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第二部 絆ぐ伝説
第七話一八章 若者と老人
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「……とうとうここまで来たか。泥棒猫めが」
〝賢者〟たちはロウワンたちを睨みながらそう言った。この世界を支配する巨大な樹木――『世界樹』と、〝賢者〟たちは呼んでいる――を背景に、憎悪にたぎった目で睨みつけながら。
「泥棒猫だと?」
〝賢者〟の言葉に――。
ピクリ、と、ロウワンの眉がつりあがった。かの人らしくもないその剣呑な表情は、いま、このとき、ロウワンがまさに純粋なまでの怒りにたぎっていることを示していた。〝賢者〟の言葉はロウワンにとって、それほど怒りを呼ぶものだったのだ。
「どういう意味だ。おれたちが泥棒猫とは?」
ロウワンの問い――正確には弾劾――に対し、〝賢者〟は答えた。
「泥棒猫ではないか。きさまらは我々から奪いに来たのであろう。我々の地位を、我々の名誉を、我々の栄光を。そして、我々の生命を! それが泥棒猫以外のなんだと言うのだ⁉」
「ふざけるな! 奪ったのはお前たちだ! 人々の人生を奪い、人々の生命を奪い、そして、この世界そのものの未来を奪おうとしている! お前たちが生命を奪われるというのならそれは、お前たち自身が犯した罪の報いだ!」
「黙れ! 先に裏切ったのは世界の方だ! 我々は千年前、死力を尽くしてこの世界のために戦った! 亡道の司による侵食からこの世界を守るため、すべての力を費やしたのだ! にもかかわらず、世界は我々を裏切った。我々の尽力を、我々の業績を忘れ、時代遅れの遺物と呼んだ! 恩知らずどもが。恥知らずどもが。かくも浅ましき忘恩のものどもに対し、我らが罰を与えるのは当然のことではないか!」
「ふざけるな!」
ロウワンは再び、叫んだ。
「おれは騎士マークスの記憶にふれた。そのなかで、千年前の戦いを見た。だから、知っている。あんたたち〝賢者〟、いや、天命の博士はたしかに、亡道の司と戦うための多くの研究成果を生んだ。その成果が亡道の司を退ける結果になったのは確かだ。だが!
この世界を亡道の司から守るために戦ったのはあんたたちだけじゃない! 世界中の人間がそれぞれの場所で、それぞれに自分のできることを精一杯やり遂げた。全力を尽くして戦ったんだ!
農家は兵士を飢えさせないために全力で作物と家畜の世話をした。
薬師たちは兵の傷を癒やし、その生命を守るために全力で薬草を栽培し、薬品を作りつづけた。
鍛冶師たちは兵のために腕の動く限り鋼を打ち、武器を鍛え、鎧を作った。
教師たちは次代を担う子供たちを育てるために全力で教育に当たった。
第一線を退いた軍の教官たちはいつでも補充兵を送れるよう、新たな兵の鍛錬に全力を注いだ。
商人たちはそんな人々の暮らしを守るために全力で流通を守った。
船乗りたちは人の世をつなぎ、人と物を運ぶために寝る間も惜しんで船を動かしつづけた。
誰もが必死だった。すべての人間が死力を尽くした。亡道の司を退けることができたのはその成果だ! 決して、あんたたちだけの手柄じゃない!」
ロウワンはそう叫んだあと、さらにつづけた。
「そして、一千万の兵士たち。騎士マークスと共に戦った人類の代表。その兵士たちが自らの生命を使い、亡道の司を弱らせ、ついに退けることを成功させた。自らの生命を張って戦った兵士たちこそ英雄だ! それに比べれば、あんたたちは安全な後方で生命の危険なしに好きな研究をしていただけじゃないか!
