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第六話 歴史の真実と反撃ののろし
三六章 反撃ののろし
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そこは、人間という名の『家畜』を繁殖させるための場所だった。
何万という人間が防壁のうちに閉じ込められ、鬼部の監視のもと日々、性交を重ね、子を孕み、出産させられている。生まれた子を野に放し、鬼部の狩りのための獲物とする、そのために。
その場所の名をエンカウン。
かつては、人類の最前線として対鬼部戦役における最重要の防衛拠点だった。しかし、国王レオナルドの失策、熊猛将軍ウォルターと勇者ガヴァンの敗北によって陥落。以来、鬼部によって支配され、捕えた人間たち――レオンハルト王国の国民たち――を集め、繁殖させるための場所となった。
かつては鬼部の侵入を防ぎ、住民の暮らしを守るためにあった高い防壁も、張り巡らされた堀も、いまでは人間、いや、家畜たちを逃がさないための檻となっていた。
もちろん、捕えられた人間たちもおとなしく従ったわけではない。
抵抗したものもいた。
家族や友人を逃がすために囮になったものもいた。
『鬼部の獲物とされる子どもを生まされるぐらいなら……』と、自害したものもいた。しかし――。
鬼部は『家畜の調教』には慣れていた。痛めつけ、精神を殺し、魂を打ち砕き、意思と気力を奪い、従順な――文字通りの――家畜にかえた。
そして、三年。
いまでは鬼部に抵抗しようとするものもなく、集められたすべての人間が『人間』とは名ばかりの家畜の群れとなり、鬼部に命じられるままに日々、性交を行い、子を孕み、出産する、そのための場所となっていた。
そのエンカウンの繁殖場の道を二鬼の鬼が連れ立って歩いていた。
家畜とされた人間たちの悲哀など関係ないとばかりに、冴え冴えとした美しい月と、瞬く星々が輝く夜のことだった。
二鬼は鬼らしく一糸まとわぬ姿であり、武器も防具も一切、身につけていない。もっとも、鬼でなくても武器や防具など身につけてはいなかっただろう。なぜ、そんなものを身につける必要がある? ここには従順な家畜しかおらず、襲われる心配もなければ戦う必要もないというのに。
「う~、小腹が減ったわい。今日はよく働いたからなあ」
この『働いた』と言うのは、獲物とするために野に放している人間たちを狩ってきた、と言う意味である。
「そうだねえ。今日はちょうど、子を産むには歳をとりすぎたとして廃棄場送りになった雌がいたはずだよ。廃棄場に行って、もらってこようか」
「おう、そうだな。歳をとった雌は肉は固いが噛めばかむほど旨味がある。若い雌ではそうはいかん」
「そうだね。あたしは固い肉のほうが好みだからね。やっぱり、しっかりとした歯応えがあるほうが『食った!』っていう気になるからね」
「ああ、そうだな。では、廃棄場に行ってもらってくるとしよう。今夜は塩焼きにして一杯いこう」
「いいねえ」
と、その鬼は『じゅるり』と涎の垂れた口元を手でぬぐった。
会話の内容と身体的特徴からして二鬼は雄と雌、夫婦なのだろう。どちらも装飾品の類をなにも身につけていない。鬼部としても位の低い方で能力もさして高くはないのだろう。とは言え、本質的に人間より遙かに優れた嗅覚と聴覚、そして、危機察知能力をもつ鬼部がそのことに気がつかなかったのはやはり、『自分たちの繁殖場にいる』という気の緩みがあったからだろう。
そう。
二鬼は気がつかなかった。自分たちの後ろにひっそりと、音も立てずに忍びよる影があることを。
ふいに、影が伸びた。
ぐさり。
手甲から伸びたかぎ爪が鬼たちの首を後ろから突き刺した。二鬼はなにが起きたかわからないうちに盛大に血を吹き出し、その場に倒れた。
「急げ」
