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第二部 絆ぐ伝説
第五話二〇章 レムリアの伯爵
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ロウワンたちのレムリア伯爵領への旅はつつがなく終わった。
海賊に襲われることも、嵐に見舞われることも、そしてまた、海の怪異にさらされることもなく無事に港町デーヴァヴァルマンへとたどり着いた。もっとも、天命船である『輝きは消えず』号であればどんな海賊に襲われようと、嵐が来ようと、物の数ではないのだが。
そう。『あの男』以外であれば。
ともかく、ロウワンたちはサラフディンと並ぶ世界三大港町のひとつデーヴァヴァルマンへとたどり着いた。そこからは陸路で北上し、クベラ山地の麓に広がる首都ゴータムへと向かう。
レムリア伯爵領はもともと始祖国家パンゲアの一領地であったこともあり、パンゲアと同じく天帰教を国教とする国である。とは言え、パンゲアとは国の様子も、人々の気風もかなりちがう。
パンゲアは厳しい北の風土に鍛えられたせいか、厳格な教義と質実剛健を旨とする国。人々も禁欲的で、よく言えば重厚、悪く言えば重苦しい雰囲気をもっている。町も、道行く人々の服装もどことなくくすんだ色合いで、『雪に閉ざされた北国』という印象そのままの、仄暗い灰色に閉ざされている。それが人によっては荘厳なる神聖さを感じさせ、また人によっては息苦しいほどの窮屈さを感じさせるのだ。
対して、レムリア伯爵領は海に面した南国のためか、人々はいたって開放的。陽気で、社交的で、南国の鳥さながらの色鮮やかな服装を好む。実際、道を歩いていると人々の服のなかに見ない色はないほどで、慣れないうちはあまりに多彩な色の洪水に目がチカチカすると言われている。それどころか、
「この領地に来ると頭痛がしてくる!」
と言うのは、禁欲生活に慣れたパンゲアの聖職者たちが腹立ちまぎれによく口にする文句である。
気質も質実剛健を旨とする禁欲的なパンゲアの人々とは対照的でいたって享楽的。歌と踊りが大好きで、お祭り好き。国内各所に数多くの劇場があり、オペラや芝居が行われている。とくに、首都ゴータムには国立の大劇場があり、毎日のように世界的に有名な劇団が招かれ、その磨き抜かれた芸を披露している。
そのような人々の気風を反映してか、天帰教の教えもパンゲアほと厳格ではない。むしろ、人生を楽しみ、謳歌することを推奨している。それぞれの国の聖職者たちが語る教義を聞けば同じ宗教だとは思えないだろう。
その教えの説き方にしても、パンゲアは荘厳なミサと生真面目な説教なのに対し、レムリアでは歌や芝居も交えての華やかで楽しいもの。貧しい人々でも無料で参加出来る宴のようなものなので毎回、大盛況。ただし、そのようなお祭りで、天帰教の教義がきちんと伝わっているかというとかなり微妙ではある。
そのあたり、パンゲアの聖職者たちは常に顔をしかめ、『神の教えに忠実になるよう』レムリアの聖職者たちに説教するところである。しかし、レムリアの人々はそもそもさほど信仰心が強いわけでもなく、『現世が一番!』という人たちなのでかまわないのである。
その点、気質的にはゴンドワナ人に近いと言える。それに、教会が主催するこれらの祭儀には貴族たちからの多くの寄付も集まる。貧者救済のための社会事業という一面もあるのだった。
ただ、何事につけ堅苦しいパンゲアの聖職者たちにしてみれば、レムリアのそのような享楽的な態度はなにかと気に入らない。そのため、事あるごとに小言に説教。その口うるささにうんざりしたレムリア側が戦乱の隙をついて事実上の独立を果たした。
パンゲアはそれによって貴重な海軍力と造船能力を失った。それは同時に海洋貿易における莫大な富を失ったという意味でもある。パンゲアにとってはあまりにも高くついた『よけいなお世話』だった。
