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第二部 絆ぐ伝説
第八話一二章 亡道の騎士
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ビーブが叫んだ次の瞬間、野伏が立ちあがっていた。その手はすでに太刀の柄にかけられている。
それを見て、ロウワンたちも一斉に立ちあがった。メリッサとハーミドはビーブと野伏が見ているのと同じ方向を見ていたが、ロウワンと行者はビーブたちに背を向け、ちがう方向に目を向けていた。
ロウワンたちは知っていた。ビーブと野伏が急に立ちあがるからにはそれだけの理由があるということを。すなわち、なんらかの危険を察知したのだということ。そして、危険が迫っているなかでもっともしてはいけないことは全員で同じ方向に注目し、別方向への注意をおろそかにすること。
一方向に注意を向けさせ、別方向から襲う。
そんなことは、ちょっと知恵のまわる獣でもやる。別方向への警戒を怠るわけにはいかない。だからこそ、ロウワンと行者はビーブたちに背を向け、それぞれにちがう方向に視線を向けたのだ。
ビーブと野伏が視線を向ける先。そこから、何体もの異形の怪物たちが走ってきていた。透明な白い結晶ではない。色をもち、動くことのできる存在。亡道の世界に冒されてはいても、それは確かにこの世界に生きる存在だった。
それが何体も、音を立てて走ってくる。
「あんなにたくさん……」
メリッサが思わず呟いた。その姿にはひどく懐かしさを感じた。心がホッとするような、そんな思いすらあった。ミルク色の靄を越えてパンゲア領に入って以来、こんなにも多くの色を見、こんなにも多くの音を聞き、こんなにも多くの動く存在を見るのははじめてだった。
――よかった。ここはまだ、わたしたちの生きる世界なんだわ。
そんな、安堵の思いが込みあげてくる光景だった。たとえそれが本来、この世界には存在しない異形の怪物たちであっても。
しかし、呑気にそんな感慨にふけっていられる状況ではなかった。異形の怪物たちが何体も、こちらを目指して走ってくるのだ。一心不乱に。その光景は小さい子どもでもあれば泣き出してしまいそうなものだった。
「襲ってくる気か?」
別方向から迫ってくるものはいない。そのことを確認してからようやく視線を向けたロウワンがそう呟いた。
野伏が首を横に振った。
「……いや。あれは、襲おうという動きではない。逃げているんだ」
「逃げている?」
「そうだ。あいつらはおれたちなど眼中にない。なにか、ずっと恐ろしいものから必死に逃げているんだ」
その野伏の言葉を裏付けるかのように、異形の怪物たちはロウワンたちなどかまわずにその脇を走り抜けていった。それこそ、無視されたことにちょっと傷ついてしまうぐらい完全に。
「キキィッ!」
――気をつけろ! とんでもなくヤバい気配がするぞ!
ビーブが手足をついて四つん這いとなり、前方をにらみつけながら叫んだ。牙をむき、カトラスを握った尻尾を天高く掲げている。ビーブ最大の臨戦態勢だった。
そして、『ソレ』はやってきた。
手にした剣で異形の怪物たちを断ち切りながら。
亡道の世界の気配を、その全身から噴きあげる鎧騎士。
亡道の騎士。
「さがれ!」
野伏がそう叫んだのは、亡道の騎士が剣を手に襲いかかってきたのとほとんど同時だった。
ロウワンたちは一も二もなく従った。野伏のこんな切羽詰まった叫びはいままでに一度も聞いたことがない。つまり、目の前にいる鎧騎士はそれほどに危険な相手だということ。この鎧騎士と戦うことは命懸けの非常事態ということだった。
ロウワンがメリッサをかばうように跳びすさり、行者とハーミドもそれぞれに後ろに向かってありったけの力で飛び退いた。行者はすでに万物を呑み込む貪食の土曜の空を開いている。ハーミドもまた、両拳を胸の高さにあげて拳闘の構えをとっている。
そのなかでただひとり、さがるどころか、亡道の騎士に向かっていったものがいる。
ビーブである。
「キキキィッ!」
――誰がさがるか! ロウワンを守るのは兄貴分のおれの役目なんだからなっ!
