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第二部 絆ぐ伝説
第五話六章 怒りの爆発
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ローラシアが負ける理由。
それを最初に見せつけたのはプリンスだった。
先陣を切って敵船に乗り込むと、クロヒョウのように剽悍な動きで敵兵を圧倒し、退かせた。血まみれの敵が倒れ、うめき声をあげる甲板の上に仁王立ちとなり、その服を脱ぎすてた。
身をひるがえし、背中を見せた。まだ幼い頃、奴隷としてローラシア貴族に使われていた時期、『持ち主』の息子に鞭打たれ、つけられた無数の傷跡が残る背中を。
「見ろ!」
プリンスはその背中を見せつけたまま、息を呑むローラシア兵たちに向かって叫んだ。
「おれはローラシアの出だ。黒人奴隷の息子として生まれた、生まれながらの奴隷だった。はした金で売り払われ、家畜として扱われ、『持ち主』の息子に毎日まいにち鞭打たれた。
だが! いまのおれはもう誰にも鞭で打たれたりしない! 金で売られることもない! それどころか、いまのおれは一国一城の主だ。一隻の船を任された船長だ。
ローラシアの水夫たちよ。そのままその国にいてそんなことが望めるか? 鞭打たれる日々から解放されるか? 出世して、栄華を誇ることが出来るか?
否!
そんなことは断じて出来ない! いまのままローラシアにいたのではお前たちは一生、奴隷のまま。鞭打たれ、こき使われ、打ち捨てられるだけの存在だ。
それで良いのか⁉
お前たちは人間だ! その人間であるお前たちが、そんな道具としての扱いに甘んじるのはまちがっている! ローラシアを捨て、自由の国に来い! 自由の国ならば鞭で打たれることはない。出世し、栄華をつかむことも出来る。黒人だろうと、元奴隷だろうと、働きさえすれば一隻の船長となり、白人を部下にもつこともできる! おれがその証拠だ! 立ちあがれ、奴隷身分の人間たちよ! かかる理不尽を許しておくな!」
プリンスのその叫びが荒波のようにローラシア水夫の胸に伝わった頃――。
別の船では料理長のミッキーが、かの人なりの方法で『ローラシアの負ける理由』を引き出していた。
両手に掲げた大皿いっぱいに自慢の料理を盛りつけ、渡り廊下を曲芸師のようにヒョイヒョイと渡ったミッキーは、その場に大皿を降ろすと手にした扇でパタパタやりはじめた。
海の幸をふんだんに使ったなんとも豪勢な料理。その見た目のみならず、かぐわしい香りまで漂ってきて、ローラシア兵たちは戦いの最中だというのに思わず腹を鳴らし、涎を垂れ流していた。
「ほ~れほれ、どうだ、どうだ」
ミッキーは扇でパタパタやりながら言った。
「お前ら、どうせ食いもんと言えば、カビの生えたビスケットに腐った水ぐらいのもんだろう。自由の国はちがうぞ。見ての通り、毎日がご馳走。肉も魚も食い放題だ。それに……」
ミッキーはニヤリと笑うとラム酒のたっぷりつまった瓶を取り出した。これ見よがしに、その中身を甲板の上にぶちまけた。
貴重な液体が甲板の上に空しくこぼれ落ちるさまに、ローラシアの水夫たちは目を丸くした。
「酒だっていくらでもある。いつだって好きなだけ飲めるんだぜ。ローラシアにいてそんなことが出来るか? 出来るわけねえよな。そんなしけた国にいつまでもかまってないで、うちに来いよ。自慢の料理をたらふく食わしてやるぜ」
さらに別の船ではブージが全身にまとった宝石細工をこれ見よがしに見せつけ、自慢そうに語っていた。
