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第二部 絆ぐ伝説

第四話一六章 揺らぐな!

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 「謀反むほんだと⁉ どういうことだ!」
 どういうことだ! などと怒鳴られても、説明できるわけがない。それを聞かれて明確に答えることのできるものはこの世にただひとり、当のメルクリウス本人だけだろう。
 この場合であれば先に確認しておくべきことは他に幾つもあった。それなのに、そんな怒鳴り声しか出せない。そのあたりがサトゥルヌスという人物の指導者としての限界、と言うものであった。
 他の四公爵もサトゥルヌスに劣らず狼狽ろうばいしきりで顔色を怒気に染めたり、恐怖に染めたりするのにいそがしく、肝心なことを確認するどころではなかった。もちろん、部屋に居並ぶ衛兵たちにそんなことができるはずがない。
 六公爵が居並ぶ前で使用人である衛兵がそんなことを尋ねれれば越権行為に問われる。例え、正しい行為だったしても首と胴がはなれることになる。それが、ローラシアという国だった。
 他の誰も肝心なことを確認しようとしないので、ロウワンがかわりに尋ねた。
 「落ち着いてください。よけいなことを言わず、こちらの質問にのみ正確に答えてください。いいですね?」
 「あ、は、はい……」
 自分の万倍も落ち着き払った若者の視線を受けて、その官僚も落ち着きを取り戻したようだった。
 「謀反むほん人がメルクリウス公爵だという根拠は?」
 「メ、メルクリウス公爵の旗を掲げています。それに、公爵の一門であるベルンハルトどのが一軍を率いています」
 「賊軍の数は?」
 「わ、わかりません。ですが、かなりの数かと。いくつかの場所を同時に襲ったようですから」
 「賊軍の位置は?」
 「それもわかりません。近隣の何ヶ所かで火の手があがったとしか。ただ、ベルンハルトどのの率いる一〇〇人あまりの兵がこのだい公邸こうていに向かっておりましたが……」
 このだい公邸こうていに向かっておりましたが。
 その言葉に――。
 高貴なる公爵閣下たちの間にどよめきが起こった。官僚の言葉にある重要な意味が込められていることに気がつく余裕があったのやはり、ロウワンただひとりだった。
 「『おりましたが』とは、どういう意味です?」
 「は、はい。ベルンハルトどの率いる一軍がだい公邸こうていの正門めがけて殺到していたのですが、そのなかにひとりの剣客けんかくが斬り込みまして……」
 「剣客けんかく?」
 「は、はい。この辺りではめずらしい東方風の出で立ちをして、大きな太刀たちを構えた剣客けんかくでして、この剣客けんかくが賊軍のなかに斬り込み、たちまち争いとなりました。おかげで、賊軍の前進はとまったのです」
 その報告に――。
 ロウワンは納得のうなずきをした。
 「わかりました。急な襲撃のなかで、よくそれだけ事態を把握していてくれました。あなたは優秀な官僚だ」
 「あ、ありがとうございます……!」
 ロウワンにめられて、その官僚は思わず笑顔を浮かべるとしゃちほこばって答えた。
 この官僚はすでに四〇代。ロウワンの父親の世代である。下級貴族でありながらだい公邸こうてい付きの官僚にまで登りつめた自分の英才振りを誇ってもいた。普段であればロウワンごとき、どこの馬の骨ともわからない平民の小僧など、鼻も引っかけない人物である。それがいま、ロウワンにめられて純粋に喜びを感じたのだ。
 ロウワンは大公サトゥルヌスをはじめとする公爵たちに向き直った。礼儀正しく会釈えしゃくしてから語った。
 「ご安心ください。賊軍に切り込んだ剣客けんかくとは、我が自由の国リバタリア最強の戦士、野伏のぶせ。かのが表にいる限り、何人たりとこのだい公邸こうていに侵入することは出来ません」
 「な、なんだと……?」
 「と言うより、すでに戦いは終わっていることでしょう。どうか、六公爵の方々にはご足労願います。我が自由の国リバタリアの兵の強さ、その目で確かめていただきたい」

 ロウワンの予測は完全に正しかった。
 ロウワン、ビーブ、トウナが六公爵の五人と衛兵たちを引き連れ、だい公邸こうていの正門から表に出たとき、その場の戦いはすでに終わっていた。