その叫びとともにビーブは亡道の騎士めがけて走った。四本の手足で大地を蹴り、尻尾に握ったカトラスを高々と掲げて。その双眸に鬼気迫る闘志をたぎらせ、牙をむくその表情。
それは、まさに鬼。
守るべき相手のために己のすべてを懸ける。
その覚悟を決めたものだけが浮かべることのできる表情だった。
亡道の騎士の右足が動いた。まるで、大地に三日月を描くかのような速度と勢いで、大地の上を滑るように回転する。鎧をまとった人間には絶対に不可能な動き。どんなに体力のある人間であっても、脚部を守る装甲が足の動きを阻害してこれほど素早く、これほどなめらかに、足を回転させることなど不可能。
その不可能なことを亡道の騎士はやっている。それはつまり、この鎧が単なる鎧などではなく、亡道の騎士の肉体そのものであることを告げていた。
三日月を描いて放たれた亡道の騎士の、地をするような蹴りがビーブを捕えた。金属の靴に包まれた爪先がビーブの体にめり込み、小柄なその体を吹き飛ばす。
「ギャフッ!」
「ビーブ!」
ビーブが口から血を吹き出しながら、叫びをあげた。本来、野性動物があげるはずのない痛みに対する悲鳴だった。
その声を聞いてロウワンは思わず叫んだ。
ロウワンは知っていた。あのビーブが悲鳴をあげる。それがどれほど大事なのかを。
亡道の騎士がビーブを蹴り飛ばした動きそのままに前に出た。素早く、なめらかに、しかし、圧倒的な威圧感をもって。全身から噴き出す亡道の気配が、目に見えない黒炎となって一帯を覆い尽くす。
その亡道の騎士の前に野伏が立ちはだかる。抜き放った太刀を両手にもち、亡道の騎士の動きを正面から見据える。
剣をもつ亡道の騎士の右腕が跳ねあがった。自身の内側に向けて振るわれた右腕が回転して頭上へと跳ねあがり、そのまま自然な弧を描いて真っ向から振りおろされる。
満月を描いて振るわれた剣が野伏に襲いかかる。
野伏は両手にもった太刀でその一撃を受けとめた。その瞬間――。
「なにっ⁉」
野伏は叫んだ。
驚愕の叫びだった。
重い。
恐ろしく重い。
数多の戦場を駆け抜けてきた野伏にしてはじめて体験するすさまじい剣圧。自分の体重が突如として何倍にもなったような、恐ろしい高重力そのものが、剣の形となって襲いかかってきたような、そんな一撃だった。
あまりの勢いに腕がさがり、背が曲がり、膝が折れる。靴底が大地にめり込み、結晶化した大地が砕け散る。まるで、はるかな高原に人知れず広がる湖の表面、そこに張り詰めた薄氷が割れるかのような儚くも美しい音を立てて。
「ぐうっ!」
野伏は叫んだ。渾身の力を込めてその剣圧に耐えた。結晶化した大地を踏みしめ、砕きながら、全力で亡道の騎士の一撃を押し返そうとする。
野伏にして、そこまでしなければ受けられない一撃。並の剣士であれば受けることもできずに両断されていた。そのすさまじい剣圧に肉体が耐えられないのはもちろん、それ以前に武器がもたない。受けとめたところで火の側のバターのように断ち切られ、そのまま肉体を両断されていた。野伏だからこそ、どうにか受けとめることができたのだ。しかし――。
その野伏にして、受けとめるのが精一杯。あまりの剣圧に動きがとまった。亡道の騎士の右足が再び跳ねあがった。爪先が野伏のみぞおちにまともに食い込んだ。
「ぐおっ!」
野伏が声をあげて吹き飛ばされた。
「野伏!」
とは、ロウワンは叫ばなかった。
それどころではなかった。亡道の騎士はそのまま突進し、ロウワンたちめがけて襲いかかってきたのだ。
「チイッ! 来やがれ、おれだってだてに酒場で喧嘩を重ねちゃいねえぞっ!」
