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第二部 絆ぐ伝説
第一〇話一章 プリンスの戦い(1)
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「第一分隊、後退! 第二、第三分隊、突撃! 倒す必要はない! 串刺しにして動きをとめろ!」
速く、鋭く、的確に、プリンスが指示を飛ばす。その指示に従い、重々しい甲冑に身を固めた三人組の兵士たちが急いで後退する。そのあとを追うのは、亡道の怪物。亡道の侵食によって生まれた異形の存在。
亡道の怪物が兵士たちを追って突き進む。兵士たちは重々しい甲冑に身を包んでいる分、守りは堅くても動きは鈍い。それに対し、亡道の怪物は『怪物』という呼び名にふさわしい敏捷性を発揮して追いかける。
このままなら、追いつかれるのは時間の問題。一度、追いつかれてしまえば、人と人の争いのなかで生みだされたもっとも堅牢な鎧、全身を鋼鉄の板で包んだ重甲冑と言えど長くはもたない。
怪物の膂力によって引き裂かれ、なかの人間はほじくり出され、単なる肉塊へとかえられてしまうだろう。それがわかっているだけに兵士たちも必死である。全身鎧をまとったいまの自分たちにできる最大限の速さで駆けている。
亡道の怪物がそれを追う。大地を蹴って、飛ぶ。その腕が兵士たちに届こうとしたまさにその瞬間、左右から三人組の槍兵が飛び出し、押しつぶすようにして槍を叩きつけた。
槍の穂先が怪物の肉体に突き刺さり、肉をえぐり、骨に穴を開けた。怪物が声をあげた。痛みの声ではない。苦悶の声でもない。まして、恐怖の叫びなどではない。
それは、怒り。
獲物に過ぎない脆弱な生き物が自分を襲い、傷つけた。その非礼に対する怒りの声だった。
怪物は怒りの声をあげたまま、その身に突き刺さった槍の一本をつかんだ。力任せにへし折った。頑丈なカシの木で作られた槍の柄があっけなくへし折れた。人間にはとうてい望むべくもない圧倒的な握力。そして、腕力。
怪物は咆哮した。その場で暴れまわり、体に突き刺さった槍の穂先ごと槍兵たちを振りほどこうとした。その力に槍兵たちは必死に抗う。怪物の身に突き立てた槍に力を込めてその肉をえぐり、より深く突きさし、力任せに押さえつけようとする。
一対六の戦い。しかも、素手の怪物と槍を手にした兵士たちの戦い。普通に考えれば怪物に勝ち目などあるはずもない。一方的に槍に突き刺され、穴だらけにされ、死に絶える。そのはずだった。しかし――。
そんな常識が通用しないからこその怪物なのだ。六人がかりで押さえつけようとしているのに、振りまわされているのは槍兵たちの方。脂汗を流し、歯を食いしばり、両足を地面に踏ん張ってなんとかその場に留まろうとしている。それなのに、怪物の力に振りまわされ、足が地面をはなれ、引きずられてしまう。
それでも、六人の槍兵たちはまぎれもない勇者だった。全身の力を込めて槍を突きさし、必死に怪物の動きを押さえ込む。さしもの怪物もこの状況で自由に動く……というわけにはいかない。怒りの咆哮をあげながらその場で暴れまわるのみ。それができるというだけでも充分に非常識な存在ではあったのだが。
ともかく、怪物の動きがとまった。プリンスはその機を逃さなかった。新たな指示を飛ばした。
「第四分隊、突撃!」
その指示を受けて、今かいまかと自分たちの出番をまっていた三人組の兵士が奇声をあげて飛び出した。この三人は鎧はなにも身につけていない。着ているものはただの服。そのかわり、天命の理を付与された対亡道の怪物用の巨大な大刀をもっている。全軍から選び抜かれた卓越した剣技をもつ最精鋭である。
三振りの大刀が振るわれた。風を裂いて肉厚の刃が襲いかかった。さすが、天命の理を付与された大刀。ただの武器とは切れ味がちがう。その分厚い刃は怪物の強靱な肉体を易々と斬り裂き、致命傷を与えた。
