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第四話 現実を知る
二四章 戦わないための旅立ち
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アーデルハイドたちが鬼界島へと渡る日がやってきた。
鬼界島は数十年前のある日、なんの前触れもないままに海の上に現れ、そのままこの大陸へと接近してきた。そして、人類最大の防衛拠点であった沿岸の町エンカウンから望む海岸と地峡でつながった。鬼界島へ渡るならその地峡を使うのが一番、簡単で手っ取り早い。
とは言え、かつてのレオンハルト王国の領土はすでに、王都ユキュノクレストをのぞいた全体が鬼部の支配下にある。当然、エンカウンへと至る大地のいたるところに鬼部の軍勢が居座っている。そのなかを突っ切って鬼界島に向かうなど自殺行為。さすがのアーデルハイドもそこまで大胆な真似はしようとはしなかった。
「鬼界島に乗り込むと言うのに、鬼部の軍勢を怖れていてどうするの」
などと発言して周囲をあわてさせはしたが。
ともかく、周囲の勧めもあって迂回路をとることにした。レオンハルトの隣国、海岸沿いの国スミクトルの港町から小舟を使い、鬼界島に渡ることにした。
これは、いまもただひとり、鬼界島で偵察行動をつづけている逃げ兎ことアルノが鬼界島に侵入する際に使った手でもある。
鬼部という生き物は陸地にしか興味がないらしく、海に対してはまったく警戒していないことはすでにわかっている。
なにしろ、鬼界島のまわりには小舟ひとつ見かけられたことはないのだ。鬼部は海を警戒しないだけではなく、漁の類もしないらしい。食べるのはあくまでも人間。それが鬼部なのだ。
「鬼部が海に関心がないと言うのなら、海から奇襲をかけたらどうだ?」
そう言う意見は熊猛紅蓮隊が鬼界島に乗り込むずっと以前から根強く提案されては来た。しかし、鬼界島から続々と侵攻してくる鬼部の軍勢に対処することに精一杯で大規模な別働隊を編成する余裕がなかった。
また、大陸における人間同士の戦いはあくまでも内陸でのものであり、海を舞台にした戦いなどはなかった。そのために、『海軍』と呼べるほどの存在もなく、軍隊を運べるほどの船団を用意できなかった。
さらに、いくら鬼部が海に対して関心がないとは言っても、大船団を組織して送り込めばさすがに気付かれるのではないか。一度、警戒させてしまえばもう二度と奇襲をかける機会はあるまい。そもそも、鬼界島の地理も、鬼部の軍勢の位置もわからないのに奇襲など仕掛けても効果は見込めない。鬼界島の情報が集まり、攻めるべき地点が判明し、充分な効果が見込めるまでうかつな行動はしない方がいい……といった慎重論もあって、いままで実行されずに来た。
しかし、たった三人が小舟で乗り込む分にはそれらの問題はない。
そのことは逃げ兎が見事に侵入に成功したことからもはっきりしているし、その逃げ兎の報告によって『本当に』鬼部は海に対して警戒の目を向けていないこともわかっている。少人数でこっそり侵入する、と言う場合には現状ではこれが最良の方法であると言える。
アーデルハイドは港町に用意された小舟の上に佇み、同行者たちの訪れをまっていた。じっと海の彼方を見つめ、吹きくる風が髪をたなびかせる。その姿に――。
やってきたカンナとチャップはそろって『ほう……』と、溜め息をついた。
それほどに様になる姿。夭逝の天才画家が残された最後の命を注ぎ込んで描きあげた名画のように決まっている。単なる漁用の小舟に過ぎない舟が、アーデルハイドが乗っているというそれだけで海を征く女神を乗せた神代の船に見えてしまう。『人類随一の美貌』のもつ補正力のすさまじさである。
アーデルハイドがふたりの同行者に訪れに気がついた。視線を向け、短く口にする。
「来たわね」
その姿がやはり、女神のよう。人の魂をもつものなら黙ってひれ伏すしかない美しさに満ちている。
「カンナ。舟の扱いはお願いね」
「はい、任せてください!」
