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第二部 絆ぐ伝説
第四話最終章 家出息子の帰還
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〝鬼〟の大刀が謎の重騎士の最後の一体を斬り裂いた。両断されたその身が、渦に呑まれて溶け去り、消えていく紙のように虚空に吸い込まれていく。
それを期にあたり一帯を覆っていた異様な気配も晴れたようだ。空を覆う暗雲が突如として消え去り、晴れ渡った青空が広がったような、そんな晴ればれとした気分が広がった。
「……これで、終わりか?」
「そのようだな」
ロウワンの言葉に野伏が答えた。
「気配もないし、おれのなかの妖怪たちのざわめきも消えた。やつらが近くにいない証拠だ」
「……そうか」
ふう、と、ロウワンは息をついた。額の汗をぬぐった。
汗をかいているのは戦いを終えたばかりだから、というだけではない。あたり一帯が激しい熱に包まれているからだ。
恐るべき侵略者たちは消え去った。しかし、世界三大港のひとつサラフディンは燃え盛ったまま。目の前を見れば天をも焦がすような炎の壁が一面に立ちはだかっている。焼け落ちた桟橋は海に落ち、海水に濡れることでさらに激しく燃えあがっている。
それが、海原の火の恐ろしさ。この火を消すだけでも一苦労。まして、港をもとどおりにするのには何ヶ月かかることか……。
これは、ゴンドワナ経済にとって大きな痛手であるし、他国との連絡という点でも大きな不便を被ることとなる。ゴンドワナとの協力関係を構築したい自由の国としてもサラフディンの使用が制限されるのは痛い。
「……もっと早く駆けつけていれば、こんな被害も出さずにすんだのにな」
「お前には交渉という役目があった。仕方がない。おれがこの場にいるべきだった。うかつだったのは、おれだ」
野伏が後悔の念をにじませながら言った。
我ながら甘かった。
そう思う。
いかに数多くの修羅場をくぐり抜けてきた野伏であっても、パンゲアから遠くはなれたサラフディンに、こうも早々と襲撃をかけてくるとは想像できなかった。
しかし、それは確かに甘いと言うべきだった。謎の重騎士、〝神兵〟についてはパンゲアの諜報員アホウタからすでに聞いていた。アッバス港が壊滅したいきさつも聞いていた。それならば、いつ、どこに現れても不思議はない。そのことを承知し、警戒しておくべきだった。
――おれもまだまだだな。
舌打ちとともに野伏はそう思った。
「見事なもんだったよ、あんたら」
そんな野伏の悔いを吹き飛ばすように、陽気と言うよりは豪快な女の声がした。
サラフディンを守るボーラ傭兵団の頭、ボーラだった。
「あんたたちがいてくれなかったら、あたしらだけではサラフディンは守れなかった。アッバス同様、町ごと全滅させられていたところだよ。サラフディンを代表して礼を言うよ。ありがとう」
「とんでもない。我々の来るのが遅れたために大きな被害を出してしまいました。申し訳ありません」
そのロウワンの言葉に――。
ボーラは笑みを浮かべたが少々、手厳しいものも含まれていた。
「律儀なことだね。けど、なんでもかんでも『自分がいれば……』なんて思っていると足元をすくわれるよ」
いかにも実戦経験豊富な海賊らしい忠告をしたあと、ボーラは話題をかえた。
「それにしてもあの連中、なんだって斬られたあとに消滅したんだい? 魔法かなんか使ったのかい?」
「いや」
と、答えたのは野伏だった。
「おれたちのしたことではない。あいつらが自然と消滅した」
「自然と?」
「ああ。あいつらの正体はわからん。だが、この世ならざる存在であることは確かだ。おそらく、この世界に存在できる時間には限りがあるのだろう。斬られることで存在できなくなり、自然消滅したのだろう」
「この世ならざる存在、ねえ」
ギラリ、と、ボーラの目が油断ならない光に輝いた。
「つまり……そいつらを斬れるあんたたちもまた、この世ならざる存在ってわけかい?」
「おれはな」
野伏は当然のように答えた。
「おれの場合は、この大刀のおかげです」
ロウワンが〝鬼〟の大刀を掲げながら言った。
「この大刀は〝鬼〟の持ち物。〝鬼〟の力が宿っている。その力を使えればこの世でも、あの世でも、斬れないものはありません」
「〝鬼〟だって?」
ボーラの顔色がかわった。
「〝鬼〟ってのは、あの〝鬼〟のことかい?」