二鬼を暗殺した影が小さく、しかし、鋭く命じた。
「切り刻んで血と肉の匂いをまき散らせ。その匂いにひかれて鬼たちがよってくる。そこを包囲して殲滅する。アステス。各部隊の配置は?」
「すでに完了してます。アルノス将軍、バブラク将軍、サアヤ殿下、いずれもご自分の部隊を率いて所定の位置に待機しています」
「よし」
と、二鬼を暗殺した影は不敵な笑みを浮かべた。
人類軍総将ジェイとその補佐官であるアステスだった。
「円陣を組め! おれたちが集まってきた鬼たちをひきつける囮となり、充分な数が集まったところでアルノス将軍、バブラク将軍、サアヤ殿下の部隊が外から押し包み、包囲殲滅する。数が集まるまではおれたちだけで鬼部の相手をすることになる。防御に徹し、決して円陣を崩すな。いいな」
ジェイ配下の羅刹隊、そのなかの最精鋭たちはそろって声もなくうなずいた。その頃にはジェイに暗殺された二鬼は全身を切り刻まれ、踏みつぶされ、グチャグチャの血と肉の塊にかえられていた。血と肉の匂いをまき散らし、鬼部をひきよせるそのために。
残酷と言えば残酷。しかし、鬼部に支配された人々の姿を見れば、そのことに同情する人間はいないだろう。もしいれば『裏切りもの』として糾弾されるにちがいない。
「アステス。お前はモーゼズ将軍を補佐して人々を避難させろ」
「……はい」
アステスは若干の未練を込めて、それでも、はっきりとうなずいた。ジェイと並んで戦うことが出来ないのは残念だが、自分にそれだけの力がないことは自覚している。この場に残ったところでジェイやその他の精鋭たちの足を引っ張るだけだ。無理してこの場に残るよりも、自分の出来ることをするべきだった。
「……ご武運を」
「お前もな」
小さな笑みをかわしあうと、アステスはその小柄な体を夜の闇に溶け込ませた。
すでにそのときにはいくつかの足音、重々しいくせにしなやかさと軽快さを感じさせる巨大な肉食獣のような足音が近づきつつあった。
鬼部特有の足音だ。
「来たな」
ジェイが唇を笑みの形にねじ曲げた。
この三年間、人類が味わってきた苦難。その苦難のすべてを込めた笑みだった。
「だが、それも今日で終わりだ。今日よりは人類の反撃がはじまる。この世界を人類の手に取り戻す。この戦いをそのための第一歩とする!」
ジェイの檄に――。
羅刹隊の精鋭たちは声にならない声で応じた。
アステスはスミクトルの宿将モーゼズとともに家畜とされてきた人々の避難誘導をはじめていた。都市の地下に築かれた下水網。その下水網をつなげて作られた地下通路。その地下通路を使って人々を王都ユキュノクレストまで連れ帰るのだ。
家畜とされた人々を人間に戻すのは容易なことではないだろう。長い時間と根気、そして、多くの費用と人手かかかるにちがいない。しかし、これは、人類の誇りを取り戻すための第一歩なのだ。
人々を避難させること自体、簡単ではなかった。なにしろ、鬼部の調教によって骨の髄まで家畜にされてしまった人々なのだ。『助けに来た』と言ったところで欣喜雀躍し、我先にと逃げ出す……などというわけにはいかない。
言葉の意味がわからず呆然とするものがいた。
鬼部から逃げることを怖れ、怯えるものがいた。
錯乱し、暴れまわるものがいた。
若いアステスなどはそれらの態度に腹を立て、声を荒げるともあった。しかし、宿将モーゼズは歳を重ねているだけに、さすがに老練だった。従順な家畜とされていることを利用して号令をかけ、必要とあれば薬を使って眠らせ、速やかに人々を地下通路へと運んでいく。
そこには、救出のために募集された義勇兵たちがいた。義勇兵と言っても戦闘を目的としているわけではない。あくまでも救出のための人手である。
義勇兵たちが地下通路に一定間隔で並び、救出された人々の手をとって連れて行き、次の義勇兵に渡す。そして、また、新しい救出民を受け取る。
それを繰り返す。