その研究成果を使い、実際に生命を張って戦ったのは、名もなき無数の兵士たちだ! あんたたちこそ、その人たちに恩があるんじゃないか! それを忘れ、自分たちだけで世界を救ったようなことを言うなんて……あんたたちこそ、忘恩のものたちだ!」
ロウワンのここまで激しい、感情をむき出しにした叫び――いや、弾劾――を聞いたのは、野伏たちもはじめてだった。それほど、このときのロウワンは怒り狂っていたのだ。
千年前の戦いをその魂で感じ、亡道の司との戦いで散っていった人たちの思いを受け継ぐ。そう誓った身にとって、〝賢者〟たちの言い分は決して、容認できないものだった。しかし――。
ロウワンのその叫びに対し、〝賢者〟は答えた。
「黙れ! 兵士どもがどうしたと? やつらはしょせん、我らの研究成果なしには亡道の司にかすり傷ひとつつけらなかった能なしどもではないか。そんな能なしどもがいくら死のうと惜しむには足りん。大切なのは我らの栄光がとこしえに守られることなのだ!」
傲慢を極めた、その叫びに――。
ロウワンの両目に純粋な怒気が炸裂した。
「ふざけるな! 自分たちがそんなに特別だと思っているのか、あんたたちはそんなに偉いのか⁉」
「そうだ! 我々は特別なのだ! 我々こそは天命の博士。この世の真理を探究し、極めしもの。我々こそ、永遠の名誉と栄光に包まれるにふさわしい存在なのだ! その地位を、名誉を、栄光を、誰にも奪わせはせん!」
「永遠の栄光なんてない! 得たものはいつか失う、当たり前だ。誰かがお前たちから奪うんじゃない。お前たちが失うんだ。それが自然の摂理だ。わからないのか⁉」
「黙れ、黙れ、黙れ! きさまごとき若造になにがわかる⁉ 我々はかつて、たしかにもっていたのだ。比類なき地位を、比類なき名誉を、比類なき栄光を! それを奪われてたまるものか。失ってたまるものか。自然の摂理だと? ならば、そんなものはねじ伏せてくれる。自然の摂理を打ち負かし、我らに従わせるまでのこと。我々にはそのための力がある。天命の理という力がな!」
――ここまで。
〝賢者〟の言葉に心の底から沸き起こる怒りと、あるいはそれを上回るかも知れない憎悪を感じながら、ロウワンは心に思った。
――失うことを怖れる人間はここまで、浅ましく、醜くなるのか。
その思いはもはや怒りや憎悪を越え、幻滅や、哀れみであったかも知れない。
「天命の理は、そんなことのために使う力ではないわ!」
耐えられない、といった声と表情でそう叫んだのは、現代の天命の博士たるメリッサだった。
「自然の猛威の前にひ弱すぎる人間。その人間たちが自然に抗し、生き延びるための力。それが、天命の理。それは、人を幸せにするためのひとつの手段に過ぎない! あなたたちの言うように自然の摂理をねじ曲げ、すべてを自分の思い通りにする、そんな浅ましい目的のために使う力では断じてない!」
「黙れ! きさま、現代の天命の博士だな。きさまがいま、その力を振るうことができるのもすべて、我々のおかげではないか。我々が全力を傾けて研究に励んだ、その成果があればこそだ。その恩を忘れ、偉そうに説教するか⁉」
「先人の業績をないがしろにしたことなんて一度もないわ。常に尊敬し、目標にしてきた。でも! いまのあなたたちは尊敬すべき先人なんかじゃない。自分の欲望のために世界を支配しようとする浅ましい老人じゃないの!」
「黙れ! 我々の研究成果なしにこの世界はあり得ん! なればこそ、我らにはこの世界を永遠に支配し、永遠に地位と名誉と栄光に包まれる資格があるのだ!」
「……きさまら」
ロウワンは〝鬼〟の大刀を両手でギュッと握りしめながら呟いた。その両目には純粋なまでの憎悪がたぎり、いまにも血流となって吹き出しそうだった。
――きさまら。
ロウワンが、そんな言葉を使った。それだけで、いまのロウワンがどれほど怒り狂っているかわかろうというものだった。
「もうよせ、ロウワン」
野伏が言った。その言葉は表面こそは静かだったが、その奥にはロウワンにも劣らない怒りが込められていた。
「こいつらと言葉を交わしても意味はない。時間の無駄だ」
「僕も同感」
行者もそう口をそろえた。
「この時代に生きているべきではない過去の亡霊。その点では僕も同じだけどね。だからこそ、かの人たちの存在を許すわけにはいかない。それに……」
チラリ、と、行者は横目で見た。両手で槍を握り、黙ってその場に立っているルドヴィクスを。
「かの人はもう、我慢の限界だしね」
そう言われて――。
ロウワンはルドヴィクスを見た。そこにいたものは、いまのロウワンでさえ思わずゾッとするほどの雰囲気に包まれた存在だった。
「……アルバート。皆。ローラシアの民よ。やっと……やっと、仇をとれる」
ルドヴィクスはそう呟いていた。両手で対化け物用の槍を握りしめ、うつむき、その顔を暗闇に閉ざしながら。
ルドヴィクスが顔をあげた。〝賢者〟を睨みつけた。限界まで見開かれたその目からは心情のすべてを語る血の涙が流れ落ちていた。
戦いのなかで大切な弟を失い、仲間たちを殺され、守るべき民を虐殺された。共にこの大公邸に乗り込んだ最後の仲間たちも、ここに来るまでの戦いで皆、斃れた。もう、自分ひとり。自分ひとりしか残っていないのだ。
最後に残った自分が〝賢者〟たちを殺さなければ、殺されていったものはどうなる?
