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第二部 絆ぐ伝説

第六話一七章 救いの手・死神の手

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 「これはこれは。お役目、ご苦労さまでございます」
 カタールはすっかりフィルの町の善良な漁師グリムに戻り、乗り込んできた〝ブレスト〟・ザイナブを出迎えた。その顔に浮かぶ柔和にゅうわな笑みは、カタールの正体を知らなければ誰もが『底なしに人の良いおじさん』と思ったことだろう。それぐらい、カタールの善人振りは堂に入ったものだった。
 カタールだけではない。ポールとマギーもその点は同じだった。ポールはその野卑やひな本性をたちまち押し隠し『単純だが気の良いあんちゃん』という仮面を被りなおしたし、マギーはマギーで一度は乱暴に落とした化粧を一瞬の早業でし直すと、愛用のカツラを被ってたちまちのうちに女性姿に変貌へんぼうした。その姿はどこからどう見ても『優しいお姉さん』そのもので、その本性である野卑やひさや卑劣さなどはどこからも感じられない。
 実際、カタール一家の変わり身の早さは見事なものだった。
 〝ブレスト〟・ザイナブの操る『砂漠の踊り子』号が近づいている。
 そのことに気がついた途端、互いの戦闘能力、航行速度、風向きや水の流れなどを計算し、瞬時のうちに『逃走不可能』という判断を下した。その判断のもと、たちまちのうちに予定を変更して、あくまでも『いいところの子どもを目的地にまで送り届けようとしている善良な漁師一家』という設定を押し通し、セシリアを売り飛ばすかわりに〝ブレスト〟に渡すことで礼金をせしめる、と言う計画に変更した。
 そして、たちまちのうちに三人そろって『善良な漁師一家』の仮面を被ってのけたのだ。もちろん、セシリアに対しては『いいな。ちゃんと話を合わすんだぞ。よけいなことを言ったら、タダじゃおかねえからな』という脅しをかけた上で。
 そして、『砂漠の踊り子』号の停船命令に素直に従い、舟をとめ、乗り込んできた〝ブレスト〟を出迎えたのである。
 その変わり身の早さ、演技の達者たっしゃさを見れば、誰であれあきれ半分に『海賊なんかより、芝居をやった方が稼げるんじゃないのか?』と思ったことだろう。それぐらい、演技慣れしている三人だった。
 ともあれ、〝ブレスト〟はカタールたちとセシリアの乗る小舟をとめさせ、自ら検査のために乗り込んだ。何人もの人が乗れるような舟ではないので、乗り込んできたのは〝ブレスト〟ただひとりである。
 もちろん、『砂漠の踊り子』号はその身をピッタリ小舟によせ、甲板かんぱんの上からは部下たちが銃を構えて威嚇いかくしているわけだが。
 〝ブレスト〟は、いつも通り顔中に布を巻き付けて素顔を隠し、胸をむき出しにした服装をしていた。ギラギラと輝く飢えた狼の目を思わせるふたつの乳房が、本来の瞳にかわってカタールたちを睨みつけている。
 〝ブレスト〟は布の隙間から唯一、覗いている切れ長の瞳を移動させた。カタール、ポール、マギーと順々に見つめていく。
 カタールたちは必死に平静を装っていたが、内心はハラハラし通しだった。
 なにしろ、〝ブレスト〟・ザイナブと言えば『男殺し』として有名な女海賊。過去になにがあったかなど誰も知らないが、とにかく『男』という存在に対して尋常ではない憎悪を抱いていることで知られている。
 そんな相手に素性が知られては、タダではすまない。一思いに殺されるならましな方。いったい、どんな責め苦を受けさせられることか……。
 ――くそっ! サラスヴァティー長海ちょうかいにその人ありと知られた、海賊カタールさまともあろうものが、こんな小娘にへいこらしなきゃならねえとは。かつての船団さえありゃあこんな奴、返り討ちにしてやるってのによ。
 カタールは顔には柔和にゅうわで善良な笑顔を浮かべつつ、腹のなかだけで舌打ちした。
 実際には、カタールが率いていた程度の船団では、軍用の三級艦である『砂漠の踊り子』号にかなうわけはない。束になってかかってもろくな被害も与えられないまま全滅させられる。しかし、そのようなうるおいのない現実は心の奥底に沈めておいて、くやしがるカタールだった。
 移動していた〝ブレスト〟の視線がとまった。その先には乱暴に刈りあげられてはいるが、見事な黄金色の髪をした子どもがいた。セシリアは〝ブレスト〟の目に見つめられてビクリと体を震わせた。表情に怯えの色が走った。
 「あ、あのう……」
 〝ブレスト〟がセシリアばかりを見ていることに危機感を感じたのだろう。カタールがいかにも下手に出た猫なで声を出した。
 「自由の国リバタリアの方々がなぜ、このような場所に? 自由の国リバタリアと言えば、南の海においでのはず……」
 「哨戒しょうかい中よ」
 〝ブレスト〟は短く、素っ気なくそう言った。
「わたしたちは現在、サラフディンの港の警護に当たっている。でも、ローラシアで大きな異変が起きて、大量の避難民が殺到していると聞いたわ。その混乱に乗じて悪さをしでかすやからが少なからずいるともね。そのための哨戒しょうかい中」