そうして多くの人に支えられ、王都ユキュノクレストまでの長い道をたどる。そして、そこで『人間に戻る』ための気の長い治療をじっくりと受けるのだ。
地下の世界で人々が脱出への長い道をたどっている頃――。
地上ではすでに流血の戦いが繰り広げられていた。
「この世界は我ら人間のものだ! きさまら鬼部の居場所などない!」
ジェイが叫ぶ。手甲につけられたかぎ爪をふるい、襲ってくる鬼部を次々と斬り裂き、打ち倒す。すでにその場には何千という数の鬼部が集まっていた。ジェイとその配下の精鋭たちははるかに多くの鬼部を相手に円陣を組み、迎撃戦を演じていた。
血と肉の匂い、そして、戦の音。
それらにひきつけられて町中の鬼部が次々とやってくる。
「よし、あたしたちの番だ!」
シルクス王女サアヤが叫んだ。建物の影に潜んでいた配下の軽装歩兵とともに突撃し、鬼部を包囲する。鬼部の群れは内側のジェイたちと外側のサアヤたち、双方に挟み撃ちされたことになる。
しかし、鬼部は次からつぎへとやってくる。放っておけばサアヤたちこそ挟み撃ちにされ、全滅する羽目になる。
それを防ぐべく、巨大な影が立ちはだかる。
オグルの烈将アルノス。『巨人』と言ってもよいその姿を夜の闇のなかにさらけ出し、鬼部を迎え撃つ。アルノスに従うのはオグル人を中心にした重装歩兵。機動力には欠けるが、その場に踏みとどまっての防衛戦となれば並ぶものはない。
アルノスの部隊はサアヤたちのさらに外側を、外を向いて取り囲む。騒ぎを聞きつけてやってくる鬼部を迎え撃つ。ジェイとサアヤが包囲した鬼部を全滅させるそのときまで。
さらに、雌豹将軍バブラク率いる弓兵たちが建物の屋根の上に姿を現わし、夜の暗さをものともせずに次々と矢を放ち、同胞たちを援護する。
さすがに対鬼部用に編成された羅刹隊。激烈な戦いのなかでしかし、さしたる被害も出すことなく次々と鬼部を倒していく。そこには、魔法服飾師カナエの作りあげた魔防衣の力も大きかった。この魔力を込められた防衣が鬼の攻撃を無効化したからこその戦果だった。
激しいが短い戦いのあと、集まった鬼部たちは掃討されていた。ジェイたちはそのまま領主館へと向かった。いまでは鬼部の首領が居座る館。しかし、かつては他ならぬジェイ自身が主として君臨し、アステスや他の仲間たちとともにエンカウンを、人類世界を鬼部から守るための会議を重ねた館へと。
残っていた鬼部を次々と斬り倒し、ジェイたちは一直線に領主室へと向かう。かつては自分自身が過ごしていた館。迷うはずもない。ジェイは扉を蹴り飛ばしてなかに入った。そこには一体の鬼がいた。
いまのエンカウンを統べる鬼の首領。上位の鬼だけあってその肉体はひときわ大きく、全身を金と銀の装飾品で飾り立てている。
「……人間」
鬼部の首領は両目を怒りにたぎらせてジェイを睨みつけた。
「きさまら、どこから現れた? どこからも人間が接近しているなどという報告はなかった」
「お前が知る必要はない」
ジェイは無慈悲なまでに冷徹な声で言うと、首領目がけて踏み出した。
「ここは人類の町、人類の世界だ。返してもらうぞ」
「ゴカアァッ!」
鬼部の首領が暴声とともに殴りかかった。速く、重く、力強い。当たれば岩すら砕く超重量級の一撃。しかし、技がない。振りは大きく、隙はでかい。それに対し、ジェイの一撃は速く、小さく、隙がない。
最小最速の動作で繰り出されたジェイの突きが鬼部の首領の喉を貫いた。鬼部の首領は盛大に血を吹きだし、その場にくず折れた。
「……おれの勝ちだ」
万感の思いを込めて――。
ジェイは呟いた。
一夜のうちに捕えられていた人々は救出され、都市内の鬼部は一掃された。領主館にはジェイ自らの手によって人類軍の旗がたてられた。そして、作戦の成功を告げるのろしが高々とあげられた。
「この世界を人類の手に取り戻すときが来た! いまより、鬼部への総攻撃を開始する!」