 一〇〇を数える完全武装の兵士たちがすでに息絶え、地面に転がり、その場に立っているのは野伏のぶせと、顔面蒼白になって為す術のないベルンハルトのふたりだけ。野伏のぶせは襟元を風にはためかせ、自慢の牡丹の裏地をかすかに覗かせて、涼やかに立っていた、
 その光景を見た六公爵や衛兵たちの驚きはいかばかりだったろう。太刀たちしかもっていないたったひとりの剣客けんかくが、小銃を手にした一〇〇人あまりの兵士たちに勝利するなど、それも、皆殺しにしてのけるなど、誰がそんなことを想像できると言うのか。
 しかし、実のところ、それほど驚くことでもなかった。刃物の届く間合いでの乱戦となってしまえば銃など使いようがない。そして、野伏のぶせほどの腕となれば『まわり中、すべて敵』という状況こそ理想。一切の遠慮も気遣いもなく、存分に自分の腕を振るえる最高の戦場。
 一〇〇人の兵士たちが野伏のぶせの接近に気がつかず、自分たちのなかに飛びこむことを許した時点で、この結果は決まっていた。まあ、一〇〇人を数える小銃をもった兵士相手ではさすがの野伏のぶせも相手の身命を気に懸ける余裕はなく全員、殺さなければならなかったのは残念と言えば残念ではあるが。
 「ベルンハルト!」
 大公サトゥルヌスが怒鳴った。
 事態の解決になんの貢献もしていないサトゥルヌスだが、その声の張り、大きさは確かに聞くものを怯えさせる雷霆らいていの威があった。
 「ひ、ひィッ……!」
 小さく悲鳴をあげたベルンハルトだが、その後はせきが切れたようにしゃべり出した。
 「メ、メメメメルクリウスさまが、よ、よよよよ世をた、たた正すためにた、たたたったのだ……! こ、この国はいまよりメルクリウスさまのものとなる。そして、おれはメルクリウスさまのもと、新たな六公爵となるのだ……!」
 この状況でそれだけのことを言えたのはこの際、あっぱれと言うべきかも知れない。メルクリウスから謀反むほんを告げられたときからずっと、その妄想を自分の頭のなかで育むことで己を鼓舞し、行動してしてきたのだろう。その思いがこの場で漏れ出したというわけだ。
 「……威勢の良いことを言うわりには、情けない状況のようだけど」
 ジロリ、と、トウナがベルンハルトをにらみながら辛辣なことを言った。
 トウナの発言ももっともだが、事態はそれほど楽なものではなかった。もし、これだけの数の兵士たちが謁見えっけんに突撃し、一斉射撃していたなら。たとえ、その場に野伏のぶせがいたとしても守りきれるはずもなく、ロウワンやビーブ、トウナも六公爵たちと一緒に殺されていた。
 そうなっていれば、ローラシアは『メルクリウス王』の支配する王国にかわり、自由の国リバタリアも、都市としもう国家こっかも失われ、世界の歴史はまったくちがうものになるところだった。野伏のぶせだい公邸こうていの表にいたというその一事が、歴史の流れを守ったのだ。
 「このために表に残ったの?」
 「ただの偶然だ」
 トウナの問いに、野伏のぶせはそう答えた。
 「だが、これまでの戦いで骨身に染みて知ったことがある。『自分が生きるために必須なものは、決して手放してはならない』と言うことだ」
 その言葉に――。
 ロウワン、ビーブ、トウナはそれぞれにうなずいた。
 「ふん。この役立たずめが」
 その声と共に巨大な金属の塊が振るわれ、ベルンハルトを吹き飛ばした。
 メルクリウスだった。メルクリウスが両手に巨大な武器を握り、後ろからベルンハルトを吹っ飛ばしたのだ。
 「〝鬼〟の大刀たいとう……」
 ロウワンが呟いた。
 おそらく、武器庫を襲った際に見つけ『これは良い』とばかりにその手にもったのだろう。メルクリウスのもつ巨大な武器は〝鬼〟の大刀たいとうに他ならなかった。
 「まさか、その歳で、その大刀たいとうを振りまわせる筋力があるなんてな。意外と鍛えていたんだな。見直したよ」
 ロウワンのこのとき、本気で感心していた。
 「メルクリウス!」
 サトゥルヌスが怒鳴った。
 「きさま、いったい、なんのつもりだ⁉ 謀反むほんなどとなにを考えておる!」
 ようやく、その問いを向けるにふさわしい相手が目の前に現われて、サトゥルヌスは叫んだ。その叫びをしかし、メルクリウスは嘲笑った。