「どうだ、お前ら。こんな金銀財宝、見たことねえだろ。南の島にはなんでもあるぜ。金でも、銀でも、宝石でもな。自由の国じゃあ、鉱山で働く人間を募集してる。ローラシアなんぞこの場で捨てて、自由の国に来な。そうすりゃあ、鉱山で働ける。金銀財宝を掘り出して一財産、築けるんだぜ。ローラシアにいちゃあ一生、そんな目にはあえねえだろう。そんなケチくさい国に義理立てしてないで、こっちに来いよ」
さらに別の船では船医であるドク・フィドロが妻のマーサ、娘のナリスとを引き連れ、愛用の鞄を手に好々爺然とした笑顔を振りまいていた。
「さあさあさあ、歯の痛むものおらんか? 古傷の痛むものはおらんか? どんな傷でも治してやるぞい。自由の国では、どんな下級兵も使い捨てにしたりはせん。きちんと治療してやるぞ。薄情なローラシアなんぞ捨てて自由の国に来るといい」
「そうとも。あたしらはいつでも大歓迎だよ。人間として生まれたからには、人間として生きていくのが筋。ローラシアなんぞに義理立てしてないでうちにおいでよ」
マーサが陽気に声をあげると、まだ一一歳の娘のナリスも口をそろえた。
「おじちゃんたち、臭いよ。古い傷が治らずに腐ってるんでしょ。早くこっちに来なよ。ちゃんと、治療してあげるからさ」
かわいらしい少女にそう呼びかけられて日頃、優しい言葉などかけてもらったことのないローラシアの水夫たちの心が動かないわけがなかった。
それらの誘いに――。
ローラシア水夫たちの怒りが爆発した。
もとより、鎖につながれ、鞭で打たれ、貴族たちのやりたくない仕事を押しつけられ、それで感謝ひとつされることなく、報酬さえもらえない。それどころか、単なる道具として扱われ、人間以外の『なにか』として見下され、罵倒され、せまい船室に何十人も押し込められ、支給される食事と言えばカビの生えたビスケットにドブ臭い匂いのする古い水。
戦闘で負傷しようが、劣悪な環境のせいで病気になろうが、医者に診せてもらうことなど望めない。使い捨てにされ、道ばたに放り出され、野垂れ死にするだけ。
誰もそんなことは望んでいない。欲していない。隙あらば逃げ出し、海賊になって面白おかしく暮らしたい。
そう望んでいた。
その絶好の機会が向こうからやってきたのだ。
立身出世の夢を、
見たこともないご馳走を、
自分には一生、縁のないものとしてあきらめているしかなかった金銀財宝を、
日々、苦しめられる痛みを癒やしてくれる治療を、
目の前に差し出された。
この戦いにもはや勝ちはない。抵抗すれば殺されるだけ。その状況のなかでこれだけの『夢』を見せつけられ、しかも、向こうから誘ってきた。
その誘いに乗らないわけがなかった。
ローラシアの船という船で巨大なうねりが起こった。奴隷として使われる水夫たちの間に積もりにつもった怒りが、憎しみが、復讐心が、一斉に爆発した。
怒号というのさえ生温い咆哮。
海鳴りのように響くその声とともに、ローラシアの水夫たちは自分たちの上官に襲いかかった。
鎖を引きちぎり、船板を引っぺがし、そこらにあるものをなんでも武器にかえて恨み重なる貴族たちへの復讐をはじめたのだ。
もとより、貴族のやりたがらない重労働に明け暮れている身。力なら負けない。これまで、水夫たちの不満を抑え込んできたローラシアの秩序が敗戦によって失われたとき、貴族たちにはもはや反乱を抑え込む力などなかった。
鎖を断ちきれず、その場を動けないものは、その場に座り込み、一切の役目を放棄した。上官たちがいくら口から唾を飛ばし叫ぼうと、鞭を振るってその身を叩こうと、もはや、誰も従いはしない。腕を組み、唇を真一文字に結び、無言のままに耐えている。
