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第二部 絆ぐ伝説

第四話二章 怪物たちは海よりきたる

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 ローラシアがイスカンダル城塞じょうさいぐんを制圧されるという、有史以来はじめての災厄に見舞われたその日――。
 同盟国であるゴンドワナにおいても、ひとつの災厄が訪れていた。
 舞台となったのはサラスヴァティー長海の中程、西側沿岸に作られたアッバス港。
 実のところ、サラスヴァティー長海西側の沿岸部分はローラシアの領地なのだが、商人国家であるゴンドワナの方が保有する船舶せんぱく数、海軍力、双方において圧倒的に上回るという理由から、中流から下流にかけての港はゴンドワナが管理している。
 アッバス港もそのひとつであり、ローラシアの各都市と世界三大港町であるデーヴァヴァルマンやサラフディンを結ぶ重要拠点である。その特性上、毎日のように多くの船舶せんぱくが行き来している。アッバス港を凌ぐ規模の港など世界的に見てもそうはない。
 それだけの規模の港であるから交易を生業なりわいとする商人が多く住み着いている。その商人たちとその家族を目当てに、他の多くの商人が集まり、その商人たちのあきなう品を目当てに人が集まり、その人々を目当てにさらに商人が集まり……と、人が人を呼ぶ構造になっており、港に隣接する町は常に人であふれ、賑わっている。実質的には三大港町に次ぐ規模をもつ大きな港町だと言っていい。
 ローラシアにとっては国外の産物を迎え入れるための大切な玄関口であるし、ゴンドワナにとっては『鼻持ちならないが金だけはある』ローラシアの貴族相手に一儲けする機会を与えてくれる場所である。
 この経済的な結びつきの強さもまた、ローラシア、ゴンドワナ両国が腹のなかではお互い舌を出し合いながらも、同盟関係をつづけている大事な要素である。
 その港町アッバスはまた、パンゲアとの戦いがはじまったとなれば、パンゲア側の港を奇襲するための船団が出撃する軍事拠点でもある。ゴンドワナにとっては政治、経済、軍事の全方面においておかされざるべき重要拠点だと言える。
 そんな重要拠点であるから当然、警護も堅い。ゴンドワナでも最大規模の傭兵船団が駐屯し、しかも、国から全面的な支援を受けている。最新鋭の大砲を備えた最新鋭の戦列艦が与えられており、その質の高さは世界でも屈指と言える。まあ、ゴンドワナにとっては『こんなにいい船をくれてやるのだから、契約料を安くしろ』と、迫るための取り引き材料でもあるのだが。
 ともかく、アッバス港を守るのは世界的に見ても最強級の船団というわけだ。
 その船団を指揮し、アッバスの港と町を守るのがヴォウジェ。いかにも『海のおとこ』と言った印象の、太陽と潮風に鍛えられた灰色の髪と赤銅色に輝く肌をもつ四〇がらみの巨漢である。
 もともとはれっきとした海賊であり、ローラシアやゴンドワナの交易船相手に大暴れしていた。そうして得た財貨はそこらの貴族の比ではないと言われている。同じ海賊としてガレノアやボウとも面識があり、ときには同じ獲物を巡って争い、ときには協力して町を襲い、またときには陸にあがって、互いに酒をみ交わしたりしていた仲である。
 あのガレノアが共に酒を飲むだけのことはある傑物けつぶつで、度胸があり、判断が早く、戦闘指揮も巧みと、敵対する側にしたら悪魔のようにたちの悪い海賊だった。ヴォウジェ討伐に失敗を重ねたゴンドワナは方針をかえ、商人らしく金で解決することにした。つまり、大金をもってヴォウジェとその船団を傭兵として雇い入れたのである。
 昨日までの最大の敵が味方になったのだからこれほど頼もしいことはない。ヴォウジェもひとたび傭兵として契約してからはまったく誠実にその任を全うしてきた。ヴォウジェがアッバス港の守り手となってからこの一〇年、海賊と言わず、国と言わず、アッバス港が敵対勢力によって被害を受けたことはない。