ともかく、ロウワンたちはレムリア伯爵領の首都ゴータムへとたどり着いた。開放的な気質を反映してか町を包む城壁などはなく、出入りは自由である。
ロウワンたちは徒歩で伯爵府に向かった。レムリアは名目上はあくまでもパンゲアの一領地であり、独立国家ではない。そのために『王宮』は存在しない。そのかわりを務めるのが伯爵府と言うわけだ。まあ、実質的な王宮であることにちがいはないのだが。
馬車を使わず、徒歩で向かったのは、町並みや道行く人々をよく観察し、レムリア伯爵領と、そこに住む人々のことを少しでも知っておきたかったからである。
「噂には聞いていたけど……」
ロウワンが目をパチパチさせながら言った。
「……本当に、目がチカチカするな」
「本当。誰もかれも派手な色合いの服装の上に、一人ひとり全然ちがった意匠の服を着ているものね。『色彩の大洪水』と言われるのも納得だわ」
メリッサも目のあたりを揉みながらうなずいた。
「なんとも、楽しい町だね」
と、指を振って音頭をとりながら、楽しそうに言ったのは行者である。
「目を惹くのは色合いばかりではないよ。どの人の服も実に大胆で独創的だ。この町には自由と挑戦があふれているね。ここまで徹すれば、これはこれでひとつの粋だよ」
「建物の作りもパンゲアのように荘厳ではなく、ローラシアのようにこれ見よがしの贅沢さもない。かと言って、ゴンドワナのような落ち着きともちがう。あくまでも陽気で、楽しく、どこか幼い」
「キキキ、キイ、キイ」
――ああ。おれもこの町はなんだか好きだな。なにが出てくるかわからない森のなかみたいだ。森のなかで過ごした小さい頃を思い出すよ。
「『小さい頃』か。そうだな。この町はまるで、小さな子どもの夢をそのまま現実のものにしたかのようだ」
「ああ、そうか。子どもの夢か。なにか懐かしさを感じると思ったら、そのためか」
「おや? と言うことは、君はいまもこんな夢を見ているのかな?」
「そこまで、子どもじゃない!」
行者のからかいの言葉に、ムッとして言い返すロウワンだった。
ロスタムはそんな一行のやり取りにクスリと笑って見せた。
『砂漠の王子さま』と呼びたくなる幻想的な美青年だけに、そんな表情をするとたまらなく魅力的。女性であれば、とくに恋に恋する年頃の少女なら一目で恋に落ち、空想の世界に入り込んでしまうだろう。
そんな表情だった。
「確かに、レムリアの人々の陽気さ、楽しさはゴンドワナ商人の間でも評判です。いつも明るくて楽しい上に享楽的な人々ですからね。惜しげもなく金を使ってくれる。我々、ゴンドワナ商人にとっては実にありがたい顧客です」
「そうですね。人々の表情もみんな明るいし、連れているペットも毛並みがよくて、よく太っている。経済的にも、心理的にも、ゆとりがあるのがよくわかります。この町を戦場にはしたくないな」
ロウワンのその言葉に――。
一行はそろってうなずいたのだった。
そんな『子どもの夢』のようなゴータムではあるが、政治と軍事の中心たる伯爵府ともなればさすがに、様子がちがう。居丈高、と言うほどではないが、思わず威儀を正したくなる程度の威厳はあるし、パンゲア風の荘厳さも感じさせる。とは言え、それでもやはりどこかに、子どもの夢のような楽しさを感じさせるのがレムリア流の様式というものである。
伯爵府の広大な前庭では香り高い香が焚かれ、楽団が勢揃いしていた。実用性よりも見た目を重視した華やかな正装に身を包んだ儀仗隊もズラリと並び、レムリアの旗を掲げ、歓迎の意を表している。それでも、楽団の奏でる音楽は儀式めいた重々しいものではなく、ついついスキップしながら歩きたくなる楽しげなものであるし、団員たちもその身を揺らし、笑顔を浮かべ、楽しげに演奏している。そのあたりがやはり、レムリアなのだった。
いままで、どの国を訪れてもこんな歓待を受けたことのないロウワンは、その盛大さにちょっとばかり照れくささを感じた。
「……こんなに派手に迎えてくれなくてもいいんだけどな」
などと、鼻の頭をかきながら言ってみせる。その頬がわずかに赤くなっている。