そこに、反乱を起こした水夫たちが、自由の国の海賊たちが押しよせ、貴族たちを叩き斬り、水夫たちを鎖から解放した。解放された水夫たちは津波のような声をあげて自由の国に加わり、つい先ほどまで雲の上の存在であり、絶対服従しているしかなかった相手に襲いかかった。
それはもはや、戦いなどではなかった。
凄惨な復讐劇そのものだった。
これが、ガレノアの語った『ローラシアの負ける理由』。
国の根幹たる民。その民を虐げ、道具として扱ってきた国に勝利などあるわけがなかった。虐げつづけてきた民の怒りにふれ、滅びるのは理の当然だった。
水夫たちの反乱は津波のように広がり、あっという間にローラシアの船すべてを飲み込んだ。惨劇が繰り広げられ、ローラシアの船は次々と失われた。失われた分はそっくりそのまま自由の国の船へとかわり、戦力はあっという間に逆転していた。
戦いは終わった。
自由の国とローラシアの海戦は一日かからずに自由の国の圧勝で終わった。
いまや、自由の国の船団はローラシア船団のほとんどを我が物とし、その戦力は飛躍的に増大していた。
そしていま、指揮官のダリルをはじめ、生き残りの貴族たちは『海の女』号の甲板に集められていた。武器こそ取りあげられてはいるが、身を縛られてはいない。返り血に染まった海賊たちに囲まれ、小便をたらして震えるばかりの貴族たち相手に身を縛る必要などなかった。
「わ、わわわわ我輩をどうするつもりだ⁉」
ダリルが顔中を真っ青にしながらもそう叫んで見せたのはむしろ、あっぱれだったと言うべきかも知れない。
「わ、我輩はローラシア大公サトゥルヌスの一門だぞ! 我輩に傷ひとつつけてみろ。お前たち全員、サトゥルヌス大公の怒りを買い、殺されるぞ! そ、それが怖ければすぐに我輩を解放せい!」
その叫びに――。
周囲の海賊たちが一斉に笑い出した。
あまりに大きな、そして、おかしそうな笑いにダリルは肝を潰した。
もとより、斬首、火炙り、吊るし首は覚悟の上。それを承知で好き勝手に生きる無法者たちに、そんな脅しが通じるはずもない。そんな無意味な叫びをあげるしかないダリルはまさに嘲笑の的だった。
「情けねえ」
全身を返り血に染めたガレノアが言った。
肩にとまる鸚鵡までローラシア兵の血を浴びて緑の羽を赤く染めている。
「いい歳してパパの威光にすがるしかねえとはな。自分の力でなんとかしようって気概はねえのか?」
「な、なに……」
ニヤリ、と、ガレノアは獰猛な笑みを浮かべた。
「どうだい? おれさまと勝負するってのは。勝ったら無事に逃がしてやるぜ」
「ひいっ……!」
ダリルは白を向いてひっくり返った。
気を失わなかったのがせめてもだったろう。
「ガレノア」
長い布で顔を覆い、胸も露わな格好の〝ブレスト〟・ザイナブが前に進み出た。
「やるなら、わたしにやらせて。卑劣な男どもはこの手で斬る」
そう言ってダリルを睨みつけるその瞳には――。
まぎれもなく純粋な憎悪が輝いていた。
「ひいっ!」
ダリルは再び悲鳴をあげてひっくり返った。
ガレノアはそんなダリルを見て愉快そうに大笑いした。
「わっはっはっはっ! 安心しな。お前たちは殺さねえ。おれたちはもう海賊じゃねえ。れっきとした一国の海軍だ。無意味に殺しゃしねえよ。お前たちはちゃんと国に送り届けやる。そこで、お偉いパパさんに伝えた。
『お前たちは自由の国には勝てない。命が惜しけりゃ降伏しな。そうすりゃあ、そこそこの暮らしぐらいは保証してやるぞ』ってな」
