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第二部 絆ぐ伝説
第五話八章 〝ビルダー〟・ヒッグス
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「おれを自由の国に招きたいだって⁉」
〝ビルダー〟・ヒッグスは目を丸くして驚いた。
「そうです」
と、目の前に座る赤銅色の肌をした娘は真剣な表情でうなずいた。その隣の席には太い尻尾をブンブン振りまわしているサルが我が物顔で座っている。
ヒッグスはなんと言っていいかわからなかった。
サラフディンの外れにある下町。いや、はっきり言ってしまえば、町中に住むだけの金のない貧乏人たちが身を寄せあって暮らしているだけのスラム街。そんなところにまだ一〇代とおぼしき赤銅色の肌をした、野性的な風貌の美しい娘がやってきた。尻尾に握ったカトラスを振りまわしている奇妙なサルを引き連れて。
それだけでも驚きなのに、よりによってこの自分を招きたいとは……。
ヒッグス。
〝ビルダー〟・ヒッグス。
若い頃はちょっとは名の知られた技師だった。
その物作りに対する情熱と優れた腕から『ビルダー』と呼ばれ、仲間からは賞賛され、後輩たちからは尊敬の目で見られたものだ。
しかし、それも昔の話。五〇を超えたいまでは誰にも相手にされない『過去の人』。
その理由はただひとつ。
ヒッグスはその理由をよく知っていたし、自分でも『無理はない』と思う。おそらく、自分だって、その目的を聞く立場なら、
「正気じゃない!」
と、思うだろう。
そう納得してしまえる。
よりによって、そんな自分を招きに来るなんて……。
それも、こんな若くて美しい娘が。
「なにか、勘違いしてるんじゃないか?」
ヒッグスは、ようやくそれだけを言った。
「確かに、昔のおれは、ちょっとは名の知られた技師だった。だが、いまではこの通り、ただのオッサンだ。いや、途方もない夢を見ている分、『ただのオッサン』より質が悪いか」
ヒッグスは自嘲でもなくそう言った。
ただ単に事実を述べている。
そう言う口調だった。
その言葉を受けて――。
赤銅色の肌の美しい娘――トウナは、ヒッグスを見た。
五〇代と聞いていたが見た目はもっと老けて感じられる。それも、ボウのように年輪を経た重厚さ、などではなく、ただただみすぼらしい。
生え際のググッと後退した頭髪。残った髪はボサボサ。無精髭がゴミのように口のまわりに張りつき、肌は色艶がなく、荒れ果てている。体もガリガリに痩せていて一目で『ろくに食べていない』というのがわかる。
洗濯もせず、風呂にも入っていないのだろう。着ているものはヨレヨレで、服と言わず、体と言わず、かなりの異臭が漂っている。
漁村の生まれとあって魚の生臭さに慣れているトウナだから平気でいられるが、これが都会育ちのお嬢さまででもあれば鼻をつまんで逃げ出しているところだ。まあ、その前に一目見た途端、まわれ右して遠ざかるにちがいないのだが。
「自由の国の噂は聞いている」
ヒッグスはそうつづけた。
「最近、急激に勢力を伸ばしている集団だそうだな。このサラフディンの町を守ってくれたとも聞いている。そんな国から誘われたとなれば光栄だが、いまのおれにそんな価値があるとは思えない」
なにしろ、いまのおれは『ガキの夢』に取り憑かれた、しがないオッサンなんだからな。
今度ははっきりと自嘲を込めて、ヒッグスはそう言った。
トウナはそんなヒッグスをまっすぐに見据えた。若い娘に見つめられるなどもう何十年もなかったヒッグスは、思わず顔を赤らめた。そんなヒッグスにビーブはニイッと歯を見せて威嚇する。
――こいつに手を出したら承知しねえぞ。
ヒッグスを睨む目付きがそう言っている。
トウナはヒッグスに言った。
「あなたの言う『ガキの夢』。その夢を買いに来たのです」
「なんだって⁉」
「改めて自己紹介させていただきます。わたしはトウナ。タラの島の長を務めています。こちらは、ビーブ。自由の国第一の戦士であり、わたしの護衛を務めてくれています」
ビーブはそう紹介されて得意気にふんぞり返った。
「島の長? 君が?」
ヒッグスは再び目を丸くした。『長』と言うにはあまりにも若すぎる。そう思ったのだ。
「最近、祖父から長の座を譲ってもらいました」
「あ、ああ、なるほど。そういうことか」