「ごおおおおっ!」
巨大な咆哮。
まさに、轟き。
そう呼ぶのがふさわしい声をあげて怪物は倒れた。全身から血を噴いて、動きをとめた。死んだ……と言うわけにはいかない。生も死もない、すべてがひとつになった存在。それが、亡道の怪物なのだから。
それでも、大刀に込められた天命の理の力によって、その動きはとまった。もう二度と、動くことはない。そのはずだった。
動くことをやめた怪物を、必死の戦いを繰り広げた四分隊、総勢一二人の兵士たちが見下ろしている。その顔には勝利の喜びなどどこにもない。ただただ、苦いばかりのまずいコーヒーを飲んだあとのような胸の悪さを感じさせる表情が浮いているばかりだ。
プリンスが怪物に近づいた。兵士たちと同じように見下ろした。その顔にはやはり、苦すぎる表情だけが浮いていた。
「……やりきれねえな」
兵士のひとりが言った。
「こいつだって、ちょっと前まではただの人間だったのによ」
兵士の言うとおり、怪物の体はまぎれもなく人間のものだった。おそらくは農民だったのだろう。背はさほど高くはないが腕も、脚も太く、たくましい。胸板も厚い。
しかし、顔はなかった。首から右肩にかけての位置からは栗毛のウマの上半身が突きだしている。
亡道の侵食によって、たまたまそのとき一緒に仕事していた農夫と農耕馬とが融合して生まれたのだろう。足元からは農機具らしい木製の道具も突きだしている。
『怪物』などと呼ぶのは失礼だし、むごいことだろう。農夫も、農耕馬も、望んでこんな姿になったわけではない。亡道の司の出現によって訳もわからないうちに、こんな姿にさせられてしまったのだから。しかし――。
ウマの口からブクブクと泡を吹き出し、狂気に染まった目を爛々と輝かせて誰彼かまわず襲いかかるその姿。それは、まさに『怪物』と呼ぶ以外にないものだった。
この怪物もまた純然たる被害者。亡道の侵食に巻き込まれ、正体を失った哀れな存在。それはわかっている。わかってはいるがしかし、その被害者を倒さなくてはならないプリンスたちだった。そうしなければ、自分たちが殺されるのだから。
「もうすぐだ」
兵士たちの思いを代表するかのように、プリンスが口にした。
「もうすぐ、ロウワンが戻ってくる。亡道の司を倒す力をもって。そうなれば、おれたちの方から亡道の司を倒しに行ける。こんなことはもう二度と起きないようにできる」
「ああ。わかってるさ」
手にした大刀を肩に担いだ兵士、ひときわ大柄な黒人の兵士が答えた。
「あの若い大将のおかげで、おれたち奴隷あがりの黒人だって、自分の国をもてる世の中になったんだ。力さえあれば出世できる。おれたちを鞭で殴ってきた奴隷主を今度はおれたちが奴隷として使ってやれる。せっかく、そんな世の中になったってのに、失う羽目になったらもったいねえからな。何がなんでも、この世界は守ってやるさ」
その言葉に――。
他の兵士たちもそろってうなずいた。
「その通りだ」
プリンスはそう言って、うなずいた。その表情には断固たる決意が宿っていた。
「やっと、おれたちが人間として生きられる世の中になったんだ。自分の意思で生き、自分の意思で妻をもち、自分の意思で子どもをもてる世界。売られる心配も、引きはなされる恐れもなく家族で暮らしていける。そんな世界にな。絶対に、その世界を守るんだ」
おれたち自身の人生のために。
プリンスはきっぱりとそう言った。
始祖国家パンゲア。
亡道の司によって侵食され、教皇アルヴィルダによって時を凍らされた世界。世界のすべてが透明な結晶となって動きをとめているそのなかで、土木工事の音が響いている。
いずれ来る亡道の司との全面対決。亡道の司の巣くう大聖堂ヴァルハラにまで攻めのぼり、この世界から追い払う。そのときのために、防衛拠点として砦の建設が進められているのだ。
まだ半ばほどしか出来上がっていないその砦を拠点に、プリンスたちは亡道の怪物たちとの戦いを繰り広げていた。
