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第二部 絆ぐ伝説

第八話一八章 アルヴィルダ⁉

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 「やれやれ。とんでもないのが立てつづけに出てきたものだね」
 行者ぎょうじゃが首を横に振りながらそう言った。
 「まさか、僕の力が通用しない相手がこんなに、この世にいるとは思わなかったよ。これじゃあ、僕はこの世で二番目どころか、三番目以下の使い手だね」
 結いあげた髪に挿したかんざしの飾りをシャラシャラ言わせながら、そうボヤく。そんな語りにもいつもの軽さがない。案外、本気で衝撃を受けているのかも知れない。
 行者ぎょうじゃの横では野伏のぶせが腕を組み、むっつりとした表情で亡道もうどうつかさが消えた虚空こくうを見つめている。いや、にらみつけている。『へ』の字型に曲がった唇はいかにも不平満々で、機嫌の悪さがはっきり見えている。
 ――これは、近づいたらヤバい。
 そう思わせる表情だった。
 ――無理もない。衝撃だったろうからな。
 ロウワンは、そんな野伏のぶせを見てそう思った。
 亡道もうどう騎士きしに押され、亡道もうどうつかさに吹き飛ばされた。それだけならまだしも、その亡道もうどうつかさを〝鬼〟があっけなく撃退するのをその目で見せられたのだ。一流の武芸者として衝撃でないはずがない。自尊心を傷つけられないはずがない。その心の痛みを抱えたまま、虚空こくうをにらみつけているのだ。
 その気持ちは感じられたし、『野伏のぶせが負けた』という現実にはロウワン自身、少なからず傷ついていた。しかし、同時に、
 ――〝鬼〟が相手じゃ仕方ないよな。
 そうも思う。
 それは言ってみれば、敬愛する兄が父親と喧嘩けんかしてボコボコにされたのを見たような気分。兄が負けたことは悲しいし、くやしくもある。しかし、それ以上に、
 ――そりゃそうなるよな。
 と、納得してしまう。
 そんな気持ちだった。もちろん、野伏のぶせ相手にはとてもそんなことは言えないが。
 「ところで、ロウワン」
 「な、なに。メリッサ師?」
 ビーブをひざに抱いたままのメリッサが言った。ロウワンが思わず『ビクリ!』という反応を見せたのは、メリッサの口調が妙に怒っているように感じられたからだった。
 「あの破廉恥はれんちな女の子はなに? 『ロウワン』という名前をあの子からもらったってどういう意味?」
 「えっ、いや、大したことじゃないんだけど……」
 ――なんで、こんなに怒ってるんだ?
 メリッサの表情と口調にそんな思いを抱きながら、ロウワンは説明した。
 「かのは〝詩姫うたひめ〟。〝鬼〟のしてきたすべての悪行を見て、覚えて、歌にして聞かせることで、いつか〝鬼〟に良心を呼び覚まし、苦しみを与えることを目的にしている。おれはハルキス先生の島に行く前、少しの間、〝鬼〟の船に乗っていたことがある。そこで、かのに会ったんだ。〝鬼〟の船に乗っている間、色々と世話になって……」
 「ふうん。『色々』と『お世話』にねえ?」
 ――な、なんで、どんどん怒っていくんだ?
 理解できないメリッサの怒りに押されて後ずさりながら、ロウワンはつづけた。
 「その頃、おれは『マークスⅡ』を名乗りたかったんだ。『騎士マークスの遺志はおれが継ぐ!』って、その気になってたから。でも、当時のおれじゃ全然、その名前を名乗るにはふさわしくなくて、それで、マークスⅡを名乗れるようになるまで別に名前を名乗ろうと思った。それで、〝詩姫うたひめ〟に名前をつけてもらったんだ。その名前が『ロウワン』っていうわけ……」
 っていうわけ……と、やけに自信なさそうな言い方になったのは、メリッサのジワジワと押し包んでくるような怒りの波動に気圧されたからである。
 「……そう」
 と、メリッサは小さく呟くとそっぽを向いた。その表情がやはり、怖い。
 「な、なんで、あんなに怒ってるんだ?」
 訳のわからないロウワンが呟くと、行者ぎょうじゃが『おかしくておかしくてたまらない』といった様子でクスクス笑い出した。
 「つまり、ロウワン。君は本当に根っからの朴念仁ぼくねんじんだということだよ」
 「はっ?」
 行者ぎょうじゃにそう言われても根っからの朴念仁ぼくねんじんであるロウワンには、何がなんだかわからない。間の抜けた表情で、間の抜けた声を出すことしかできなかった。
 そこへ、〝鬼〟を追いかけていったハーミドが戻ってきた。やけにニコニコした上機嫌な表情で。
 「いやあ、記者きしゃ冥利みょうりに尽きるってもんだな。まさか、あの伝説の海賊、〝鬼〟に取材できるなんてな」
 「あきれた。本当にあんな怪物に取材するなんて」
 いまた起きあがれないビーブをひざに抱いたまま、メリッサが心底、あきれた声を出した。
 ハーミドは頭をかきながら豪快に笑った。見た目が荒事あらごと大好きの肉体労働者そのままなだけに、そんな態度をとるとますます新聞記者には見えなくなる。