アーデルハイドたちが鬼界島にてこの戦いの真実を聞いている頃――。
人の世では鬼部に対する総反撃がはじまっていた。
第二部完
第三部につづく
何万という人間が防壁のうちに閉じ込められ、鬼部の監視のもと日々、性交を重ね、子を孕み、出産させられている。生まれた子を野に放し、鬼部の狩りのための獲物とする、そのために。
その場所の名をエンカウン。
かつては、人類の最前線として対鬼部戦役における最重要の防衛拠点だった。しかし、国王レオナルドの失策、熊猛将軍ウォルターと勇者ガヴァンの敗北によって陥落。以来、鬼部によって支配され、捕えた人間たち――レオンハルト王国の国民たち――を集め、繁殖させるための場所となった。
かつては鬼部の侵入を防ぎ、住民の暮らしを守るためにあった高い防壁も、張り巡らされた堀も、いまでは人間、いや、家畜たちを逃がさないための檻となっていた。
もちろん、捕えられた人間たちもおとなしく従ったわけではない。
抵抗したものもいた。
家族や友人を逃がすために囮になったものもいた。
『鬼部の獲物とされる子どもを生まされるぐらいなら……』と、自害したものもいた。しかし――。
鬼部は『家畜の調教』には慣れていた。痛めつけ、精神を殺し、魂を打ち砕き、意思と気力を奪い、従順な――文字通りの――家畜にかえた。
そして、三年。
いまでは鬼部に抵抗しようとするものもなく、集められたすべての人間が『人間』とは名ばかりの家畜の群れとなり、鬼部に命じられるままに日々、性交を行い、子を孕み、出産する、そのための場所となっていた。
そのエンカウンの繁殖場の道を二鬼の鬼が連れ立って歩いていた。
家畜とされた人間たちの悲哀など関係ないとばかりに、冴え冴えとした美しい月と、瞬く星々が輝く夜のことだった。
二鬼は鬼らしく一糸まとわぬ姿であり、武器も防具も一切、身につけていない。もっとも、鬼でなくても武器や防具など身につけてはいなかっただろう。なぜ、そんなものを身につける必要がある? ここには従順な家畜しかおらず、襲われる心配もなければ戦う必要もないというのに。
「う~、小腹が減ったわい。今日はよく働いたからなあ」
この『働いた』と言うのは、獲物とするために野に放している人間たちを狩ってきた、と言う意味である。
「そうだねえ。今日はちょうど、子を産むには歳をとりすぎたとして廃棄場送りになった雌がいたはずだよ。廃棄場に行って、もらってこようか」
「おう、そうだな。歳をとった雌は肉は固いが噛めばかむほど旨味がある。若い雌ではそうはいかん」
「そうだね。あたしは固い肉のほうが好みだからね。やっぱり、しっかりとした歯応えがあるほうが『食った!』っていう気になるからね」
「ああ、そうだな。では、廃棄場に行ってもらってくるとしよう。今夜は塩焼きにして一杯いこう」
「いいねえ」
と、その鬼は『じゅるり』と涎の垂れた口元を手でぬぐった。
会話の内容と身体的特徴からして二鬼は雄と雌、夫婦なのだろう。どちらも装飾品の類をなにも身につけていない。鬼部としても位の低い方で能力もさして高くはないのだろう。とは言え、本質的に人間より遙かに優れた嗅覚と聴覚、そして、危機察知能力をもつ鬼部がそのことに気がつかなかったのはやはり、『自分たちの繁殖場にいる』という気の緩みがあったからだろう。
そう。
二鬼は気がつかなかった。自分たちの後ろにひっそりと、音も立てずに忍びよる影があることを。
ふいに、影が伸びた。
ぐさり。
手甲から伸びたかぎ爪が鬼たちの首を後ろから突き刺した。二鬼はなにが起きたかわからないうちに盛大に血を吹き出し、その場に倒れた。
「急げ」
二鬼を暗殺した影が小さく、しかし、鋭く命じた。
「切り刻んで血と肉の匂いをまき散らせ。その匂いにひかれて鬼たちがよってくる。そこを包囲して殲滅する。アステス。各部隊の配置は?」