敬愛する女主人にそう言われ、カンナは力強く請け負った。〝歌う鯨〟の一員として、ゲンナディ内海に浮かぶ島で生まれ育ったカンナである。舟の扱いはお手の物だ。
一方でチャップのほうは緊張した面持ちだ。内陸の出身とあって舟に乗るのさえこれがはじめて。三年前、熊猛紅蓮隊の一員として鬼界島に乗り込んだときには鬼界島と海岸とをつなぐ地峡を渡った。
当時はまだエンカウンが陥落しておらず、人類の防衛拠点として――曲がりなりにも――機能していた。そのため、地峡を使って乗り込むのは簡単だった。舟を使う必要はなかったのだ。舟はまったくの未経験。それでいきなり海に出ようというのだ。緊張しない方がどうかしている。
これまでずっと男の振りをしていなければいけないという事情もあって、常に大きすぎる鎧を身にまとっていたチャップだが、さすがに小舟で海に出るとなれば鎧などまとっていられない。そもそも、もう男の振りをする必要もなくなったし、アーデルハイドから武器だけではなく防具も身につけていてはいけないと厳命されている。
「わたしたちは戦いに行くのではなく、鬼部を知りに行く。戦うための武器も、身を守るための防具も必要ありません」と。
と言うわけで、いまは飾り気のない私服姿である。長年、まといつづけてきた鎧を脱いでいるとあって心細そうだが、こればかりは仕方がない。
単純な作りの服だけに体の線がよくわかる。繊細な顔の作りといい、よく見ればたしかに女性のものだと言うことはわかるのだがなにぶん、何年にもわたって男の振りをしてきた身。男たちのなかに混じって生活していたとあって仕種の一つひとつが男っぽい。そのためにちょっと見にはやはり、少年のように見えるのだった。
カンナとチャップが舟に乗り込んだ。そんなふたりにアーデルハイドが話しかけた。
「出発前に確認しておくけど。武器はもっていないでしょうね?」
「えっ?」
アーデルハイドの言葉に――。
カンナの表情が引きつった。
「何度も言ったでしょう。わたしたちは戦いに行くのではなく鬼部を知りに行く。武器はもっていってはいけないと。守っているでしょうね?」
「も、もももちろんです、はい!」
カンナはあからさまにうろたえた。まっすくで素直な性格だけあって嘘やごまかしはできない質である。それ以上にひどいのがチャップで、誰が見ても一目で『図星を指された』ことがわかるぐらい慌てふためき、露骨に視線をそらしている。
「そう。それじゃあ、確認させてもらうわ」
「えっ? いや、ちょ、アーデルハイドさま……!」
「や、うわ、きゃああっ!」
小舟の上に若い娘ふたりの悲鳴が響いた。アーデルハイドの手練手管によっていともたやすく服を脱がされ、裸にむかれてしまった。アーデルハイドの手にした服からは護身用に短剣や暗殺用の暗器などが幾つも落ちてきた。
「何度も駄目だと言ったのにね」
アーデルハイドは手厳しい視線でふたりの同行者を見た。
「で、でも、やっぱり、護身用の武器ぐらいはないと……」
両手で自分の身を抱きしめ、肝心なところを隠しながらカンナが言った。その横ではチャップがやはり、両腕で自分を抱きしめた姿でうずくまっている。
「わたしたちは敵の本拠地に行くの。護身用の短剣なんかをもっていたとして、鬼部の群れに囲まれたら……役に立つと思う?」
「い、いえ……」
その状況では短剣どころか、巨大な両手剣をもっていても役には立たないだろう。
「だったら、もっていても意味はない。却って危険をますだけ。何度もそう言ったでしょう」
「……はい」
「これまでの経験から鬼部が食べるのは自分たちで狩った人間だけだと言うことがわかっている。無抵抗のまま捕えられた人間が食べられた例は確認されていない。武器をもって抵抗したりしたら『食べてください』と言っているようなものよ」
「……はい」
そう言われてはカンナとしてもうなずくしかない。
アーデルハイドははぎ取った服をふたりに返し、短剣や暗器はすべて海に放り投げた。チャップが急いで服を着込みながらアーデルハイドに尋ねた。
「で、でも、アーデルハイドさま……。服を脱がせるの、やたら慣れてません?」
「我がエドウィン家は婚姻政策で成りあがった。それがすべて」
言われてチャップはカンナにささやきかけた。