「なにを仰います。いまをときめく自由の国の主催御自らが参られたのです。国として、総力をあげて歓迎の意を表すのは当然のことです」
ロスタムが力説すると、『女教師』メリッサが生徒に注意する口調で付け加えた。
「逆に言うと、それだけの歓待を受けるにふさわしい態度でいなければならないということね」
「ええ。そうですね」
メリッサに言われて、ロウワンはひときわ背を伸ばし表情を引き締めた。
儀仗隊の掲げる旗が作るトンネルを通って、当代の領主であるクナイスル伯爵が妻を伴い、やってきた。
レムリアは伯爵領というその名が示すとおり代々、伯爵家の当主が治めている。
パンゲアから事実上の独立を勝ちとった当時の伯爵の名を『ディミトリ』という。気さくで親しみやすい人柄でその上、政務においても、軍事においても卓越した才能を発揮し、『その気になれば世界征服も可能』とまで言われた人物である。
ただし、本人はそんな気はまったくなく、世界を征服することよりも自国を富ませ、人々の暮らしを良くすることに興味があった。商業を振興し、教育制度を整え、各地に劇場を建設した。毎日のように劇団を招いて公演を行わせ、大勢の観光客を集めた。現代のレムリアがかくも楽しげな国となったのは、その礎を築いたディミトリの趣味に拠るところも大きいのだ。
その後の歴史のなかに、さすがにディミトリほどの傑物は現われてはいないものの、その気さくな人柄と国を富ませ、人々の暮らしを良くしていこうという精神は代々の伯爵にしっかりと受け継がれてきた。
そのために、伯爵家の人気は高く、信頼もされている。レムリアの歴史のなかで民衆暴動のようなことはほとんど起きていない。伯爵家と民衆とが一体となって国を盛りあげてきたのだ。レムリアが独立派とパンゲア派にわかれていながらも分裂することなく、ひとつの国としてまとまってこれたのも、伯爵家がそれだけ慕われ、調整役としての役割を果たしてきたからである。
そして、その歴史の末に現当主であるクナイスルがいる。
父である先代伯爵から爵位を継いだばかりの二七歳の青年で、ロスタムのような『絶世の美青年』というわけではないが、貴族らしい上品で端整な顔立ちと均整のとれた体つき、柔和で人好きのする笑顔が印象的。見るからに『人好きのする好青年』という印象で、一国の主と言うよりも気楽な地方貴族の三男坊、と言った雰囲気がある。
爵位を継ぐ以前から数多くの公共事業に参加し、その堅実な手腕を示してきた人物でもある。伯爵となった現在でもその人柄と手腕はかわることなく、国内をしっかりと治め、商業に投資し、文化の振興にも尽力している。
また、希代の愛妻家としても知られ、隙あらば公共の場でも妻とふたりの世界に入り込んでしまうことでも有名である。その様子は芝居にもされており、人々からの苦笑交じりの暖かい笑みで見守られている。
「ようこそおいでくださいました、ロウワン卿。レムリア伯爵領代表、クナイスルと申します」
「妻のソーニャと申します。以後、お見知りおきを」
クナイスルがまるで旧友を迎えるかのように両腕を広げ、満面の笑みで挨拶すると、その隣に――一歩もさがることなく――付き添っている女性がしとやかに頭をさげた。
こちらも夫同様『絶世の』などと言われるような美女ではないが、全体にふっくらした印象の母性的な女性であり、その全身から優しさと知性が感じられる。クナイスルより三つ年上だと言うが、並んでいるだけで夫婦仲の良さが感じられる。
そのふたりのあまりにも微笑ましい様子にロウワンは一瞬、笑みを浮かべたが、すぐに生真面目な表情になった。堅苦しいほどの礼をとった。
「過分なお出迎え、畏れ入ります。クナイスル閣下。自由の国の主催、ロウワンと申します」
「なんの、なんの。遠方からの客人をお出迎えするにあたり、礼を尽くすのは当然。ロウワン卿もどうか、そのような堅苦しい礼儀はなしにしていただきたい。我らはすでに友人なのですからな」