 そんな状況であったから、パンゲアとの戦争がつづいているいまの状況でも町の人々はまったくと言っていいほど心配していなかった。
 まったく、なにを心配する必要があるというのだろう。アッバス港には世界最強級の船団があり、それを指揮するのは百戦ひゃくせん錬磨れんまの海のおとこ。そして、なにより、敵対しているパンゲアに海軍はない。
 アッバス港が襲われるはずがなく、町に住む人々に危害が及ぶはずはないではないか。
 その状況のなかでアッバスの町に住むゴンドワナ商人たちは、この戦争を絶好の商売の好機と捉え、ローラシア相手に稼ぐことに余念がなかった。
 「さあて。今度はどんなものを売りつけてローラシア貴族から金を巻きあげてやろうか」
 誰もがそう舌なめずりし、次に仕入れるべき商品を探し求めていた。
 ゴンドワナの商人たちもローラシア貴族の財が無数の奴隷たちの無償の強制労働によって得られたものであることはもちろん、知っている。しかし、商魂たくましいゴンドワナ商人にとって、そんなことは瑕瑾かきんにもならない。
 「なあに、奴隷の犠牲で得た汚れた金を奪いとり、世間の役に立つように使ってやっているのさ」
 と、涼しい顔である。
 良くも悪くもそれが、ゴンドワナ商人の気質というものだった。
 そして、今日もまた善良なゴンドワナ商人たちがいかに稼いでやろうかと知恵を絞っているなか、その災厄はやってきた。
 最初の犠牲となったのは『海猿』号だった。船長の名はチンク。名前も妙だが、外見も妙。れっきとした三〇代の男だというのに子どものように小柄でしかも、痩せている。対照的に目と耳は異様に大きく、その部分がやたらと目立つ。はじめてチンクを見た人間は例外なく一瞬、サルが服を着て歩いていると錯覚するという。しかし――。
 チンクをあなどって後悔しなかったものはいない。いざ戦闘となればサルのような外見にふさわしい俊敏さを発揮して敵を葬りさり、船の指揮は巧みを通りこして悪賢い。海賊時代からヴォウジェ配下の中心人物として怖れられてきた人物である。だからこそ――。
 チンクの配下でチンクを侮ったり、その外見を冗談の種にしたりするものはひとりもいない。それは、自分自身の死刑執行書に署名することと同じだと骨身に染みて知っているからだ。
 そのチンクはいま、『海猿』号を指揮して哨戒しょうかい任務にんむに就いていた。『海猿』号は四〇門ばかりの大砲を備えた五級艦であり『海戦の主役』となるほどの火力も防御力もないが、小回りの効く素早さが売りである。まずは、哨戒しょうかい任務にんむにふさわしい船と言えた。
 主戦場であるアドニス回廊からは遠くはなれ、パンゲアに海軍はない。戦争に巻き込まれる心配はない。その意味では気楽な任務ではある。
 しかし、重要な交易港であるからには当然、船の出入りは激しい。その分、船同士の揉め事も多い。そんなことを許しておけばアッバスの港町としての評判は悪くなり、商人たちは寄りつかなくなる。町はさびれ、給料も少なくなる。
 チンクは別に『世のため、人のため』に尽くそうなどと思う人間ではない。しかし、自分自身の懐具合のために尽くすことにはきわめて熱心な人物であったので、職務には非常に忠実だった。
 アッバス港を訪れる船と船の間に揉め事が起きないように目を光らせ、実際に揉め事が起きれば即座に駆けつけて仲裁し、必要とあらば『海賊の解決法』で争いを収める。そうして一日が終わると『これでまた、自分の懐具合は暖かくなる』とホクホク顔で眠りにつく。そんな充実した毎日を送っていた。だが――。
 この日も哨戒しょうかい任務にんむについて船を走らせながら、甲板かんぱんを歩いて船員たちの様子を見てまわっていた。その脇には怠けている船員を見つけたらむちで叩いて『教育してあげる』のが仕事の大男も付き従っている。とてもではないが仕事をサボッてひなたぼっこに興じる……などということが出来る雰囲気ではないので、船員たちは誰もがきびきびと働き、自分の職務に励んでいた。チンクはそのありさまを満足げな表情で眺めていたが、
 ガクッ!