教皇アルヴィルダが世界を守るために張り巡らした封印はいまだ充分な効力を保っている。さらに、アルヴィルダの妹『仮面の大司教』アルテミシアが自分の命と引き替えに生みだした結界によって、その効力は強化されている。
いまだ、この世界の時は凍ったまま。亡道の怪物たちもすべてが混じりあい、混沌へと至る過程のまますべての動きをとめている。そのなかで、たまたま早く時の溶けた怪物たちだけが動きだし、襲ってくる。
いまはまだ大したことはない。せいぜい数日に一度、一体か二体の怪物が襲ってくる。その程度のこと。しかし、徐々にだが襲撃の頻度があがってきているのは確か。手をこまねいていれば、いずれ必ずすべての時が溶けて亡道の怪物たちが一斉に襲いかかってくるときが来る。そのときのために、対亡道の怪物用の戦いを身につけておかなければならない。
そのために考案されたのが、三人ずつ四つの部隊にわけての戦術。全身鎧に身を固めた分隊が正面から怪物の攻撃を受けとめ、槍をもった兵士たちが左右から襲いかかり動きをとめる。最後の仕上げとばかりに武芸に秀でた抹殺部隊が仕留める。
四分隊一二人が一丸となって、一体の怪物をしとめる。
その戦術を徹底するために、時の溶けた怪物相手の実戦訓練を行っているのだ。
「しかし、銃も大砲もあるこの時代において、昔ながらの肉弾戦とはな」
プリンスはため息をついた。
確かに、時代遅れもいいところの戦術。しかし、亡道の怪物相手にはこれしかない。亡道の怪物の強靱な肉体は、銃弾などで破壊できるものではない。何発、撃ち込もうと、強靱な筋肉に阻まれ、押しのけられ、わずかな傷を与えただけで地面に落ちてしまう。
銃を使って亡道の怪物を倒すためにはやはり、天命の理を付与することでそのための力を与えるしかない。しかし、剣や槍とはちがい、銃弾は一度、使えば二度と使えなくなる消耗品。天命の理を付与した消耗品を大量生産することができるほどの生産力はない。
それができる能力をもった天命の使い手の数が決定的に不足している。結局、現状では繰り返し使える剣や槍に天命の理を付与し、それで戦うしかない。
剣や槍はまだしも、全身を包む重鎧などいまの時代ではとうに時代遅れ。生産している工房などもはやない。新たに生産しようにも、古い文献などからかつての技術を学び直さなければならない。それには、相応の時間がかかる。なので、古い城の倉庫や博物館をあさっては旧時代の鎧を掘りだし、修復して使っているありさまだ。
「世界を守る戦い、と言うには、なんともいじましい戦い方だな。それに……」
プリンスはため息をついた。
「……指揮官役は肩が凝る」
それが、プリンスの偽らざる心境。いままでは全体の指揮は他の誰かに任せて、自分はずっと切り込み隊長として先頭に立って戦ってきた。なにも考えずにただ剣を振るい、目の前の敵を倒していればそれでよかった。しかし、一国一城の主となり『プリンス』という名前を凌ぐ『キング』となったいまはちがう。自ら前線に出るのではなく、後方にあって全軍の指揮をとらなければならない。
「……正直、性に合わないんだがな」
プリンスはため息をつきながらボヤいた。やはり、自分は前線にあって剣を振るっている方が性に合う。その方が楽だし、簡単だ。とはいえ、自ら望んで王となった以上、その責任は果たさなくてはならない。
「そう。おれはいまや王。自分で望んでその立場になった。そうである以上、王としての責任を果たせる存在にならなくてはならない」
プリンスが自らにそう言い聞かせたそのときだ。兵士のひとりがあわてて駆けよってきた。
「プリンス!」
兵士が叫んだ。王になったとはいえ、もともとは上下関係のない海賊仲間。『陛下』などという堅苦しい呼び方は誰もしないし、プリンスもそれでいいと思っている。呼び方などどうあれ、従うべきときに従いさえすればそれでいい。
「どうした?」
プリンスが尋ねると、その兵士は口から唾を飛ばしながら叫んだ。