「な、なあ……。アーデルハイドさまって実はけっこう……」
カンナはチャップを睨み付けた。
「……その先を言ったら殺す」
第四話完
第五話につづく
鬼界島は数十年前のある日、なんの前触れもないままに海の上に現れ、そのままこの大陸へと接近してきた。そして、人類最大の防衛拠点であった沿岸の町エンカウンから望む海岸と地峡でつながった。鬼界島へ渡るならその地峡を使うのが一番、簡単で手っ取り早い。
とは言え、かつてのレオンハルト王国の領土はすでに、王都ユキュノクレストをのぞいた全体が鬼部の支配下にある。当然、エンカウンへと至る大地のいたるところに鬼部の軍勢が居座っている。そのなかを突っ切って鬼界島に向かうなど自殺行為。さすがのアーデルハイドもそこまで大胆な真似はしようとはしなかった。
「鬼界島に乗り込むと言うのに、鬼部の軍勢を怖れていてどうするの」
などと発言して周囲をあわてさせはしたが。
ともかく、周囲の勧めもあって迂回路をとることにした。レオンハルトの隣国、海岸沿いの国スミクトルの港町から小舟を使い、鬼界島に渡ることにした。
これは、いまもただひとり、鬼界島で偵察行動をつづけている逃げ兎ことアルノが鬼界島に侵入する際に使った手でもある。
鬼部という生き物は陸地にしか興味がないらしく、海に対してはまったく警戒していないことはすでにわかっている。
なにしろ、鬼界島のまわりには小舟ひとつ見かけられたことはないのだ。鬼部は海を警戒しないだけではなく、漁の類もしないらしい。食べるのはあくまでも人間。それが鬼部なのだ。
「鬼部が海に関心がないと言うのなら、海から奇襲をかけたらどうだ?」
そう言う意見は熊猛紅蓮隊が鬼界島に乗り込むずっと以前から根強く提案されては来た。しかし、鬼界島から続々と侵攻してくる鬼部の軍勢に対処することに精一杯で大規模な別働隊を編成する余裕がなかった。
また、大陸における人間同士の戦いはあくまでも内陸でのものであり、海を舞台にした戦いなどはなかった。そのために、『海軍』と呼べるほどの存在もなく、軍隊を運べるほどの船団を用意できなかった。
さらに、いくら鬼部が海に対して関心がないとは言っても、大船団を組織して送り込めばさすがに気付かれるのではないか。一度、警戒させてしまえばもう二度と奇襲をかける機会はあるまい。そもそも、鬼界島の地理も、鬼部の軍勢の位置もわからないのに奇襲など仕掛けても効果は見込めない。鬼界島の情報が集まり、攻めるべき地点が判明し、充分な効果が見込めるまでうかつな行動はしない方がいい……といった慎重論もあって、いままで実行されずに来た。
しかし、たった三人が小舟で乗り込む分にはそれらの問題はない。
そのことは逃げ兎が見事に侵入に成功したことからもはっきりしているし、その逃げ兎の報告によって『本当に』鬼部は海に対して警戒の目を向けていないこともわかっている。少人数でこっそり侵入する、と言う場合には現状ではこれが最良の方法であると言える。
アーデルハイドは港町に用意された小舟の上に佇み、同行者たちの訪れをまっていた。じっと海の彼方を見つめ、吹きくる風が髪をたなびかせる。その姿に――。
やってきたカンナとチャップはそろって『ほう……』と、溜め息をついた。
それほどに様になる姿。夭逝の天才画家が残された最後の命を注ぎ込んで描きあげた名画のように決まっている。単なる漁用の小舟に過ぎない舟が、アーデルハイドが乗っているというそれだけで海を征く女神を乗せた神代の船に見えてしまう。『人類随一の美貌』のもつ補正力のすさまじさである。
アーデルハイドがふたりの同行者に訪れに気がついた。視線を向け、短く口にする。
「来たわね」
その姿がやはり、女神のよう。人の魂をもつものなら黙ってひれ伏すしかない美しさに満ちている。
「カンナ。舟の扱いはお願いね」
「はい、任せてください!」
敬愛する女主人にそう言われ、カンナは力強く請け負った。〝歌う鯨〟の一員として、ゲンナディ内海に浮かぶ島で生まれ育ったカンナである。舟の扱いはお手の物だ。