そのガレノアの宣告を最後に――。
戦いはすべて終わったのだった。
それを最初に見せつけたのはプリンスだった。
先陣を切って敵船に乗り込むと、クロヒョウのように剽悍な動きで敵兵を圧倒し、退かせた。血まみれの敵が倒れ、うめき声をあげる甲板の上に仁王立ちとなり、その服を脱ぎすてた。
身をひるがえし、背中を見せた。まだ幼い頃、奴隷としてローラシア貴族に使われていた時期、『持ち主』の息子に鞭打たれ、つけられた無数の傷跡が残る背中を。
「見ろ!」
プリンスはその背中を見せつけたまま、息を呑むローラシア兵たちに向かって叫んだ。
「おれはローラシアの出だ。黒人奴隷の息子として生まれた、生まれながらの奴隷だった。はした金で売り払われ、家畜として扱われ、『持ち主』の息子に毎日まいにち鞭打たれた。
だが! いまのおれはもう誰にも鞭で打たれたりしない! 金で売られることもない! それどころか、いまのおれは一国一城の主だ。一隻の船を任された船長だ。
ローラシアの水夫たちよ。そのままその国にいてそんなことが望めるか? 鞭打たれる日々から解放されるか? 出世して、栄華を誇ることが出来るか?
否!
そんなことは断じて出来ない! いまのままローラシアにいたのではお前たちは一生、奴隷のまま。鞭打たれ、こき使われ、打ち捨てられるだけの存在だ。
それで良いのか⁉
お前たちは人間だ! その人間であるお前たちが、そんな道具としての扱いに甘んじるのはまちがっている! ローラシアを捨て、自由の国に来い! 自由の国ならば鞭で打たれることはない。出世し、栄華をつかむことも出来る。黒人だろうと、元奴隷だろうと、働きさえすれば一隻の船長となり、白人を部下にもつこともできる! おれがその証拠だ! 立ちあがれ、奴隷身分の人間たちよ! かかる理不尽を許しておくな!」
プリンスのその叫びが荒波のようにローラシア水夫の胸に伝わった頃――。
別の船では料理長のミッキーが、かの人なりの方法で『ローラシアの負ける理由』を引き出していた。
両手に掲げた大皿いっぱいに自慢の料理を盛りつけ、渡り廊下を曲芸師のようにヒョイヒョイと渡ったミッキーは、その場に大皿を降ろすと手にした扇でパタパタやりはじめた。
海の幸をふんだんに使ったなんとも豪勢な料理。その見た目のみならず、かぐわしい香りまで漂ってきて、ローラシア兵たちは戦いの最中だというのに思わず腹を鳴らし、涎を垂れ流していた。
「ほ~れほれ、どうだ、どうだ」
ミッキーは扇でパタパタやりながら言った。
「お前ら、どうせ食いもんと言えば、カビの生えたビスケットに腐った水ぐらいのもんだろう。自由の国はちがうぞ。見ての通り、毎日がご馳走。肉も魚も食い放題だ。それに……」
ミッキーはニヤリと笑うとラム酒のたっぷりつまった瓶を取り出した。これ見よがしに、その中身を甲板の上にぶちまけた。
貴重な液体が甲板の上に空しくこぼれ落ちるさまに、ローラシアの水夫たちは目を丸くした。
「酒だっていくらでもある。いつだって好きなだけ飲めるんだぜ。ローラシアにいてそんなことが出来るか? 出来るわけねえよな。そんなしけた国にいつまでもかまってないで、うちに来いよ。自慢の料理をたらふく食わしてやるぜ」
さらに別の船ではブージが全身にまとった宝石細工をこれ見よがしに見せつけ、自慢そうに語っていた。