「すぐに来てくれ! 兵舎で兵士同士の揉め事だ!」
チッ、と、プリンスは忌々しい思いとともに舌打ちの音を立てた。
速く、鋭く、的確に、プリンスが指示を飛ばす。その指示に従い、重々しい甲冑に身を固めた三人組の兵士たちが急いで後退する。そのあとを追うのは、亡道の怪物。亡道の侵食によって生まれた異形の存在。
亡道の怪物が兵士たちを追って突き進む。兵士たちは重々しい甲冑に身を包んでいる分、守りは堅くても動きは鈍い。それに対し、亡道の怪物は『怪物』という呼び名にふさわしい敏捷性を発揮して追いかける。
このままなら、追いつかれるのは時間の問題。一度、追いつかれてしまえば、人と人の争いのなかで生みだされたもっとも堅牢な鎧、全身を鋼鉄の板で包んだ重甲冑と言えど長くはもたない。
怪物の膂力によって引き裂かれ、なかの人間はほじくり出され、単なる肉塊へとかえられてしまうだろう。それがわかっているだけに兵士たちも必死である。全身鎧をまとったいまの自分たちにできる最大限の速さで駆けている。
亡道の怪物がそれを追う。大地を蹴って、飛ぶ。その腕が兵士たちに届こうとしたまさにその瞬間、左右から三人組の槍兵が飛び出し、押しつぶすようにして槍を叩きつけた。
槍の穂先が怪物の肉体に突き刺さり、肉をえぐり、骨に穴を開けた。怪物が声をあげた。痛みの声ではない。苦悶の声でもない。まして、恐怖の叫びなどではない。
それは、怒り。
獲物に過ぎない脆弱な生き物が自分を襲い、傷つけた。その非礼に対する怒りの声だった。
怪物は怒りの声をあげたまま、その身に突き刺さった槍の一本をつかんだ。力任せにへし折った。頑丈なカシの木で作られた槍の柄があっけなくへし折れた。人間にはとうてい望むべくもない圧倒的な握力。そして、腕力。
怪物は咆哮した。その場で暴れまわり、体に突き刺さった槍の穂先ごと槍兵たちを振りほどこうとした。その力に槍兵たちは必死に抗う。怪物の身に突き立てた槍に力を込めてその肉をえぐり、より深く突きさし、力任せに押さえつけようとする。
一対六の戦い。しかも、素手の怪物と槍を手にした兵士たちの戦い。普通に考えれば怪物に勝ち目などあるはずもない。一方的に槍に突き刺され、穴だらけにされ、死に絶える。そのはずだった。しかし――。
そんな常識が通用しないからこその怪物なのだ。六人がかりで押さえつけようとしているのに、振りまわされているのは槍兵たちの方。脂汗を流し、歯を食いしばり、両足を地面に踏ん張ってなんとかその場に留まろうとしている。それなのに、怪物の力に振りまわされ、足が地面をはなれ、引きずられてしまう。
それでも、六人の槍兵たちはまぎれもない勇者だった。全身の力を込めて槍を突きさし、必死に怪物の動きを押さえ込む。さしもの怪物もこの状況で自由に動く……というわけにはいかない。怒りの咆哮をあげながらその場で暴れまわるのみ。それができるというだけでも充分に非常識な存在ではあったのだが。
ともかく、怪物の動きがとまった。プリンスはその機を逃さなかった。新たな指示を飛ばした。
「第四分隊、突撃!」
その指示を受けて、今かいまかと自分たちの出番をまっていた三人組の兵士が奇声をあげて飛び出した。この三人は鎧はなにも身につけていない。着ているものはただの服。そのかわり、天命の理を付与された対亡道の怪物用の巨大な大刀をもっている。全軍から選び抜かれた卓越した剣技をもつ最精鋭である。
三振りの大刀が振るわれた。風を裂いて肉厚の刃が襲いかかった。さすが、天命の理を付与された大刀。ただの武器とは切れ味がちがう。その分厚い刃は怪物の強靱な肉体を易々と斬り裂き、致命傷を与えた。
「ごおおおおっ!」
巨大な咆哮。
まさに、轟き。
そう呼ぶのがふさわしい声をあげて怪物は倒れた。全身から血を噴いて、動きをとめた。死んだ……と言うわけにはいかない。生も死もない、すべてがひとつになった存在。それが、亡道の怪物なのだから。