ハーミドが拳ダコのできた拳を構えながら叫んだ。その度胸の据わり方はさすが、喧嘩慣れしているだけのことはあった。
行者が貪食の土曜の空をもって亡道の騎士のまとう亡道の気配を呑み干そうとする。メリッサが新式の銃を取り出し、狙いを定める。ロウワンが〝鬼〟の大刀を引き抜き、亡道の騎士の前に立ちはだかった。
「おおおっ!」
ロウワンは叫びとともに〝鬼〟の大刀を振るった。真っ向から振りおろした。亡道の騎士の剣が真っ向から受けとめ、〝鬼〟の大刀と騎士の長剣は真っ向から激突した。
本来であれば――。
大刀と長剣がぶつかり合えば、結果は決まりきっている。細身の騎士剣など、分厚く、幅広い刀身をもつ大刀の相手ではない。まともにぶつかり合えばへし折れる。だが、亡道の騎士の剣はちがった。真っ向からぶつかってなお、折れず、砕けず、それどころか異様なまでの力をもってロウワンを押し込んだ。
「うわっ!」
ロウワンは叫んだ。野伏を襲ったのと同じ重さ、あたりの空気そのものが巨大な重量となって襲いかかってくるようなそんな重さを、ロウワンも味わっていた。
――な、なんだ、この力は⁉ ただの剣圧なんかじゃない!
少しでも気を抜けばたちまち大地に叩きつけられる。そんな重さを必死に受けとめながら、ロウワンは心にそう叫んだ。その叫びに答えを与えたのは、ロウワンが常にまとっている騎士マークスの船長服だった。
――世界の重さ? 亡道の世界そのものの重さを剣に込めて叩きつけているだって? この騎士は単に亡道の世界に冒されているだけじゃない、亡道の世界の力を引き出して使えるって言うのか⁉
それでは――。
――それじゃあ、まるで亡道の司じゃないか!
ロウワンは恐怖とともに心に叫んだ。
亡道の司以外にも亡道の世界の力を引き出し、扱うことのできる存在がいるというのか。もし……もし、そんな存在が何体もいるとしたら。
――勝てない。
ロウワンは絶望とともに思った。
――たったひとりの亡道の司相手でも、全人類の総力をあげなければ勝てないっていうのに、他にも同じ力をもつものがいるとしたら……。
その絶望がロウワンの心をジワジワとむしばんでいく。覚悟が揺らぎ、それと察した〝鬼〟の大刀がロウワンの命を食らうべく、牙をむく。
亡道の騎士に両断されるか。
〝鬼〟の大刀に命を食われるか。
ふたつにひとつ。
その絶望の二者択一からロウワンを救ったもの。それは、後方から噴きあがった異様な気配だった。
その気配にロウワンはハッと顔をあげた。さしもの亡道の騎士もその気配に押されたのか、剣圧が弱まっていた。ロウワンは必死に力を振るい、亡道の騎士の剣をはじき、後ろに跳びすさった。
気配の放たれている後方を見る。その異様な気配を吹きあげているのは野伏だった。普段は漆黒の長髪としてたなびいている妖怪・毛羽毛現が炎のように逆立ち、その全身から妖気が立ちのぼっている。限界まで目を見開いたその表情は、ロウワンがいままでに見たことのないものだった。
「逃げろ……」
野伏が言った。いや、それは本当に野伏の声だったのだろうか。野伏の肉体を形作る妖怪たちの声だったかも知れない。
「……こいつが相手では、おれも妖物としての力を解放しなくてはならない。お前たちの身の安全を気にしてはいられん。この場にいれば、お前たちまで斬ってしまう。すぐに逃げろ」
漆黒の長髪を逆立て、目に見えない黒炎のような妖気を吹きあげながら、野伏は亡道の騎士に向かって一歩、進み出た。
妖気を吹きあげる妖物と、
亡道の気配を立ちのぼらせる騎士。
人ならざる化け物二体が激突しようとしていた。