 「知れたこと。世を正すのよ」
 「なに⁉」
 「そもそも『六公爵』など妥協の産物。そんなものが何百年にも渡ってつづいたのがまちがいなのだ。いまこそローラシアは正道に立ち戻り、このメルクリウスを王となる新たな国家となって、その輝かしい第一歩を踏み出すのだ」
 「愚かな。そんな真似が出来るつもりか?」
 「出来るとも」
 メルクリウスはその言葉と共に指を鳴らし、合図を送った。
 ニタニタといやらしい笑みを浮かべたヨーゼフが新たな一軍と共に姿を現わした。そして――。
 その軍勢のなかに一頭の怪物がいた。
 恐ろしく醜い人間の顔に、でっぷり太った獣の体。短く細い前足にたくましい後ろ足という姿の怪物。顔の大半を占める巨大な口にはおそらく、舗装用に使われていた石だろう。大量の岩塊がこれでもかとばかりに詰め込まれている。怪物はその岩塊を音を立てて噛み砕き、飲みくだす。口のなかがからになるとその場の地面に口を突っ込み、石と言わず、土と言わず、その巨大な口に放り込んでガシャガシャと音を立てて噛み砕いては飲みほしていく。その姿のなんと浅ましいことだったろう。
 そして、なによりもその顔。
 単に造詣が醜いというのではない。
 食欲。
 色欲。
 物欲。
 金銭欲。
 支配欲。
 人間のもつありとあらゆる欲望を魔女の大釜に放り込んでグツグツと煮立て、煮詰めに煮詰めて濃縮して絵の具とし、顔中に塗りたくった。
 そんな顔。
 見ているだけで人間のもつ最も醜い面を見せつけられ、吐き気を催す顔だった。
 「なんだ、あの怪物は?」
 六公爵や衛兵たちがどよめき、狼狽ろうばいするなか、ただひとり何事もないかのような胆力を示しているロウワンが声に出した。その声に野伏のぶせが答えた。
 「『とん』だ」
 「とん?」
 「はるか東方、盤古ばんこ帝国ていこくの領内に現われる魔獣だ。欲望の怪物で、なんでも食らう。土でも、石でも、金属でも、もちろん、人間でもな。しかも、限りなく食いつづける。最後には自分自身を食らい尽くして無に消えると言われている。盤古ばんこ帝国ていこくでもめったに見ることのない怪物だ。それを、ここまで連れてきていたとはな」
 「これがローラシア六公爵、いや、ローラシア王たる余の力というものよ」
 天下万民、余にひれ伏すがよい!
 メルクリウスは大きく両手を広げ、そう叫んだ。芝居に出てくる魔王のような姿だった。
 「要するに『金で買った』って言うことでしょ。借り物の力で威張らないでよ、みっともない」
 との、トウナの言葉はメルクリウスの心に届いただろうか。
 「さあ、サトゥルヌスよ。そして、公爵どもよ! この場で選ぶがよい。このまま、とんに食われて死に絶えるか、それとも、降伏するか。降伏するなら生命は保障してやる。庭の犬小屋につないで一生、餌をあてがってやるぞ」
 その言葉に六公爵は目まぐるしく顔色を変化させた。
 もちろん、そのような扱い、ローラシア貴族としての矜持きょうじが許さない。しかし、この場で怪物に食われて死ぬのもいやだ。自分はまだまだ権勢に満ちた人生を送るのだし、そうするだけの生まれついての資格があるのだ。
 もちろん、ローラシアの公爵ともなればいつか巡ってくるかも知れない機会に備えて切り札のひとつやふたつは用意してある。とんよりもさらにヤバい怪物を密かに飼っているものだっているのだ。しかし、いま、この場に連れてくることは出来ない……。
 メルクリウスはさらにつづけた。
 「さあ、衛兵どもよ! その銃を六公爵に向けよ! 余に対する忠誠を示せば、新生ローラシア王国においても衛兵としての立場を保障してやるぞ」
 言われて、衛兵たちは明らかに揺らいだ。もとより、ローラシア特有の厳格な上下関係に支配されてサトゥルヌスに仕えている身。『命を懸けてお守りする!』などと言う忠義心はどこにもない。もっと強い相手が現われればそちらに乗り換え、生き残りを計るのはむしろ、当然だった。だが――。
 「揺らぐな!」
 衛兵たちの心の揺らぎを吹き飛ばしたのは、凜とした若者の声だった。
 「脅されて言うことを聞いていれば一生、脅される。自分の未来を守りたいなら『いくら脅しても無駄だ』という気概きがいを見せつけろ!」