その思いが流す血の涙だった。
「……そうだな」
ルドヴィクスの姿、自分以上の怒りと憎悪にまみれたその姿を見ることで、冷静さを取り戻したのだろう。ロウワンが言った。
「どのみち、最初から殺すためにやってきたんだ。いまさら、言葉を費やしても意味はない。〝賢者〟。天命の博士たち。千年前、この世界を守るために尽力してくれたことには礼を言う。ありがとう。だが! いまのお前たちは歴史の流れを押しとどめ、我が物にしようとする老害でしかない! お前たちを殺しつくし、未来を手に入れる!」
「黙れ! させるものか、我々こそ永遠の繁栄にふさわしい存在なのだ!」
賢者が叫んだ。その叫びに呼応してこの場に残されていた最後の化け物どもが動きはじめた。〝賢者〟たち自身、天命の理を使い、ロウワンたちを攻撃しようとした。だが――。
「させないよ」
「現代の天命の博士の力、見せてあげるわ!」
行者がすべてを食らう貪食の土曜の空を開いて〝賢者〟の放つ力を呑み干し、メリッサが自らの術式を展開して〝賢者〟の術を中和する。
「ロウワン! わたしと行者がいる限り、〝賢者〟たちの力は通用しない! いまのうちに!」
「おおっ!」
メリッサの言葉に――。
ロウワンは叫んだ。〝鬼〟の大刀を手に突進した。その両脇には野伏とルドヴィクス。その前に立ちはだかるは千年の妄執によって作られた化け物たち。
「いまさら、こんなもので……」
「おれたちを、とめられると思うなっ!」
野伏が言い、ロウワンが叫ぶ。
ロウワンの〝鬼〟の大刀が、野伏の太刀が、ルドヴィクスの槍が煌めき、化け物たちを粉砕し、斬り裂き、貫き、打ち倒す。化け物たちの死体を踏み越え、濁流の勢いで〝賢者〟たちに殺到する。
いくら、千年の英知を保っているとは言え、その身はあくまでもひ弱な老人。天命の理を封じられ、肉弾戦となればたわいもない。怒りと憎悪のこもった一撃に対して為す術などあるはずもなく、たちまちのうちに斬り倒された。
ほんの一瞬。数秒にも満たない時の間に〝賢者〟たちはことごとく斃れ、両断されたその身を世界樹の根元にさらけ出していた。
「……終わったか」
ロウワンは唇を噛みしめながら、苦い呟きを発した。
殺すためにここまでやってきた。殺さなければいけない相手だと言うこともわかっていた。『殺してやる!』という感情に突き動かされてもいた。しかし、それでもなお――。
『皆殺し』という行為には苦いものがつきまとった。しょせん、ロウワンは、正義のための殺戮と割り切り、平然と行える『勇者』ではなかった。
「……ロウワン」
そんなロウワンを、メリッサが気遣わしげに見つめている。
「自業自得だ」
野伏がそう言ったのは、ロウワンに対するせめてもの慰めだったろうか。
「……死ねてよかったね。これでもう、失うことを怖れずにすむよ」
行者が〝賢者〟の死体を見下ろしながらそう呟いたのは、あながち皮肉ではなかったかも知れない。
そして、ルドヴィクスは――。
泣いていた。
泣きじゃくっていた。
弟の、仲間たちの、ローラシアの民の仇を自分の手でとることができた。その思いに思いきり泣いていた。
「……ルドヴィクス」
ロウワンがルドヴィクスに近づこうとした。そのとき――。
「危ない、さがれ!」
いったい誰のものか、その場にそんな叫びが響いた。
ずぶり。
妙に生々しいそんな音を立てて、ルドヴィクスの腹になにかが突き刺さった。傷口から涙ではなく、大量の血が流れ落ちた。
