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第二部 絆ぐ伝説

第六話一二章 ソフィアの覚悟

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 「………⁉」
 恐怖のあまり息を呑むセシリアの前で、ソフィアの金髪がパラパラと舞い落ちた。
 ソフィアは自らの金髪をバッサリと切り落としたのだ。もともと、貴族の令嬢としては例外的に短かった髪がなおさら短くなり、ソフィアを少年のように見せていた。
 「ソフィア姉さま⁉ なにをするのです、髪は女の命ではありませんか! その大切な御髪おぐしを……」
 「もう、わたしたちは女ではいられないと言うことです」
 「えっ?」
 戸惑う妹に対し、ソフィアは短剣を突き出した。
 「さあ、あなたも自分の髪を切るのです」
 「い、いやです! なんで、そんなことを……」
 セシリアは自分の髪を押さえながら後ずさった。恐怖に震える顔を左右に小さく動かし『いやいや』をする。そんな妹に対し、ソフィアはしかし、容赦なく詰め寄った。
 「いいですか、セシリア。わたしたちはルドヴィクス兄さま、アルバート兄さまから重要な使命を与えられたのです。自由の国リバタリアおもむき、ローラシアのために援軍を求めるという使命です。わたしたちがその使命を果たせなければ、ローラシアはあの化け物どもに蹂躙じゅうりんされ、滅びることになります。そのことはわかりますね?」
 「は、はい……」
 「ならば、髪を切りなさい。髪を切って、男になるのです」
 「お、男に……なる?」
 「そうです。女の身では、危険が多すぎます。男になって、自由の国リバタリアへと向かうのです」
 「で、でも……」
 わずか一二歳の貴族の娘には、あまりにも理解できない状況。ためらう、と言うよりも、なにをどうしていいかわからず途方に暮れて立ちすくんでいる。そんな妹の態度にごうやしたのだろう。ソフィアは一気に詰め寄った。
 「お前にできないなら、おれがやる!」
 そう叫ぶと妹の小さな体を押さえつけ、母親譲りの軽く波打つ髪を切り落とした。
 「ひいっ!」
 セシリアは悲鳴をあげた。恐怖のあまり顔は青ざめ、全身が震えている。
 貴族の娘として、こんな乱暴を働かれるなどとは想像もしたことのないセシリアである。しかも、それを、物心ついた頃からずっと一緒だった敬愛する姉にされたのだ。恐怖や不安よりも理解不能な思いが先に立ち、悲鳴をあげてしまう。
 そんな妹の姿を見ればむろん、ソフィアも姉として胸が痛む。しかし、心を鬼にして妹の長い髪を切り落とした。
 ――こうしなければならないのよ、セシリア。女のままではあなたの身が危険なの。わかって!
 心のなかで叫びながら、セシリアの金髪を短く切り捨てる。
 ソフィアは一五歳。すでに社交界にも出入りしているし、貴族の娘として結婚話も出てくる頃。それだけに、セシリアよりは世間というものを知っていた。とくに、書物好きのソフィアは多くの歴史書に学んでおり、戦乱の時代に女がどんな扱いを受けるか、捕えられた女がどのような目に遭うかを知っていた。だから――。
 ――だから、あなたは男にならなければならないの。わかって、セシリア。あなたの身の安全のためなのよ!
 心のなかでそう泣きながら、髪を切りつづける。
 それが必要だとわかってはいても、『兄』であるアルバートにはとてもそこまではできなかったこと。それをいま、ソフィアがやっているのだ。
 やがて、セシリアの長い髪は少年のように短く刈り取られていた。セシリアはあまりの心理的な衝撃に立ち直れず、頭を抱えたままその場にうずくまり、メソメソと泣いている。そんな妹の姿に自分も泣きたい気持ちに駆られながら、ソフィアは心を鬼にしてつづけた。
 「泣いている暇はないぞ、セシル! おれたちは、すぐに自由の国リバタリアに向かわなくちゃならないんだ!」
 『セシル』と、ソフィアは妹のことをその名で呼んだ。
 『セシル』とは『セシリア』の男性形である。妹の名を男性形で呼んだことに、ソフィアの覚悟が示されていた。
 メソメソと泣き崩れるばかりの妹を叱咤しったし、立ちあがらせた。そのまま手頃な民家に向かい、平民の少年が着る服を買いとった。
 「さあ、これを着るんだ、セシル」
 「い、いやです! なんで、そんなみすぼらしい服を……それも、なにかいやな匂いがするし……」
 『いやな匂い』というのは、魚の匂いのことである。漁で生計を立てている港町の子どもたちが着ている服であれば、当然の匂い。しかし、貴族の令嬢であるセシリアには、この世のものとも思えない異臭でしかない。
 そんな妹をソフィアは叱りつけた。
 「まだ、そんなことを言っているのか! おれたちには大切な使命がある。お前も貴族の息子なら、使命のためならなんでもする覚悟をもて!」
 そう叱りつけ、無理やり着替えさせた。これでもう何度目だろう。セシリアはいままで想像したこともない乱暴な扱いに心を切り裂かれ、メソメソと泣き崩れる。
 髪を切り、服もかえた。これで素姓を隠せる……かと言うと、そうはいかない。
 短く切りとったとは言え、その髪はいまだ貴族らしい見事な黄金色。その肌は市井しせいの少年のものと言うにはあまりにも白すぎ、なめらかすぎた。