「どうだ、お前ら。こんな金銀財宝、見たことねえだろ。南の島にはなんでもあるぜ。金でも、銀でも、宝石でもな。自由の国じゃあ、鉱山で働く人間を募集してる。ローラシアなんぞこの場で捨てて、自由の国に来な。そうすりゃあ、鉱山で働ける。金銀財宝を掘り出して一財産、築けるんだぜ。ローラシアにいちゃあ一生、そんな目にはあえねえだろう。そんなケチくさい国に義理立てしてないで、こっちに来いよ」
さらに別の船では船医であるドク・フィドロが妻のマーサ、娘のナリスとを引き連れ、愛用の鞄を手に好々爺然とした笑顔を振りまいていた。
「さあさあさあ、歯の痛むものおらんか? 古傷の痛むものはおらんか? どんな傷でも治してやるぞい。自由の国では、どんな下級兵も使い捨てにしたりはせん。きちんと治療してやるぞ。薄情なローラシアなんぞ捨てて自由の国に来るといい」
「そうとも。あたしらはいつでも大歓迎だよ。人間として生まれたからには、人間として生きていくのが筋。ローラシアなんぞに義理立てしてないでうちにおいでよ」
マーサが陽気に声をあげると、まだ一一歳の娘のナリスも口をそろえた。
「おじちゃんたち、臭いよ。古い傷が治らずに腐ってるんでしょ。早くこっちに来なよ。ちゃんと、治療してあげるからさ」
かわいらしい少女にそう呼びかけられて日頃、優しい言葉などかけてもらったことのないローラシアの水夫たちの心が動かないわけがなかった。
それらの誘いに――。
ローラシア水夫たちの怒りが爆発した。
もとより、鎖につながれ、鞭で打たれ、貴族たちのやりたくない仕事を押しつけられ、それで感謝ひとつされることなく、報酬さえもらえない。それどころか、単なる道具として扱われ、人間以外の『なにか』として見下され、罵倒され、せまい船室に何十人も押し込められ、支給される食事と言えばカビの生えたビスケットにドブ臭い匂いのする古い水。
戦闘で負傷しようが、劣悪な環境のせいで病気になろうが、医者に診せてもらうことなど望めない。使い捨てにされ、道ばたに放り出され、野垂れ死にするだけ。
誰もそんなことは望んでいない。欲していない。隙あらば逃げ出し、海賊になって面白おかしく暮らしたい。
そう望んでいた。
その絶好の機会が向こうからやってきたのだ。
立身出世の夢を、
見たこともないご馳走を、
自分には一生、縁のないものとしてあきらめているしかなかった金銀財宝を、
日々、苦しめられる痛みを癒やしてくれる治療を、
目の前に差し出された。
この戦いにもはや勝ちはない。抵抗すれば殺されるだけ。その状況のなかでこれだけの『夢』を見せつけられ、しかも、向こうから誘ってきた。
その誘いに乗らないわけがなかった。
ローラシアの船という船で巨大なうねりが起こった。奴隷として使われる水夫たちの間に積もりにつもった怒りが、憎しみが、復讐心が、一斉に爆発した。
怒号というのさえ生温い咆哮。
海鳴りのように響くその声とともに、ローラシアの水夫たちは自分たちの上官に襲いかかった。
鎖を引きちぎり、船板を引っぺがし、そこらにあるものをなんでも武器にかえて恨み重なる貴族たちへの復讐をはじめたのだ。
もとより、貴族のやりたがらない重労働に明け暮れている身。力なら負けない。これまで、水夫たちの不満を抑え込んできたローラシアの秩序が敗戦によって失われたとき、貴族たちにはもはや反乱を抑え込む力などなかった。
鎖を断ちきれず、その場を動けないものは、その場に座り込み、一切の役目を放棄した。上官たちがいくら口から唾を飛ばし叫ぼうと、鞭を振るってその身を叩こうと、もはや、誰も従いはしない。腕を組み、唇を真一文字に結び、無言のままに耐えている。