「すでに完了してます。アルノス将軍、バブラク将軍、サアヤ殿下、いずれもご自分の部隊を率いて所定の位置に待機しています」
「よし」
と、二鬼を暗殺した影は不敵な笑みを浮かべた。
人類軍総将ジェイとその補佐官であるアステスだった。
「円陣を組め! おれたちが集まってきた鬼たちをひきつける囮となり、充分な数が集まったところでアルノス将軍、バブラク将軍、サアヤ殿下の部隊が外から押し包み、包囲殲滅する。数が集まるまではおれたちだけで鬼部の相手をすることになる。防御に徹し、決して円陣を崩すな。いいな」
ジェイ配下の羅刹隊、そのなかの最精鋭たちはそろって声もなくうなずいた。その頃にはジェイに暗殺された二鬼は全身を切り刻まれ、踏みつぶされ、グチャグチャの血と肉の塊にかえられていた。血と肉の匂いをまき散らし、鬼部をひきよせるそのために。
残酷と言えば残酷。しかし、鬼部に支配された人々の姿を見れば、そのことに同情する人間はいないだろう。もしいれば『裏切りもの』として糾弾されるにちがいない。
「アステス。お前はモーゼズ将軍を補佐して人々を避難させろ」
「……はい」
アステスは若干の未練を込めて、それでも、はっきりとうなずいた。ジェイと並んで戦うことが出来ないのは残念だが、自分にそれだけの力がないことは自覚している。この場に残ったところでジェイやその他の精鋭たちの足を引っ張るだけだ。無理してこの場に残るよりも、自分の出来ることをするべきだった。
「……ご武運を」
「お前もな」
小さな笑みをかわしあうと、アステスはその小柄な体を夜の闇に溶け込ませた。
すでにそのときにはいくつかの足音、重々しいくせにしなやかさと軽快さを感じさせる巨大な肉食獣のような足音が近づきつつあった。
鬼部特有の足音だ。
「来たな」
ジェイが唇を笑みの形にねじ曲げた。
この三年間、人類が味わってきた苦難。その苦難のすべてを込めた笑みだった。
「だが、それも今日で終わりだ。今日よりは人類の反撃がはじまる。この世界を人類の手に取り戻す。この戦いをそのための第一歩とする!」
ジェイの檄に――。
羅刹隊の精鋭たちは声にならない声で応じた。
アステスはスミクトルの宿将モーゼズとともに家畜とされてきた人々の避難誘導をはじめていた。都市の地下に築かれた下水網。その下水網をつなげて作られた地下通路。その地下通路を使って人々を王都ユキュノクレストまで連れ帰るのだ。
家畜とされた人々を人間に戻すのは容易なことではないだろう。長い時間と根気、そして、多くの費用と人手かかかるにちがいない。しかし、これは、人類の誇りを取り戻すための第一歩なのだ。
人々を避難させること自体、簡単ではなかった。なにしろ、鬼部の調教によって骨の髄まで家畜にされてしまった人々なのだ。『助けに来た』と言ったところで欣喜雀躍し、我先にと逃げ出す……などというわけにはいかない。
言葉の意味がわからず呆然とするものがいた。
鬼部から逃げることを怖れ、怯えるものがいた。
錯乱し、暴れまわるものがいた。
若いアステスなどはそれらの態度に腹を立て、声を荒げるともあった。しかし、宿将モーゼズは歳を重ねているだけに、さすがに老練だった。従順な家畜とされていることを利用して号令をかけ、必要とあれば薬を使って眠らせ、速やかに人々を地下通路へと運んでいく。
そこには、救出のために募集された義勇兵たちがいた。義勇兵と言っても戦闘を目的としているわけではない。あくまでも救出のための人手である。
義勇兵たちが地下通路に一定間隔で並び、救出された人々の手をとって連れて行き、次の義勇兵に渡す。そして、また、新しい救出民を受け取る。
それを繰り返す。
そうして多くの人に支えられ、王都ユキュノクレストまでの長い道をたどる。そして、そこで『人間に戻る』ための気の長い治療をじっくりと受けるのだ。
地下の世界で人々が脱出への長い道をたどっている頃――。
地上ではすでに流血の戦いが繰り広げられていた。
