。このふたつは極力、面積をとって広々とした空間を用意する。いまの時代、感染症対策は欠かせないし、何より、おれ自身、ぎっしり席を詰め込んだ効率最優先の店は大嫌いだからな。充分な余裕をもった店内にしてゆったり過ごせるようにする」
「おお、それはいいな。ならばわたしは店のど真ん中に椅子を置いてそこでのんびり過ごしたい」
「いくら何でもそこまで空間とれるか。採算を得られるだけの密度は必要だ」
あきらの殿さま発言に対して正論で答えておいて、森也はつづけた。
「ともかく、感染症対策のためにも、客に気分良く過ごしてもらうためにも充分な空間は必要だし、換気効率も重要だ。その点も加味して設計する必要がある」
その言葉に――。
瀬奈は表情を曇らせた。
「それはわかるが……そこまで色々やるとなると費用も半端なものじゃすまなくなるぞ? それは大丈夫なのか?」
その問いに自信満々で答えたのは森也ではなく、あきらであった。
「任せろ! この赤岩あきらさまがいる! 資金は無尽蔵! 思う存分やりたいことをやるがよい!」
「さすが、売れっ子! 太っ腹!」
「さすがです、あきらさん!」
「あたしのアシスタント料あげて!」
「わっはっはっ! そうだろう、そうだろう、もっと言え!」
瀬奈が感心し、あきらファンのつかさが叫ぶ。ついでとばかりに菜の花がどさくさ紛れに叫んでいる。そして、あきらはすっかり良い気分になって殿さま然として団扇など取り出して扇ぎながら笑いあげる。
みんなが盛りあがるなかただひとり、さくらだけが黙って座り込んでいた。
この場にいるなかでただひとり、かの人だけが何も提供できるものがなかったからだ。さくらは自分ひとり蚊帳の外にいるさびしさを感じていた。
そのことに気が付くものは――。
この場にいただろうか。
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