「〝ビルダー〟・ヒッグス」
〝ビルダー〟。
その通り名で呼ばれたのももう何年ぶりだろう。
国一番の技師としてもてはやされていた若い頃のことを思い出し、ちょっと切なくなるヒッグスだった。
「あなたは海上鉄道の建設を夢見ている。そう聞きました」
「……ああ。その通りだ」
このときばかりはヒッグスも真剣な面持ちになってうなずいた。
海上鉄道。
それは、文字通りの海の上の道。
海上の移動は命懸けだ。嵐、高波、海賊の襲撃、伝説に語られる様々な海の妖物たち……。
船での移動は沈没の危険と背中合わせ。ちょっと遠くに行くだけでも危険がつきまとう。だからこそ。それをなんとかしたい。海の旅をもっと安全な、危険のないものにしたい。若い頃の〝ビルダー〟・ヒッグスはそう思った。
そして、海上鉄道という考えを得た。海の上に鉄の道を敷きつめ、その上を船を走らせる。
それができれば嵐や高波に襲われて沈没する恐れもなく、海賊や海の妖物に襲われる危険もずっと減るだろう。海上鉄道が実現すれば海の上での移動ははるかに容易に、安全なものになる。あくまでも『実現すれば』の話だが。
ヒッグスはその思いに取り憑かれた。
すべての仕事を辞め、海上鉄道の研究に専念した。
まわりの人間たちは口々に『馬鹿なことはやめろ』といさめた。
「そんなことが出来るはずがない。海の上に鉄の道を敷きつめるなんて。第一、その上を走る船をどうやって動かす? 風は鉄の道に沿って吹いてはくれないぞ。大勢の人間で押してまわるのか? 出来るわけがない! 馬鹿な夢から冷めて仕事に戻れ。お前の腕を必要としている人は大勢いるんだ」
ヒッグスはそれらの声すべてに耳をふさぎ、説得に来る人々に背を向けて夢を追いつづけた。やがて、あれほど来ていた人たちもひとり減り、ふたり減り、誰も来なくなった。〝ビルダー〟・ヒッグスは人々の間で『過去の人』となったのだ。
技師として稼いだ金もすべてなくなり、この下町にやってきた。それでも、海上鉄道の夢は捨てることなく研究している。一目で栄養不足とわかる痩せこけた体も、風呂にも入っていない異臭も、すべてを研究に注ぎ込んでいる結果だった。
「〝ビルダー〟・ヒッグス」
トウナは再び言った。
「わたしにはタラの島の長として島の発展を実現する責任があります。そのためには、人がいる。ですが、小さな島に住める人の数などたかが知れています。いくつもの島をつなぎ、人が行き来できるようになればそれも解消するでしょう。ですが、船による移動には危険が付きものです。
だからこそ、あなたの言う『ガキの夢』、海上鉄道が必要なのです。もし、島と島とを鉄道によってつなげ、安全な移動が出来るようになれば、人・物・情報を島と島の間で盛んに移動させることが出来るようになる。多くの人を一カ所に集め、教育することも、共同で事業に当たることも出来るようになる。
南の島々の発展のための大きな武器となるのです。だからこそ、あなたをお招きにあがったのです」
トウナはビシッと背筋を伸ばし、凜とした目付きでそう語った。
その姿にも、言葉にも、一切の嘘偽りはない。本心だけを本気で語っている。
見るものすべてに、そう納得させる姿だった。
トウナはヒッグスのことをロウワンから聞いた。
ロウワンがヒッグスのことを知っていたのはある意味、偶然だった。
まだロウワンを名乗る前、なんの力も知識もないただの少年だった頃、〝鬼〟の船に乗り合わせていた。そのとき、〝鬼〟に連れられてヒッグスの家を訪れた。〝鬼〟は海上鉄道という浪漫を追うヒッグスを気に入っており、海賊退治や襲われた人々を助けたことに対する礼金などを純金のインゴットにかえてヒッグスの家に放り込んでいたのだ。
「この世で追う価値があるのは浪漫だけ。まあ、あのインゴットをどう使うかは本人の勝手だがよ」
そう高らかに笑い飛ばして。
そして、トウナから『島と島を安全につなげる方法』について相談を受けたとき、ロウワンはヒッグスのことを思いだし、トウナに紹介した。そして、トウナはビーブに護衛してもらいながらここまでやってきた、と、言うわけなのだった。
「……君の話はわかった」
ヒッグスは居住まいを正した。まっすぐにトウナを見つめ返した。姿形は落ちぶれ、みすぼらしくても、そうして真剣な面持ちになると確かに、かつて人々から敬意を込めて〝ビルダー〟と呼ばれていた頃の情熱と風格が漂っていた。