 このままではすぐに貴族の子弟とバレてしまう。たとえ、少年と思われていたとしても、身代金狙いの誘拐に性別は関係ない。それに――。
 ――『男の子の方がいい』という男は、かなり多いらしいし。
 ソフィアは多くの書物にふれることで、そのことを知っていた。この見事な金髪と白い肌をそのままにはしておけない。
 ソフィアはそこらの泥をすくうとセシリアの髪と肌に塗りつけ、その金と白を覆い隠した。もちろん、自分自身にも同じことをした。泥を塗りつけたことで金髪も、白い肌も、くすんだ色合いにかわっていた。
 これで、少しはごまかせるだろう。
 ――これからは、お風呂どころか、体を洗うこともできない日がつづく。そうなれば自然と汚れるし、匂いもつく。あえて、ごまかそうとしなくても貴族らしさはなくなっていくはずだわ。
 ソフィアは、セシリアの乗ってきたウマと、こまで着てきた服を売って得た金をすべて、セシリアに手渡した。いまだ衝撃から抜け切れていない妹の両肩をグッとつかんだ。真正面からその顔をのぞき込んだ。そして、『男として』妹に言った。
 「いいか、セシル。お前はこのまま船に乗って、ひとりで自由の国リバタリアに向かうんだ。おれは陸路から自由の国リバタリアに向かう」
 「いや!」
 姉の言葉に――。
 セシリアは叫んでいた。それは驚きよりも恐怖、そして、なによりも心細さから出た叫びだった。
 ローラシア貴族の令嬢としていままで何不自由なく暮らしてきた。それがいきなり、わけのわからない連中に脅され、化け物どもに追われる形で家を捨て、国を脱出する羽目になった。両親は貴族をまとめて人々を国外に逃がすため、長兄ちょうけいルドヴィクスは兵を指揮してそのための時間を稼ぐため、国に残った。次兄じけいのアルバートもまた、衛兵としての責任を果たすために戦場に帰った。
 生まれたときからずっと一緒だった大切な家族。その家族がバラバラになってしまった。そしていままた、最後に残った姉のソフィアまで自分からはなれようとしている。そんなの、そんなの……、
 ――絶対にイヤッ!
 声にならないその叫びが涙となってあふれ出す。
 一二歳の少女は涙をいっぱいに溜めた目で姉を見た。ソフィアも妹の気持ちは痛いほどにわかる。自分だってこれ以上、家族とはなれたくはない。まして、まだ一二歳でしかない幼い妹をひとりになんてしたくない。でも、それでも――。
 ソフィアは妹を元気づけるために優しく微笑んだ。両肩にそっと手をおいた。
 「いいか、セシル?」
 ソフィアはあくまでも男言葉を使い、男の名前で妹に話しかける。それは妹に決意を促すため、そして、それ以上に自分自身が決意を守りつづけるためだった。
 「ルドヴィクス兄さまはおれたちに言ったんだ。『それぞれに別の道を通って、自由の国リバタリアに行け』って。それは、どうしても、兄さまから託された手紙をロウワンさまに届けなくてはならないからなんだ。同じ道を通っていて事が起きたら全員、自由の国リバタリアに行けなくなる。だから、おれたちは別々の道を行かなくてはならない。どちらかがたどり着けなくても、もうひとりがたどり着けるように。わかるな?」
 「で、でも……」
 セシリアは小さな手を胸の前でギュッと握りしめた。自分を力づけようとする姉の言葉は、セシリアには『もう会えない』という絶望の言葉にしか聞こえない。
 そんな妹に向かい、ソフィアはニカッと笑って見せた。イタズラっぽい少年のような笑みだった。
 「なに、大丈夫さ。セシル。船にさえ乗ってしまえば、あとは自動的に自由の国リバタリアまで運んでくれる。お前が心配することはなにもない」
 「で、でも、姉さまは……」
 「兄さまだ」
 メッ、と、ばかりにソフィアは妹を茶目っ気いっぱいに睨みつけた。
 「なあに、おれだって大丈夫さ。セシルだって知ってるだろう? おれはとんでもなく賢いんだ」
 「そ、それは知ってますけど……」
 「だろう? だから、安心しろ。必ず、絶対、自由の国リバタリアで会える。そして、兄上たちと一緒にローラシアを取り戻すんだ。いいな?」
 「はい……」
 小さな拳を握りしめたまま、セシリアはうなずいた。
 「良い子だ」
 ソフィアは妹の頭を『兄のように』さわった。
 「よし。それじゃ、おれは行くぞ。自由の国リバタリアで会おう、セシル」
 「はい……。ね、兄さまもお気をつけて。きっと、きっと、ご無事で……」
 「もちろんだとも。安心して行ってこい」
 ソフィアは笑ってそう言い残すと、走り出していった。
 その後ろ姿を見送るセシリアの瞳には――。
 もはや、涙は浮かんでいなかった。そのかわり、唇を噛みしめ、小さな手をギュッと握りしめていた。
 ――もう泣かない。泣いてなんていられない。ルドヴィクス兄さまも、アルバート兄さまも、それに、ソフィア姉さまも、それぞれにご自分の戦いをしている。だったら、わたしだって戦ってみせる。そして、必ず……もとの暮らしを取り戻してみせる。
 セシリアはその決意のもと、胸を張ってフィルの町へと向かった。
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