 「いやいや、怪物だからこそさ。人間の取材ならいつでもできるが、怪力かいりき乱心らんしんたぐいに取材できる機会なんて、一生に一度あるかないかだからな。記者として、こんな機会は絶対に逃せないさ」
 そう言って、子どものように無邪気な表情で誇らしい笑顔を浮かべてみせる。
 すると、行者ぎょうじゃが先ほどとはちがう理由で首を左右に振った。
 「記者のかがみだね。それで、どんな取材をしたんだい?」
 「おう! いろいろしたぞ。生まれはどこか、目的はなにか、好きな食い物は、好みの女の種類はとかな」
 「好みの女って……そんなことまで取材する必要があるの?」
 メリッサがそう言って顔をしかめたのは、いかにも『お堅い女教師』らしい態度だった。
 「まあ、ろくに答えちゃもらえなかったけどな」
 そう言って『ガハハハ』と笑ったのは、ハーミドなりの照れ隠しだったろうか。どうやら『伝説の存在に取材できた』ということだけで嬉しくて、答えが得られたかどうかは気にしていないらしい。
 「それで、ロウワン」
 行者ぎょうじゃが尋ねた。
 「これから、どうするんだい?」
 「うん」
 と、ロウワンは答えた。一度、気持ちを整理するようにうなずいて見せてから答えた。
 「一度、戻ろう。このまま進むのは危険だ」
 「逃げるのか?」
 ロウワンの言葉に――。
 ジロリ、と、にらみながら野伏のぶせが言った。隠そうとしても隠しきれない、深い怒りのこもった声だった。
 その怒りは自分に向けられたものではない。それはロウワンにもわかっていた。わかってはいたが、思わず背筋が凍えるようなすごみのある声だった。
 「僕としてもここで引き返すのは微妙だと思うけどね。覚えているだろう? あの鎧騎士は亡道もうどうつかさに向かっていったんだ。それも、野伏のぶせや僕たちを相手にするときよりもはるかに巨大な憎悪と力をもって。亡道もうどうの存在であるはずのあの鎧騎士がなぜ、亡道もうどうつかさに向かっていったのか。そもそもなぜ、この地にいるはずのない亡道もうどうつかさがいるのか。その点ははっきりさせておいた方がいいと思うよ」
 「おお、その通りだ。ロウワン卿。知らないことは探るべきだ。第一、ここで帰っちまったら教皇アルヴィルダにも会えないままだ。教皇への取材はどうするんだ?」
 「でも、ビーブにはきちんとした治療が必要よ。わたしたちだってビーブの治療に自分の天命てんめいを使った分、休息と治療が必要だし。どちらもこの地では期待できない。戻らないと」
 「でも、戻ったところでまた、あの鎧騎士や亡道もうどうつかさに出会う危険もある。行くよりも戻る方が安全とは言えないんじゃないか?」
 「それは……」
 行者ぎょうじゃの言葉に、メリッサも口ごもった。
 行者ぎょうじゃの言うことはもっともだった。たしかに、この時の凍った世界から脱出するのは先に進むよりも難しいかも知れない。
 「おお、そうそう。聞いておきたいことがあったんだ。あの亡道もうどうつかさってやつは、亡道もうどう世界せかいとやらの化身なんだろう? 無限の力をもつ? その亡道もうどうつかさをぶん殴って、蹴り飛ばした〝鬼〟ってやつはいったい、なんなんだよ?」
 ハーミドが実際に殴り、蹴りつける動作を真似ながらそう尋ねた。答えたのは行者ぎょうじゃだった。
 「あれは、人の姿をしているけど人じゃない。亡道もうどう世界せかいよりもさらに古い、原初げんしょ混沌こんとんそのものだよ。本人にはその自覚はないようだけどね。あの荒々あらあらしい原初げんしょの力の前では、亡道もうどうつかさと言えど子ども同然。僕たちが亡道もうどうつかさに対処しえないのと同じくらい、どうすることもできないだろうね」
 ハーミドは思わず、感心して口笛を吹いていた。
 「すげえな。さすが、伝説の怪物。なんのことやらよくわからないが、とにかくすごいってことだけはわかる。けど、それなら、なんとか頼み込んで亡道もうどうつかさを始末してもらえばいいんじゃないか?」
 「それはやめた方がいいね。〝鬼〟は制御不能の原初げんしょ混沌こんとん。戦えばまちがいなく亡道もうどうつかさを倒せる。でも、混沌こんとんの力がこの世に吹き出して、亡道もうどう世界せかいも、この天命てんめい世界せかいも、ともにまとめて呑み込み、消滅させかねない。頼るには危険すぎる力だよ」
 そう言われて――。
 さしものハーミドもうそ寒そうに首をすくめて見せたのだった。
 「やはり、戻ろう」
 仲間たちの声を聞いて、ロウワンは改めて言った。
 「亡道もうどうつかさがこの地にいる。それがわかっただけでも充分な成果だ。そして、亡道もうどうつかさと戦うのはおれたちだけでは無理だ。いったん、戻って、陣容を整える必要がある」
 そう。自分たちだけではどうやっても亡道もうどうつかさには太刀たちちできない。兵を集め、武器をそろえ、陣容をととのえる必要がある。千年前、騎士マークスが人類の総力を結集し、一千万の兵士たちとともに挑んだときに劣らない陣容を。でも――。
 ――いまの時代でそんな陣容をそろえることができるのか? いくつもの国にわかれ、人と人が争っているこの時代で?