「しかし、残念ながら過大評価していると言わざるを得ない。おれは確かに海上鉄道の研究に全力を注いできた。しかし、二〇年以上も研究をつづけながら実現の目処さえ立っていない。とてもではないけど、君の期待に応えられるとは思えない」
「それは、あなたがひとりで研究してきたからでしょう」
「えっ?」
「自由の国には何百年にも渡って技術開発に取り組んできた一族がいます。かの人たちの開発した強力な蒸気機関もあります。かの人たちと共に研究すれば、きっと成果はあがることでしょう」
「蒸気機関だって⁉」
ヒッグスは叫んだ。
興奮のあまり、椅子を蹴倒して立ちあがった。その不作法をビーブがとがめてうなり声をあげたが、ヒッグスはそんなことにかまっているどころではなかった。
「確かに、強力な蒸気機関があれば海上鉄道は実現できるかも知れない。しかし、あれはまだまだ効率が悪すぎて使えないはず……」
「その効率を格段に良くした新型の蒸気機関があるのです。自由の国にだけ。だからこそ、あなたを招きに来たのです」
「蒸気機関、蒸気機関……」
ヒッグスはブツブツと呟いた。その瞳に燃える炎はほとんど狂気と言っていいもので、〝ビルダー〟と呼ばれるまでに至った仕事ぶりの激しさを感じさせた。
「……海上鉄道の実現の目処が立たなかったのは、なによりも鉄の道の上を走る船を動かすための動力がなかったからなんだ。それほど強力な蒸気機関があるなら確かに実現できるかも知れない」
ヒッグスはそういうと奥の部屋に引っ込んだ。ズルズルと音を立てていくつもの袋を引きずってきた。その中身を床の上にぶちまけた。
みすぼらしい掘っ立て小屋。
そのなかはたちまち黄金色の輝きに満たされた。
ヒッグスがぶちまけたもの。それは、大量の純金のインゴットだった。
「……数年前から誰かがときどき純金のインゴットをうちに放り込んでいくようになった。さすがに、気味が悪くて使う気になれなかったが……もう、そんなことを言っている場合じゃない。このインゴットすべて自由の国に提供する。それを代償に、おれに海上鉄道を実現させてくれ」
そう語るその姿は、もはやみすぼらしい中年男のヒッグスではなかった。狂気の情熱をたぎらせた〝ビルダー〟だった。
トウナはニッコリと微笑んだ。
「ありがとう。感謝します、〝ビルダー〟」
〝ビルダー〟・ヒッグスは目を丸くして驚いた。
「そうです」
と、目の前に座る赤銅色の肌をした娘は真剣な表情でうなずいた。その隣の席には太い尻尾をブンブン振りまわしているサルが我が物顔で座っている。
ヒッグスはなんと言っていいかわからなかった。
サラフディンの外れにある下町。いや、はっきり言ってしまえば、町中に住むだけの金のない貧乏人たちが身を寄せあって暮らしているだけのスラム街。そんなところにまだ一〇代とおぼしき赤銅色の肌をした、野性的な風貌の美しい娘がやってきた。尻尾に握ったカトラスを振りまわしている奇妙なサルを引き連れて。
それだけでも驚きなのに、よりによってこの自分を招きたいとは……。
ヒッグス。
〝ビルダー〟・ヒッグス。
若い頃はちょっとは名の知られた技師だった。
その物作りに対する情熱と優れた腕から『ビルダー』と呼ばれ、仲間からは賞賛され、後輩たちからは尊敬の目で見られたものだ。
しかし、それも昔の話。五〇を超えたいまでは誰にも相手にされない『過去の人』。
その理由はただひとつ。
ヒッグスはその理由をよく知っていたし、自分でも『無理はない』と思う。おそらく、自分だって、その目的を聞く立場なら、
「正気じゃない!」
と、思うだろう。
そう納得してしまえる。
よりによって、そんな自分を招きに来るなんて……。
それも、こんな若くて美しい娘が。
「なにか、勘違いしてるんじゃないか?」
ヒッグスは、ようやくそれだけを言った。
「確かに、昔のおれは、ちょっとは名の知られた技師だった。だが、いまではこの通り、ただのオッサンだ。いや、途方もない夢を見ている分、『ただのオッサン』より質が悪いか」
ヒッグスは自嘲でもなくそう言った。
ただ単に事実を述べている。
そう言う口調だった。
その言葉を受けて――。
赤銅色の肌の美しい娘――トウナは、ヒッグスを見た。
五〇代と聞いていたが見た目はもっと老けて感じられる。それも、ボウのように年輪を経た重厚さ、などではなく、ただただみすぼらしい。