「その〝鬼〟です」
ロウワンは〝鬼〟から大刀を譲り受けたときのいきさつを説明した。
ボーラは食い入るように聞いていたがやがて、納得顔でうなずいた。
「なるほどね。〝鬼〟が言っていた『威勢の良い小僧』ってのは、あんたのことだったわけだ」
「………? 知っていたんですか?」
「ああ。ちょっと前まで、うちの傭兵団にひとりの女がいてね。一〇年前、〝鬼〟に故郷を滅ぼされ、旦那と子どもを殺された女でね。仇をとるためにそれからの一〇年間、うちの傭兵団に所属して腕を磨いてきたのさ」
「無茶だ! いくら腕を磨いても、ただの人間が〝鬼〟に敵うわけがない」
「そう。その通り。敵わなかったさ。〝鬼〟に復讐戦を挑んで返り討ちにされたよ。けど、一太刀、一太刀は確かに与えた。死に顔は満足そうだったよ。いまでは、旦那と子どもと同じ墓に眠っているよ」
「そう……ですか」
「で、まあ、その戦いのときに、いつもの大刀をもっていない理由を聞かされたわけさ」
ロウワンは遠くを見る表情になった。
胸に手を当て、死者の冥福を祈った。
「おれが言うのも変ですが……その方を夫君とお子さんと同じ墓に埋葬してくれたこと、感謝します」
キョトン、と、ボーラは目を丸くした。それから、『ハッハッハッ!』と、豪快に笑った。
「本当に律儀だねえ、あんたは。ガレノアや、あの〝鬼〟までが気に入る理由がわかる気がするよ」
ボーラはそう言って笑ったがもちろん、事態は笑っていられるようなものではなかった。
襲撃は退けたとは言え、状況は惨憺たるものだった。港の受けた被害もさることながら人的被害が大きい。名だたるボーラ傭兵団のほとんどが死ぬか、大きな怪我をしていた。
〝神兵〟たちと渡りあえる強さもなく、通用する武器もなく、その身を張って〝神兵〟の進軍をとどめなければならなかった傭兵たち。ビーブのように野性の素早さで翻弄することも出来ず、相手の体にしがみつくことでしか動きを封じることは出来なかった。その結果、〝神兵〟たちに吹き飛ばされ、手足をもぎとられ、踏みつぶされなければならなかった。そうして身を張って港を、町を、人々を守り抜いたのだ。
港にはいま、その『英雄』たちが何千と身を並べ、治療を受けている。
しかし、治療によって治るような軽傷者ばかりではない。と言うより、そんな軽傷者の方が圧倒的に少ない。多くの傭兵たちが手足をもぎとられ、内臓を踏みつぶされ、筋肉まで焼かれる火傷を負い、苦しんでいる。
助けてくれと叫んでいる。
いっそ殺してくれと泣いている。
生きのこったとは言え、取り返しのつかない怪我を負ったかの人たちの今後の人生はつらいものとなるだろう。
「死んだ方がマシだった!」
そう叫びたくなることもきっと、幾度となくあるだろう。
「……ひどいな」
はじめてみる戦の風景。
それを前にロウワンはそう言うしかなかった。
「なあに。これが、あたしら傭兵団の仕事さ」
ボーラはあえて簡単なことのように言ったが――。
その表情には悔しさがにじみ出ていた。
「目をそらすなよ。ロウワン」
野伏が言った。
「これが、戦の現実だ。物語のなかのように英雄や美姫が乱舞する美しく、格好の良いものではない。醜く、おぞましいものだ。お前が戦いの道を選ぶなら、この惨状は避けては通れない。それどころか、もっともっとひどいものを見ることになる。
そして、お前は命令する立場だ。自らの命令によって、この惨状を生みだす立場だ。この傭兵たちもお前の檄に応じたばかりにこれだけの傷を負った。逃げていれば助かったかも知れないのにな。
傭兵たちを戦いに向かわせたお前には、かの人たちの死を受けとめる義務がある。その死に報いる責任がある。目をそらすことは許されんぞ」
「……わかっている」
野伏の言葉に――。
ロウワンは小さく、しかし、決意を込めてうなずいた。その目はまっすぐに、その場に並ぶ怪我人たちを見つめている。
「かの人たちはこの港を、町を、人々を守るために死に、傷ついた。だったら、報いる方法はひとつ。この港を、町を、人々を守り抜くことだ」
――そうとも。アルヴィルダ。これが、あなたの言う『平和への道』だと言うのなら、おれは決して受け入れるわけにはいかない。本気で自分に逆らう人間ことごとくを殺しつくし、自分に賛同する人間だけで世界を作ろうというのなら、おれは必ずその目的を打ち砕く。あなたとはちがう方法で人と人の争いを終わらせ、あなたのまちがいを証明してみせる。
ガッ!