それを見て、ロウワンたちも一斉に立ちあがった。メリッサとハーミドはビーブと野伏が見ているのと同じ方向を見ていたが、ロウワンと行者はビーブたちに背を向け、ちがう方向に目を向けていた。
ロウワンたちは知っていた。ビーブと野伏が急に立ちあがるからにはそれだけの理由があるということを。すなわち、なんらかの危険を察知したのだということ。そして、危険が迫っているなかでもっともしてはいけないことは全員で同じ方向に注目し、別方向への注意をおろそかにすること。
一方向に注意を向けさせ、別方向から襲う。
そんなことは、ちょっと知恵のまわる獣でもやる。別方向への警戒を怠るわけにはいかない。だからこそ、ロウワンと行者はビーブたちに背を向け、それぞれにちがう方向に視線を向けたのだ。
ビーブと野伏が視線を向ける先。そこから、何体もの異形の怪物たちが走ってきていた。透明な白い結晶ではない。色をもち、動くことのできる存在。亡道の世界に冒されてはいても、それは確かにこの世界に生きる存在だった。
それが何体も、音を立てて走ってくる。
「あんなにたくさん……」
メリッサが思わず呟いた。その姿にはひどく懐かしさを感じた。心がホッとするような、そんな思いすらあった。ミルク色の靄を越えてパンゲア領に入って以来、こんなにも多くの色を見、こんなにも多くの音を聞き、こんなにも多くの動く存在を見るのははじめてだった。
――よかった。ここはまだ、わたしたちの生きる世界なんだわ。
そんな、安堵の思いが込みあげてくる光景だった。たとえそれが本来、この世界には存在しない異形の怪物たちであっても。
しかし、呑気にそんな感慨にふけっていられる状況ではなかった。異形の怪物たちが何体も、こちらを目指して走ってくるのだ。一心不乱に。その光景は小さい子どもでもあれば泣き出してしまいそうなものだった。
「襲ってくる気か?」
別方向から迫ってくるものはいない。そのことを確認してからようやく視線を向けたロウワンがそう呟いた。
野伏が首を横に振った。
「……いや。あれは、襲おうという動きではない。逃げているんだ」
「逃げている?」
「そうだ。あいつらはおれたちなど眼中にない。なにか、ずっと恐ろしいものから必死に逃げているんだ」
その野伏の言葉を裏付けるかのように、異形の怪物たちはロウワンたちなどかまわずにその脇を走り抜けていった。それこそ、無視されたことにちょっと傷ついてしまうぐらい完全に。
「キキィッ!」
――気をつけろ! とんでもなくヤバい気配がするぞ!
ビーブが手足をついて四つん這いとなり、前方をにらみつけながら叫んだ。牙をむき、カトラスを握った尻尾を天高く掲げている。ビーブ最大の臨戦態勢だった。
そして、『ソレ』はやってきた。
手にした剣で異形の怪物たちを断ち切りながら。
亡道の世界の気配を、その全身から噴きあげる鎧騎士。
亡道の騎士。
「さがれ!」
野伏がそう叫んだのは、亡道の騎士が剣を手に襲いかかってきたのとほとんど同時だった。
ロウワンたちは一も二もなく従った。野伏のこんな切羽詰まった叫びはいままでに一度も聞いたことがない。つまり、目の前にいる鎧騎士はそれほどに危険な相手だということ。この鎧騎士と戦うことは命懸けの非常事態ということだった。
ロウワンがメリッサをかばうように跳びすさり、行者とハーミドもそれぞれに後ろに向かってありったけの力で飛び退いた。行者はすでに万物を呑み込む貪食の土曜の空を開いている。ハーミドもまた、両拳を胸の高さにあげて拳闘の構えをとっている。
そのなかでただひとり、さがるどころか、亡道の騎士に向かっていったものがいる。
ビーブである。
「キキキィッ!」
――誰がさがるか! ロウワンを守るのは兄貴分のおれの役目なんだからなっ!