そこに、反乱を起こした水夫たちが、自由の国の海賊たちが押しよせ、貴族たちを叩き斬り、水夫たちを鎖から解放した。解放された水夫たちは津波のような声をあげて自由の国に加わり、つい先ほどまで雲の上の存在であり、絶対服従しているしかなかった相手に襲いかかった。
それはもはや、戦いなどではなかった。
凄惨な復讐劇そのものだった。
これが、ガレノアの語った『ローラシアの負ける理由』。
国の根幹たる民。その民を虐げ、道具として扱ってきた国に勝利などあるわけがなかった。虐げつづけてきた民の怒りにふれ、滅びるのは理の当然だった。
水夫たちの反乱は津波のように広がり、あっという間にローラシアの船すべてを飲み込んだ。惨劇が繰り広げられ、ローラシアの船は次々と失われた。失われた分はそっくりそのまま自由の国の船へとかわり、戦力はあっという間に逆転していた。
戦いは終わった。
自由の国とローラシアの海戦は一日かからずに自由の国の圧勝で終わった。
いまや、自由の国の船団はローラシア船団のほとんどを我が物とし、その戦力は飛躍的に増大していた。
そしていま、指揮官のダリルをはじめ、生き残りの貴族たちは『海の女』号の甲板に集められていた。武器こそ取りあげられてはいるが、身を縛られてはいない。返り血に染まった海賊たちに囲まれ、小便をたらして震えるばかりの貴族たち相手に身を縛る必要などなかった。
「わ、わわわわ我輩をどうするつもりだ⁉」
ダリルが顔中を真っ青にしながらもそう叫んで見せたのはむしろ、あっぱれだったと言うべきかも知れない。
「わ、我輩はローラシア大公サトゥルヌスの一門だぞ! 我輩に傷ひとつつけてみろ。お前たち全員、サトゥルヌス大公の怒りを買い、殺されるぞ! そ、それが怖ければすぐに我輩を解放せい!」
その叫びに――。
周囲の海賊たちが一斉に笑い出した。
あまりに大きな、そして、おかしそうな笑いにダリルは肝を潰した。
もとより、斬首、火炙り、吊るし首は覚悟の上。それを承知で好き勝手に生きる無法者たちに、そんな脅しが通じるはずもない。そんな無意味な叫びをあげるしかないダリルはまさに嘲笑の的だった。
「情けねえ」
全身を返り血に染めたガレノアが言った。
肩にとまる鸚鵡までローラシア兵の血を浴びて緑の羽を赤く染めている。
「いい歳してパパの威光にすがるしかねえとはな。自分の力でなんとかしようって気概はねえのか?」
「な、なに……」
ニヤリ、と、ガレノアは獰猛な笑みを浮かべた。
「どうだい? おれさまと勝負するってのは。勝ったら無事に逃がしてやるぜ」
「ひいっ……!」
ダリルは白を向いてひっくり返った。
気を失わなかったのがせめてもだったろう。
「ガレノア」
長い布で顔を覆い、胸も露わな格好の〝ブレスト〟・ザイナブが前に進み出た。
「やるなら、わたしにやらせて。卑劣な男どもはこの手で斬る」
そう言ってダリルを睨みつけるその瞳には――。
まぎれもなく純粋な憎悪が輝いていた。
「ひいっ!」
ダリルは再び悲鳴をあげてひっくり返った。
ガレノアはそんなダリルを見て愉快そうに大笑いした。
「わっはっはっはっ! 安心しな。お前たちは殺さねえ。おれたちはもう海賊じゃねえ。れっきとした一国の海軍だ。無意味に殺しゃしねえよ。お前たちはちゃんと国に送り届けやる。そこで、お偉いパパさんに伝えた。
『お前たちは自由の国には勝てない。命が惜しけりゃ降伏しな。そうすりゃあ、そこそこの暮らしぐらいは保証してやるぞ』ってな」
そのガレノアの宣告を最後に――。
戦いはすべて終わったのだった。
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