ロウワンは激しい音を立てて〝鬼〟の大刀の切っ先を地面に突き立てた。
声を限りに叫んだ。
「聞け! おれの名はロウワン! 自由の国の主催としてこの場で宣言する! パンゲアの侵略に屈することはない。必ずや撃退する。この町を、世界を、人々を、かかる理不尽から守ってみせる! 思いを同じくするものは我がもとへ集えっ!」
その宣言に――。
その場で地鳴りのような歓声が沸き立った。
それから数日のときが立った。
『消火不能』とされる海原の火もようやく消しとめられ、港の再建がはじまったところだった。
再建には多額の費用と長い時間、そして、多くの人手がかかる。しかし、それがなんだと言うのだろう。自分たちは生きのこった。生きのこったからこそこうして再建の苦労を背負えるのではないか。
ならば、これは苦労ではなく喜び。
生きている喜びそのものだ!
その思いが皆の心にあり、気持ちを沸き立たせていた。人々は鼻歌交じりに再建に励んでいた。
そんななか、ムスタファとアーミナは自分たちの家で夕食前の一時を過ごしていた。
「自由の国とは正式に同盟を結ぶそうね」
「ああ」
と、妻のアーミナの言葉に、夫のムスタファはうなずいた。
つい先ほど評議会とロウワンとの間で会談が行われ、評議会議長ヘイダールが正式に同盟を受け入れたところだった。あとは公文書が作成され、その文書が交換されれば両者の同盟は正式に成立する。
それは同時に『自由の国』という存在が、ゴンドワナによって正式に『国家として』認められたことをも意味する。
「もともと、同盟に関して難点だったのは自由の国にはローラシアを敵にまわしてでも同盟を組むだけの軍事力があるのか、という点だったからな。それを充分に見せつけてくれた。なにしろ、ゴンドワナでは手も足も出なかったパンゲアの怪物どもをたったふたりで撃退したんだからな」
しかも、おれたちの息子がだ。
ムスタファは万感の思いを込めてそう語った。
「……そうね。立派な姿だったわ」
「……ああ。立派だった」
一抹のさびしさを感じながら父と母は息子を讃えた。
「あの様を見れば、ローラシア船団との戦いの結果など聞くまでもない。パンゲアに対抗するためには自由の国との同盟がどうしても必要だ。ローラシアを敵にまわしてでも同盟を組む価値は充分にある」
ムスタファはそう断言した。
会議の席でもそう強硬に主張し、自由の国との同盟を推進したムスタファである。
――おれの息子はいま、世界の命運を懸けて戦おうとしている。ならば、そのその思いを支えずに、なにが親か!