その叫びとともにビーブは亡道の騎士めがけて走った。四本の手足で大地を蹴り、尻尾に握ったカトラスを高々と掲げて。その双眸に鬼気迫る闘志をたぎらせ、牙をむくその表情。
それは、まさに鬼。
守るべき相手のために己のすべてを懸ける。
その覚悟を決めたものだけが浮かべることのできる表情だった。
亡道の騎士の右足が動いた。まるで、大地に三日月を描くかのような速度と勢いで、大地の上を滑るように回転する。鎧をまとった人間には絶対に不可能な動き。どんなに体力のある人間であっても、脚部を守る装甲が足の動きを阻害してこれほど素早く、これほどなめらかに、足を回転させることなど不可能。
その不可能なことを亡道の騎士はやっている。それはつまり、この鎧が単なる鎧などではなく、亡道の騎士の肉体そのものであることを告げていた。
三日月を描いて放たれた亡道の騎士の、地をするような蹴りがビーブを捕えた。金属の靴に包まれた爪先がビーブの体にめり込み、小柄なその体を吹き飛ばす。
「ギャフッ!」
「ビーブ!」
ビーブが口から血を吹き出しながら、叫びをあげた。本来、野性動物があげるはずのない痛みに対する悲鳴だった。
その声を聞いてロウワンは思わず叫んだ。
ロウワンは知っていた。あのビーブが悲鳴をあげる。それがどれほど大事なのかを。
亡道の騎士がビーブを蹴り飛ばした動きそのままに前に出た。素早く、なめらかに、しかし、圧倒的な威圧感をもって。全身から噴き出す亡道の気配が、目に見えない黒炎となって一帯を覆い尽くす。
その亡道の騎士の前に野伏が立ちはだかる。抜き放った太刀を両手にもち、亡道の騎士の動きを正面から見据える。
剣をもつ亡道の騎士の右腕が跳ねあがった。自身の内側に向けて振るわれた右腕が回転して頭上へと跳ねあがり、そのまま自然な弧を描いて真っ向から振りおろされる。
満月を描いて振るわれた剣が野伏に襲いかかる。
野伏は両手にもった太刀でその一撃を受けとめた。その瞬間――。
「なにっ⁉」
野伏は叫んだ。
驚愕の叫びだった。
重い。
恐ろしく重い。
数多の戦場を駆け抜けてきた野伏にしてはじめて体験するすさまじい剣圧。自分の体重が突如として何倍にもなったような、恐ろしい高重力そのものが、剣の形となって襲いかかってきたような、そんな一撃だった。
あまりの勢いに腕がさがり、背が曲がり、膝が折れる。靴底が大地にめり込み、結晶化した大地が砕け散る。まるで、はるかな高原に人知れず広がる湖の表面、そこに張り詰めた薄氷が割れるかのような儚くも美しい音を立てて。
「ぐうっ!」
野伏は叫んだ。渾身の力を込めてその剣圧に耐えた。結晶化した大地を踏みしめ、砕きながら、全力で亡道の騎士の一撃を押し返そうとする。
野伏にして、そこまでしなければ受けられない一撃。並の剣士であれば受けることもできずに両断されていた。そのすさまじい剣圧に肉体が耐えられないのはもちろん、それ以前に武器がもたない。受けとめたところで火の側のバターのように断ち切られ、そのまま肉体を両断されていた。野伏だからこそ、どうにか受けとめることができたのだ。しかし――。
その野伏にして、受けとめるのが精一杯。あまりの剣圧に動きがとまった。亡道の騎士の右足が再び跳ねあがった。爪先が野伏のみぞおちにまともに食い込んだ。
「ぐおっ!」
野伏が声をあげて吹き飛ばされた。
「野伏!」
とは、ロウワンは叫ばなかった。
それどころではなかった。亡道の騎士はそのまま突進し、ロウワンたちめがけて襲いかかってきたのだ。
「チイッ! 来やがれ、おれだってだてに酒場で喧嘩を重ねちゃいねえぞっ!」