クナイスルはそう言ってロウワンの横に並び、肩に手をまわした。ここまで来ると『気さく』と言うより『馴れなれしい』と言うべきだろうが、その笑顔を見ていると許したくなってしまう。
「まずは、ご来訪を歓迎しての宴……と、いきたいところですが、そのような暇もありますまい。宴は同盟締結後の楽しみとして、まずは仕事と参りましょう。執務室においでいただけますか?」
「ご配慮、ありがとうございます。助かります」
ロウワンは心から言った。
興味のない宴にさんざん付き合わされるより、さっさと本題に入れた方がありがたい。
野伏がクナイスルに尋ねた。
「この太刀は我が生命。決して手放すわけにはまいらぬが、執務室までご一緒してよろしいか?」
「もちろんです。あなた方は囚人ではない。大切なお客人なのです。武器を捨てろなどと、そんな失礼なことは申しません」
「これはまた、話のわかる人だ。粋だね」
と、行者が片目をつぶりながら言って見せた。
それでは、と言うことで、クナイスルとその妻ソーニャに案内されて執務室に向かおうとしたとき、ロスタムがロウワンに言った。
「ロウワン卿。どうも、ビーブ卿はご退屈のご様子。よろしければ、私が町を案内などして差しあげたいのですが……」
「ああ、そうですね。ビーブ。会議の間、おれのかわりに町の様子をよく見ておいてくれ。こっちの心配はいらない。野伏もいれば、行者もいる。危険はないよ」
――そうか? なら、そうさせてもらうぜ。
どうせ、人の言葉を話せないビーブが会議の場にいたところで、なにをする機会があるわけでもない。ロウワンの護衛以外にすることはないのだ。その護衛にしても、野伏と行者というふたりがいれば心配はない。だったら、退屈な会議などほっぽり出して観光していた方がいい。
「それでは参りましょう、ビーブ卿。まずは、軽くお食事などいかがですか? この町には良い店がそろっていますよ」
――そいつは楽しみだ。良い店を頼むぜ。
「はい。お任せを。実に良い店を知っていますので」
ロスタムはそう言って笑みを浮かべ、ビーブとふたり、来た道を引き返した。
そして、ロウワンたちはクナイスル夫妻と共に執務室に向かった。
海賊に襲われることも、嵐に見舞われることも、そしてまた、海の怪異にさらされることもなく無事に港町デーヴァヴァルマンへとたどり着いた。もっとも、天命船である『輝きは消えず』号であればどんな海賊に襲われようと、嵐が来ようと、物の数ではないのだが。
そう。『あの男』以外であれば。
ともかく、ロウワンたちはサラフディンと並ぶ世界三大港町のひとつデーヴァヴァルマンへとたどり着いた。そこからは陸路で北上し、クベラ山地の麓に広がる首都ゴータムへと向かう。
レムリア伯爵領はもともと始祖国家パンゲアの一領地であったこともあり、パンゲアと同じく天帰教を国教とする国である。とは言え、パンゲアとは国の様子も、人々の気風もかなりちがう。
パンゲアは厳しい北の風土に鍛えられたせいか、厳格な教義と質実剛健を旨とする国。人々も禁欲的で、よく言えば重厚、悪く言えば重苦しい雰囲気をもっている。町も、道行く人々の服装もどことなくくすんだ色合いで、『雪に閉ざされた北国』という印象そのままの、仄暗い灰色に閉ざされている。それが人によっては荘厳なる神聖さを感じさせ、また人によっては息苦しいほどの窮屈さを感じさせるのだ。
対して、レムリア伯爵領は海に面した南国のためか、人々はいたって開放的。陽気で、社交的で、南国の鳥さながらの色鮮やかな服装を好む。実際、道を歩いていると人々の服のなかに見ない色はないほどで、慣れないうちはあまりに多彩な色の洪水に目がチカチカすると言われている。それどころか、
「この領地に来ると頭痛がしてくる!」
と言うのは、禁欲生活に慣れたパンゲアの聖職者たちが腹立ちまぎれによく口にする文句である。
気質も質実剛健を旨とする禁欲的なパンゲアの人々とは対照的でいたって享楽的。歌と踊りが大好きで、お祭り好き。国内各所に数多くの劇場があり、オペラや芝居が行われている。とくに、首都ゴータムには国立の大劇場があり、毎日のように世界的に有名な劇団が招かれ、その磨き抜かれた芸を披露している。