 そう思うと、心のなかに嵐の前のような灰色の雲が広がるのを感じる。行者ぎょうじゃの言ったとおり、〝鬼〟に頼ることはできない。〝鬼〟はやはり、頼るには危険すぎる力だ。頼ったものごと、すべてを滅ぼしかねない。かと言って、人類の力だけで亡道もうどうつかさと戦う……。
 ――くそっ! 千年の時がありながら、その時間を人と人の争いで無駄にしてきたなんて。人と人が協力しあい、準備を進めていたら今頃、亡道もうどうつかさとまともに戦えるだけの力を手に入れていたはずなのに。
 ロウワンはそう思う。くやしさに拳を握りしめた。しかし、いま、そんなことを思ってもどうにもならない。時を巻き戻し、歴史をやり直すことはできない。生き残りたければ、いまの世界で亡道もうどうつかさを倒せるだけの力を手に入れるしかない。
 「戻ろう」
 ギュッと拳を握りしめたまま、ロウワンはそう言った。
 「逃げるんじゃない。戦いの準備をするんだ。ありったけの力をもって再び、この地に乗り込み、亡道もうどうつかさを倒す。そのために」
 ロウワンの決意を込めたその言葉に、メリッサたちもそろってうなずいた。だが、ひとりだけ、うなずかないものがいた。野伏のぶせである。野伏のぶせが小さく、鋭い声をあげた。
 「まて」
 「どうした、野伏のぶせ? 反対なのか?」
 ロウワンの言葉にやや棘が含まれていたのは致し方ないことだろう。しかし、野伏のぶせは別方向を見据えたまま言った。
 「ちがう。誰かがやってくる」
 「なんだって⁉」
 ロウワンは叫んだ。この上まだ、何者かが出現するというのか。亡道もうどう騎士きし亡道もうどうつかさ。〝鬼〟。こんなメンツに立てつづけに会ったばかりだ。歓迎できる相手とはとても思えなかった。
 「妙だな。ふたり組のようだが、やけに小さい」
 野伏のぶせが言った。ロウワンも目をこらして野伏のぶせの視線の先を見た。するとたしかに、野伏のぶせの言ったとおりのふたり組が見えてきた。
 やけに小さい、まるで一二~三歳の子どものような人影が、もうひとりのそれよりは大柄だが、成人としては小柄と言える人物に肩を貸しながら歩いてきている。
 そして、そのひときわ小柄な人影の姿は――。
 「なんだ、あの姿は⁉ あれじゃまるで動く死体じゃないか!」
 ロウワンがそう叫んだのも無理はない。土気色の肌といい、腐りおちる寸前の肉といい、その人物はまさに『死体』と呼ぶのがふさわしいありさまだった。もうひとりの人物の方は普通の人間らしい。ガックリとうなだれて担がれているので顔は見えないが……。
 動く死体がロウワンたちの存在に気がついた。死人というしかないその顔にたしかに、『助かった!』という表情が浮かんだ。
 「賢者さま……」
 「えっ?」
 「大賢者ロウワンさまっスね。よかったっス。なんとか会えたっス」
 「おれを賢者と呼ぶ……しかも、その口調は。アホウタ⁉ レディ・アホウタなのか⁉」
 「そうっス。見た目は幼女、中身は淑女しゅくじょ、パンゲア史上最強の諜報ちょうほういん、レディ・アホウタっス」
 ロウワンは思わず動く死体――レディ・アホウタのもとに駆けつけた。立てつづけに叫んだ。
 「どうした、なにがあったんだ⁉ どうして、そんな姿に⁉」
 「それを説明するために、賢者さまに会いに行くところだったっス。この方が……」
 「この方?」
 ロウワンはレディ・アホウタが担いでいる人物に目を向けた。ガックリとうなだれた姿勢で担がれているので顔は見えない。ピクリ、と、その人物が動いた。地の底からのうめごえのような声がした。
 「ロウワン……あなたが、ロウワン」
 やっとの思いで顔をあげた。その顔を見たとき、ロウワンは叫んだ。
 「アルヴィルダ⁉」
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