一方でチャップのほうは緊張した面持ちだ。内陸の出身とあって舟に乗るのさえこれがはじめて。三年前、熊猛紅蓮隊の一員として鬼界島に乗り込んだときには鬼界島と海岸とをつなぐ地峡を渡った。
当時はまだエンカウンが陥落しておらず、人類の防衛拠点として――曲がりなりにも――機能していた。そのため、地峡を使って乗り込むのは簡単だった。舟を使う必要はなかったのだ。舟はまったくの未経験。それでいきなり海に出ようというのだ。緊張しない方がどうかしている。
これまでずっと男の振りをしていなければいけないという事情もあって、常に大きすぎる鎧を身にまとっていたチャップだが、さすがに小舟で海に出るとなれば鎧などまとっていられない。そもそも、もう男の振りをする必要もなくなったし、アーデルハイドから武器だけではなく防具も身につけていてはいけないと厳命されている。
「わたしたちは戦いに行くのではなく、鬼部を知りに行く。戦うための武器も、身を守るための防具も必要ありません」と。
と言うわけで、いまは飾り気のない私服姿である。長年、まといつづけてきた鎧を脱いでいるとあって心細そうだが、こればかりは仕方がない。
単純な作りの服だけに体の線がよくわかる。繊細な顔の作りといい、よく見ればたしかに女性のものだと言うことはわかるのだがなにぶん、何年にもわたって男の振りをしてきた身。男たちのなかに混じって生活していたとあって仕種の一つひとつが男っぽい。そのためにちょっと見にはやはり、少年のように見えるのだった。
カンナとチャップが舟に乗り込んだ。そんなふたりにアーデルハイドが話しかけた。
「出発前に確認しておくけど。武器はもっていないでしょうね?」
「えっ?」
アーデルハイドの言葉に――。
カンナの表情が引きつった。
「何度も言ったでしょう。わたしたちは戦いに行くのではなく鬼部を知りに行く。武器はもっていってはいけないと。守っているでしょうね?」
「も、もももちろんです、はい!」
カンナはあからさまにうろたえた。まっすくで素直な性格だけあって嘘やごまかしはできない質である。それ以上にひどいのがチャップで、誰が見ても一目で『図星を指された』ことがわかるぐらい慌てふためき、露骨に視線をそらしている。
「そう。それじゃあ、確認させてもらうわ」
「えっ? いや、ちょ、アーデルハイドさま……!」
「や、うわ、きゃああっ!」
小舟の上に若い娘ふたりの悲鳴が響いた。アーデルハイドの手練手管によっていともたやすく服を脱がされ、裸にむかれてしまった。アーデルハイドの手にした服からは護身用に短剣や暗殺用の暗器などが幾つも落ちてきた。
「何度も駄目だと言ったのにね」
アーデルハイドは手厳しい視線でふたりの同行者を見た。
「で、でも、やっぱり、護身用の武器ぐらいはないと……」
両手で自分の身を抱きしめ、肝心なところを隠しながらカンナが言った。その横ではチャップがやはり、両腕で自分を抱きしめた姿でうずくまっている。
「わたしたちは敵の本拠地に行くの。護身用の短剣なんかをもっていたとして、鬼部の群れに囲まれたら……役に立つと思う?」
「い、いえ……」
その状況では短剣どころか、巨大な両手剣をもっていても役には立たないだろう。
「だったら、もっていても意味はない。却って危険をますだけ。何度もそう言ったでしょう」
「……はい」
「これまでの経験から鬼部が食べるのは自分たちで狩った人間だけだと言うことがわかっている。無抵抗のまま捕えられた人間が食べられた例は確認されていない。武器をもって抵抗したりしたら『食べてください』と言っているようなものよ」
「……はい」
そう言われてはカンナとしてもうなずくしかない。
アーデルハイドははぎ取った服をふたりに返し、短剣や暗器はすべて海に放り投げた。チャップが急いで服を着込みながらアーデルハイドに尋ねた。
「で、でも、アーデルハイドさま……。服を脱がせるの、やたら慣れてません?」
「我がエドウィン家は婚姻政策で成りあがった。それがすべて」
言われてチャップはカンナにささやきかけた。
「な、なあ……。アーデルハイドさまって実はけっこう……」
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