 ロウワンのその叫びは衛兵たちの心に確かに響いた。家柄と容姿だけで選ばれた飾り人形に過ぎなかったその心のなにかをかえ、その身に一本の芯を通したのだ。
 衛兵たちは肩に担いでいた銃を向けた。メルクリウスたちに向かって。
 「ビーブ、敵右半分を攪乱かくらん! 野伏のぶせ、あなたはあの怪物を! 衛兵隊、敵左半分を一斉射撃! 腹を狙え。腹は大きく、動きにくく一番、当たりやすい。腹に食らえば上体が前のめりになり、正面に向けて射撃するなど出来なくなる。一瞬でも早く腹に当てれば、反撃されることなく殲滅せんめつできるぞ!」
 そして、すべてがロウワンの指示通りに動いた。
 ビーブが吠え声と共に突撃し、一陣の風となって敵兵たちの足元を駆け抜け、斬りつけ、転倒させた。完全武装の兵士たちも、自分たちの足元を素早く駆け巡る武器もつ獣相手にはまったくの無力だった。
 衛兵隊が一斉に発砲した。腹に銃撃を食らった敵兵たちは、体を『く』の字に曲げて倒れ込み、反撃するどころではなかった。もし、発砲が同時に行われていれば双方、大きな被害を出していた。ロウワンやトウナが流れ弾に当たって殺される、と言うこともあり得た。だが、ロウワンの言ったとおり、ほんの一瞬はやく発砲したことが相手の反撃を封じ、一方的な殲滅せんめつとなった。
 そして、野伏のぶせ
 『ある例外』さえのぞけば人の世で最強の戦士であるその男は、自らの分身である太刀たちを手に、『とん』という名の怪物に向かった。
 ヨーゼフが泡を食って叫んだ。
 「な、なんだ、歯向かおうというのか⁉ こやつはとん、伝説の怪物。人の手には負えぬ妖物なのだぞ!」
 「悪いな。こちらも妖物だ」
 ざわっ。
 音を立てて野伏のぶせの髪が動いた。先端がヘビのように伸び、クモの巣のように広がった。
 毛羽けう毛現けげん
 野伏のぶせの髪になりすましている妖怪がいま、解きはなたれたのだ。
 毛羽けう毛現けげんがとんに絡みついた。全身を締めあげた。そのまま野伏のぶせの身に取り込んだ。
 耳をふさぎたくなる音がして――。
 とんの姿はこの世から消えていた。
 すべてを食らい尽くす伝説の怪物とん。
 そのとんがいま、野伏のぶせの身を形作る四八の妖怪によって逆に食われたのだ。
 その頃には戦いは終わっていた。メルクリウス配下の兵は、その半分がビーブによって足元を切断されてのたうちまわり、もう半分は衛兵隊の銃撃を受けて息絶えていた。
 残されたメルクリウスはあり得ない事態に顔面蒼白。全身をワナワナと震わせている。それでも、その場から逃げようとしなかったのは大したものだと言えるかも知れない。もちろん、逃げる先があれば別だったかも知れないが……。
 「こ、こうなれば、このわし自ら、きさまら全員、斬り捨ててくれるわ!」
 メルクリウスは〝鬼〟の大刀たいとうを引き抜こうとした。だが――。
 「やめておけ」
 ロウワンが静かに言った。
 「その大刀たいとうは使い手を選ぶ。お前程度の覚悟で抜けば、たちまち命を食われるぞ」
 「黙れ!」
 せっかくの忠告だったがメルクリウスの心には響かなかった。
 かつての六公爵は〝鬼〟の大刀たいとうを抜いた。そして――。
 「ぎゃああっ!」
 この世のものとも思えない悲鳴をあげた。
 もともと歳老いていたその身がさらにさらに歳をとっていく。醜く老いさらばえていく。ロウワンの言ったとおり、〝鬼〟の大刀たいとうに命を吸われているのだ。
 メルクリウスは必死に大刀たいとうを放そうとした。だが、はなれない。いや、大刀たいとうがメルクリウスをつかんで、はなさないのだ。
 大刀たいとうはメルクリウスの身に残る生命の最後の一滴までも吸い尽くそうとしていた。
 メルクリウスは生きたままミイラとなっていった。
 ロウワンが大刀たいとうとメルクリウスに近づいた。
 ロウワンがそっと大刀たいとうに手をかけると、大刀たいとうは素直な子イヌのようにメルクリウスからはなれ、ロウワンの手におさまった。
 「残念だが、あなたはもう助からない。〝鬼〟の大刀たいとうに命を食われすぎた。せめて、人として死なせてやろう」
 その言葉と共に――。
 ロウワンの手によって振るわれた大刀たいとうがメルクリウスの首をね飛ばした。
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