その思いがある。
パンゲアに対しては評議会議長の名において正式に抗議し、謝罪と損害賠償を求める通告が行われることになっている。もっとも、形式だけのもので、誰もパンゲアが応じるなどとは思っていない。
そもそも、今回の襲撃がパンゲアの仕業だという証拠もない。パンゲア人ひとり、姿を見せたわけではないし、捕虜を捕まえたわけでもない。謎の重騎士たちがパンゲアの兵であることを示す証拠はただひとつ。その鎧につけられていたパンゲアの紋章だけ。しかし、その紋章もすべて、その身の消滅とともに消え果てた。
「自分たちには関わりのないこと」
パンゲアがそう言い張ればそれ以上、追求のしようもない。もっとも――。
ムスタファとしてはむしろ、そんな態度をとってくれた方がいい。本当に恐ろしいのはパンゲアがとぼけることをせず、堂々と認めたときだ。
それは、パンゲアが明確に征服の意図をもっており、また、それが可能だと思うだけの戦力をもっていることを意味する。つまり――。
――また、この町が襲われると言うことだからな。
評議会の一員として、そのときのための備えをしておかなくてはならないムスタファだった。
そんなムスタファのもとに香ばしい芳香が漂ってきた。
妻のアーミナが心づくしの手料理を卓上に並べたところだった。
その匂いにムスタファの顔が思わずほころんだ。
「……白身魚のハーブとベリーはさみ焼きに、ザクロとクルミのコレシュ、それに、チェロか。あの子の好物だったな」
「……ええ。あの子のことを考えていたらついつい作ってしまって。出来れば、あの子にも食べさせてあげたかった」
「……そうだな」
ムスタファが答えたそのときだ。
家の扉がノックされた。
「はい?」
と、扉を開けたアーミナの前。そこに、見覚えのある人物が立っていた。
「あなたは……」
アーミナは目を丸くした。
そこにいたのは赤銅色の肌に野性的な風貌をした若く美しい娘。
トウナだった。
その足元にはビーブもいる。
「こんにちわ。お届けものをおもちしました」
トウナはそう言った。
「お届けもの?」
戸惑うアーミナの前でトウナはすぐ横を見た。壁に隠れ、アーミナからは見えない位置を。
「ほら、なにしてるの。早く」
「い、いや、だって……」
その声を聞いたとき――。
アーミナの顔色がかわった。
「いいから早く」
トウナに耳を引っ張られて現れたのは――。
ロウワンだった。
アーミナは声を失った。そんな母の前で、帰ってきた家出息子は顔を真っ赤にして、唇を噛みしめ、うつむき加減に横を向いている。
会わせる顔がない。
まさに、その言葉を形にしたような姿だった。
「ほら」
と、トウナが容赦なく耳を引っ張った。
「わ、わかったよ……」
ロウワンはそう言うと、横を向いたまま小さく口にした。
「た、ただいま……。母さん、父さん」
アーミナは泣きじゃくって息子に飛びついた。すっかり大きく、たくましく成長したその身を抱きしめた。やってきたムスタファが黙ってその上から自分の両腕を重ねた。妻と息子を丸ごと抱きしめた。
数年ぶりの――。
親子の再会だった。
第二部第四話完
第二部第五話につづく
それを期にあたり一帯を覆っていた異様な気配も晴れたようだ。空を覆う暗雲が突如として消え去り、晴れ渡った青空が広がったような、そんな晴ればれとした気分が広がった。
「……これで、終わりか?」
「そのようだな」
ロウワンの言葉に野伏が答えた。
「気配もないし、おれのなかの妖怪たちのざわめきも消えた。やつらが近くにいない証拠だ」
「……そうか」
ふう、と、ロウワンは息をついた。額の汗をぬぐった。
汗をかいているのは戦いを終えたばかりだから、というだけではない。あたり一帯が激しい熱に包まれているからだ。
恐るべき侵略者たちは消え去った。しかし、世界三大港のひとつサラフディンは燃え盛ったまま。目の前を見れば天をも焦がすような炎の壁が一面に立ちはだかっている。焼け落ちた桟橋は海に落ち、海水に濡れることでさらに激しく燃えあがっている。
それが、海原の火の恐ろしさ。この火を消すだけでも一苦労。まして、港をもとどおりにするのには何ヶ月かかることか……。