ハーミドが拳ダコのできた拳を構えながら叫んだ。その度胸の据わり方はさすが、喧嘩慣れしているだけのことはあった。
行者が貪食の土曜の空をもって亡道の騎士のまとう亡道の気配を呑み干そうとする。メリッサが新式の銃を取り出し、狙いを定める。ロウワンが〝鬼〟の大刀を引き抜き、亡道の騎士の前に立ちはだかった。
「おおおっ!」
ロウワンは叫びとともに〝鬼〟の大刀を振るった。真っ向から振りおろした。亡道の騎士の剣が真っ向から受けとめ、〝鬼〟の大刀と騎士の長剣は真っ向から激突した。
本来であれば――。
大刀と長剣がぶつかり合えば、結果は決まりきっている。細身の騎士剣など、分厚く、幅広い刀身をもつ大刀の相手ではない。まともにぶつかり合えばへし折れる。だが、亡道の騎士の剣はちがった。真っ向からぶつかってなお、折れず、砕けず、それどころか異様なまでの力をもってロウワンを押し込んだ。
「うわっ!」
ロウワンは叫んだ。野伏を襲ったのと同じ重さ、あたりの空気そのものが巨大な重量となって襲いかかってくるようなそんな重さを、ロウワンも味わっていた。
――な、なんだ、この力は⁉ ただの剣圧なんかじゃない!
少しでも気を抜けばたちまち大地に叩きつけられる。そんな重さを必死に受けとめながら、ロウワンは心にそう叫んだ。その叫びに答えを与えたのは、ロウワンが常にまとっている騎士マークスの船長服だった。
――世界の重さ? 亡道の世界そのものの重さを剣に込めて叩きつけているだって? この騎士は単に亡道の世界に冒されているだけじゃない、亡道の世界の力を引き出して使えるって言うのか⁉
それでは――。
――それじゃあ、まるで亡道の司じゃないか!
ロウワンは恐怖とともに心に叫んだ。
亡道の司以外にも亡道の世界の力を引き出し、扱うことのできる存在がいるというのか。もし……もし、そんな存在が何体もいるとしたら。
――勝てない。
ロウワンは絶望とともに思った。
――たったひとりの亡道の司相手でも、全人類の総力をあげなければ勝てないっていうのに、他にも同じ力をもつものがいるとしたら……。
その絶望がロウワンの心をジワジワとむしばんでいく。覚悟が揺らぎ、それと察した〝鬼〟の大刀がロウワンの命を食らうべく、牙をむく。
亡道の騎士に両断されるか。
〝鬼〟の大刀に命を食われるか。
ふたつにひとつ。
その絶望の二者択一からロウワンを救ったもの。それは、後方から噴きあがった異様な気配だった。
その気配にロウワンはハッと顔をあげた。さしもの亡道の騎士もその気配に押されたのか、剣圧が弱まっていた。ロウワンは必死に力を振るい、亡道の騎士の剣をはじき、後ろに跳びすさった。
気配の放たれている後方を見る。その異様な気配を吹きあげているのは野伏だった。普段は漆黒の長髪としてたなびいている妖怪・毛羽毛現が炎のように逆立ち、その全身から妖気が立ちのぼっている。限界まで目を見開いたその表情は、ロウワンがいままでに見たことのないものだった。
「逃げろ……」
野伏が言った。いや、それは本当に野伏の声だったのだろうか。野伏の肉体を形作る妖怪たちの声だったかも知れない。
「……こいつが相手では、おれも妖物としての力を解放しなくてはならない。お前たちの身の安全を気にしてはいられん。この場にいれば、お前たちまで斬ってしまう。すぐに逃げろ」
漆黒の長髪を逆立て、目に見えない黒炎のような妖気を吹きあげながら、野伏は亡道の騎士に向かって一歩、進み出た。
妖気を吹きあげる妖物と、
亡道の気配を立ちのぼらせる騎士。
人ならざる化け物二体が激突しようとしていた。
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