「この世界は我ら人間のものだ! きさまら鬼部の居場所などない!」
ジェイが叫ぶ。手甲につけられたかぎ爪をふるい、襲ってくる鬼部を次々と斬り裂き、打ち倒す。すでにその場には何千という数の鬼部が集まっていた。ジェイとその配下の精鋭たちははるかに多くの鬼部を相手に円陣を組み、迎撃戦を演じていた。
血と肉の匂い、そして、戦の音。
それらにひきつけられて町中の鬼部が次々とやってくる。
「よし、あたしたちの番だ!」
シルクス王女サアヤが叫んだ。建物の影に潜んでいた配下の軽装歩兵とともに突撃し、鬼部を包囲する。鬼部の群れは内側のジェイたちと外側のサアヤたち、双方に挟み撃ちされたことになる。
しかし、鬼部は次からつぎへとやってくる。放っておけばサアヤたちこそ挟み撃ちにされ、全滅する羽目になる。
それを防ぐべく、巨大な影が立ちはだかる。
オグルの烈将アルノス。『巨人』と言ってもよいその姿を夜の闇のなかにさらけ出し、鬼部を迎え撃つ。アルノスに従うのはオグル人を中心にした重装歩兵。機動力には欠けるが、その場に踏みとどまっての防衛戦となれば並ぶものはない。
アルノスの部隊はサアヤたちのさらに外側を、外を向いて取り囲む。騒ぎを聞きつけてやってくる鬼部を迎え撃つ。ジェイとサアヤが包囲した鬼部を全滅させるそのときまで。
さらに、雌豹将軍バブラク率いる弓兵たちが建物の屋根の上に姿を現わし、夜の暗さをものともせずに次々と矢を放ち、同胞たちを援護する。
さすがに対鬼部用に編成された羅刹隊。激烈な戦いのなかでしかし、さしたる被害も出すことなく次々と鬼部を倒していく。そこには、魔法服飾師カナエの作りあげた魔防衣の力も大きかった。この魔力を込められた防衣が鬼の攻撃を無効化したからこその戦果だった。
激しいが短い戦いのあと、集まった鬼部たちは掃討されていた。ジェイたちはそのまま領主館へと向かった。いまでは鬼部の首領が居座る館。しかし、かつては他ならぬジェイ自身が主として君臨し、アステスや他の仲間たちとともにエンカウンを、人類世界を鬼部から守るための会議を重ねた館へと。
残っていた鬼部を次々と斬り倒し、ジェイたちは一直線に領主室へと向かう。かつては自分自身が過ごしていた館。迷うはずもない。ジェイは扉を蹴り飛ばしてなかに入った。そこには一体の鬼がいた。
いまのエンカウンを統べる鬼の首領。上位の鬼だけあってその肉体はひときわ大きく、全身を金と銀の装飾品で飾り立てている。
「……人間」
鬼部の首領は両目を怒りにたぎらせてジェイを睨みつけた。
「きさまら、どこから現れた? どこからも人間が接近しているなどという報告はなかった」
「お前が知る必要はない」
ジェイは無慈悲なまでに冷徹な声で言うと、首領目がけて踏み出した。
「ここは人類の町、人類の世界だ。返してもらうぞ」
「ゴカアァッ!」
鬼部の首領が暴声とともに殴りかかった。速く、重く、力強い。当たれば岩すら砕く超重量級の一撃。しかし、技がない。振りは大きく、隙はでかい。それに対し、ジェイの一撃は速く、小さく、隙がない。
最小最速の動作で繰り出されたジェイの突きが鬼部の首領の喉を貫いた。鬼部の首領は盛大に血を吹きだし、その場にくず折れた。
「……おれの勝ちだ」
万感の思いを込めて――。
ジェイは呟いた。
一夜のうちに捕えられていた人々は救出され、都市内の鬼部は一掃された。領主館にはジェイ自らの手によって人類軍の旗がたてられた。そして、作戦の成功を告げるのろしが高々とあげられた。
「この世界を人類の手に取り戻すときが来た! いまより、鬼部への総攻撃を開始する!」
アーデルハイドたちが鬼界島にてこの戦いの真実を聞いている頃――。
人の世では鬼部に対する総反撃がはじまっていた。
第二部完
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