これは、ゴンドワナ経済にとって大きな痛手であるし、他国との連絡という点でも大きな不便を被ることとなる。ゴンドワナとの協力関係を構築したい自由の国としてもサラフディンの使用が制限されるのは痛い。
「……もっと早く駆けつけていれば、こんな被害も出さずにすんだのにな」
「お前には交渉という役目があった。仕方がない。おれがこの場にいるべきだった。うかつだったのは、おれだ」
野伏が後悔の念をにじませながら言った。
我ながら甘かった。
そう思う。
いかに数多くの修羅場をくぐり抜けてきた野伏であっても、パンゲアから遠くはなれたサラフディンに、こうも早々と襲撃をかけてくるとは想像できなかった。
しかし、それは確かに甘いと言うべきだった。謎の重騎士、〝神兵〟についてはパンゲアの諜報員アホウタからすでに聞いていた。アッバス港が壊滅したいきさつも聞いていた。それならば、いつ、どこに現れても不思議はない。そのことを承知し、警戒しておくべきだった。
――おれもまだまだだな。
舌打ちとともに野伏はそう思った。
「見事なもんだったよ、あんたら」
そんな野伏の悔いを吹き飛ばすように、陽気と言うよりは豪快な女の声がした。
サラフディンを守るボーラ傭兵団の頭、ボーラだった。
「あんたたちがいてくれなかったら、あたしらだけではサラフディンは守れなかった。アッバス同様、町ごと全滅させられていたところだよ。サラフディンを代表して礼を言うよ。ありがとう」
「とんでもない。我々の来るのが遅れたために大きな被害を出してしまいました。申し訳ありません」
そのロウワンの言葉に――。
ボーラは笑みを浮かべたが少々、手厳しいものも含まれていた。
「律儀なことだね。けど、なんでもかんでも『自分がいれば……』なんて思っていると足元をすくわれるよ」
いかにも実戦経験豊富な海賊らしい忠告をしたあと、ボーラは話題をかえた。
「それにしてもあの連中、なんだって斬られたあとに消滅したんだい? 魔法かなんか使ったのかい?」
「いや」
と、答えたのは野伏だった。
「おれたちのしたことではない。あいつらが自然と消滅した」
「自然と?」
「ああ。あいつらの正体はわからん。だが、この世ならざる存在であることは確かだ。おそらく、この世界に存在できる時間には限りがあるのだろう。斬られることで存在できなくなり、自然消滅したのだろう」
「この世ならざる存在、ねえ」
ギラリ、と、ボーラの目が油断ならない光に輝いた。
「つまり……そいつらを斬れるあんたたちもまた、この世ならざる存在ってわけかい?」
「おれはな」
野伏は当然のように答えた。
「おれの場合は、この大刀のおかげです」
ロウワンが〝鬼〟の大刀を掲げながら言った。
「この大刀は〝鬼〟の持ち物。〝鬼〟の力が宿っている。その力を使えればこの世でも、あの世でも、斬れないものはありません」
「〝鬼〟だって?」
ボーラの顔色がかわった。
「〝鬼〟ってのは、あの〝鬼〟のことかい?」
「その〝鬼〟です」
ロウワンは〝鬼〟から大刀を譲り受けたときのいきさつを説明した。
ボーラは食い入るように聞いていたがやがて、納得顔でうなずいた。
「なるほどね。〝鬼〟が言っていた『威勢の良い小僧』ってのは、あんたのことだったわけだ」
「………? 知っていたんですか?」
「ああ。ちょっと前まで、うちの傭兵団にひとりの女がいてね。一〇年前、〝鬼〟に故郷を滅ぼされ、旦那と子どもを殺された女でね。仇をとるためにそれからの一〇年間、うちの傭兵団に所属して腕を磨いてきたのさ」
「無茶だ! いくら腕を磨いても、ただの人間が〝鬼〟に敵うわけがない」
「そう。その通り。敵わなかったさ。〝鬼〟に復讐戦を挑んで返り討ちにされたよ。けど、一太刀、一太刀は確かに与えた。死に顔は満足そうだったよ。いまでは、旦那と子どもと同じ墓に眠っているよ」
「そう……ですか」
「で、まあ、その戦いのときに、いつもの大刀をもっていない理由を聞かされたわけさ」
ロウワンは遠くを見る表情になった。
胸に手を当て、死者の冥福を祈った。
「おれが言うのも変ですが……その方を夫君とお子さんと同じ墓に埋葬してくれたこと、感謝します」