それでも、大刀に込められた天命の理の力によって、その動きはとまった。もう二度と、動くことはない。そのはずだった。
動くことをやめた怪物を、必死の戦いを繰り広げた四分隊、総勢一二人の兵士たちが見下ろしている。その顔には勝利の喜びなどどこにもない。ただただ、苦いばかりのまずいコーヒーを飲んだあとのような胸の悪さを感じさせる表情が浮いているばかりだ。
プリンスが怪物に近づいた。兵士たちと同じように見下ろした。その顔にはやはり、苦すぎる表情だけが浮いていた。
「……やりきれねえな」
兵士のひとりが言った。
「こいつだって、ちょっと前まではただの人間だったのによ」
兵士の言うとおり、怪物の体はまぎれもなく人間のものだった。おそらくは農民だったのだろう。背はさほど高くはないが腕も、脚も太く、たくましい。胸板も厚い。
しかし、顔はなかった。首から右肩にかけての位置からは栗毛のウマの上半身が突きだしている。
亡道の侵食によって、たまたまそのとき一緒に仕事していた農夫と農耕馬とが融合して生まれたのだろう。足元からは農機具らしい木製の道具も突きだしている。
『怪物』などと呼ぶのは失礼だし、むごいことだろう。農夫も、農耕馬も、望んでこんな姿になったわけではない。亡道の司の出現によって訳もわからないうちに、こんな姿にさせられてしまったのだから。しかし――。
ウマの口からブクブクと泡を吹き出し、狂気に染まった目を爛々と輝かせて誰彼かまわず襲いかかるその姿。それは、まさに『怪物』と呼ぶ以外にないものだった。
この怪物もまた純然たる被害者。亡道の侵食に巻き込まれ、正体を失った哀れな存在。それはわかっている。わかってはいるがしかし、その被害者を倒さなくてはならないプリンスたちだった。そうしなければ、自分たちが殺されるのだから。
「もうすぐだ」
兵士たちの思いを代表するかのように、プリンスが口にした。
「もうすぐ、ロウワンが戻ってくる。亡道の司を倒す力をもって。そうなれば、おれたちの方から亡道の司を倒しに行ける。こんなことはもう二度と起きないようにできる」
「ああ。わかってるさ」
手にした大刀を肩に担いだ兵士、ひときわ大柄な黒人の兵士が答えた。
「あの若い大将のおかげで、おれたち奴隷あがりの黒人だって、自分の国をもてる世の中になったんだ。力さえあれば出世できる。おれたちを鞭で殴ってきた奴隷主を今度はおれたちが奴隷として使ってやれる。せっかく、そんな世の中になったってのに、失う羽目になったらもったいねえからな。何がなんでも、この世界は守ってやるさ」
その言葉に――。
他の兵士たちもそろってうなずいた。
「その通りだ」
プリンスはそう言って、うなずいた。その表情には断固たる決意が宿っていた。
「やっと、おれたちが人間として生きられる世の中になったんだ。自分の意思で生き、自分の意思で妻をもち、自分の意思で子どもをもてる世界。売られる心配も、引きはなされる恐れもなく家族で暮らしていける。そんな世界にな。絶対に、その世界を守るんだ」
おれたち自身の人生のために。
プリンスはきっぱりとそう言った。
始祖国家パンゲア。
亡道の司によって侵食され、教皇アルヴィルダによって時を凍らされた世界。世界のすべてが透明な結晶となって動きをとめているそのなかで、土木工事の音が響いている。
いずれ来る亡道の司との全面対決。亡道の司の巣くう大聖堂ヴァルハラにまで攻めのぼり、この世界から追い払う。そのときのために、防衛拠点として砦の建設が進められているのだ。
まだ半ばほどしか出来上がっていないその砦を拠点に、プリンスたちは亡道の怪物たちとの戦いを繰り広げていた。
教皇アルヴィルダが世界を守るために張り巡らした封印はいまだ充分な効力を保っている。さらに、アルヴィルダの妹『仮面の大司教』アルテミシアが自分の命と引き替えに生みだした結界によって、その効力は強化されている。