そのような人々の気風を反映してか、天帰教の教えもパンゲアほと厳格ではない。むしろ、人生を楽しみ、謳歌することを推奨している。それぞれの国の聖職者たちが語る教義を聞けば同じ宗教だとは思えないだろう。
その教えの説き方にしても、パンゲアは荘厳なミサと生真面目な説教なのに対し、レムリアでは歌や芝居も交えての華やかで楽しいもの。貧しい人々でも無料で参加出来る宴のようなものなので毎回、大盛況。ただし、そのようなお祭りで、天帰教の教義がきちんと伝わっているかというとかなり微妙ではある。
そのあたり、パンゲアの聖職者たちは常に顔をしかめ、『神の教えに忠実になるよう』レムリアの聖職者たちに説教するところである。しかし、レムリアの人々はそもそもさほど信仰心が強いわけでもなく、『現世が一番!』という人たちなのでかまわないのである。
その点、気質的にはゴンドワナ人に近いと言える。それに、教会が主催するこれらの祭儀には貴族たちからの多くの寄付も集まる。貧者救済のための社会事業という一面もあるのだった。
ただ、何事につけ堅苦しいパンゲアの聖職者たちにしてみれば、レムリアのそのような享楽的な態度はなにかと気に入らない。そのため、事あるごとに小言に説教。その口うるささにうんざりしたレムリア側が戦乱の隙をついて事実上の独立を果たした。
パンゲアはそれによって貴重な海軍力と造船能力を失った。それは同時に海洋貿易における莫大な富を失ったという意味でもある。パンゲアにとってはあまりにも高くついた『よけいなお世話』だった。
ともかく、ロウワンたちはレムリア伯爵領の首都ゴータムへとたどり着いた。開放的な気質を反映してか町を包む城壁などはなく、出入りは自由である。
ロウワンたちは徒歩で伯爵府に向かった。レムリアは名目上はあくまでもパンゲアの一領地であり、独立国家ではない。そのために『王宮』は存在しない。そのかわりを務めるのが伯爵府と言うわけだ。まあ、実質的な王宮であることにちがいはないのだが。
馬車を使わず、徒歩で向かったのは、町並みや道行く人々をよく観察し、レムリア伯爵領と、そこに住む人々のことを少しでも知っておきたかったからである。
「噂には聞いていたけど……」
ロウワンが目をパチパチさせながら言った。
「……本当に、目がチカチカするな」
「本当。誰もかれも派手な色合いの服装の上に、一人ひとり全然ちがった意匠の服を着ているものね。『色彩の大洪水』と言われるのも納得だわ」
メリッサも目のあたりを揉みながらうなずいた。
「なんとも、楽しい町だね」
と、指を振って音頭をとりながら、楽しそうに言ったのは行者である。
「目を惹くのは色合いばかりではないよ。どの人の服も実に大胆で独創的だ。この町には自由と挑戦があふれているね。ここまで徹すれば、これはこれでひとつの粋だよ」
「建物の作りもパンゲアのように荘厳ではなく、ローラシアのようにこれ見よがしの贅沢さもない。かと言って、ゴンドワナのような落ち着きともちがう。あくまでも陽気で、楽しく、どこか幼い」
「キキキ、キイ、キイ」
――ああ。おれもこの町はなんだか好きだな。なにが出てくるかわからない森のなかみたいだ。森のなかで過ごした小さい頃を思い出すよ。
「『小さい頃』か。そうだな。この町はまるで、小さな子どもの夢をそのまま現実のものにしたかのようだ」
「ああ、そうか。子どもの夢か。なにか懐かしさを感じると思ったら、そのためか」
「おや? と言うことは、君はいまもこんな夢を見ているのかな?」
「そこまで、子どもじゃない!」
行者のからかいの言葉に、ムッとして言い返すロウワンだった。
ロスタムはそんな一行のやり取りにクスリと笑って見せた。
『砂漠の王子さま』と呼びたくなる幻想的な美青年だけに、そんな表情をするとたまらなく魅力的。女性であれば、とくに恋に恋する年頃の少女なら一目で恋に落ち、空想の世界に入り込んでしまうだろう。