キョトン、と、ボーラは目を丸くした。それから、『ハッハッハッ!』と、豪快に笑った。
「本当に律儀だねえ、あんたは。ガレノアや、あの〝鬼〟までが気に入る理由がわかる気がするよ」
ボーラはそう言って笑ったがもちろん、事態は笑っていられるようなものではなかった。
襲撃は退けたとは言え、状況は惨憺たるものだった。港の受けた被害もさることながら人的被害が大きい。名だたるボーラ傭兵団のほとんどが死ぬか、大きな怪我をしていた。
〝神兵〟たちと渡りあえる強さもなく、通用する武器もなく、その身を張って〝神兵〟の進軍をとどめなければならなかった傭兵たち。ビーブのように野性の素早さで翻弄することも出来ず、相手の体にしがみつくことでしか動きを封じることは出来なかった。その結果、〝神兵〟たちに吹き飛ばされ、手足をもぎとられ、踏みつぶされなければならなかった。そうして身を張って港を、町を、人々を守り抜いたのだ。
港にはいま、その『英雄』たちが何千と身を並べ、治療を受けている。
しかし、治療によって治るような軽傷者ばかりではない。と言うより、そんな軽傷者の方が圧倒的に少ない。多くの傭兵たちが手足をもぎとられ、内臓を踏みつぶされ、筋肉まで焼かれる火傷を負い、苦しんでいる。
助けてくれと叫んでいる。
いっそ殺してくれと泣いている。
生きのこったとは言え、取り返しのつかない怪我を負ったかの人たちの今後の人生はつらいものとなるだろう。
「死んだ方がマシだった!」
そう叫びたくなることもきっと、幾度となくあるだろう。
「……ひどいな」
はじめてみる戦の風景。
それを前にロウワンはそう言うしかなかった。
「なあに。これが、あたしら傭兵団の仕事さ」
ボーラはあえて簡単なことのように言ったが――。
その表情には悔しさがにじみ出ていた。
「目をそらすなよ。ロウワン」
野伏が言った。
「これが、戦の現実だ。物語のなかのように英雄や美姫が乱舞する美しく、格好の良いものではない。醜く、おぞましいものだ。お前が戦いの道を選ぶなら、この惨状は避けては通れない。それどころか、もっともっとひどいものを見ることになる。
そして、お前は命令する立場だ。自らの命令によって、この惨状を生みだす立場だ。この傭兵たちもお前の檄に応じたばかりにこれだけの傷を負った。逃げていれば助かったかも知れないのにな。
傭兵たちを戦いに向かわせたお前には、かの人たちの死を受けとめる義務がある。その死に報いる責任がある。目をそらすことは許されんぞ」
「……わかっている」
野伏の言葉に――。
ロウワンは小さく、しかし、決意を込めてうなずいた。その目はまっすぐに、その場に並ぶ怪我人たちを見つめている。
「かの人たちはこの港を、町を、人々を守るために死に、傷ついた。だったら、報いる方法はひとつ。この港を、町を、人々を守り抜くことだ」
――そうとも。アルヴィルダ。これが、あなたの言う『平和への道』だと言うのなら、おれは決して受け入れるわけにはいかない。本気で自分に逆らう人間ことごとくを殺しつくし、自分に賛同する人間だけで世界を作ろうというのなら、おれは必ずその目的を打ち砕く。あなたとはちがう方法で人と人の争いを終わらせ、あなたのまちがいを証明してみせる。
ガッ!
ロウワンは激しい音を立てて〝鬼〟の大刀の切っ先を地面に突き立てた。
声を限りに叫んだ。
「聞け! おれの名はロウワン! 自由の国の主催としてこの場で宣言する! パンゲアの侵略に屈することはない。必ずや撃退する。この町を、世界を、人々を、かかる理不尽から守ってみせる! 思いを同じくするものは我がもとへ集えっ!」
その宣言に――。
その場で地鳴りのような歓声が沸き立った。
それから数日のときが立った。
『消火不能』とされる海原の火もようやく消しとめられ、港の再建がはじまったところだった。
再建には多額の費用と長い時間、そして、多くの人手がかかる。しかし、それがなんだと言うのだろう。自分たちは生きのこった。生きのこったからこそこうして再建の苦労を背負えるのではないか。
ならば、これは苦労ではなく喜び。
生きている喜びそのものだ!