ルドヴィクスの腹を貫いたもの。それは――。
巨大な木の枝だった。
〝賢者〟たちはロウワンたちを睨みながらそう言った。この世界を支配する巨大な樹木――『世界樹』と、〝賢者〟たちは呼んでいる――を背景に、憎悪にたぎった目で睨みつけながら。
「泥棒猫だと?」
〝賢者〟の言葉に――。
ピクリ、と、ロウワンの眉がつりあがった。かの人らしくもないその剣呑な表情は、いま、このとき、ロウワンがまさに純粋なまでの怒りにたぎっていることを示していた。〝賢者〟の言葉はロウワンにとって、それほど怒りを呼ぶものだったのだ。
「どういう意味だ。おれたちが泥棒猫とは?」
ロウワンの問い――正確には弾劾――に対し、〝賢者〟は答えた。
「泥棒猫ではないか。きさまらは我々から奪いに来たのであろう。我々の地位を、我々の名誉を、我々の栄光を。そして、我々の生命を! それが泥棒猫以外のなんだと言うのだ⁉」
「ふざけるな! 奪ったのはお前たちだ! 人々の人生を奪い、人々の生命を奪い、そして、この世界そのものの未来を奪おうとしている! お前たちが生命を奪われるというのならそれは、お前たち自身が犯した罪の報いだ!」
「黙れ! 先に裏切ったのは世界の方だ! 我々は千年前、死力を尽くしてこの世界のために戦った! 亡道の司による侵食からこの世界を守るため、すべての力を費やしたのだ! にもかかわらず、世界は我々を裏切った。我々の尽力を、我々の業績を忘れ、時代遅れの遺物と呼んだ! 恩知らずどもが。恥知らずどもが。かくも浅ましき忘恩のものどもに対し、我らが罰を与えるのは当然のことではないか!」
「ふざけるな!」
ロウワンは再び、叫んだ。
「おれは騎士マークスの記憶にふれた。そのなかで、千年前の戦いを見た。だから、知っている。あんたたち〝賢者〟、いや、天命の博士はたしかに、亡道の司と戦うための多くの研究成果を生んだ。その成果が亡道の司を退ける結果になったのは確かだ。だが!
この世界を亡道の司から守るために戦ったのはあんたたちだけじゃない! 世界中の人間がそれぞれの場所で、それぞれに自分のできることを精一杯やり遂げた。全力を尽くして戦ったんだ!
農家は兵士を飢えさせないために全力で作物と家畜の世話をした。
薬師たちは兵の傷を癒やし、その生命を守るために全力で薬草を栽培し、薬品を作りつづけた。
鍛冶師たちは兵のために腕の動く限り鋼を打ち、武器を鍛え、鎧を作った。
教師たちは次代を担う子供たちを育てるために全力で教育に当たった。
第一線を退いた軍の教官たちはいつでも補充兵を送れるよう、新たな兵の鍛錬に全力を注いだ。
商人たちはそんな人々の暮らしを守るために全力で流通を守った。
船乗りたちは人の世をつなぎ、人と物を運ぶために寝る間も惜しんで船を動かしつづけた。
誰もが必死だった。すべての人間が死力を尽くした。亡道の司を退けることができたのはその成果だ! 決して、あんたたちだけの手柄じゃない!」
ロウワンはそう叫んだあと、さらにつづけた。
「そして、一千万の兵士たち。騎士マークスと共に戦った人類の代表。その兵士たちが自らの生命を使い、亡道の司を弱らせ、ついに退けることを成功させた。自らの生命を張って戦った兵士たちこそ英雄だ! それに比べれば、あんたたちは安全な後方で生命の危険なしに好きな研究をしていただけじゃないか!