そんな表情だった。
「確かに、レムリアの人々の陽気さ、楽しさはゴンドワナ商人の間でも評判です。いつも明るくて楽しい上に享楽的な人々ですからね。惜しげもなく金を使ってくれる。我々、ゴンドワナ商人にとっては実にありがたい顧客です」
「そうですね。人々の表情もみんな明るいし、連れているペットも毛並みがよくて、よく太っている。経済的にも、心理的にも、ゆとりがあるのがよくわかります。この町を戦場にはしたくないな」
ロウワンのその言葉に――。
一行はそろってうなずいたのだった。
そんな『子どもの夢』のようなゴータムではあるが、政治と軍事の中心たる伯爵府ともなればさすがに、様子がちがう。居丈高、と言うほどではないが、思わず威儀を正したくなる程度の威厳はあるし、パンゲア風の荘厳さも感じさせる。とは言え、それでもやはりどこかに、子どもの夢のような楽しさを感じさせるのがレムリア流の様式というものである。
伯爵府の広大な前庭では香り高い香が焚かれ、楽団が勢揃いしていた。実用性よりも見た目を重視した華やかな正装に身を包んだ儀仗隊もズラリと並び、レムリアの旗を掲げ、歓迎の意を表している。それでも、楽団の奏でる音楽は儀式めいた重々しいものではなく、ついついスキップしながら歩きたくなる楽しげなものであるし、団員たちもその身を揺らし、笑顔を浮かべ、楽しげに演奏している。そのあたりがやはり、レムリアなのだった。
いままで、どの国を訪れてもこんな歓待を受けたことのないロウワンは、その盛大さにちょっとばかり照れくささを感じた。
「……こんなに派手に迎えてくれなくてもいいんだけどな」
などと、鼻の頭をかきながら言ってみせる。その頬がわずかに赤くなっている。
「なにを仰います。いまをときめく自由の国の主催御自らが参られたのです。国として、総力をあげて歓迎の意を表すのは当然のことです」
ロスタムが力説すると、『女教師』メリッサが生徒に注意する口調で付け加えた。
「逆に言うと、それだけの歓待を受けるにふさわしい態度でいなければならないということね」
「ええ。そうですね」
メリッサに言われて、ロウワンはひときわ背を伸ばし表情を引き締めた。
儀仗隊の掲げる旗が作るトンネルを通って、当代の領主であるクナイスル伯爵が妻を伴い、やってきた。
レムリアは伯爵領というその名が示すとおり代々、伯爵家の当主が治めている。
パンゲアから事実上の独立を勝ちとった当時の伯爵の名を『ディミトリ』という。気さくで親しみやすい人柄でその上、政務においても、軍事においても卓越した才能を発揮し、『その気になれば世界征服も可能』とまで言われた人物である。
ただし、本人はそんな気はまったくなく、世界を征服することよりも自国を富ませ、人々の暮らしを良くすることに興味があった。商業を振興し、教育制度を整え、各地に劇場を建設した。毎日のように劇団を招いて公演を行わせ、大勢の観光客を集めた。現代のレムリアがかくも楽しげな国となったのは、その礎を築いたディミトリの趣味に拠るところも大きいのだ。
その後の歴史のなかに、さすがにディミトリほどの傑物は現われてはいないものの、その気さくな人柄と国を富ませ、人々の暮らしを良くしていこうという精神は代々の伯爵にしっかりと受け継がれてきた。
そのために、伯爵家の人気は高く、信頼もされている。レムリアの歴史のなかで民衆暴動のようなことはほとんど起きていない。伯爵家と民衆とが一体となって国を盛りあげてきたのだ。レムリアが独立派とパンゲア派にわかれていながらも分裂することなく、ひとつの国としてまとまってこれたのも、伯爵家がそれだけ慕われ、調整役としての役割を果たしてきたからである。
そして、その歴史の末に現当主であるクナイスルがいる。
父である先代伯爵から爵位を継いだばかりの二七歳の青年で、ロスタムのような『絶世の美青年』というわけではないが、貴族らしい上品で端整な顔立ちと均整のとれた体つき、柔和で人好きのする笑顔が印象的。見るからに『人好きのする好青年』という印象で、一国の主と言うよりも気楽な地方貴族の三男坊、と言った雰囲気がある。