いまだ、この世界の時は凍ったまま。亡道の怪物たちもすべてが混じりあい、混沌へと至る過程のまますべての動きをとめている。そのなかで、たまたま早く時の溶けた怪物たちだけが動きだし、襲ってくる。
いまはまだ大したことはない。せいぜい数日に一度、一体か二体の怪物が襲ってくる。その程度のこと。しかし、徐々にだが襲撃の頻度があがってきているのは確か。手をこまねいていれば、いずれ必ずすべての時が溶けて亡道の怪物たちが一斉に襲いかかってくるときが来る。そのときのために、対亡道の怪物用の戦いを身につけておかなければならない。
そのために考案されたのが、三人ずつ四つの部隊にわけての戦術。全身鎧に身を固めた分隊が正面から怪物の攻撃を受けとめ、槍をもった兵士たちが左右から襲いかかり動きをとめる。最後の仕上げとばかりに武芸に秀でた抹殺部隊が仕留める。
四分隊一二人が一丸となって、一体の怪物をしとめる。
その戦術を徹底するために、時の溶けた怪物相手の実戦訓練を行っているのだ。
「しかし、銃も大砲もあるこの時代において、昔ながらの肉弾戦とはな」
プリンスはため息をついた。
確かに、時代遅れもいいところの戦術。しかし、亡道の怪物相手にはこれしかない。亡道の怪物の強靱な肉体は、銃弾などで破壊できるものではない。何発、撃ち込もうと、強靱な筋肉に阻まれ、押しのけられ、わずかな傷を与えただけで地面に落ちてしまう。
銃を使って亡道の怪物を倒すためにはやはり、天命の理を付与することでそのための力を与えるしかない。しかし、剣や槍とはちがい、銃弾は一度、使えば二度と使えなくなる消耗品。天命の理を付与した消耗品を大量生産することができるほどの生産力はない。
それができる能力をもった天命の使い手の数が決定的に不足している。結局、現状では繰り返し使える剣や槍に天命の理を付与し、それで戦うしかない。
剣や槍はまだしも、全身を包む重鎧などいまの時代ではとうに時代遅れ。生産している工房などもはやない。新たに生産しようにも、古い文献などからかつての技術を学び直さなければならない。それには、相応の時間がかかる。なので、古い城の倉庫や博物館をあさっては旧時代の鎧を掘りだし、修復して使っているありさまだ。
「世界を守る戦い、と言うには、なんともいじましい戦い方だな。それに……」
プリンスはため息をついた。
「……指揮官役は肩が凝る」
それが、プリンスの偽らざる心境。いままでは全体の指揮は他の誰かに任せて、自分はずっと切り込み隊長として先頭に立って戦ってきた。なにも考えずにただ剣を振るい、目の前の敵を倒していればそれでよかった。しかし、一国一城の主となり『プリンス』という名前を凌ぐ『キング』となったいまはちがう。自ら前線に出るのではなく、後方にあって全軍の指揮をとらなければならない。
「……正直、性に合わないんだがな」
プリンスはため息をつきながらボヤいた。やはり、自分は前線にあって剣を振るっている方が性に合う。その方が楽だし、簡単だ。とはいえ、自ら望んで王となった以上、その責任は果たさなくてはならない。
「そう。おれはいまや王。自分で望んでその立場になった。そうである以上、王としての責任を果たせる存在にならなくてはならない」
プリンスが自らにそう言い聞かせたそのときだ。兵士のひとりがあわてて駆けよってきた。
「プリンス!」
兵士が叫んだ。王になったとはいえ、もともとは上下関係のない海賊仲間。『陛下』などという堅苦しい呼び方は誰もしないし、プリンスもそれでいいと思っている。呼び方などどうあれ、従うべきときに従いさえすればそれでいい。
「どうした?」
プリンスが尋ねると、その兵士は口から唾を飛ばしながら叫んだ。
「すぐに来てくれ! 兵舎で兵士同士の揉め事だ!」
チッ、と、プリンスは忌々しい思いとともに舌打ちの音を立てた。
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