 突然、音と共に船体が傾いた。まるで、海の怪物に牙を立てられ、海中に引きずり込まれそうになったときのような、そんな急な傾き方だった。
 あまりにも急だったので揺れには慣れているはずの船員たちが何人か転んだほどだった。敏捷びんしょうせいにかけては野生のサル顔負けのチンクでさえ一瞬、体勢を崩し、転倒しそうになった。
 「何事だ⁉」
 とっさに跳びはねて転倒を防いだチンクが叫んだ。小柄な体に似合わないドスの利いた大声だった。
 まだ一〇代はじめと思える少年の見習いが傾いた側の船縁ふなべりによった。下を見た。悲鳴をあげた。そこにいたのはある意味、伝説の海の怪物よりもあり得ないものだった。
 「よ、鎧……鎧の騎士が!」
 見習いの少年は叫んだ。
 その叫びに船員たちが一斉に船縁ふなべりに殺到した。そして、少年と同じものを見た。船員たちがそこで見た光景。それは――。
 全身を金属の鎧で覆った鎧騎士たちが何十人と船に張りつき、手足だけで登ってこようとしている光景だった。
 もし、この場にローラシアの名将ロゼウィックがいれば、その鎧騎士たちを一目見た瞬間、叫んだにちがいない。
 「気をつけろ! やつらは大砲の直撃を受けても死なない怪物どもだ!」
 しかし、ロゼウィックは幽体離脱の使い手ではなかったので、この場に存在することは出来なかった。当然、警告を送ることも出来ない。『海猿』号の船員たちはあり得ない光景を前にうろたえるしかなかった。
 「な、なんだ、あいつら……! どこから現れたんだ⁉」
 「……まさか、泳いできたのか?」
 「馬鹿言うな! あんな全身鎧を着て泳げる人間がどこにいる⁉」
 「じゃあ、どこから現れたんだよ⁉」
 その声に答えられる人間はどこにもいなかった。
 鎧の騎士たちは黙々と船の側面を登ってくる。なんの道具もなく、ロープにもつかまらず、自分の手と足だけを使って。それはまるで、その身ひとつで急傾斜の岩山を征服しようとする登山家のような姿だった。そして、もちろん、この鎧の騎士たちの目的は登山のようなのどかなものであるはずがなかった。
 「馬鹿野郎! そんなことを気にしてる場合か!」
 チンクが一喝した。
 「やつらがどこから現れたかなんてどうでもいい! さっさと叩き落とせ!」
 即座にそう叫んだあたりはさすが、実戦経験豊富な海賊だった。そして、その声に即座に反応して行動した船員たちもまた、熟練じゅくれんの海のおとこたちだった。
 船員たちは長い棒を取り出して登ってくる鎧騎士たちを突き落とそうとした。しかし――。
 その頃にはすでに鎧騎士たちは船縁ふなべりにまで登ってきていた。船縁ふなべりに手をかけ、ぬっと頭部をすっぽり包む兜を見せつける。海水に濡れた兜を日の光に照らしたその姿はまさに海坊主。はるか海の底からやってきた人食いの怪物。船乗りたちの迷信的な恐怖をさそうに充分な姿だった。
 鎧騎士の腕が伸び、船員の頭をつかんだ。グシャッと音がして、船員の頭は熟れすぎたトマトのように潰されていた。そして、虐殺ぎゃくさつがはじまった。
 鎧騎士たちは次々と甲板かんぱんじょうにあがってきた。ただでさえ軽装の船員たちにはこの騎士たちの全身鎧を貫くすべはない。その上、迷信的な恐怖に支配されている。戦うどころか悲鳴をあげ、腰を抜かして座り込み、小便を漏らすありさまだった。
 そんな船員たちを鎧騎士たちは次々に殺していく。残虐に、ではない。『残虐』と言うにはあまりにも乾いた殺し方。一切の意思をもたない、ただ事前に指示されたことだけを行う自動人形による殺戮さつりく。そう思える姿だった。
 チンクの判断は素早かった。もうこの戦いには勝ちはない。船員たちのありさまを見ればそんなことは馬鹿でもわかる。となれば、チンクのやるべきことはひとつ。
 自分の命を守るためにさっさと逃げ出す。
 その一事だった。
 チンクには『自分の船と運命を共にする』船長としての美学などはなかった。命を張って部下を守ろうと言う気もなかった。チンクが戦うのは金のため、自分の懐具合を暖めるため。ただ、それだけ。である以上、勝ちのない戦いにこだわり、命を落とす理由などなかった。
 「謎の鎧騎士による襲撃を報告する」
 という、言い訳もある。
 チンクはためらわずに逃げることを選んだ。持ち前の敏捷びんしょうさを生かして船を飛び降り、海に逃げ込もうとした。だが――。
 チンクの野生のサル顔負けの敏捷びんしょうせいをもってしても鎧の騎士から逃げることは出来なかった。鎧の騎士はその重量感あふれる姿からは想像も出来ない疾さをもってチンクに近づき、その小さな体を捕まえた。そして――。
 バリバリと音を立ててその身を引きちぎった。
 いっそ、その身を食おうとしないのが不思議なほどの光景だった。
 その際に放たれたチンクの叫び。
 それこそ、アッバスの町を襲う災厄のはじまりだった。
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