爵位を継ぐ以前から数多くの公共事業に参加し、その堅実な手腕を示してきた人物でもある。伯爵となった現在でもその人柄と手腕はかわることなく、国内をしっかりと治め、商業に投資し、文化の振興にも尽力している。
また、希代の愛妻家としても知られ、隙あらば公共の場でも妻とふたりの世界に入り込んでしまうことでも有名である。その様子は芝居にもされており、人々からの苦笑交じりの暖かい笑みで見守られている。
「ようこそおいでくださいました、ロウワン卿。レムリア伯爵領代表、クナイスルと申します」
「妻のソーニャと申します。以後、お見知りおきを」
クナイスルがまるで旧友を迎えるかのように両腕を広げ、満面の笑みで挨拶すると、その隣に――一歩もさがることなく――付き添っている女性がしとやかに頭をさげた。
こちらも夫同様『絶世の』などと言われるような美女ではないが、全体にふっくらした印象の母性的な女性であり、その全身から優しさと知性が感じられる。クナイスルより三つ年上だと言うが、並んでいるだけで夫婦仲の良さが感じられる。
そのふたりのあまりにも微笑ましい様子にロウワンは一瞬、笑みを浮かべたが、すぐに生真面目な表情になった。堅苦しいほどの礼をとった。
「過分なお出迎え、畏れ入ります。クナイスル閣下。自由の国の主催、ロウワンと申します」
「なんの、なんの。遠方からの客人をお出迎えするにあたり、礼を尽くすのは当然。ロウワン卿もどうか、そのような堅苦しい礼儀はなしにしていただきたい。我らはすでに友人なのですからな」
クナイスルはそう言ってロウワンの横に並び、肩に手をまわした。ここまで来ると『気さく』と言うより『馴れなれしい』と言うべきだろうが、その笑顔を見ていると許したくなってしまう。
「まずは、ご来訪を歓迎しての宴……と、いきたいところですが、そのような暇もありますまい。宴は同盟締結後の楽しみとして、まずは仕事と参りましょう。執務室においでいただけますか?」
「ご配慮、ありがとうございます。助かります」
ロウワンは心から言った。
興味のない宴にさんざん付き合わされるより、さっさと本題に入れた方がありがたい。
野伏がクナイスルに尋ねた。
「この太刀は我が生命。決して手放すわけにはまいらぬが、執務室までご一緒してよろしいか?」
「もちろんです。あなた方は囚人ではない。大切なお客人なのです。武器を捨てろなどと、そんな失礼なことは申しません」
「これはまた、話のわかる人だ。粋だね」
と、行者が片目をつぶりながら言って見せた。
それでは、と言うことで、クナイスルとその妻ソーニャに案内されて執務室に向かおうとしたとき、ロスタムがロウワンに言った。
「ロウワン卿。どうも、ビーブ卿はご退屈のご様子。よろしければ、私が町を案内などして差しあげたいのですが……」
「ああ、そうですね。ビーブ。会議の間、おれのかわりに町の様子をよく見ておいてくれ。こっちの心配はいらない。野伏もいれば、行者もいる。危険はないよ」
――そうか? なら、そうさせてもらうぜ。
どうせ、人の言葉を話せないビーブが会議の場にいたところで、なにをする機会があるわけでもない。ロウワンの護衛以外にすることはないのだ。その護衛にしても、野伏と行者というふたりがいれば心配はない。だったら、退屈な会議などほっぽり出して観光していた方がいい。
「それでは参りましょう、ビーブ卿。まずは、軽くお食事などいかがですか? この町には良い店がそろっていますよ」
――そいつは楽しみだ。良い店を頼むぜ。
「はい。お任せを。実に良い店を知っていますので」
ロスタムはそう言って笑みを浮かべ、ビーブとふたり、来た道を引き返した。
そして、ロウワンたちはクナイスル夫妻と共に執務室に向かった。
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