その研究成果を使い、実際に生命を張って戦ったのは、名もなき無数の兵士たちだ! あんたたちこそ、その人たちに恩があるんじゃないか! それを忘れ、自分たちだけで世界を救ったようなことを言うなんて……あんたたちこそ、忘恩のものたちだ!」
ロウワンのここまで激しい、感情をむき出しにした叫び――いや、弾劾――を聞いたのは、野伏たちもはじめてだった。それほど、このときのロウワンは怒り狂っていたのだ。
千年前の戦いをその魂で感じ、亡道の司との戦いで散っていった人たちの思いを受け継ぐ。そう誓った身にとって、〝賢者〟たちの言い分は決して、容認できないものだった。しかし――。
ロウワンのその叫びに対し、〝賢者〟は答えた。
「黙れ! 兵士どもがどうしたと? やつらはしょせん、我らの研究成果なしには亡道の司にかすり傷ひとつつけらなかった能なしどもではないか。そんな能なしどもがいくら死のうと惜しむには足りん。大切なのは我らの栄光がとこしえに守られることなのだ!」
傲慢を極めた、その叫びに――。
ロウワンの両目に純粋な怒気が炸裂した。
「ふざけるな! 自分たちがそんなに特別だと思っているのか、あんたたちはそんなに偉いのか⁉」
「そうだ! 我々は特別なのだ! 我々こそは天命の博士。この世の真理を探究し、極めしもの。我々こそ、永遠の名誉と栄光に包まれるにふさわしい存在なのだ! その地位を、名誉を、栄光を、誰にも奪わせはせん!」
「永遠の栄光なんてない! 得たものはいつか失う、当たり前だ。誰かがお前たちから奪うんじゃない。お前たちが失うんだ。それが自然の摂理だ。わからないのか⁉」
「黙れ、黙れ、黙れ! きさまごとき若造になにがわかる⁉ 我々はかつて、たしかにもっていたのだ。比類なき地位を、比類なき名誉を、比類なき栄光を! それを奪われてたまるものか。失ってたまるものか。自然の摂理だと? ならば、そんなものはねじ伏せてくれる。自然の摂理を打ち負かし、我らに従わせるまでのこと。我々にはそのための力がある。天命の理という力がな!」
――ここまで。
〝賢者〟の言葉に心の底から沸き起こる怒りと、あるいはそれを上回るかも知れない憎悪を感じながら、ロウワンは心に思った。
――失うことを怖れる人間はここまで、浅ましく、醜くなるのか。
その思いはもはや怒りや憎悪を越え、幻滅や、哀れみであったかも知れない。
「天命の理は、そんなことのために使う力ではないわ!」
耐えられない、といった声と表情でそう叫んだのは、現代の天命の博士たるメリッサだった。
「自然の猛威の前にひ弱すぎる人間。その人間たちが自然に抗し、生き延びるための力。それが、天命の理。それは、人を幸せにするためのひとつの手段に過ぎない! あなたたちの言うように自然の摂理をねじ曲げ、すべてを自分の思い通りにする、そんな浅ましい目的のために使う力では断じてない!」
「黙れ! きさま、現代の天命の博士だな。きさまがいま、その力を振るうことができるのもすべて、我々のおかげではないか。我々が全力を傾けて研究に励んだ、その成果があればこそだ。その恩を忘れ、偉そうに説教するか⁉」
「先人の業績をないがしろにしたことなんて一度もないわ。常に尊敬し、目標にしてきた。でも! いまのあなたたちは尊敬すべき先人なんかじゃない。自分の欲望のために世界を支配しようとする浅ましい老人じゃないの!」
「黙れ! 我々の研究成果なしにこの世界はあり得ん! なればこそ、我らにはこの世界を永遠に支配し、永遠に地位と名誉と栄光に包まれる資格があるのだ!」
「……きさまら」
ロウワンは〝鬼〟の大刀を両手でギュッと握りしめながら呟いた。その両目には純粋なまでの憎悪がたぎり、いまにも血流となって吹き出しそうだった。
――きさまら。
ロウワンが、そんな言葉を使った。それだけで、いまのロウワンがどれほど怒り狂っているかわかろうというものだった。
「もうよせ、ロウワン」
野伏が言った。その言葉は表面こそは静かだったが、その奥にはロウワンにも劣らない怒りが込められていた。
「こいつらと言葉を交わしても意味はない。時間の無駄だ」
「僕も同感」
行者もそう口をそろえた。
「この時代に生きているべきではない過去の亡霊。その点では僕も同じだけどね。だからこそ、かの人たちの存在を許すわけにはいかない。それに……」
チラリ、と、行者は横目で見た。両手で槍を握り、黙ってその場に立っているルドヴィクスを。
「かの人はもう、我慢の限界だしね」
そう言われて――。
ロウワンはルドヴィクスを見た。そこにいたものは、いまのロウワンでさえ思わずゾッとするほどの雰囲気に包まれた存在だった。
「……アルバート。皆。ローラシアの民よ。やっと……やっと、仇をとれる」
ルドヴィクスはそう呟いていた。両手で対化け物用の槍を握りしめ、うつむき、その顔を暗闇に閉ざしながら。
ルドヴィクスが顔をあげた。〝賢者〟を睨みつけた。限界まで見開かれたその目からは心情のすべてを語る血の涙が流れ落ちていた。
戦いのなかで大切な弟を失い、仲間たちを殺され、守るべき民を虐殺された。共にこの大公邸に乗り込んだ最後の仲間たちも、ここに来るまでの戦いで皆、斃れた。もう、自分ひとり。自分ひとりしか残っていないのだ。
最後に残った自分が〝賢者〟たちを殺さなければ、殺されていったものはどうなる?