 「なるほど、そういうことでしたか」
 と、カタールは、いかにも善良な人間が『事情がわかって安堵あんどした』と言う表情を作った。そのあたりの達者たっしゃさはやはり『海賊より役者向き』なのだった。
 「お役目ご苦労さまです。ですが、ご安心ください。わしらはフィルの町で漁師を営むしがない一家でしてね。犯罪などには無縁の、それはもう善良そのものの市民でございますよ、はい」
 カタールのその言葉に、ポールとマギーもニコニコとうなずいた。
 〝ブレスト〟は、そのふたりには目もくれずにカタールに尋ねた。
 「そのフィルの港の漁師がなぜ、このような場所に? フィルの町からはかなり南に下ってきているけど?」
 「それはですな。こちらにおわすお坊ちゃんが……」
 セシリアのことを『お嬢さん』と呼ぶか『お坊ちゃん』と呼ぶかで一瞬、迷ったものの、本人は――まったく成功していないが――少年の振りをしている。だったら、なにも気がついていない振りをした方が安全だろう。
 カタールはそう判断してシリアを『お坊ちゃん』と呼んだ。
 「このお坊ちゃんが避難したいというのに、乗れる船がなくてお困りでしたのでね。わしらの舟で送って差しあげようとしていたところなのです」
 カタールはニコニコと柔和にゅうわな笑みを浮かべてそう言いながら、自分の足でこっそりセシリアの足をつついた。『そうだと言え』と、かした。カタールとしてはうまく体で隠して〝ブレスト〟に見えないようにつついたつもりだったが、そんな仕種しぐさに気がつかない〝ブレスト〟ではない。すべて見ていた上であえて気付かない振りをして、再びセシリアを見つめた。
 「そ、そうです……」
 セシリアは必死にうなずいた。
 「わ、わたし……いえ、僕は自由の国リバタリアに行かなくてはならないんです!」
 「自由の国リバタリアに?」
 「はい。僕は自由の国リバタリアに行って、主催しゅさいのロウワンさまにお会いしなくてはならないんです。あなたは自由の国リバタリアの人なんでしょう? お願いです、僕をロウワンさまのところに連れて行ってください!」
 そう叫び、必死の目で〝ブレスト〟を見つめる。
 〝ブレスト〟もその視線を真っ向から受けとめた。ほんの一瞬、ふたつの視線は真っ向からぶつかりあった。
 「わかったわ」
 やがて、〝ブレスト〟が言った。
 「その子は、わたしたちが責任をもってロウワンのもとに送るわ。ここまで送ってくれたことに対しては、少しだけどお礼させてもらうわ」
 「いえいえ、わしらはなにも金銭のためではなく、困っている人を助けたいだけでしてね。とは言え、くださるというものを断るのも失礼でしょうし、ありがたく頂戴ちょうだいいたしますよ」
 と、とくに必要もないことをペラペラしゃべったのは、内心の悔しさを押し隠すためだった。
 ――ちっ。なんてこった。この小娘を売り飛ばせば、しばらくは豪勢に遊んで暮らせるだけの金が手に入ったはずなのによ。わずかばかりの礼に化けちまうなんてな。
 そう思ったが、すぐに思い直した。
 ――だがまあ、『男殺し』の〝ブレスト〟・ザイナブに見つかって、生きて帰れるだけで儲けもんか。今回のところは、小娘から巻きあげた金と礼金とで満足するとしよう。
 カタールは知らなかった。
 〝ブレスト〟がカタールたちに見えないよう背中にまわした手の指を動かし、カタールたちを捕縛するよう合図を送っていたことを。そして、その合図を受けた部下たちが、完全武装の船員を乗せた小舟を『砂漠の踊り子』号からサラスヴァティー長海ちょうかいに降ろそうとしていることを。
 自分たちの乗る舟よりもずっと高い甲板かんぱん、それも、反対側で行われていたことなのでカタールからはまったく見えなかったのだ。
 〝ブレスト〟にしてみれば、相手が『同業者』であることぐらいすぐにわかる。布に覆われてはいても〝ブレスト〟の嗅覚はいささかも鈍らない。そして、この場にはいかにも似つかわしくない金髪碧眼の典型的なローラシア貴族の子ども。
 となれば、この同業者たちがなにをしようとしていたかは見当がつく。見当がつかなくても『男』というだけで、〝ブレスト〟にとっては充分に殺す理由になるのだが。
 とにかく、〝ブレスト〟は部下たちにカタール一味を捕えるようこっそり合図を送った。この場で捕えようとしなかったのは、セシリアが争いに巻き込まれることを怖れたからであり、人と人の争いをこんな年端もいかない少女に見せたくなかったからだ。
 男に対しては容赦ようしゃというものをまったくしない〝ブレスト〟だが、女子ども相手となればちがうのである。
 そして、『殺害』ではなく『捕縛』を命じた理由はただひとつ。
 ――男はわたしが殺す。
 その一言である。
 〝ブレスト〟は、セシリアを自分の船に収容するとカタールたちに礼金を手渡した。カタールたちは、その礼金――と、セシリアから巻きあげた金――をもって、ホクホクとまではいかないが、それなりの満足感をもってフィルの町へ帰っていった。自分たちのあとを、人の姿をした獰猛どうもうなシャチたちが追ってくるとも知らずに。
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