生え際のググッと後退した頭髪。残った髪はボサボサ。無精髭がゴミのように口のまわりに張りつき、肌は色艶がなく、荒れ果てている。体もガリガリに痩せていて一目で『ろくに食べていない』というのがわかる。
洗濯もせず、風呂にも入っていないのだろう。着ているものはヨレヨレで、服と言わず、体と言わず、かなりの異臭が漂っている。
漁村の生まれとあって魚の生臭さに慣れているトウナだから平気でいられるが、これが都会育ちのお嬢さまででもあれば鼻をつまんで逃げ出しているところだ。まあ、その前に一目見た途端、まわれ右して遠ざかるにちがいないのだが。
「自由の国の噂は聞いている」
ヒッグスはそうつづけた。
「最近、急激に勢力を伸ばしている集団だそうだな。このサラフディンの町を守ってくれたとも聞いている。そんな国から誘われたとなれば光栄だが、いまのおれにそんな価値があるとは思えない」
なにしろ、いまのおれは『ガキの夢』に取り憑かれた、しがないオッサンなんだからな。
今度ははっきりと自嘲を込めて、ヒッグスはそう言った。
トウナはそんなヒッグスをまっすぐに見据えた。若い娘に見つめられるなどもう何十年もなかったヒッグスは、思わず顔を赤らめた。そんなヒッグスにビーブはニイッと歯を見せて威嚇する。
――こいつに手を出したら承知しねえぞ。
ヒッグスを睨む目付きがそう言っている。
トウナはヒッグスに言った。
「あなたの言う『ガキの夢』。その夢を買いに来たのです」
「なんだって⁉」
「改めて自己紹介させていただきます。わたしはトウナ。タラの島の長を務めています。こちらは、ビーブ。自由の国第一の戦士であり、わたしの護衛を務めてくれています」
ビーブはそう紹介されて得意気にふんぞり返った。
「島の長? 君が?」
ヒッグスは再び目を丸くした。『長』と言うにはあまりにも若すぎる。そう思ったのだ。
「最近、祖父から長の座を譲ってもらいました」
「あ、ああ、なるほど。そういうことか」
「〝ビルダー〟・ヒッグス」
〝ビルダー〟。
その通り名で呼ばれたのももう何年ぶりだろう。
国一番の技師としてもてはやされていた若い頃のことを思い出し、ちょっと切なくなるヒッグスだった。
「あなたは海上鉄道の建設を夢見ている。そう聞きました」
「……ああ。その通りだ」
このときばかりはヒッグスも真剣な面持ちになってうなずいた。
海上鉄道。
それは、文字通りの海の上の道。
海上の移動は命懸けだ。嵐、高波、海賊の襲撃、伝説に語られる様々な海の妖物たち……。
船での移動は沈没の危険と背中合わせ。ちょっと遠くに行くだけでも危険がつきまとう。だからこそ。それをなんとかしたい。海の旅をもっと安全な、危険のないものにしたい。若い頃の〝ビルダー〟・ヒッグスはそう思った。
そして、海上鉄道という考えを得た。海の上に鉄の道を敷きつめ、その上を船を走らせる。
それができれば嵐や高波に襲われて沈没する恐れもなく、海賊や海の妖物に襲われる危険もずっと減るだろう。海上鉄道が実現すれば海の上での移動ははるかに容易に、安全なものになる。あくまでも『実現すれば』の話だが。
ヒッグスはその思いに取り憑かれた。
すべての仕事を辞め、海上鉄道の研究に専念した。
まわりの人間たちは口々に『馬鹿なことはやめろ』といさめた。
「そんなことが出来るはずがない。海の上に鉄の道を敷きつめるなんて。第一、その上を走る船をどうやって動かす? 風は鉄の道に沿って吹いてはくれないぞ。大勢の人間で押してまわるのか? 出来るわけがない! 馬鹿な夢から冷めて仕事に戻れ。お前の腕を必要としている人は大勢いるんだ」
ヒッグスはそれらの声すべてに耳をふさぎ、説得に来る人々に背を向けて夢を追いつづけた。やがて、あれほど来ていた人たちもひとり減り、ふたり減り、誰も来なくなった。〝ビルダー〟・ヒッグスは人々の間で『過去の人』となったのだ。
技師として稼いだ金もすべてなくなり、この下町にやってきた。それでも、海上鉄道の夢は捨てることなく研究している。一目で栄養不足とわかる痩せこけた体も、風呂にも入っていない異臭も、すべてを研究に注ぎ込んでいる結果だった。
「〝ビルダー〟・ヒッグス」
トウナは再び言った。
「わたしにはタラの島の長として島の発展を実現する責任があります。そのためには、人がいる。ですが、小さな島に住める人の数などたかが知れています。いくつもの島をつなぎ、人が行き来できるようになればそれも解消するでしょう。ですが、船による移動には危険が付きものです。