その思いが流す血の涙だった。
「……そうだな」
ルドヴィクスの姿、自分以上の怒りと憎悪にまみれたその姿を見ることで、冷静さを取り戻したのだろう。ロウワンが言った。
「どのみち、最初から殺すためにやってきたんだ。いまさら、言葉を費やしても意味はない。〝賢者〟。天命の博士たち。千年前、この世界を守るために尽力してくれたことには礼を言う。ありがとう。だが! いまのお前たちは歴史の流れを押しとどめ、我が物にしようとする老害でしかない! お前たちを殺しつくし、未来を手に入れる!」
「黙れ! させるものか、我々こそ永遠の繁栄にふさわしい存在なのだ!」
賢者が叫んだ。その叫びに呼応してこの場に残されていた最後の化け物どもが動きはじめた。〝賢者〟たち自身、天命の理を使い、ロウワンたちを攻撃しようとした。だが――。
「させないよ」
「現代の天命の博士の力、見せてあげるわ!」
行者がすべてを食らう貪食の土曜の空を開いて〝賢者〟の放つ力を呑み干し、メリッサが自らの術式を展開して〝賢者〟の術を中和する。
「ロウワン! わたしと行者がいる限り、〝賢者〟たちの力は通用しない! いまのうちに!」
「おおっ!」
メリッサの言葉に――。
ロウワンは叫んだ。〝鬼〟の大刀を手に突進した。その両脇には野伏とルドヴィクス。その前に立ちはだかるは千年の妄執によって作られた化け物たち。
「いまさら、こんなもので……」
「おれたちを、とめられると思うなっ!」
野伏が言い、ロウワンが叫ぶ。
ロウワンの〝鬼〟の大刀が、野伏の太刀が、ルドヴィクスの槍が煌めき、化け物たちを粉砕し、斬り裂き、貫き、打ち倒す。化け物たちの死体を踏み越え、濁流の勢いで〝賢者〟たちに殺到する。
いくら、千年の英知を保っているとは言え、その身はあくまでもひ弱な老人。天命の理を封じられ、肉弾戦となればたわいもない。怒りと憎悪のこもった一撃に対して為す術などあるはずもなく、たちまちのうちに斬り倒された。
ほんの一瞬。数秒にも満たない時の間に〝賢者〟たちはことごとく斃れ、両断されたその身を世界樹の根元にさらけ出していた。
「……終わったか」
ロウワンは唇を噛みしめながら、苦い呟きを発した。
殺すためにここまでやってきた。殺さなければいけない相手だと言うこともわかっていた。『殺してやる!』という感情に突き動かされてもいた。しかし、それでもなお――。
『皆殺し』という行為には苦いものがつきまとった。しょせん、ロウワンは、正義のための殺戮と割り切り、平然と行える『勇者』ではなかった。
「……ロウワン」
そんなロウワンを、メリッサが気遣わしげに見つめている。
「自業自得だ」
野伏がそう言ったのは、ロウワンに対するせめてもの慰めだったろうか。
「……死ねてよかったね。これでもう、失うことを怖れずにすむよ」
行者が〝賢者〟の死体を見下ろしながらそう呟いたのは、あながち皮肉ではなかったかも知れない。
そして、ルドヴィクスは――。
泣いていた。
泣きじゃくっていた。
弟の、仲間たちの、ローラシアの民の仇を自分の手でとることができた。その思いに思いきり泣いていた。
「……ルドヴィクス」
ロウワンがルドヴィクスに近づこうとした。そのとき――。
「危ない、さがれ!」
いったい誰のものか、その場にそんな叫びが響いた。
ずぶり。
妙に生々しいそんな音を立てて、ルドヴィクスの腹になにかが突き刺さった。傷口から涙ではなく、大量の血が流れ落ちた。
ルドヴィクスの腹を貫いたもの。それは――。
巨大な木の枝だった。
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