その思いが皆の心にあり、気持ちを沸き立たせていた。人々は鼻歌交じりに再建に励んでいた。
そんななか、ムスタファとアーミナは自分たちの家で夕食前の一時を過ごしていた。
「自由の国とは正式に同盟を結ぶそうね」
「ああ」
と、妻のアーミナの言葉に、夫のムスタファはうなずいた。
つい先ほど評議会とロウワンとの間で会談が行われ、評議会議長ヘイダールが正式に同盟を受け入れたところだった。あとは公文書が作成され、その文書が交換されれば両者の同盟は正式に成立する。
それは同時に『自由の国』という存在が、ゴンドワナによって正式に『国家として』認められたことをも意味する。
「もともと、同盟に関して難点だったのは自由の国にはローラシアを敵にまわしてでも同盟を組むだけの軍事力があるのか、という点だったからな。それを充分に見せつけてくれた。なにしろ、ゴンドワナでは手も足も出なかったパンゲアの怪物どもをたったふたりで撃退したんだからな」
しかも、おれたちの息子がだ。
ムスタファは万感の思いを込めてそう語った。
「……そうね。立派な姿だったわ」
「……ああ。立派だった」
一抹のさびしさを感じながら父と母は息子を讃えた。
「あの様を見れば、ローラシア船団との戦いの結果など聞くまでもない。パンゲアに対抗するためには自由の国との同盟がどうしても必要だ。ローラシアを敵にまわしてでも同盟を組む価値は充分にある」
ムスタファはそう断言した。
会議の席でもそう強硬に主張し、自由の国との同盟を推進したムスタファである。
――おれの息子はいま、世界の命運を懸けて戦おうとしている。ならば、そのその思いを支えずに、なにが親か!
その思いがある。
パンゲアに対しては評議会議長の名において正式に抗議し、謝罪と損害賠償を求める通告が行われることになっている。もっとも、形式だけのもので、誰もパンゲアが応じるなどとは思っていない。
そもそも、今回の襲撃がパンゲアの仕業だという証拠もない。パンゲア人ひとり、姿を見せたわけではないし、捕虜を捕まえたわけでもない。謎の重騎士たちがパンゲアの兵であることを示す証拠はただひとつ。その鎧につけられていたパンゲアの紋章だけ。しかし、その紋章もすべて、その身の消滅とともに消え果てた。
「自分たちには関わりのないこと」
パンゲアがそう言い張ればそれ以上、追求のしようもない。もっとも――。
ムスタファとしてはむしろ、そんな態度をとってくれた方がいい。本当に恐ろしいのはパンゲアがとぼけることをせず、堂々と認めたときだ。
それは、パンゲアが明確に征服の意図をもっており、また、それが可能だと思うだけの戦力をもっていることを意味する。つまり――。
――また、この町が襲われると言うことだからな。
評議会の一員として、そのときのための備えをしておかなくてはならないムスタファだった。
そんなムスタファのもとに香ばしい芳香が漂ってきた。
妻のアーミナが心づくしの手料理を卓上に並べたところだった。
その匂いにムスタファの顔が思わずほころんだ。
「……白身魚のハーブとベリーはさみ焼きに、ザクロとクルミのコレシュ、それに、チェロか。あの子の好物だったな」
「……ええ。あの子のことを考えていたらついつい作ってしまって。出来れば、あの子にも食べさせてあげたかった」
「……そうだな」
ムスタファが答えたそのときだ。
家の扉がノックされた。
「はい?」
と、扉を開けたアーミナの前。そこに、見覚えのある人物が立っていた。
「あなたは……」
アーミナは目を丸くした。
そこにいたのは赤銅色の肌に野性的な風貌をした若く美しい娘。
トウナだった。
その足元にはビーブもいる。
「こんにちわ。お届けものをおもちしました」
トウナはそう言った。
「お届けもの?」
戸惑うアーミナの前でトウナはすぐ横を見た。壁に隠れ、アーミナからは見えない位置を。
「ほら、なにしてるの。早く」
「い、いや、だって……」
その声を聞いたとき――。
アーミナの顔色がかわった。
「いいから早く」
トウナに耳を引っ張られて現れたのは――。
ロウワンだった。
アーミナは声を失った。そんな母の前で、帰ってきた家出息子は顔を真っ赤にして、唇を噛みしめ、うつむき加減に横を向いている。
会わせる顔がない。
まさに、その言葉を形にしたような姿だった。
「ほら」
と、トウナが容赦なく耳を引っ張った。
「わ、わかったよ……」
ロウワンはそう言うと、横を向いたまま小さく口にした。
「た、ただいま……。母さん、父さん」
アーミナは泣きじゃくって息子に飛びついた。すっかり大きく、たくましく成長したその身を抱きしめた。やってきたムスタファが黙ってその上から自分の両腕を重ねた。妻と息子を丸ごと抱きしめた。
数年ぶりの――。
親子の再会だった。
第二部第四話完
第二部第五話につづく
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新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
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