だからこそ、あなたの言う『ガキの夢』、海上鉄道が必要なのです。もし、島と島とを鉄道によってつなげ、安全な移動が出来るようになれば、人・物・情報を島と島の間で盛んに移動させることが出来るようになる。多くの人を一カ所に集め、教育することも、共同で事業に当たることも出来るようになる。
南の島々の発展のための大きな武器となるのです。だからこそ、あなたをお招きにあがったのです」
トウナはビシッと背筋を伸ばし、凜とした目付きでそう語った。
その姿にも、言葉にも、一切の嘘偽りはない。本心だけを本気で語っている。
見るものすべてに、そう納得させる姿だった。
トウナはヒッグスのことをロウワンから聞いた。
ロウワンがヒッグスのことを知っていたのはある意味、偶然だった。
まだロウワンを名乗る前、なんの力も知識もないただの少年だった頃、〝鬼〟の船に乗り合わせていた。そのとき、〝鬼〟に連れられてヒッグスの家を訪れた。〝鬼〟は海上鉄道という浪漫を追うヒッグスを気に入っており、海賊退治や襲われた人々を助けたことに対する礼金などを純金のインゴットにかえてヒッグスの家に放り込んでいたのだ。
「この世で追う価値があるのは浪漫だけ。まあ、あのインゴットをどう使うかは本人の勝手だがよ」
そう高らかに笑い飛ばして。
そして、トウナから『島と島を安全につなげる方法』について相談を受けたとき、ロウワンはヒッグスのことを思いだし、トウナに紹介した。そして、トウナはビーブに護衛してもらいながらここまでやってきた、と、言うわけなのだった。
「……君の話はわかった」
ヒッグスは居住まいを正した。まっすぐにトウナを見つめ返した。姿形は落ちぶれ、みすぼらしくても、そうして真剣な面持ちになると確かに、かつて人々から敬意を込めて〝ビルダー〟と呼ばれていた頃の情熱と風格が漂っていた。
「しかし、残念ながら過大評価していると言わざるを得ない。おれは確かに海上鉄道の研究に全力を注いできた。しかし、二〇年以上も研究をつづけながら実現の目処さえ立っていない。とてもではないけど、君の期待に応えられるとは思えない」
「それは、あなたがひとりで研究してきたからでしょう」
「えっ?」
「自由の国には何百年にも渡って技術開発に取り組んできた一族がいます。かの人たちの開発した強力な蒸気機関もあります。かの人たちと共に研究すれば、きっと成果はあがることでしょう」
「蒸気機関だって⁉」
ヒッグスは叫んだ。
興奮のあまり、椅子を蹴倒して立ちあがった。その不作法をビーブがとがめてうなり声をあげたが、ヒッグスはそんなことにかまっているどころではなかった。
「確かに、強力な蒸気機関があれば海上鉄道は実現できるかも知れない。しかし、あれはまだまだ効率が悪すぎて使えないはず……」
「その効率を格段に良くした新型の蒸気機関があるのです。自由の国にだけ。だからこそ、あなたを招きに来たのです」
「蒸気機関、蒸気機関……」
ヒッグスはブツブツと呟いた。その瞳に燃える炎はほとんど狂気と言っていいもので、〝ビルダー〟と呼ばれるまでに至った仕事ぶりの激しさを感じさせた。
「……海上鉄道の実現の目処が立たなかったのは、なによりも鉄の道の上を走る船を動かすための動力がなかったからなんだ。それほど強力な蒸気機関があるなら確かに実現できるかも知れない」
ヒッグスはそういうと奥の部屋に引っ込んだ。ズルズルと音を立てていくつもの袋を引きずってきた。その中身を床の上にぶちまけた。
みすぼらしい掘っ立て小屋。
そのなかはたちまち黄金色の輝きに満たされた。
ヒッグスがぶちまけたもの。それは、大量の純金のインゴットだった。
「……数年前から誰かがときどき純金のインゴットをうちに放り込んでいくようになった。さすがに、気味が悪くて使う気になれなかったが……もう、そんなことを言っている場合じゃない。このインゴットすべて自由の国に提供する。それを代償に、おれに海上鉄道を実現させてくれ」
そう語るその姿は、もはやみすぼらしい中年男のヒッグスではなかった。狂気の情熱をたぎらせた〝ビルダー〟だった。
トウナはニッコリと微笑んだ。
「ありがとう。感謝します、〝ビルダー〟」
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